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あやかし新聞社  作者: 文月 優
こずえの願い
26/35

 ——雅人さん私、好きな人ができたの。


 そう言った彼女は泣いていたんだっけ……。

 僕には理解ができなかった。なぜ泣いている? 泣きたいのはこっちなのに。

 そもそも泣くくらいならばなぜ別れるとか言うんだ? 僕たちは上手くいってたじゃないか。ケンカだってしたことなど片手で数えられるほどだ。その内容だって別れ話に至る内容なんかじゃない。

 僕は仕事をバリバリこなし、お金をためて、キャリアを積んで。そしたら僕は、こずえと結婚しようと考えていたのに。


「——佐藤さん、大丈夫ですか!」


 ハッとして、僕は息を飲んだ。僕の視界には過去の映像が走馬灯のように流れていたが、みーこさんの声に連れ戻されるかのように、僕は今自分が豊臣神社の鳥居の前に立っていることを思い出した。


「汗がすごいですよ。熱中症かもしれません。一旦社務所に入りましょう」

「あっ、ああ……はい……」


 みーこさんは僕の腕を掴んで、社務所へと歩き出した。

 さっきまでみーこさんからのスキンシップに恥ずかしげもなく心を躍らせていたにも関わらず、今感じるものは”無”だった。


「水分をしっかり取ってください」


 社務所の中にある古びた冷房機のスイッチを入れ、みーこさんは冷蔵庫から取ってきたオレンジジュースをガラスのコップに注ぎ入れてくれた。

 僕は言われるがままにそれを飲み、冷たいオレンジジュースが喉の奥を流れていく様を感じながら、さっきの光景を考えていた。

 白いワンピース。あれは去年の夏の終わりにこずえが買ったと言っていたワンピースだ。それを着て水族館へ行こうと話をしていたが、結局大詰めだった仕事が立て込み、流れてしまったのだ。


「先ほどの参拝客は初めて見るお顔でした。この辺りの方ではないですね」


 直接的に質問はしてこないが、みーこさんはまだ疑問に思っている様子だ。


「あの手紙、なんて書いてあったんでしょうねぇ。左右は、知ってる?」


 左右? そんな言葉に僕は思わずみーこさんが見つめる先に視線を送る。すると僕の背後にある部屋の入り口の扉の前で腕を組んだ形で背中を預け立つ左右がいた。


「ああ。括り付けながら、唱えるように読み上げていたからな」

「じゃあなんて書いてあったの?」

「……」


 手紙の内容に関しては、僕も気になる。思わず左右の顔をまじまじと見つめたが、こいつは話す気が無いようだ。口は固く閉ざしたまま、開く様子がない。


「……まぁ、依頼主の方が撤収した内容を勝手に横聞きするのはよく無いとわかってるんですけどね」


 みーこさんは珍しくため息交じりにそう言った後、気を取り直して両手をパチンと叩いた。


「こんなことしていられないんだった。左右、今月のあやかし新聞の依頼欄を更新するから凛花ちゃんの返事、どうしよう? どう書いたらいいと思う?」


 切り替えの早さも素晴らしい。僕のこの気持ちもみーこさんのようにさっくりと切り替えられたらどれほどいいだろうか。

 僕は基本仕事にしろ日々の生活にしろ、前を向いて過ごしてきた方だと思う。マイナス部分は時としてプラスでもある。そう思って両面を見て、良い面を意識するようにしていたつもりだ。


「短期間で学業の成果を達成するのは困難な道のり。大いに努力すべし」


 なんだ、学問に関しては思っていたよりも悲観的なわけではなかったのか。それならばやはり問題は親御さんの方か。そう思っていると、左右はさらに話を続けた。


「みーちゃんとはきちんと向き合うこと。結果が悪い方向へ進んだとしても、きちんと別れの挨拶をすること」


 ……待て待て、それじゃやっぱり凛花ちゃんは100点取れないって言ってるようなものじゃ無いか。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦。どちらに転んでも保険をかけておこうと言う意味か? 代金を取ってないとはいえ、街角の胡散臭い占いの館で占ったものではなく神社で占ったものなのに、それではあまりにも陳腐ではないか。

 僕は異論を唱えようと口を開きかけたその時、左右はこう言った。


「俺は今から行くところがある」

「えっ、どこに?」


 みーこさんがそう言い切ったかどうかのタイミングで、左右はすっと僕たちの目の前からいなくなった。

 都合が悪くなるとすぐにいなくなる。仕事のできない上司と同じじゃないか。

 そんな風に思っていると、気が利くみーこさんは僕の空いたグラスにオレンジジュースを注ぎ入れてくれた。


「佐藤さん、しっかり水分取ってください。少しは体調マシになりましたか?」


 僕はジュースを一口飲んだ後、笑顔を返してこう言った。


「はい、大丈夫です。さっきは少し暑さのせいで眩んでしまったようですね」

「熱中症に日射病。侮っていると本当に危険ですから」

「そうですね」


 僕は言葉短くそう返事し、みーこさんはジュースと一緒に持ってきてくれていたかりんとう饅頭の一つに手を伸ばした。


「……実は僕は、結婚を考えた女性がいました。けれどここへ来る前に別れてしまったのですが」


 コップの中を見ながら、ビビッドカラーのオレンジジュースを見つめながら、僕はぽつりとそんな言葉をこぼした。

 こんな話はするつもりもなかった。こんなカッコ悪い話を年下で麗しいみーこさんに言うつもりなど更々なかった。

 ……なかったのにも関わらず、僕がこうして口を開いてしまったのは、僕のキャパシティは思っていたよりも大きくないのかもしれない。キャパオーバー。もうこれ以上抑えきれない。あふれ出る感情を抑えられない。そんなふうに僕の脳が指示を出し、口を開かせているのかもしれない。


「……さっきの女性は、その方ですか?」


 相変わらず察しがいい。……いいや、今回に関しては僕が隠すのが下手だっただけなのかもしれない。そう思い直しながら自嘲気味に小さく笑い、僕は首を縦に一度だけ振った。


「そうなんです。3年付き合っていたんですけどね、好きな人ができたと言われしまいました。付き合う期間は長くとも別れるのなんて一瞬で驚きですよ」


 はははっ、と力なく笑い飛ばす。けれどみーこさんは笑いもせずに真剣な面持ちで話を聞いてくれている。むしろ今は笑ってもらえた方が幾分か気分は楽だったかもしれないが、女神のようなみーこさんがそんなことをするはずもない。


「まぁそんなわけで、僕がここにいるのはただの傷心旅行なんです」


 理由が情けない。しかもみーこさんは少なくとも僕より5つも年が下な相手なのに。こんなありえない場所でこずえに再会してしまったことで、僕は決壊したダムのように言葉は溢れて止まらない。

 もうなんでもいいか、と思い始めていた中で、みーこさんはこう言った。


「別れる時、あの方とちゃんと話をしましたか?」

「もちろん。けれど彼女の意思は強かったし、他に好きな相手ができたのであれば僕にはもうどうすることもできなかったんです」


 僕は仕事ばかりしてこずえを放っておいたのがいけなかったのかもしれない。けれど、そんな僕を好きだと言ってくれていたからこそ、僕は仕事に打ち込んだのもある。


「いえ、その、ちゃんと佐藤さんの気持ちは伝えましたか? 自分の思いを、どう思っていたのかをきちんと話しましたか?」


 自分の気持ちを……? 


「それは……してないと思います」


 僕が変わらず仕事に明け暮れていた間に、彼女は変わってしまったのかもしれない。そんな彼女の変化にも全く気づかなかった僕は、とことん間抜けで、滑稽極まりない。変わらない僕に対し、変わってしまったこずえ。そんな変わってしまった彼女に、僕が何を言えたのだろう。

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