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ソニア=イス=ファラステラ。ファラステラ公爵家に生まれた一人娘であり、私の名前だ。
そして、私には別称も存在している。
『暗闇姫』
私は幼くして、強力な闇の魔力を保有していた。恐ろしく強大な闇の魔力。それを恐れた者達は私のことを陰で『暗闇姫』とそう呼んだ。
父と母は綺麗なブロンズの髪だった。にも関わらず、私の髪は漆黒色の髪である。瞳は父の淡い青を受け継いだものの、それでも私はあまりにもイレギュラーな存在。髪色はおそらく闇の魔力の影響によるものであるっぽい。
なんとも厄介な力を得てしまった。
しかし、嘆いたところで私の評判が変わるわけでもない。
残念なことに人からの評価というのは悪化させるのは簡単でも修復するのは難しいのである。
幸い家族や公爵家の使用人達は私のことをちゃんと分かってくれている。だから、周囲の評判が悪かろうが私にとっては然程問題視するようなものでもない。ちゃんと味方がいるというのは、私にとって救いになっていた。
……けど。
「おい、無視するな」
やっぱり悪意を持って接されるというのは中々厄介なものだ。
目の前にいる私と同い年くらいの少年は私のことを睨みつけながら悪態をつく。
「どうかされましたか?」
「どうかされましたか。じゃない! なんでお前みたいな女がここにいるんだ!」
「仕方なく?」
「ふざけるな!」
まあまあ、そんなに声を荒げちゃって。まだまだ子供ね。
そう、子供。ソニア自身もまだ10歳の子供である。そして、ソニアの目の前にいる少年もまたソニアと同じお年頃であった。
パーシヴァル王国の第二王子、レノア=ルナ=パーシヴァル。由緒正しき王族にして、ソニアの婚約者となる者である。
そして、何故ソニアがレノア王子と揉めているのか。それはレノア王子がソニアとの婚約を不満に思っているからだった。
「そんなに私がお嫌いですか?」
「当然だ。何故お前みたいな『暗闇姫』と婚約したいと思うんだ。俺はそんな汚らわしい黒髪もその偉そうな目つきも態度も全てが気に入らない」
「そうですか。それは残念でしたね」
「馬鹿にしてるのか⁉︎」
激昂するレノア王子とは対照的にソニアは落ち着いた面持ちを保っている。
元より、この婚約は王族側からの申し出。ファラステラ公爵家がそれを受諾する形で成立しているものである。無論、そこにはソニアの希望などは微塵も組み込まれていない。
故にソニアはこの婚約に関して、信じられないほど無関心だったのである。
「馬鹿になんてしていませんわ。不満なら陛下に直接おっしゃればいいのに。そもそも私だって貴方と婚約したくてしたわけではないの。私に何を言っても無駄だと思いませんこと?」
寧ろ、ソニアにとってレノア王子との会話は無駄なもの。
我儘な子供をあやすような気分でいた。
ソニアの感情の一切込められていない言葉を聞き、レノア王子は拳を握りしめた。
自分のことはまるで眼中にない。
そんなソニアの冷たい態度を感じ取ったからだ。
「用件はそれだけですか?」
「なんだと?」
押し黙るレノア王子に対し、無慈悲にもソニアはそう告げた。まるで迷惑とでも言わんばかりの鋭い視線をレノア王子に向けつつ、ソニアは子供らしからぬため息を吐いた。
「こう見えても私は忙しいのです。用件がそれだけでしたら、そろそろ失礼させて頂きたいのですが」
正直、こんな頭の悪そうな王子の相手はしたくない。
ただでさえ、今日は婚約を結ぶために王宮まで足を運んだのだ。国王陛下に謁見し、様々な書面にサインなどもした。
本来であれば、こんなところに長居など御免なのである。
レノア王子はそのまま何も言い返せないまま、私を睨みつけるだけ。
……時間の無駄ですね。
「では、失礼しますわね」
「お、おい……」
レノア王子が何か悪意あることを言う前に私はそそくさとその場を退散した。
レノア王子が何を思って私の後ろ姿を見つめていたのか、それは分からないが、少なくとも私に対しての良い感情は微塵も醸し出していなかっただろうなぁ。
/
王宮へはお父様と共に出向いていた。
レノア王子には「失礼します」と言って、王宮から出てしまったが、実は特に忙しいわけではない。逆に今日の予定はこの王宮に来ることであってそれ以外になかった。
しかし、厄介な我儘王子から離れるために王宮から出た手前、また王宮に引き返すなどできなかった。
無論、お父様はまだ王宮で国王陛下との対話を続けている。
使用人に馬車を出してもらって、一人で屋敷まで帰るのは容易い。しかし、それだと後々で父に色々と事情を説明しなくてはならなくなりそうである。
「せっかくだし、観光でもしようかしら」
幸い、屋敷から連れてきた信頼のできる使用人がそばにいる。身の回りの安全は保証されているから出歩いても大丈夫だろう。
「ラスティ、私はこの付近を少し見て回るわ。警護をお願いね」
「かしこまりました」
黒い影が私の背後から現れ、私の言葉に従順な返事を返す。
ラスティは我が公爵家の使用人。それも私付きの専属の使用人である。
使用人になる前は暗殺者であったラスティ。闇魔法によって気配を眩まして、常に私のそばに控えている彼は私にとってただ一人の特別な使用人であり、最高の護衛でもあった。
もちろん、国王陛下との謁見の際もレノア王子と会話していた時も彼は私の近くにいた。
私以外は誰も気付いていなかったけど。
「ラスティ、この近くに武器を売っている店とかってあるかしら? ちょっと欲しいものがあって」
「武器ですか。魔法系か物理系かでお店は異なりますが……」
「ああ、そうね。できれば物理系の方が見てみたいわ」
「でしたら、歩いてすぐのところにあります」
「案内頼めるかしら?」
「もちろん」
ラスティが魔法を行使し身を隠している間は闇の魔法が使える者でないと気配を察知することができない。
故に現在ラスティの姿を認識できているのは私だけ。
私に護衛がついているなど他の人から見たら分からないのだ。視認されない護衛というのは色々と便利である。ラスティが私の身を守ってくれる、それだけでこの辺りを出歩くのにも一切不安はない。
……それにいざとなれば、ある程度の援軍を呼び出すことも可能ですしね。
「では行きましょうか」
姿を影に隠したままのラスティの後をしっかりと見据えて、ソニアは歩き出した。
少し歩くとラスティは立ち止まる。
視線の先にはやや古めの店があった。
「到着しました」
「もしかして、このお店ですか?」
「はい。店自体、多少古くありますが、品揃えはそこら辺の店より豊富かと」
なるほど。
ラスティは元暗殺者だ。闇魔法を使うのは勿論、刃物なども好んで使う。武器などに関してもそこそこ詳しいのだろう。実際、この店の店内に足を踏み入れる前に品揃えを褒めるくらいだ。
彼がそこまで言うのなら、このお店は良いものを保有しているに違いない。
私は迷いなく、店の扉に手を掛ける。
古びているせいか、開くときに木々が擦り切れるような音が響く。
「……らっしゃい」
店内から声がした。
なんとも気怠そうな、だらしのない声。店員にしては商売欲というのが欠如しているのではないか。そう思わせるような感じである。
「お邪魔しますわ」
見た感じ、あまり繁盛はしてなさそうですね。儲かってたから店ももっと綺麗だろうし……。
なにより接客が最悪ですわね。
もう少し丁寧な言葉遣いにすれば、変わると思うのですが。
店内は案外広い。
武器の種類も豊富で、陳列もしっかり分類ごとに分けられている。
多くの武器が並ぶ中、店の奥には店主と思しき男が足を組みながら短剣を手に持ち、それをじっと見つめていた。私が店に入ったときに一応挨拶はしたものの、その後はこちらに見向きもしない。
私という客に興味がないのだろう。
「あの、少し店内を拝見させていただいても?」
そう私が尋ねると、ようやく店主はこちらに視線を向ける。
「……冷やかしか? ここは子供が来るような店じゃねえよ」
「いえ、そういうわけでは無いのですが」
店主の視線は私の返答を聞いた後も変わらずに睨みつけるようなものであった。
まあ、私みたいな幼いしかも女が来るなんて、冷やかしと思われても仕方がない部分はある。
でも、
「だったら迷子か。たく、面倒くさ……」
「違います。私は迷い込んだわけではありません。ちゃんとここへ来るべくして来たのです」
そう、私は普通の子供とは違う。
闇の魔力を持つ者。世界に疎まれる存在。
だからこそ、自身を自衛する術を手に入れなくてはならない。人から恐れられ、嫌われるということはすなわち私に敵対する者だって沢山いるということ。身を守るためにも私は強くならなくてはいけない。
……そして、彼らとの約束を果たすためにも。
だからこそ、この場で私のことを迷子のご令嬢みたいに扱われては困る。
「貴方に折り合って頼みがあるのです」
「あんたみたいな嬢ちゃんがオレに何の用だ?」
「剣を見繕ってもらえないかしら。上級魔法を弾けるくらいの魔法耐性があって、それでいて軽くて丈夫な短いものを」
……魔法で身を守ることも大事であるが、やっぱり護身用のナイフくらいは持っておきたい。
いざと言う時に近接戦ができなければ、あっさりと殺されてしまうことだってあり得るのだ。
「そんなもの、お嬢ちゃんに必要なのか。言っとくがここに売ってるものは玩具じゃないんだぞ」
「存じております」
とは言ったものの。……店主の目は明らかに私を信じていない。あらかた世間知らずの娘が興味本位のお願いをしているといった程度の認識だろう。
ならば、
「ラスティ、出てきてちょうだい」
「はっ」
ラスティが闇の潜伏魔法を解除し、姿を現す。
私みたいな子供では説得力に欠ける。つまり、武器を持つに相応しい年齢の、そして見るからに猛者っぽいラスティを前にすればなんとかなるということでもある。
まあ、店に入る前から私だけだと取り合ってもらえない予感はしていた。
ラスティの存在は出来るだけ、周囲に晒したくないためギリギリまで隠していた。しかし、交渉がうまくいかないとのなら致し方ない。
「お、お前は……アサシンの」
「お久しぶりですね。しかし、アサシンというのは些か間違いです。私は既にその手のことからは手を引いています。今は貴族に使えるただの使用人です」
どうやらここの店主とラスティは顔見知りらしい。
そして、明らかに店主の顔色が青ざめている。
ラスティ……貴方何をしたの。
そんな視線をラスティに向けてみるが、本人には何かしたという自覚はないらしい。顔色一つ変えずにいつもの無愛想なまま。しかし、この男絶対に何かやらかしているに違いない。店主の顔を見れば一目瞭然である。
元は腕の立つ暗殺者。ここの店主に恐怖を植え付けるようなことって……。
店主は終始無言、とても不安だ。
「それで、もういいでしょう。ソニアさまの要望通りの武器を見繕って貰いたい。お代は望む額を用意いたします」
ラスティの言葉に対して、店主は素直に何度も頷く。
彼がどんなことをしたか知らないが、恐怖というのは時にいい方向に働く。
強者に逆らうというのは無謀というもの。店主はそれがよく分かっている。
「すぐにでも制作に取り掛かります。して、魔法耐性の方ですが……属性はどうされますか?」
ふむ、属性ね。
私は闇属性だから、敵が闇属性の魔法攻撃をしてきた際は有効な対処法がある。だから、闇属性以外……。
闇属性の弱点と言ったら、光属性だ。でも、闇属性や光属性を使えるような者は稀である。
実用性を考えるのであれば、所有率の高い属性の魔法に耐性のあるものがいい。
火、水、風、土……この中で最もメジャーな属性と言ったら。
「そうね。強いて言うなら火属性に耐性のあるものがいいわね」
火と水に比べて、風と土は使える者は少ない。
そして、水属性を使う者は殆どが後衛の回復特化。ヒーラーになる。
だから攻撃魔法を使うものが多く、最も脅威となりうる属性は火だ。できれば四属性分の耐性をつけて欲しいが、それは多分無理だろう。
「火属性か……分かった。その方向で軽くて丈夫な短剣を製作しよう」
まあ、後々他の属性の耐性がついた武器も作って貰えばいいか。とにかく、今は早急に魔法耐性付きの武器が欲しいのだ。
前日の夜、屋敷の周囲に張り巡らせた私の監視センサーが反応した。間違いなくあれは私を狙った刺客である。
その数は把握しただけでも数十人はいた。
そして、魔法の素質を持ったものもまぎれているのが確認できた。
正直、迷惑極まりないのだが……。私は闇の魔力を持つ者。何もしなくても勝手にヘイトが溜まるのだ。
人間とは周囲の評判や噂によって動かされる者が多い。
それは私も例外ではない。
これは真理なのだ。だから、私の悪評を信じて踊らされている愚か者共には然るべき制裁を加えなくてはならない。
勿論、こちらに危害を加えなければ私から手を出すことはない。が、今日は確実に動いてくることだろう。
普段は屋敷に引きこもっている私。いわゆる安全地帯に留まり続けている感じだ。
しかし、今日は国王陛下からの呼び出しというのもあり、王宮まで出向いている。
公爵家の屋敷という私にとって最強の砦から離れているということは、それだけ私は無防備な状態にあるということ。
この機を見逃すほど刺客の方々は馬鹿ではないはず。
「ラスティ」
「はい」
「分かるわね。帰り道、貴方の活躍に期待しているわ」
店内で私は彼にだけ聞こえるようにそう耳打ちをした。