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背中の道

作者: 酒若芽生



  背中の道


   Ⅰ 拓き損ねられた道


 一番手になじむものは金属バットだった。

 一番楽しい時間は物を打ち壊す時だった。

 世界というものは案外単純で、複雑に見えるのは大人が嘘をつくからだと思っていた。

 冬の、風が強い日だった。空が暗くて、重かった。指先はもう言うことを聞かなかった。私は仲間を持っていた。最高で最悪なチームにいたんだ。

 「これで……いいのか」

 首を回して息をつく。

 「よし、帰ろうぜ」

 田舎のボロ校舎、時代がここだけ遅れたみたいな学校に、私たちはいたんだ。私達は正義でいたかったんだ。私達だけでも、少しでも強く。

 叩き割られたガラスの破片をジャリジャリと踏んで歩く。この校舎の立地は、学校としては最悪に近い。山奥過ぎて、窓ガラスの割れる音に気付ける家すらありはしない。足元も見えないほどの深夜。時代錯誤の木造校舎に警報なんてあるわけない。私達の去った後にあるのは、風通しのよくなった腐りゆくだけの校舎だけだった。

 雨が、降り始めてきた。


 十二月十日。はじめて本気で暴れたあの夜から、早十日。一つ歳が違うだけで喧嘩の勝敗が決まる思春期突入直後の女に、十日はあまりに長く短かった。

 山の上の雲はいまだに校舎を離れない。またも、この暗い場所に来てしまった。左手に裸の金属バット、両足にレザーのブーツ。目の前には歪んだ空気の木造校舎がある。また暴れるということだ。

 私達は五人いる。一人は倉野、私達のリーダー的存在で、表向きは優秀男子学生。だが私達と一緒に夜暴れる時には本気で容赦しない恐ろしさがある。二人目は巴二、“ともに”と読むのだが、この変なのが苗字である。表面上は穏やかな性格で笑顔を振りまいているようだが、本性は誰よりも人の悲しませ方を知っている背の低いやつだ。その次は木葉野、私達の中で唯一髪を染めている。その色は青。会う人ごとにそれぞれ顔を使い分けるほどのクレバーさを持っていて、私達の中で最も欲望のためなら手段を択ばない種の人間だ。そして私、静鹿。苗字ではなく下の名前だ。苗字はあって無いようなものだから私の場合は“せいちゃん”でいい。

 最後に、恵那。けいなと読む。こいつは、もういない。殺されたんだ。大人に。こいつは三年前に自殺した。ほんとに、笑い話みたいに。


 ほんの少しだけ前の話。私達五人は普通だった。いや、私達は普通の“五人”だった。と言った方が良い。

 私視点で言うと、ことの始まりははっきりしていない。ただ、私達が大人を恨むようになったのはつい数か月前のことだ。

 私は小学校の頃の卒業写真を見つけた。小さい頃から仲の良かった私達は、中学三年生という年齢にもかかわらず一人の女子の家に大集合したのだった。恵那を除いて。田んぼが土地の六割近くを埋める小さな町の話だ。直接会って誘うほかないほど、携帯の入手は難しい。それにたかが一枚の写真なのだ。家の固定電話にかけるほどのことでもないと、当時本当に純粋だった木葉野以外は思っていた。

 恵那は中学に入ってから誰も一目も見ていない。それどころか、小学校の卒業式直前のひと月近くはずっと体調不良で休んでいたため、最後に見たのはいつだったか、もう覚えてもいない。今思えば、木葉野の“恵那も呼びたい”という提案も杞憂から出たものではなかったのだと後悔している。

とはいえ久しぶりに、遊ぶためにみんなで集まったのだ。思い出話もそれなりに盛り上がった。今でも覚えている話で言うと、小学四年生の時に木葉野が、女子に人気だった巴二とよく仲良くしていたことから、クラスのとある女子とけんかになって、巴二がしかたなくその女子と友達になったはいいものの、その女子があまりに勘違いの甚だしいやつで巴二にデートを誘ったり家に来ようとしたりして、最後には関係がふた月も続かないうちに別れた話が一番面白かった気がする。

……そんなわけでその日は別れたんだが、その後日。

 私達は彼女の家に向かったんだ。


 「道分かんないの?」

 声を裏返しながら木葉野が言う。

「土地勘あるのが俺とお前だけなんだから行ったことあるお前に頼るしかないだろ」

 倉野の声。そう、私達はこれでもかと土地勘がない。地図があっても碁盤の目の道すら歩けない自信がある。ましてここは最高にややこしい山道の奥の奥だ。家の近くの学校以外ほとんど行けるところがないくらいに分かりずらい。

 「恵那になんか連絡取った?」

 木葉野の声。わたしが答える。

 「巴二?大丈夫だったの?」

 巴二。

 「え、俺電話番号知らないから倉野にお願いしたよ」

 「え、おいちょっと待て。それは俺も知らないってか携帯あいつが持ってるかすら分かんないから木葉野に行ってみろって言ったじゃん!」

 巴二と木葉野に視線が動く。

 「私言われた記憶ない……」

 「あ……」

 巴二が数秒固まって、それからすぐに笑顔を作った。

 「ま、まあ大丈夫っしょ。俺らだし」

 全員が硬直している。皆それぞれに頭を回しているんだ。一番のんきかもしれない私を除いて。私がとりあえず切り出す。

 「とりあえず歩こう。不安は実際に起こらないから怖いんだよ。誰かが言ってた」

 「嘘がつけない危険だから、だな。まあいいか」

 いつの間にか止まっていた足を動かす。倉野、私、巴二、木葉野の順で、一列になって坂を上った。

 竹林の隣、木葉野の言った通りの恵那の家だ。掛札には『伊野沢』と書かれている。下の名前でしか呼んだことがなかったから、なんだか新しく感じた。彼女の名前は“伊野沢恵那”だ。

 木葉野がインターホンを押す。電子音が二度鳴る。

 「――」

 インターホンからノイズが、一瞬聞こえて、止んだ。

 ドアの、開く音。

 恵那の……お母さんが出てきた。初めて見る。なんだかやつれたようなかんじ。

 「あの、恵那ちゃんっていますか」


 ……話を戻そう。私達の暴れる理由は恵那の自殺、その自殺の理由は学校でのいじめ、そしてその責任は大人を名乗る世界一弱い愚か者たち、私達の、私の目的は、大人に、恵那を、消させないこと。ただ、それだけ。

 「……くそ……ったれ……!」

 今夜のミッションはデカい。まずは学校の水道及び消防用に繋がれている四つの水道管を閉めて潰す。そして十日前の騒動から貼りなおされた強化ガラス、以外の部分のガラスを廊下中心に適当に割る。

 そして最後に火をつける。

 「終わったか?」

 「うん」

 水道の仕事が終わった全員が校門前に再集合した。

 「じゃ、お楽しみだな」

 巴二が、長年放置された鶏小屋の残骸の方に歩き出す。私もその後ろに続く。

 「じゃあ後で」

 倉野と木葉野は逆側、職員室付近をつぶしに行った。空は真っ暗、雲のお蔭で月明かりも星の光もありはしない。凍りついた草を、ジャリジャリと歩く。

 「よし、じゃあやるか」

 巴二がパイプを思いっきり振りかぶって、風を切りながら窓にぶつけた。

 ガシャーン!

 すさまじい音。たぶんこのパイプはさっきの水道潰す時にたまたま見つけたものだろう。軽く錆びてはいるが、まだ金属の色はしている。

 「あ、ここら一帯は全部潰してなかったから、手あたり次第やっていいよ」

 巴二がにっこりと笑う。

 「ああ、分かってる」

 私もいまのガラスの隣のやつに思いきりフルスイングをぶち当てた。

 すさまじい音。手に伝わるえげつない衝撃。たまらない。気づけば古いガラスはみんな割っていた。たったの四枚だったけど。

 「巴二、どう?」

 「最高。戻ろう」

 巴二が校門に向かって歩き出す。むこうの二人はちょっと目的地が遠かったから、今やっと仕事を始めたとこだろう。

 ……ん?何か聞こえる。

 ……警報!?

 急にやばい気がしてきた。気がついたら足が勝手に走り出している。やばいやばいやばい。巴二が私を後から追い抜かして走っていく方向は校門じゃなく、職員室。あいつ、こんなところでいい奴だな!

 私も死ぬ気で走る。

 体感数秒経ったくらいに、三人の姿が見えた。私の方に向かってくる。

 「工事されていた!警報が付けられたんだ!」

 「監視カメラがないから油断していた。ちくしょう!」

 なるほど。くそったれ。

 結局のところ、その日は当然そのまま逃げた。嵐のような夜だったが、木葉野がやけくそでマッチを職員室に投げ込んで、目的はクリアできたらしい。その炎は朝方まで燃え続け、隣町の協力によって山火事は防がれたようだ。その翌日、学校は休みになったらしい。放火事件の後に一日しか休みがないのもおかしいが、少なくとももともと行っていない私達には直接影響はなかった。その犯人は、いまだ不明らしい。


 十二月十三日。この日私達は、大人の本質を知った。

 四人とも、いる。本当なら心強いはずなのだ。だが今の私はそんな感覚を微塵も感じることができない。私達を大人が囲んでいる。教師、警察、親。

 さすが大人だ。話が早い。簡単に言うと、前の事件がばれたおかげで私達は晴れて“吊るし”になった。大人はものの数年で子供を“五人”宙ぶらりんにしたのだった。大人たちはあまりに強かった。いや、私達がバカだったのかもしれない。大人は人によっていろいろな顔を見せる能力をみんながみんな持っている。大人はみんな自分が正しいと言い張れる言い訳として“常識”という言葉をいくらでも使える。私達は愚かすぎた。大人は、同じ種類の人間でも利益のある者なら味方、嫌いな人間は敵、と分けて考えられる。素直じゃダメなんだ。ただずる賢く、正義より人目を気にした方が生きやすいんだ。

 私達はただ迷子になった。

 言っただろう、土地勘がないと。

 つまらない行き止まりに止まって、戻る。

王道を知らないわけじゃない。王道に行きたくないんだ。それは大昔に正義じゃなくなったから。


 十二月十四日、冬休み前日。

 久しぶりにこの眺めを見た。日中に眺める山からの眺めは普通にすごい。世間ではよく夜景夜景と騒がれているが、このドがつく田舎に求める物でないのは誰でもわかるというものだ。空はあまりにも青い。何だか眠たくなってきた。

 今の状況を説明すると、まずお母さんが私に「学校に謝りに行くよ」と唐突に切り出してきた。そして次に車に乗せられ今に至る。とても簡単だ。

 はあ。……車の外は寒いんだろうな。歩けば歩くほどさっむい夜とは大違いだ。……まったく。

 嫌な予感がする。

 カラスが飛んだ。左手に落石注意の看板。急カーブ注意。左ギリギリに崖。そして右正面、いや違う。

 真正面にトラックがある。


 起きたのは病院だった。聞いた話によると、私とお母さんは木材運搬用トラックと正面衝突して崖から車ごと落下、私が軽い打撲なのにたいして、お母さんはぺしゃんこで即死だったとか。まったくもってこの上ない笑い話だと思わないか? まったく。

 これが私の道なのか。






   Ⅱ 背中から伸びる道


 片田舎、といえば分かるだろうか。

 あからさまに田んぼを埋め立てて作られた住宅地。改築中の建物だらけの風景は教科書にも載せられそうだ。

 あれからもう一年近くがたった。住む家から何から、全部が全部変わってしまった。

 何があったか、まずひとつひとつ説明しよう。

 まず一つ目。“おばさん”と呼べる人間を初めて見た。

 家系図で言うと、五親等にあたるおばさんで、血は繋がっていないといっても過言じゃない。おばさんは、簡単に言うとお母さんの財産を取りに来た。おばさんはもともとおばさんが住んでいた家に私を移し、おばさん自身は私達家族、三人の住んでいた家に移り住んだ。おかげであの三人との会えなくなり、本当の意味で私は独りぼっちになってしまった。おばさん自身も独身だし、友達もいない所で職場に近くて広いだけの家では寂しいのではないだろうか

 二つ目。こっちは一応朗報で、おばあさんと暮らすことになった。軽い認知症を患ってはいるが、元気な人で内心ほっとしている。今さっき独りぼっちになったと言ったが、一応人とは話すことができると言ってもいいのではないか。おばさんからすると、さしずめ私に押し付けた、という感覚なのではないだろうか。

 最後に三つ目。これは朗報なのか分からないが、とりあえず。友達と言うか、話せる人がもう一人で来た。

 その人の名前は鈴木さん。もとはバンドのボーカルをやっていたが、バックの企業が鉄道会社への投資で失敗し、倒産。当然バンドも解散して、この人は無職と言ってもいいほどの状態となった。今でこそインターネットでちょっとした音楽の製作とか編集をして何とかやっているが、いまだに風もろくに防げないボロ小屋に住んでいるあたり、少なくとも楽でこそないのだろう。

 まあそんなわけで新しい生活が始まったわけだが、ここで一つ話の腰を据えなおそうと思う。


 日頃何をしていますか?

 散歩をしています。

 “うそ”というのは二種類あるらしい。中身がきちんとある“偽”と、空っぽの“嘘”の二種類。“偽善”という言葉は“善”に対する中身のある偽ということだが、それは果たして中身があるのだろうか。逆に“嘘吐きは泥棒の始まり”というが中身のない嘘しかつけない奴が泥棒する勇気をもつことができるのだろうか。……いや、つまらないな。ひとりのなるとこんなことを永遠と考える癖がもうついてしまったんだ。おばさんは罪深い。


 白い、白い雪。

 眠くなるような銀世界。鉄のバットも握ってないのに指先の感覚がなくなっている。

 うっすら白くかすむ田んぼと、山道に寝そべるように、子守唄を歌う数えきれない坂の家を見つけた。車の一つない、静かな町がまだあった。さびれた小屋とさびた自転車、雑木林にすら空白を感じられた。なんだか、暖かい。空は重いし、耳は今にも切れてしまいそうなのに、なぜだか永遠にここにいられる気がする。

 それでも足を前に置く。足を動かしたら、それが少しだけ浮いて、そしてすぐ重くなって前に置く。この旅はどこまで続くんだろう。からだは何を望んで、心はなにを待っているんだろう。ただ静かで、白い、白い道を、少しずつ黒く染めて。

 白い道か。そうだな。この道はもう数時間もするうちに凍り付いてスケートリンクみたいになるんだろう。そういえば、スタッドレスタイヤというものの名前の由来はスタッドというタイヤに付ける画鋲みたいなのがないところからだという。画鋲か……。やっぱり恵那含めたあの四人を思い出しちまうな。まったく、空は広いな。

 というか画鋲で恵那思い出すのってだいぶ不謹慎だったな。ごめんよ、恵那。


 十二月二十……数日。クリスマスの前のいつか。

 「なんか趣味とかないのか」

 「とくに……歩き回ることくらい」

 「それって幸せなのか」

 鈴木さんちにいる。おかしいな、ここは私達の町と違って土地は低いはずなのに、この家の中だけ山頂みたいに風が強い。というか純粋な目で見て、二十後半のお兄さん? おじさん? の家に高校にいるべき年齢の女子がいるのってどうなんだろう。

 「そんなに。幸せだったらあんたとも出会ってないよ」

 「勉強とかどうだ。学校は」

 そうか、この人には学校入学すらしてないこと言ってなかったな。

 「おもしろいところじゃないでしょ」

 「俺にとっても。人の世みんなそうだ」

 低くて灰色の声。人生を捨てたみたいな。長い沈黙が生まれる。……と、ふいに鈴木さんが切り出す。

 「……なあ」

 安い酒の瓶が地面に転がっている。右前に灰色の音。

 「ん?」

 「……楽器とかしないのか」

 「ピアノは昔、前にも少し話してたよ」

 「そうか……」

 瓶が左に転がる。からからと音を立てながら、私とはあくまで赤の他人として転がって壁にカチンと巡り会った。

 「友達出来たか」

 座りなおす音が聞こえる。

 「出来るわけがないでしょ……」

 「作ろうという気は?」

 「別に。いい」

 「そうか」

 趣味が散歩と言っているくらいなのだから、これくらいわかってほしいところだ。だいたい私は……いいや。

 「そっちこそ、仕事は?」

 「たいした変化はない。退屈なのは普通だからじゃないってことは分かってるんだろ」

 「人一倍ね」

 眠いな。帰るか。

 最近ほんとにやけに眠い。夜もあの頃より圧倒的に寝るようになったはずなのに、日常に飽ききってしまったのか、眠くない時間が一秒もない。

 ……よし帰ろう。腰を上げる。鈴木さんがノートパソコンから視線を上げた。

 「帰るのか」

 「うん。あとノートパソコン使うんなら、机使わないと猫背が酷くなるよ。腰痛めたら歩けないからね」

 「たぶん悩み始めるまで生きてないさ」

 とりあえず笑顔を作って出口に向かう。あんなセリフ真顔で言われたらどう返していいか分からない。

 「また来い」

 「誰にも会いたくない時に、一番に駆けつけるよ」

 私は外へ出た。冬の空に似合わない、燃えるような空だ。中と大して気温は変わらない。どうして四六時中、あんな寒い中生きてられるんだろう。道は真っ白に塗り固められている。歩みを進めるたびに、足の裏がジャリジャリと音を立てる。思えば私も見えないものを、勝手に決めつけがちだと気づいた。このジャリジャリという音、どこかで聞いた気がすると思ったら叩き割ったガラスを踏んで歩く音と同じだ。そうか、そういえばこの雪の結晶も、叩けば割れる氷でできてんのか。いやあ、思い出っていいなあ。こんな歩くだけの行動に意味を少しでも添加できるんだから。あ、でもそうか。あの日の出来事がなけりゃお母さんも死ななかったし友達とも別れなくてすんだのか。

 ま、知らんが。


 「ただいまー」

 外は完全にあの頃の暗さだった。いや、あのころは電灯なんかなかったから、あの頃よりは明るかったな。

 玄関の明かりは黄色味の強いオレンジ色だ。ちょっと私には暖かすぎるくらいだが、少なくとも安心はするというものだ。そういえば人間は、火を見ると落ち着くという話を聞いたことがあるのだけれど、あれはいったい何を根拠に言われている話なんだろう。純粋に人体の不思議として誰か研究して私のとこまで届くぐらいに公表してほしい。

 「おかえりなさい、静鹿ちゃん」

 「はい……、ごはんは――どうですか」

 だめだ、日本語が思いっきり下手くそだ。

 「うん、どうぞ」

 上衣を掛ける。雪は積もってこそいたが、降ってきてはいなかったみたいだ。上着は少しも濡れていない。席に着く。おばあさんはもう食べたのだろう。

 「ありがとうございます。いただきます」

 白米に何かの煮つけ、豆腐の異様に細かい味噌汁。典型的な“ごはん”だ。さすが長らく生きただけある。著しくおいしい。とくに味噌汁が、薄いのに味があって極めておいしいと表現するに値するおいしさがある。


 日常とは変化しないから日常なのではない。自分一人では変えることができないから日常なのだ。

 あれから再び1年がたった。人生とは面白いもので、鈴木さんのバンドのバックだった会社が投資しようとして失敗した、例の鉄道会社がついに近所に駅を作って、あの町に帰ることができるようになった。チケット料金がバカみたいに高い上に本数が数時間に一本の頻度なこと以外は文句の付けどころがなく、私はついに意気揚々と、あの町に行く電車に乗り込んだのだった。


 懐かしい景色。懐かしい坂道。懐かしい田んぼ。

 私にはやっぱりあの片田舎より、潔く田舎でいることを認めているこの町の方が、肌に合うというものだ。

 肺に思いっきり空気を詰め込む。なんだか深呼吸なんか相当長らくやっていないような気がして、ちょっと泣きそうになってしまった。

 相変わらず耳の切れそうな気温だ。空も相変わらず重い。この真っ白な雪道も多分、人より風の方が通った数は多いだろう。

 とりあえずあいつ達の情報が欲しい。そうだな……、とりあえず一番行きやすいのは木葉野の家だな。


 インターホンを押す。電子音が二回鳴る。あれ? 私がもともと住んでた家はピンポーンって音が一回だけだった気がする。私は比較的低いところに住んでたから、そういった違いとかあるのかな。

 「お! ……えーっとー……せ、静鹿! え、すごい。めちゃくちゃ久しぶり!」

 まさか一発で木葉野が出てくるとは思いもしなかった。しかし私の名前って、そんなに覚えにくいものだったっけ。

 「久しぶり。久々に戻ってきたぞ」

 木葉野は満面の笑みを作った。

 「ちょっと待ってね」

 木葉野は中に入っていった。

 「ジャジャーン!」

 木葉野が私に見えるように立って誰かに言った。

 「おお! おかえり!」

 「おかえりってのもおかしいがな」

 出てきたのは巴二だった。なんだか爽やかになっている。しかしこれなら倉野も……

 「すまん! 倉野はここにはいないんだ。今ちょうど家に携帯取りに行っててな」

 「まあ入ってよ。もう外にいても寒いだけでしょ」

 ……いないか。入ろう。


 「さ! 積もる話もあるが、まずは今どうしてるかだけ話そうぜ」

 倉野が切り出す。

 どうやら三人とも元気そうだ。各々がそれなりに生きてここにいるらしい。三人は近くの超中流高校に入ったらしい。私がとうに中卒決定なのを話した時の三人といったら、ない。まったく人生というものは分からない物だ。やっぱり不安というのは実際に起こらないから怖いんじゃないのか。私達は意味のない、それでいてこの上なく大切で最高の時間を思い出していた。時間は私達を待ってはくれない。そんなのは、いまさら誰でも知っている。

 「じゃ、みんな元気ってことだな。よかった」

 私は意味のない笑顔を作って、その場を去った。


 しろい、しろい空。白い道の上に、踏みしめられて現れたアスファルトの黒い足跡は私を振り向かせてはくれない。戻るなら、きちんと初めからやり直したい。でも、これもまた悪くもない。どうせなるようにしかなれないのが、私達が憎んでいた、“大人”、というものなのだから。

 足跡は、ただ“帰るところ”に、伸びるだけなのだ。


二作目。

一作目のあとがきがちょっと初めてってことでイタタにしたんですが私は普通の人間ですのであしからず。いやー今回は書いてて楽しかった。

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