にゃんだふるLove・1
「うーん…これは不味いことになった」
ストレンジ騎士団団長アイロスは研究所にある控え室の一室で唸っていた。
「栄養剤かと思ったら以前ある研究員と共に試作したタブレットの方だったとは。いや~あっはっは」
アイロスは空笑いを浮かべて後頭部をかいた。
「って、笑い事じゃないな。あーあーあー、絶対マルセルに殺される。まさか、こんな効果が出るとは思わなかった…。いやいや、その前に君に詫びないとな」
一人芝居でもしているかの如く、忙しなく右往左往と動き回っていたアイロスはピタリと立ち止まり、椅子の上に座っている者に向かって勢い良く頭を下げた。
「ほんっと~に、申し訳ない。ルイーズ嬢」
「に…にゃぁー……」
椅子の上にはアクアマリンの毛色をした仔猫が座っていた。
『ルイーズ嬢』と呼ばれたその仔猫は、不安気に小さく鳴いた。
(わたくしはどうしちゃったのでしょうか…)
ストレンジの検査を終えた後、手渡された栄養剤を飲んだらいきなり身体が縮んでしまった。
自身の身体を見下ろすと四本足で立っている自分。
ルイーズは訳が分からず、助けを求めようと声を発したところ出てきたのは言葉ではなく鳴き声だった。
手のひらを見れば小さなぷにぷにの肉球が二つ。
後ろを振り返れば、尻尾がゆらりと揺れた。
「みゃぁぁ…」
思わず溜息が漏れる。
「すまない。ルイーズ嬢、本当になんと詫びたらよいか…」
「にゃ、にゃにゃ…にゃんにゃぁ…(いえ、もう起きてしまったことは仕方ないので)」
先程から180度腰を折り曲げて謝罪するアイロス。
彼の落ち度とはいえ、ストレンジ騎士団団長に頭を下げさせるのは流石に気が引けて意思表示をするがやはり言葉は猫語である。
「取り敢えず、カプレ家に連絡しなくてはいけないな。そういえば今日はマティが研究所に…いや、マティに知られたら研究所を爆破しかねないな。グエンは…辺境、秘境ならまだしも宇宙にまで飛ばされかねん。ラフも物理的意味で研究所をぺしゃんこに潰しかねんな…」
ルイーズの両親に知られようものならば八つ裂きは免れないとアイロスは青い顔で唸る。
兄弟に知られても、ルイーズを溺愛する彼等ならば研究所一つ潰しかねないと更に気が重くなる。
「あ。そう言えば、一応元に戻す薬を作っていたはず。探して来るからちょっと待っててくれ」
「にゃー」
そう言って、アイロスは控え室から出て行った。
十五分後。
アイロスの手に持たれているのは薬瓶。その中には黒々としたヘドロのようなものが並々と中を満たしていた。
「にゃあァァァァっ」
「ちょ、ルイーズ嬢大丈夫だから逃げないで」
「にゃんにゃあっ!(どう見ても大丈夫じゃありませんっ)」
「これを──」
「にゃあっ!!(ヤです!!)」
「まだ何も言ってないんだが…」
アイロスが手に持っているものは、誰がどう見ても人間が口にしていい色では無い。
元に戻るとしても、ルイーズは絶対に願い下げだと控え室を逃げ回る。
備え付けの棚から棚へ。
仔猫とはいえ、猫となったルイーズは身軽にアイロスの手から逃れて棚の上を移動する。
「ちょ…逃げないで!ルイーズ嬢!」
「にゃーあーあーぁーっ!(いーやーでーすーっ!)」
「ほら、そんな所にいたら危ないよ。仔猫でもその高さから落ちたら大変だ。それに、そんなに小さな体じゃ高くて怖いだろう?こっちにおいで」
アイロスは踏み台を使ってルイーズを安心させるように笑顔で手を伸ばす。
確かにこの高さは怖い。
しかし、あのヘドロのような薬を飲まされるのだけは断固拒否したいところ。
その時。
「ルイーズ嬢は検査が終わりましたら控え室にご案内する予定ですので此方でお待ち頂けますでしょうか?」
ルイーズが乗っていた棚の傍のドアが開く。
中に入って来る人物の上に無事着地出来れば保護して貰えるかもしれないと踏んだルイーズは意を決して飛んだ。
「危ない!」
「え?」
叫ぶアイロス。
直ぐに人が入って来るかと思ったら、扉を開いた者は端の方に避けておりルイーズは着地場所を誤った。
(地面にぶつかるっ!)
ルイーズは覚悟した。
「おっと、」
だが、誰かにキャッチされたのか落下は止まり恐る恐るルイーズは瞑った目を開けた。
「猫?」
「で、殿下!何故此処に!?」
「ルゥが研究所に来ていると聞いたから終わる頃を見計らって迎えに来たんだ」
ルイーズを抱き留めたのは控え室に案内されたスタニスラスだった。
「にゃ!にゃん。にゃぁん(スタン様!スタン様です!スタン様ぁ)」
地獄に仏とばかりにルイーズは必死にスタニスラスにしがみついた。
「お?なんだ。随分と人懐っこいな」
「みゃぁぁ」
「ははっ。可愛い奴だな」
ルイーズは嬉しくてついつい甘えた声を出してスタニスラスの胸に頬を擦り寄せた。
スタニスラスは破顔して仔猫の頭を撫でると人差し指で顎下を撫でる。
「にゃう…うにゃぁ…」
ルイーズはゴロゴロと喉を鳴らした。
(ハッ!これでは本物の猫ですわ。…でも、スタン様の手が気持ちいいです…)
「仔猫だからまだまだ甘えん坊なのか?それにしても、私の愛しい女性と同じ色だからかお前とは初めて会った気がしないな」
「にゃうっ!?(い、愛しい女性!?)」
「それは、そうだろう。本人だしな…」
「何か言ったか?アイロス団長」
「い…いや、何でもございません…」
「ところでルイーズはまだ検査に時間かかっているのか?」
「あー…えっと…」
スタニスラスの問いに視線を彷徨わせるアイロス。
その不自然さに何かあると瞬時に勘づいたスタニスラスはアイロスに詰め寄る。
「アイロス。何を隠している。」
「えー…。スタニスラス殿下。落ち着いて聞いて下さい。ルイーズ嬢は此処にいらっしゃいます」
「何処だ。別の部屋か?」
「いえ、この部屋です」
スタニスラスはルイーズを抱き抱えたまま控え室の中に入りルイーズを探す。
「いないじゃないか」
「あの…そこに」
「…?何処だ」
「ですから、そこです。」
アイロスが指差す先を目で追うと、辿り着いたのは自分の腕の中にいる仔猫。
「何を言っている。とうとう耄碌したか」
「いや、本当にその子がルイーズ嬢なんですよ」
「……は?この子が…ルゥ…?」
スタニスラスは半信半疑で、試しに仔猫の脇を抱えて顔の前に掲げ目を合わせる。すると…
「みゃぁぁ(わたくしですわ。スタン様)」
「っ!?」
「にゃう…にゃぁぁ(これでは…言葉も通じないですわ…)」
「本当にルゥなのかい!?」
「にゃんにゃにゃ!?(もしかして、分かるのですか!?)」
「ああ。分かるよ。本当にルゥなんだね」
未だ信じられないと言った様子ではあるものの、スタニスラスは腕の中の仔猫がルイーズであると確信した。
「凄いな。これが愛の力か…」
意思疎通をする二人にアイロスはボソリと呟いた。
「この子がルゥであることは分かった。で?これは…どういうことだ?」
何も知らないものが見れば一瞬にして骨抜きになるであろう、眩しい笑みを浮かべるスタニスラス。
だが、その笑みが眩しければ眩しい程、裏の闇が濃い事をアイロスは知っている。
「で、殿下落ち着いて下さい。」
「ちゃんと…説明してくれるな?」
眩しい笑みはいつの間にか黒い笑みへと変わりブリザードが部屋に吹き荒れる。
アイロスは命の危機を感じたという。
事と場合によっては氷漬けにされるという危機。
「説明するので取り敢えずブリザードを収めて下さい。ルイーズ嬢が凍死しますよ」
「にゃぁー…(さ、寒いですわ)」
「ごめんルゥ!寒かったよな」
アイロスの指摘に即座にブリザードを引っ込め腕の中のルイーズを見る。
ルイーズはプルプルと震え筋肉が萎縮してしまっていた。
「ごめんよ、ルゥ。大丈夫かい?」
スタニスラスは震えるルイーズを胸元に抱き寄せハンカチを取り出しルイーズの身体に巻き付ける。
「にゃぁ~ん(ちょっとだけなので大丈夫ですわ)」
ルイーズは意思表示の為にスタニスラスの手をペロリと舐めた。
「ふふっ…擽ったいよルゥ。こんな状態だと言うのにルゥは優しいな」
「みゃぁぁ」
「ごほんっ。ラブラブなところ悪いが…元に戻す方法がないわけではないのだが…」
「それは本当か」
アイロスの言葉にスタニスラスが食いつく。
ルイーズは対照的にビクリと肩を上げた。
「ええ…これを飲めば…」
「フシャアァァァ(絶対嫌ですわ!)」
ぶわっとルイーズの尻尾の毛が膨らむ。毛は逆立ち防衛本能で威嚇する。
「大丈夫。大丈夫だよ。あんな危険なものルゥに飲ませたりしないから」
逆立つ毛並みを優しく撫でてルイーズを落ち着かせる。
アイロスの手にあるのはあのヘドロのような薬瓶。誰がどう見ても人間が飲めるようなものでは無く危険物でしかない。
そんなものを大切な婚約者に飲ませられるものかとルイーズを薬瓶から遠ざける。
「他に元に戻す方法はないのか?」
「新薬を作るとなると半年から一年はかかるかと」
「にゃうっ!?(半年から一年!?)」
「そんなにかかるのか!?」
ルイーズとスタニスラスは愕然とした。
ルイーズは最低でも半年以上はこの姿のままなのかと思うと泣きたくなった。
「うにゃぁ…(そんなぁ)」
「私の方でも探ってみるから安心して。解呪のストレンジを持ってる人がいるって聞いたことがあるから、それで元に戻れるかもしれないし」
「にゃぁん(スタン様)」
「だけど、御家族には私とアイロスから報告するとして、学校はどうしようか?」
「じゃあやっぱりこれを飲…」
「飲ませない!」
「にゃあぅっ!(飲みません!)」
「わあ、息ピッタリ」
取り敢えず、アイロスは薬の作成を進めながらスタニスラスの方でも元に戻すストレンジを持つものが世界にいないか調べる事となった。
ただ、仔猫となったルイーズをそのまま寮に帰す事も出来ない為、一時スタニスラスが保護する事となった。
今回のお話は一話完結では無く、複数話構成です。