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「クリスティーナ!」
グイッと唐突に後ろに引かれた腕に驚いて振り返る
「あら、レイクスお兄様」
肩で息をしながらレイクスは額に浮かぶ汗を拭く
相当心配してくれたようだ
「このバカ!はぐれないようにって言いつけたのに」
「ごめんなさい」
素直に謝り少し瞳を上げる
小さい頃にもこうやって彼に怒られたことがあるからかつい素直に頭を下げてしまう
私が言い訳なく頭を下げるなんて彼くらいじゃないかしらなんて思いながら顔を上げる
向かいでにやにやと笑うアレン様が恨めしい
一歩遅れて走ってきたレオは怒られる私を一瞥した後向かいのアシュレイン様を見る
レイクスもちらりと見た後相手の顔に心当たりがあったのか居住まいをただした
アレン様は察するに外交や、貴族同士のやり取りに辟易しているように感じた
二人が口を開く前に私は発言する
「レイクスお兄様、彼はわたくしが一人で歩いていたからと護衛をしてくださいましたの
自警団のアレン様よ」
スリに遭いそうになったのも彼のおかげで助かったと付け加える
きっとレイクスお兄様はアシュレイン様と対面したことくらいあるだろう
ただ、別の名前でこうも街に溶け込んでいてはまさかその人だと気づかないだろう
それに
隣国の王子がプライベートとはいえ
町中になじむほど他国に通い詰めるのはまずい
場合によっては偵察だとか侵略目的の行動だといわれのない非難を浴びる可能性もある
レイクスは私とアレンを交互に見た後にふぅとため息をついた
きっと気付いているだろうが黙っておくようだ
「その、まだお礼ができておりませんの
何かできることはないかしたら?」
私の言葉にレイクスはアレンに視線を移す
「では、クリスティーナ様のお時間を一日いただきたいです」
◆
「ティナ、こっち」
「えぇ・・・うん・・アレン」
私は差し出されたアレンの腕をぎこちなくとる
どうしても違和感の抜けない敬語に頭を悩ませた
数日後、指定された場所に向かうとアレンはまず今日一日私をティナと呼ぶこと
そして自分のこともアレンと呼ぶようにと言いつけてきた
渡された服に着替えるとどこからどう見ても町娘に変身した
「まぁ婚約済みのお嬢を男と二人きりになんてしないけどね」
もちろん、レオも同行している
「レオ?」
にこりと笑って振り向くアレンにはいはいティナねと適当に返事をするとレオはうんざりといった顔で後ろをついてくる
「ティナ」
呼ばれて腕にポンと乗せられたのは可愛い子猫
「わぁ、可愛い」
小さな瞳はきらきらしていて宝石みたい
手もぷにぷにな肉球も
言葉にならないほど愛らしい
「ティナの方が可愛いけどね」
ほら見てとかわいらしく毛繕いする子猫を見せようとアレンのほうを見ると笑顔でそんなことをいうのだ
思わず顔が真っ赤になり子猫を抱く手が緩む
そのすきに猫はさっと手から逃れて遠くに消えていく
「ティナ、顔真っ赤」
前髪をサラッと指で掠められる
「口説こうとするの禁止」
間にスッとレオが入るとアレンは楽しそうにハイハイと両腕を上げて降参ポーズをとる
「ティナ、こうやって自由に街を・・・市民として歩くのも楽しいだろ?」
楽しそうに前を歩くアレンはよく来ているのがはっきりと分かるほど街の人に良く話しかけられ談笑している
レオに聞いた話ではアシュレイン様は隣国の王子だが、8歳までは庶民として育てられたらしい
暗殺を恐れ乳母と二人身分を隠し市民として過ごしていたが乳母が倒れると王宮に連れ戻されたという
その乳母も最期を見ることなく他界しているため王宮に対する嫌悪感が強いとの話だ
最期一目会いたいとどんなに懇願しても王宮から出してもらえず
その墓前に立てたのも死後3年は経っていたという
「ティナ、これ」
差し出されたのはホッカホカのパン
割ると中からじゅわっとバターが溢れる
「おいしい!!」
思わず声を上げると嬉しそうにアレンは笑った
「一番の幸福は何か、考えたことはあるか?」
唐突なアレンの問いかけに私は首をかしげる
「自由で、協力し合いながら生きる
こうやってパンかじって汗だくになって働く
俺は、それが一番の幸福だと思う」
そうつぶやいて遠くを眺める
きっと彼は8歳までとても幸福に暮らしていたのだろう
お金はなくとも自由で楽しい時間を
「アレンはきっと良い国王陛下になりますわね」
私のつぶやきにアレンは複雑そうな顔で振り返った
「民の幸せが何かを正しく把握し、それが何より大切だと理解している国王は
きっとあなたが思うより少ないはずよ
民のことが誰より分かるからこそあなたは国王になるべきなのだわ」
どうやら自己犠牲もいとわない性格のようですしねと付け加えるとクスリとアレンは笑った
「釈然としないけどな
まぁ、こうやって平和な時間が続くように俺の人生使いますか」
夕焼けを背にアレンの髪が揺れる
「そうね、たまにはこうやって付き合ってあげましてよ」
そう言ってパンをかじる
実感していなかったが
もし破滅を回避したとして
エリックとの婚約がそのまま成立した場合
私も后妃だ
他人事ではなさそうだ
ほんの少しだけ、自由な平民に憧れる彼の気持ちが分かった気がした




