3.追跡の手
―エルリッソ村
その日、人々は見慣れぬものを空に見た。それはルメール教の紋章が側面に描かれた飛行船だった。
これまで辺境の地であるエルリッソ村に飛行船が停泊する事は一切なかった。
本来飛行船が停泊するような設備も持たぬ辺境の村故に、飛行船は村の上空に浮かんだまま止まっており。昇降口から縄梯子をたらした状態で聖兵士団の人間が降りてきていた。
聖兵士団の兵士は村長の館で二枚の似顔絵を見せ、村長に質問していた。
「この似顔絵の14、5の少年と12、3の少女を見ませんでしたか?」
「その少女の事は存じ上げませんが、その少年だったら一週間程前に、村の娘が血だらけで倒れているのを見つけて、確か今はハレット先生の家で面倒を見ていたと思います。」
「ご協力感謝します。」
兵士たちは村長の館を後にし、村の南部にあるハレット医院を目指した。
村長の館の応接間にいたもう一人の男性は窓から外の兵士が去っていくのを確認すると、村長に対して強い口調で話し出した。
「ごらんなさい!また面倒な事になったじゃないですか!」
「そう早まるな。まだどういう状況か分からんよ。」
「聖兵士団が飛行船で乗り付けてきたのですよ!これが面倒事でなくてなんだというのです!」
「しかしの、道に血だらけで倒れている少年を助けない訳にもいかんじゃろうて。」
「そうやってあなたは13年前もこの村を危険に晒したじゃないか!」
「あの時は仕方がなかったのじゃ。」
「仕方がないで関係のない村人が危険に晒されるのですよ!あなたが守るべきはこの村の人々でしょう。どこから来たかも分からないよそ者じゃなくてね!」
村長は険しい表情を浮かべながら、壁に掛かっている中年の女性の写真を見つめた。
―エルリッソ村から少し離れた山奥の池
赤毛の少女に気付いた白髪の女性は、ゆっくりと立ち上がり、少女に語り掛けた。
「こんな山奥にどうしたの?お父さんやお母さんは?」
少女は首を横に振った。
「もしかして一人で?」
少女は無言のまま頷いた。
「こんな山奥にあなた一人で来たの?」
少女は無言のまま再び頷いた。
少女の衣服は所々擦り切れていて、少女は靴も履いていなかった。
「何か事情があるみたいね。とりあえず私の家に来なさい。」
そういうと白髪の女性は少女に自分の家までついてくるように言った。
二人が10分程山道を歩くと、小さな小屋が見えてきた。その小屋が白髪の女性の暮らす家であった。
「遠慮しないで入って。ここには私とミーシャしかいないから。あ、ミーシャっていうのは一緒に暮らしてる猫の事よ。それと私の名前はフローラよ。あなたのお名前は?」
少女はうつむきながら小さな声で答えた。
「ロナっていうのね。昔空にあったとされるお月様と同じ名前ね。すごく素敵な名前。」
ロナは頬を赤らめていた。
フローラは慣れた手つきで火打石で窯に火を起こした。
「今お湯を沸かすから少し待っててね。」
お湯が沸くと桶でお湯を掬い、水を足してぬるま湯にし、そのぬるま湯で布を濡らした。
白髪の女性はロナの足元で膝を付き、その膝に足を乗せるように言った。そして、優しくロナの足を温かい布で拭いた。
「裸足で野道を歩いていた割には怪我はしてないみたいで安心したわ。」
白髪の女性は優しくロナに微笑みかけた。
―数時間前 ハレット医院
メガネの男とファランが椅子に座って向き合っていた。
「ハレット先生…これが俺が生誕祭の日に体験した全てです…。」
「うーん…信じがたい事ではあるが、それが君の失われていた記憶だというのか…。」
「はい。でも、どうやってここに来たのかまだは思い出せませんでした。」
「ルメール教のシンボルが手に浮かび上がったとなれば、ルメール教との関係があると考えるのが妥当だが、だからと言って彼らに頼れば下手をすれば君の身が危険に晒される事になるかもしれないな。」
「俺は一体どうすれば!」
「幸いにも私はルメール教について詳しい人間を知っていてね。それも現在はルメール教と距離を置いている人物だ。その人ならば君の事が何か分かるかも知れない。」
「本当ですか!」
「あくまでも可能性の話だから期待しないでくれよ。」
「少しでも何か分かるなら!」
「わかった。では少し山道を歩く事になるから準備をしようじゃないか。」
「はい!」
―現在 ハレット医院
聖兵士団の兵士たちがハレット医院の中をくまなく探していた。
「隊長、少年を発見できません。」
「痕跡から朝まではここに居たようだ。まだそう遠くへは行っていないはずだ!直ちに周辺の捜索を開始せよ!」
「了解!」
―山奥のフローラの小屋
ロナは幸せそうにフローラの作ったシチューとパンを食べていた。
それを眺めてるフローラも不思議と幸せそうであった。
≪トントン≫と扉を叩く音がし、ロナは急にテーブルの下に隠れだした。そんな怯える姿にフローラは不安を覚えながら、扉の方にゆっくりと歩いて行った。
「私だ。ハレットだ。」
扉の向こうから聞きなれた声が聞こえ、フローラは安堵し、扉を開けた。
そこにはハレットと見慣れない少年が立っていた。
「フローラ久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。」
「あなたこそ変わりないみたいね。でも急にこんな所までどうしたの?」
「その事なんだが、少し長くなりそうだから中で話してもいいかい?」
フローラはロナの事を気に掛け、断ろうとした。しかし、フローラの横からロナが部屋の外に立っていた少年に抱き着いた。
「ロナ!君無事だったのか!」
フローラとハレットは驚きの表情を浮かべながら、二人の事を見ていた。
四人はテーブルを囲んだ。
「なるほど、君が聖兵士団から追われているのを助けようとしたというのはその子の事だったんだね。」
「はい。」
「ロナ君、君はファラン君の話によると月から来たと言っていたようだけど、それはどういう意味なんだね?文字通りの意味で受けて取って良いのだろうか?」
ロナは黙ったまま頷いた。
「なるほど…、それについてフローラ君は何か知っているかい?月に住む人の事を?」
フローラはうつむきながら黙っていたが、少しの沈黙の末、重い口を開いた。
「明確な事を話す事は出来ないけど、そういう人々がいるというのは知っていたわ。でも、本来ならばそれは私の立場でも知る事の出来ぬ事だから詳しい事は分からないけど。」
「そうか。でも月に住む人々がいるという事は事実だという事が分かるだけでも十分だ。ではこのファラン君の左手に浮かび上がったルメール教のシンボルについても何か知っていたりするかね?」
「それは“エンゲージ”の証よ。」
「エンゲージ?それはどういう意味なんだい?」
「教団内でも一部の人間しか知らないことなのだけど、聖女とは神とエンゲージする事によって奇跡の力を得るの。その神とのエンゲージの証がルメール教のシンボルにもなっている紋章よ。」
「という事は、ファラン君もまた聖女と同じように神とエンゲージしたという事なのかね?」
「ルメール教の解釈で言えばね。でも違うかもしれない。」
「それはどういう事なんだ?」
「私は昔、大聖堂の地下にある封じられた部屋であるものを見たわ。」
「あるもの?」
「それはルメール教が生まれる前の歴史の映像よ。」
「映像?」
「ええ、あなたも写真を何枚も次々に映し出し、それを流れる絵にする映画はご存じでしょ?それと同じように、ルメール教の誕生以前の映像がそこには記されていたのよ。」
「そんなバカな。それだと今から500年以上前のものになる。映画の技術が開発されたのはほんの数十年前じゃないか。」
「ええ、だから私も最初は自分の目を疑ったわ。でもそれは真実としか言いようのない鮮明な映像だった。そこには救世の聖女ルメールの姿もあったわ。」
「それが事実だとして、その映像という物とエンゲージを否定するのにはどういう繋がりがあるんだね。」
「その映像には聖女と同じように紋章を持つ幾百もの人間が写っていたの。それも女性だけではなく、男性もいたわ。」
「そんな事がありえるのか…。」
「信じられないような映像ではあったけど、作り物にしては出来すぎているように感じたわ。」
「では一体その紋章とはなんだというんだね?」
「それは私にも分からないわ。」
「分からないって君だって元は―」
ハレットがフローラに何かを言おうとした時、小屋の外から数名の男の声が聞こえ、ロナはファランの腕を掴み、怯えていた。
「きっと奴らだ。」
「奴らって誰の事だ?」
「ハレット…正直あなたは最悪な場所にその子を連れてきてしまったようね…。」
「どういう事なんだ?」
男たちの声は次第に小屋を取り囲むように近づいてきていた。
うろたえているハレットに対し、フローラは落ち着いたようにロナに話し掛けた。
「こうして私たちが出会ったのは運命だと思うわ。だからあなたたちを彼らから逃がしてあげる。」
ロナは不安を抱えながらも、フローラの力強い言葉に少し安心した。
「ハレット、そこのベッドの下にある床板を外せば、外に通じる隠し通路があるわ。私はここで彼らの時間を稼ぐから、あなたはその子たちを連れて逃げて。」
「そんな事したら気味が彼らに!」
「私はあなたやエルリッソ村の人々のお陰で、十分過ぎる程に外の世界を満喫してきたわ。だからもう大丈夫。」
「何をバカな事を!それだったら俺がここに残って足止めをすれば!」
「それでは足止めの意味がないわ。でも私ならば彼らを足止めするには十分のはずよ。」
「君は十分世界のために自分を犠牲にしてきたじゃないか!君はまた同じように誰かの為に犠牲になるというのか!」
「これは犠牲じゃないわ。未来に託すの。だから安心して。」
「それはただの屁理屈だ…。」
「ありがとうハレット。あの時もそうやってあなたが村の皆を説得してくれたからこそ、今の私があるのよ。その優しさをその子たちのために使って。」
「フローラ…。」
「さあ行って。」
ハレットはベッドの下の木製の板を外し、ロナとファランを床下に降ろし、自身も床下の隠し通路へと降りた。
「フローラ、また会おう。」
フローラはにっこりと微笑んだ。
「ええ、また会いましょう。」
ハレットはファランとロナを連れて隠し通路を進んだ。
フローラはハレットが隠し通路の入り口であるベッド下の床板を元に戻したのを確認すると、自ら小屋の扉を開き、外に出た。小屋の外には十数人の聖兵士団の兵士たちが待ち構えていた。
その兵士の中から一人だけフローラの方に歩いてきて、ファランとロナの似顔絵が書かれた紙をフローラに見せてきた。
「お騒がせして申し訳ないご婦人。ここにこの似顔絵の二人が来ませんでしたか?」
「いいえ、こんな山奥に子供なんて来ないわ。」
「小屋の中を調べさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。」
その兵士は他の兵士に指示を出した。
兵士はフローラの顔を不思議そうに見ていた。
「どこかでお会いしたことがありましたか?見覚えがあるような気がして。」
「気のせいじゃないかしら。」
フローラが白を切っていると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「まさかこんな所であなたにお会いできるとは…。」
「アルフレッド…どうして聖兵士団副団長のあなたがこんな所に?」
「あなたの一件で降格になってしまいましてね。だからこのような辺境の地にまでくる事になってしまった。全てはあなたのせいだ。」
「それは残念なことね。」
「しかし、それもまた、神が私をこの地へと導くためにした事。あなたに会った事でそう確信した。」
「アルフレッド隊長、そのご婦人は一体何者なのですか?」
「知らない方がいい。知れば後々面倒な事になる。」
「そ、そうですか。」
フローラは黙ったままアルフレッドを睨んだ。
―エルリッソ村から少し離れた山道
ハレットは、ファランとロナを連れて、二百メートル程離れた出口から出て、山道を南西に向かったていた。
「ハレット先生、俺たちはどこに向かってるんですか。」
「この山を越えて半日程歩くと海岸線にぶつかる。そこから少し歩くとアンダリアという港町にいる知人が船を持っているから、その人に協力してもらえば逃げる事ができる。」
「どうしてそこまでしてくれるんですか?俺たちが何者かも分からないのに。」
「私にもわからない。しかし、13年前にフローラを助けた時もそうだった。どうしてだかそうするべきだと思ったんだ。今も同じだ。」
ファランはハレットの言葉を聞き、自分がロナを守りたいと思った時と同じだと感じた。
三人は山道を抜け、海岸線に抜けた。そこで待っていたのは聖兵士団の兵士たちだった。
「こんな所で古い友人に二人にも会えるとはね!」
兵士たちの前に立っていたのはアルフレッドとフローラだった。フローラは手を縛られていた。
「フローラ!」
「私は本当に神に愛されているようんだ!こんな所で裏切り者とお尋ね者を一緒に捕まえる事ができるのだから。」
「フローラを開放しろ!彼女が何者か貴様なら知っているだろう!」
「もちろん知っているとも。だからこそこうして逃げられないように捕縛しているんだよ。」
「ファラン君!ロナ君を連れて二人で逃げるんだ。ここは私が何とかする。」
「何とかってあんな人数を相手にどうやって!」
「私を見くびるな。こう見えて私は元聖騎士長なのだから。」
ハレットはファランの耳元に顔を近づけて小声で話し出した。
「アンダリアにいるコリーンを訪ねるんだ。彼女に私の名と事情を話せば君たちを逃がしてくれる。」
そういうとハレットは走って兵士たちに立ち向かって行った。アルフレッドは兵士たちにハレットを狙い撃つように命令した。しかし、放たれた銃弾をハレットは素早い動きで避けながら、一人の兵士を殴り、兵士の銃を奪い、他の兵士が持っている銃を狙い撃ち、銃を撃ち落とした。
「ハレットォォォォォォ!!!」
「アルフレッドォォォォォォ!!!」
ファランとロナは走った。ひたすら走った。
アルフレッドとハレットはお互いに物陰に隠れながら、相手の出方を伺っていた。
「正直、元聖騎士長とは言え、10年以上前に現役を退いたお前にこうもてこずるとは思わなかったさ。」
「私も舐められたものだな。元とは言え、私は聖兵士団の聖騎士長だった男だぞ。」
「そんな男がどうして神を裏切るような真似をした!」
「私は神を裏切った覚えはない。」
「いいや!お前は神を裏切った!そしてお前の事を信じていた我々もまた裏切ったのだ!」
「相変わらず頭の固い男のようだな。」
「神への信仰心に熱いと言ってもらおう!」
「それよりも、どうして教団はあんな子供たちを追う。教団は何を隠してる。」
「お前も聖騎士長だったのなら、我々の存在の意味を知っているだろう。我々は教団にとっての手足に過ぎない。手足は何も考えない。ただ脳からきた命令によって動くだけだ。脳からくる命令に対して疑問や理由を考える必要はない。」
「お前は本当に何も変わらないままだな。」
―海岸線沿い
ファランとロナは共に港町アンダリアに向けて走った。すると前方に再び聖兵士団の兵士が現れた。引き返そうとするファランたちだったが、既に後ろにも兵士が回り込んでいた。
「おとなしくするんだ。おとなしくすれば悪いようにはしない。」
兵士たちはゆっくりとファランとロナに近づいてきた。
ロナは不安そうにファランの服の裾を掴んでいた。
ファランは無力な自分自身を攻めた。怯えているロナに掛ける言葉さえ浮かんでこない自分自身の無力さに、この状況を打開できない自分の無力さに。
ファランは強く願った。あの時と同じように超常的な力が欲しいと。
それに応えるようにファランの左手が再び光だした。
「警戒せよ!あの状態になったヤツは危険だ!」
兵士たちは一斉に銃をファランに向けて構えた。
ファランはロナを守るように立ちながら考えていた。
生誕祭の日に放った衝撃波の事を。
あれと同じような事が出来ればこの状況を打破できるのではないと考えたのだ。
しかし、あの時は自分の意志とは別に放たれた物であり、その時の感覚も何も分からぬままだった。
ただ一つ、同じものがあるとするならば、それはロナを守りたいという強い意志だった。
突如として突風が吹いた。
突風によって周囲の砂が巻き上がり、ファランとロナを含む、兵士たち全員を包み込むように砂嵐が巻き起こり、兵士たちは視界を奪われた。
「な、なんだこの砂嵐は!くそ!全然前が見えない!」
≪バン!バン!≫
銃声が鳴り響いた。
「よせ!無暗に発砲するんじゃない!仲間に当たったらどうする!」
兵士たちはうろたえていた。砂嵐によって視界が奪われたというだけでなく、得体の知れない存在を前にして恐怖しているのだ。
砂嵐が薄れてきて、視界が次第に良くなってきた。すると、そこにはファランとロナの姿はなかった。
「くそぉ!逃げられた!探せ!そう遠くには行ってないはずだ!探せ!」
兵士たちは慌てて二人を捜索したが、その後二人を発見する事は出来なかった。
「隊長、発見できません。」
「砂嵐が起こっていたのはほんの一瞬の出来事だ。あんな一瞬で我々から逃げられる程の距離を移動できるとは考えられん。」
「まさかとは思うんですけど、その崖から海に飛び込んだとか…?」
「そんな馬鹿な事があるか。こんな高さから海に飛び込むなんて自殺行為だ。」
崖は海面まで30メートルはあり、下には岩場があり、飛び込んでいたとしたら死に至るような場所だった。
「とにかく探せ!」
■続く…
尚、この作品は【ロナサーガ】という現段階で他二作品と同じ世界観を共有してますが、特に前作を読まなくとも問題ありません。ですが、他作品を読んでいただいた方が、より楽しんでいただけると思います。気になったかたは作品TOP上部にある【ロナサーガ】のリンクからどうぞ。