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8.一世一代の嘘

 婚約式は雨になった。


 婚約式へ向かうために、内宮から外宮へと移動する渡り廊下で、私はふと足を止めた。

 『月に拐われる夜』の翌日から、私は体を壊し、床についていることになっている。自室から外に出るのも久しぶりだ。少し、吹き渡る風に、身を当てていたかったのだ。


 晩秋の霧のような雨が、常緑樹を濡らしている。風が吹く度に震える、灰緑色の葉。そこから散る、細かい水滴。冬を前にして茶色く枯れた芝生は、私にはセピア色に見える。


 美しいわ。


 私は目を細めて、その風景に見入った。

 青空などなくても。花など咲いていなくても。そこに命の色が存在するだけで、世界はこんなにも美しい。


 私が連れているのは、シシーリアだけだ。

 侍女のお仕着せに身を包んだシシーリアは、立ち止まった私を急かすこともなく、静かに控えている。その髪は黒い。王家の薔薇色は目立つので、染めているのだ。


 あの日。

 月に拐われた翌朝、グラムの部屋で私が考えたことは。

 何と言うか、やはり穴だらけだった。


 政治的なパワーバランスの考察は、まあまあ良くできていたと思う。グラムを王位後継者とし、それが安定するまで生きているフリをする、というのは必要な措置だった。


 しかしそれでは、どんな穴が開いていたのかと言うと。

 生きているフリを通すために、他の人に体を触れられないようにしよう、というのが、まず決定的に大きな穴だったのだ。

 私は王女だ。起床だ着替えだ入浴だという度に、いちいち侍女の手を借りる生活をしている。ちょっと体調が悪いフリでもすれば、王宮医師もすっ飛んでくる。

 そんな私が、誰にも体に触れられずに生活しようというのが、土台無理な話だったのである。

 そして、あっという間に詰んでしまった私が、どうしたかと言うと。何と、シシーリアを脅迫するという暴挙に出た。


「シシーリア! 手を貸してちょうだい! どうしても、生きているフリをし続けなければならないのよ。国を荒らさず、グラムを王位に就けるために」

 私にすがられたシシーリアは、ほとほと困り果てて、頭を抱えた。

「ローゼ姉様。月に拐われた人を、生きてるように見せかけるなんて、しちゃいけないことなんだよ。どちらかと言えば、今すぐ来世に送り出したいくらいなんだ」

「でも、やれば出来るんでしょう?!」

「出来るけど……。困ったなぁぁぁ。またローゼ姉様が、自分のために、我が儘で言ってるわけじゃないのが、なお困る」

 精霊になると、どうやら嘘をつくということは、できなくなるらしい。出来ない、と言ってしまえば、それで終わりなのに。

 シシーリアはグシャグシャっと、自分の髪を掻き回す。真摯な瞳で、私を見た。

「ローゼ姉様。分かってる? どうせ長い期間はもたないんだよ。そんな無理をしてたら、ローゼ姉様の魂が消滅しちゃうよ。言ったよね? あたしは、ローゼ姉様には、幸せな終わりを迎えて欲しいって」

 私は強い口調で、シシーリアを迎え撃った。譲れないのだ。どうしても。

「今、すべてを投げ出して自分だけ来世に旅立ったら、それは幸せな終わりなんかじゃないわ」

「ローゼ姉様……」

「貴女も同じ立場のはずよ。シシーリア。貴女にも王族に連なる者として、国の安寧に尽くす義務がある。月に拐われたからといって、私も貴女も、その務めは消えないわ。協力してくれるわよね? 生きている皆に、少しでも良い未来を遺したいの」


 最終的に、海より深い溜め息をつきながらではあるが、シシーリアは折れてくれた。

 私のフォローをするために、侍女の姿で私の側へつき、魔法で私の体を生きているのと同じ状態にしてくれている。今の私は、心臓も動いているし、体温もきちんとある、生身と同じ状態だ。

 今回の私の企みで、一番迷惑を被っているのは、まず間違いなくシシーリアだろう。


「シシーリア。不思議ね。少しずつ、世界の灰色が、薄くなっている気がするの」

 私の視界は明るい。初めて目覚めた時と同じくらいか、それよりももっと。灰色の膜は薄くなり、様々な色がより鮮明に、透けて見えるようになっている。

 庭から目線を外さないままに、私が呟くと、シシーリアは悲しい顔をした。


 あら? そんなに悲しむようなことかしら。


「それは、ローゼ姉様が、精霊に近付いているからだよ。心が暗い方に引っ張られると、世界は暗くなり、悪霊になる。心が明るい方に引っ張られると、世界は明るくなり、精霊になるんだ。でも、両方、お勧めは出来ないな。人間として生き、人間として死ぬ。それが一番幸せだと、あたしは思ってる」

 その時のシシーリアは、年齢に似合わぬ老成した雰囲気を纏っていた。

 シシーリアは、精霊になってから、何を見てきたのだろうか。そして、いつまで精霊で居続けるのだろうか。

 その疑問を口にすることが躊躇われるほど、シシーリアの気配は寂しく哀しい。

 しかしシシーリアは、自ら空気を明るく変えた。

「でもまぁ、ローゼ姉様は大丈夫! 悪霊にも、精霊にも、ましてや消滅なんか、絶対にさせないよ。あたしが必ず、平穏で柔らかな微睡みの中へ、送り出してあげる」

「ふふ、ありがとう。頼りにしてるわ。──さあ、行きましょうか。遅れるわけにはいかないわ」

 私は最後に手を伸ばし、雨粒を手のひらに受けると、その感触を愛おしく思いながら、再び歩き始めた。



 私が突如として体調を崩し、床に伏せたことは、王宮に大きな動揺をもたらした。

 私の結婚相手が、次期王になるのだと考えていた貴族たちは、ひそひそと、これからどうなるのだろうと囁きあった。

 しかし、そのさざ波は、追いかけるように出された、次の発表で霧散する。私の婚約と次期王の指名が為されたのだ。


 次期王に指名されたのは、グラムだった。


 もちろん、簡単な話ではなかった。

 グラムを次期王にして欲しいとの私の懇願に、お父様はやはり難色を示したのである。

 お父様は、フェリクス様を自分の跡継ぎにしたいのだと、私に語った。グラムが悪いとは言わない、だが、フェリクス様がいいのだ、と。

 そこで私は初めて、お父様がフェリクス様を次期王に指名したのは、真実フェリクス様を買っていたからだと知ったのだった。

 私の恋心ゆえの采配かと思っていたが、違ったのだ。


 それでも最終的に私の懇願が通ったのは、私の体調がかなり思わしくないと、見せかけているためだ。

 フェリクス様を次期王にする計画は、私とフェリクス様との間に王子が生まれることを、暗黙の前提として成り立っている。それが危ぶまれる現状では、博打は打てないというわけだ。

 私は既に死んでいる。従って子どもを授かるわけもなく、そもそも、そう遠くない未来に、名実ともに死ぬ身だ。騙したわけではないと思っている。


 そうと決まったからには、と、お父様はグラムを徹底的に鍛え上げることにしたようだ。

 グラムは次期王の指名を受けた後、執務室に缶詰めになっているらしい。わずかな休憩時間を利用して、見舞いと称して私の部屋を訪れた彼は、傍目にもゲッソリしていた。


 私はクスクスと、思い出し笑いをした。

「ローゼ姉様、どうしたの?」

「私がフェリクス様に、婚約破棄を言い出した時のことを、思い出していたの。あの時のグラムの顔、おかしかったわよね。鳩が豆鉄砲をくらったようだったわ」

 シシーリアは、かなりグラムに同情する顔になった。なんとも言えない声音で独りごちる。

「いや、あれは誰でもそうなると思うよ……」




「フェリクス様。婚約破棄いたしましょう」

「ローゼ殿下……?」

 私の凛然とした宣言に、フェリクス様は私の真意を推し測る顔をした。

 私の視界が、フェリクス様の表情が見えるくらい明るいことは、私を安堵させた。

 良かった。私はまだ、悪霊から遠い。この選択は、道を踏み外した心で決めた、誤ったものではない筈だ。

「私は、考えたのです。いくらフェリクス様を好きでも、フェリクス様を伴侶にするのは、やはり問題が多すぎるわ、と。そして、いざフェリクス様との婚約が決まったと思うと、急に寂しくなったのです。グラムとはお別れなのね、と。私のフェリクス様への恋心は、いつかグラムと結婚するのだという前提にたった、遊び心だったのですわ。だから私、やっぱり、グラムと結婚します」


 嘘です。貴方への気持ちが遊びだったなんて、あり得ないわ。

 今でも、心が引きちぎられるように痛むのに。

 それでも、言わなければ。


「私、自分から昨夜、ここに夜這いに来ました。グラムは私を受け入れてくれました。はしたなくてごめんなさい、フェリクス様。でも、私はこんな女なのです。だから、フェリクス様とのお話は、無かったことにさせてください」


「夜這い?!」

 目を剥いたグラムと叫んだシシーリアを、鋭い視線で黙らせる。

 今は、一世一代の嘘をついている最中なの。余計なことを言わないで。


「安心してください。お父様には、私から言います。私がどうしてもグラムがいいのだと言えば、お父様は頷いてくださるでしょう。振り回してごめんなさい。どうかフェリクス様も、ご自分の愛する方をお探しになって、伴侶にお迎えください」

 私はニッコリと笑った。


 最後だけは本音。


 どうかフェリクス様。愛する方と幸せになってください。


 フェリクス様が誰かの手を取り、愛を囁いている光景を思い描くと、心が痛むけれど。

 それでもいい。ううん、その方がいい。

 私は、既に死んだのだから。せめて、フェリクス様に少しでも良い未来を遺したい。


 そしてグラムへ歩み寄り、唖然としているグラムの腕を取った。私のひんやりした手に、グラムの腰が引けたが離さない。

「……お前、いきなり何を言い出すんだ」

 情けない声で囁くグラム。大声で問い質さない程度には、空気を読む力があったようだ。私は鋭く返す。

「貴方を確実に、王位に就けたいのよ。私と貴方が両方とも欠けたら、本当に国が荒れてしまうわ。貴方に灰色の疑惑なんて、敵のつけいる隙なんて、与えたくないのよ」

 傍目には仲睦まじい語らいに見えるように。グラムの耳元に片手を当て、頬を寄せた。漂う冷気に、グラムの体が強ばった。

「……ローゼ。本当に、死んでしまったんだな」

 その時のグラムは、大きく開いた傷口を、鈍いナイフで自ら抉ったかのようだった。自分の罪を目の当たりにしながら、しかしグラムはやはり、すまなかった、とは言わないのだった。私に詰られるのを待っていた。


 本当に、仕方のない従兄ね。


 私は敢えて、ツンと突き放した。

「そうよ。貴方はこれから、死人を妻にするの。私が存在している限り、どんなに気味が悪くても、他に好いた人がいても、放してはあげない。それが貴方への罰だわ」

 グラムの瞳の奥が、僅かに潤んだ。それを表に出すまいと、グラムはぐっと目に力を入れる。震える語調を、精一杯押し隠して。掠れた声で。

「……馬鹿だな……。それが罰でなどあるものか」

「いいから。ちゃんと話を合わせてちょうだい」





 婚約式は、大広間で開かれる。

 やっと婚約が発表されたと思ったら、1週間程度しか開けずに、矢継ぎ早の婚約式。準備はさぞ大変だったことだろう。

 私も、こんな短期間で申し訳ないと思いながら、ドレスを新調していた。新しいドレスは、シシーリアの強い主張で決まった、ピュアホワイト。レースとパールを惜しげもなく、しかし上品にあしらった、優美なラインを描くそれは、ウェディングドレスによく似ている。

 きっと、わざとだ。

 恐らく結婚式を迎えることは出来ないだろう、私への餞なのだろう。

 私の姿に気づいた侍女や侍従、政務官たちが、廊下の端に寄ってお辞儀をする。大広間まであと少しというところで、その中にグラムの姿を見つけて、私は驚いた。グラムは列席者として、既に大広間で待機しているはずだ。

「グラム。どうしたの?」

「どうしても言いたいことがあって、待っていた」

 相変わらずの生真面目な顔を、わずかに和ませて。

「それはシシーリアの見立てか? よく似合っている。お前には白が似合うな、ローゼ」

「ありがとう」

 私はニッコリ笑ってお礼を言った。せっかくの婚約式なのだ。出来るだけ綺麗に装って、あの方の前に立ちたいと思っていたので、誉められるのは素直に嬉しい。

「それで、言いたいことって?」

 婚約式の直前だ。時間がふんだんにあるわけではない。促した私に、グラムは真摯な目を向けた。

「お前が俺に言い渡した罰は、今日無効になる」


 ──貴方はこれから、死人を妻にするの。私が存在している限り、放してはあげない。それが貴方への罰よ──


「新たな罰が必要だろう。俺には、いつでも受け入れる用意がある。やりたいことを、やりたいだけ、俺にぶつければいい。……お前がいる間くらい、付き合ってやる」

 最後に付け足した言葉だけ、偽悪的だった。


 本当に、仕方のない従兄だわ。


 生真面目で、誇り高くて、責任感が強くて。決して有耶無耶にして逃げたりしないのだ。


 本当は、善政を敷き、長く国の安寧を保ってもらえれぱ、もうそれでいいのだけれど。

 そう言っても、きっと納得しないのでしょうね。


「……分かったわ。執務でゲッソリしている貴方を、更に疲労困憊させるような罰を、たくさん考えるわね」

 私はニッコリと宣言してみせた。

「フェリクス様に嘘を見抜かれた責任も、取ってもらわなければならないし。貴方は、私が大変な覚悟で口にしたことを、ポカーンとした間抜け顔で台無しにしたのよ。この恨みは大きいわ。覚悟していてちょうだい」

 グラムは、心底呆れ果てたという顔で、額に手を当てた。

「それは、お前が悪い。事前打ち合わせもなしで、あんな突拍子もない話を並べられても、対応できるわけないだろう。しかも、相手はセオドア公だぞ。あの人は、お前が嘘を言い終わった瞬間には、既に全部見抜いていたさ」




 フェリクス様は、グラムが言う通り、本当に私の嘘に、欠片も騙されなかったのだろうか。

 私には分からない。分かることは、フェリクス様はあの時、珍しくも少し強引だったということだけ。

 「ローゼ殿下は、私が貰います」と宣言して。

 予想外の展開に、まだ呆然としている私を力強く引き寄せて、私をその腕の中に、閉じ込めたということだけだった。

後1話で、本編は終わりとなります^^

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