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6.咎めを与える

 グラムは、王宮内に自分の部屋を持っている。

 長らく訪れていないが、男性らしい淡いブルーの壁紙と、落ち着いた焦げ茶色の家具で整えられた部屋だったはずだ。

 今まさに、そのグラムの部屋にいるにも関わらず、推測で語るしかないのは、今の私には、色彩がよく見えないからだった。

 濃いグレーの膜を通してしか、世界を見ることができなくなっている。元の色が淡かった壁紙などは、既に本来の色を読み取ることはできない。元の色が濃かった場合は、かろうじて本来の色も判別できるものの、尚更灰色が闇色に近づいて見えた。

 それでも光が差しこむ方向は、他の場所よりも明るい。窓際に立っているグラムの髪は、暗い灰赤色。本当は私と同じ薔薇色なわけだから、随分私の目は歪んでしまっているようだ。


 ──灰色から闇色へ世界が暗くなってきたら、それが悪霊に近づいている合図だ──


 少女の言葉が甦る。


 私は、悪霊に近づいているのだろうか。


「お願い。私を生きてる人に、見えるようにして」

 私はグラムを見据えたまま、背後に立つ少女へ頼んだ。

 少女は躊躇った。

「お姫様。……最期に会うのは、婚約者じゃなかったの? あたしは、本当に、お姫様には幸せな終わりを迎えてほしいんだよ」

「ありがとう。でも、どうしても、グラムと話したいの。話さなきゃいけないの。お願い」

「お姫様、でも」

「お願い!」

 少女は気が進まない様子ながら、渋々折れたようだった。私の正面に立つと、スッとしゃがみこむ。そっと触れる感触が両足先に。ついで額に。足から額に何かが駆け抜けた。

 視界に少女とグラムが揃ったところで、驚きが私の心を揺らした。もっとも、すぐに、グラムと対決する緊張感に飲み込まれてしまったけれど。


 貴女とグラムは、同じ色の髪と瞳をしているのね。


「貴方が差し向けた男は、帰ってこないわよ。グラム」

 私は、グラムの背中にそう声をかけた。かまをかけたのだ。どうか否定してちょうだい。もしくは、困惑してちょうだい。そう心の中で祈りながら。

 グラムが凄い勢いで振り返る。驚きでかすれた声が、私の耳朶をうった。

「ローゼ……。その格好はどうした」

「あら、誰のせいかしら。月に拐われたんだもの、着替えなんてできないわ」

 夜着姿が恥ずかしい、等という想いは吹っ飛んでいた。それどころではなかった。グラムの一挙手一投足を、食い入るように見つめていた。


 お願い、どうか否定して。

 貴方じゃないわ。そうでしょう?


 グラムは緩く首を横に振った。

 その仕草に、私は安堵した。


 ああ、良かった。

 やっぱり、考えすぎだったのね。


 しかし、そう思った私を嘲笑うかのように、グラムの返答が響いた。疲れたように笑いながら。

「……報告がないから、失敗したかと思っていたよ。相討ちにでもなったのか?」


 …………!


 私は、きつく目をつぶった。

 そして目を開けた時、世界を覆う膜は、より暗く重くなっていた。明度と彩度が落ち、あらゆるものの輪郭が灰暗色に沈んでいく。

「いいえ。ただ、帰り道で警備に捕捉されたようよ。追い詰められて、自ら月光に姿を晒したと聞いたわ」

「そうか……。腕利きで重宝していたのだが、仕方ないな」

 淡々と答えたグラムに、私は、言葉を叩きつけた。

「私は、信じてと言ったはずよ! グラム!! 信じて、私たちに協力して、と!」

 グラムの返答は、津波の前の静けさをたたえた海のようだった。

「俺は、協力するとは約束できない、と答えたはずだ。俺は俺で、国にとっての最善は何か考える。そして全力を尽くすと」

「それが、私を殺すことだったと言うの?!」

 グラムは、生真面目な顔に、鋼のような表情を浮かべた。鋼の塊を飲み込んでも、海が割れることはないように、声だけは凪いでいた。

「その通りだ。……俺と、お前と。担ぐべき頭が二つあるから、貴族どもは惑うんだ。片方が消えれば、国が割れる余地はない。どちらが消えるべきかと言えば、お前だろう。俺なら直接王位を継げるが、お前なら、いったんセオドア公という、王家の血が流れていない男に、王位を譲り渡さねばならない。それで、お前に王子が産まれればまだいいが、そうでなかったら大変なことだ。元々お前が生まれるまでは、俺が国の後継者だったんだ。昔に戻るだけだ。混乱も少ないだろう」

 その言葉は期せずして、幼い頃から私の胸にずっと開いている穴を抉った。


 ──王子であれば良かったのに──

 ──王女であるなら、誰も生まれない方が、スムーズにグラム様を担げたのに──


 やっぱり、この事態を招いたのは私なの……?


 すうっと目の前が、更に暗くなる。

 私の結婚相手がフェリクス様になったのも、そもそも私が彼を慕っていたからだ。そうでなければお父様も、私の結婚相手は、グラムと定めていたのではないだろうか。

 もしかしたら、私がフェリクス様を慕ってさえいなければ。もっと早く、グラムとの婚約が調っていたのかもしれない。

 ということは。


 ああ。やっぱり。

 私の想いが。この事態を招いたのだ。


 私の胸に、しんしんと、その言葉が落ちた。


 そして、それと同時に、世界に夜が訪れようとしていた。現実の夕暮れとは異なり、茜がさすことはない。ひたすらに漆黒の闇が、全ての物を飲み込んでいく。


 もし私がいなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 しかし、それは言っても仕方のないことだ。

 私は既に生まれてきて、18年分の人生を積み上げてきている。

 例え国としては望まれない存在だったとしても。


 私にも心がある。想いがあるのよ、グラム。

 私なんて生まれて来なければ良かった、なんて嘆くほど、自分の価値を信じられない訳ではない。

 お父様もお母様も、私を愛してくれたもの。

 私もこれまで精一杯、王女としての責務を果たしてきたわ。


 それなのに。

 国のためにならないからといって、あっさりと殺してしまおうだなんて、……酷いわ。


 フェリクス様の妻になれるはずだったのに。幸せになりましょうねと、約束したのに。


 どうして私だけ、死ななければならないの。


 ふと、目の前の闇が、渦を巻いている気がした。

 触れそうな程に濃く、闇が凝っている。右手を伸ばすと、まとわりついてくる。たゆたう闇を、掌の上で遊ばせてみた。

 楽しい。


 目の前の少女の濃灰緑色の瞳が、険を帯びたのが分かった。


 どうしたの? そんなに怖い顔をして。


「それで、ローゼ。月に拐われたお前が、なぜ今ここにいる」

 グラムの問いかけに、私はふふっと笑った。何故だか気持ちがフワフワしていた。

「何故かしら? 私にも分からないのよ。月に拐われたんだけど、死にきれずに残っているんですって。それで特別に、貴方に会わせてもらったのよ」

「会わせてもらっただと? 誰にだ?」

 尋ねられて、ふと、私は考えた。

「あら、そう言えば、私ったら。彼女の名前を聞いていないわ」

 何ということだ。自分のことで、どれだけ一杯いっぱいだったのかが、分かろうというものだ。

 だが、今となっては、何ら問題ないように思えた。

「まぁいいわ。聞くまでもないもの」

 私は、視界に揃っている二人を見比べた。

 同じ色の髪と瞳。どこか似通った風貌、嗅いだことのある甘い薫り。

 なぜ私を特別扱いしてくれるの? と訊ねた私に、ちょっとした罪滅ぼしだ、と答えた彼女。


 それは、私を殺したのが、貴女の兄だったからなのでしょう?


 月に拐われた人は、悪霊になるか、精霊になる(・・・・・)か、死にきれず残るかだと、教えてくれたわよね。


 ──シシーリア。


「グラムにも姿を見せてあげて。出来るんでしょう? シシーリア」


 私からしたら、目に映る光景には、何の変化も無かった。

 しかし、グラムの視線が、間違いなくシシーリアの上で焦点を結ぶのを、私は見た。

「シシーリア……だと? シシーリアは5才で死んだ。側仕えの不注意で、月に拐われたんだ。成長している筈がない!」

「まあ、グラム。そんな冷たいことを言ってはダメよ。せっかくの再会なのだから。ほら、お互いの顔を見てご覧なさい。貴方たち、そっくりよ。それに、私たち3人とも、薔薇色の髪と緑色の瞳。我が王家の色だわ」

 取りなす私。しかしグラムは混乱したまま、踵を返した。

「衛兵を呼ぶ」


 衛兵ですって? シシーリアを引き渡すつもりなの?

 そうはさせないわ。


 私は、右手にまとわりつかせていた闇を、グラムの足元へ放った。

 グラムの行く手を阻むように、大きく床がひび割れる。

「何だこれは!」

 驚いて立ち止まったグラムへ、私は警告する。

「衛兵なんか呼ばせないわ。動いたら、次は貴方にぶつけるわよ」

 地面に縫い止められたように動かなくなったグラムは、恐怖と驚愕に引きつっていた。

 そこへ、シシーリアの声が割って入った。

「グラム兄様。動かないで。貴方に関わり合ってる場合じゃなさそうだ」

 シシーリアは、グラムを振り返りもしなかった。ただ厳しい表情で、私を見ていた。

「ローゼ姉様。気を確かに持って。あたしには、ちょっとマズイ状態に見えるよ。説明したよね? 世界が暗くなってきたら、気を付けてって」

 確かに、世界は暗がりに満ちているわ。

 でも、私は大丈夫よ、シシーリア。何だか、とっても気分がいいの。暗闇の中って、なんて落ち着くのかしら。

 再び右手に遊ばせていた闇の塊を、左手に移してみた。一回り大きくなる。右手の上に、もう1つ塊を捕まえて、お手玉をしてみる。

 やっぱり、楽しい。

「大丈夫よ、シシーリア。何も問題ないわ」

「問題は大有りだよ。ローゼ姉様。もう微睡もう。グラム兄様とも話したし、もう充分でしょ? 来世へ送ってあげる」


 微睡む?

 このまま、来世へと旅立てと言うの?


「嫌よ」


 私だけ、大人しく死ぬなんて御免だわ。


 だって、さっき何だかグラムは色々言っていたけれど。

 貴方と私が二人いるせいで、貴族が惑うのなら、消えるのは貴方でも良かったはずだわ。

 それなのに、私を殺す方を選んだのは。

 結局は、自分が死ぬのは嫌だっただけでしょう?


 そしてグラムは、何食わぬ顔をして王座に就くの?

 何の咎めもなしに?


 それって、──おかしいわ。


「ローゼ姉様。お願いだよ。ローゼ姉様が、急速に、闇に傾いているのが分かる。気を確かに持って。今のうちに来世へ行こうよ」


 私は、シシーリアの足元にも闇の塊を投げた。

 シシーリアが大きく飛び下がった。大きく入る亀裂。


「絶対に嫌よ」


 ねえ、グラム。貴方の大事なものは何かしら。


 私、貴方に咎めを与えようと思うの。

 私を殺した咎めを。

 それには、貴方が大事にしているものがいいわ。

 だって私は、たった1つの命を奪われたんだもの。代償もそれ相応のものでなければ、釣り合いが取れないでしょう?

 もちろん、貴方を殺すのでもいいのだけれど。

 それじゃあ何だか、愉しくない気がするの。

 どうしようかしら。


 ……ああ、そうだわ。

 ねえ、グラム。国の安寧が、そんなに大事?

 従妹の私を殺しても、仕方ないと思うくらいに。


 そんなに大事なら、代償はそれで良いわよね?


 あら、でも難しいわ。国の安寧を乱すって、どうやればいいのかしら。

 分かりやすく、誰かを殺せばいいかしら。

 誰を殺すのが、貴方に一番ダメージを与えることができるかしら?

 貴方のお父様? それとも、貴方のお母様?

 王弟派の貴族たちかしら。

 それとも。いっそ何の関係もない、国民たちの方がいいかしら。


 私は、ニイッと笑った。ほの暗い笑みになった。


「シシーリア、ごめんなさい。まだやらないといけないことがあるのよ。それが終わってからなら、来世へ旅立ってもいいわ。だから、もう少し待ってもらえないかしら」

 シシーリアの表情は、既に見えなかった。私の世界は、完全に闇色の膜に覆われていたからだ。あらゆるものの輪郭が、僅かに灰色の線となって、浮かび上がっているだけだ。

「ローゼ姉様。やりたいことって何?」

 緊張をはらんだシシーリアの問いかけ。

 私は、ふふっと笑った。

 それをやり遂げた時のことを想像すると、愉しくて仕方なかったからだ。

「グラムに咎めを与えるの。まずは、グラムのお父様とお母様を殺して来るわね。それから、王弟派の貴族たち。その後は、罪のない国民たちにしようかと思って。何人くらい殺したらいいかしら。ちょっと悩むわね。悩むくらいなら、殺し尽くした方が早いかしら」

「ローゼ!!」

「ローゼ姉様!!」

 グラムの怒号と、シシーリアの悲鳴がこだました。

 部屋の外から、誰かが押し入ろうとしている気配がする。床を壊した物音のせいだろう。

 私は、誰も入ってこれないように、闇で扉を押さえた。邪魔されたくない。

「あら、大きな声。貴方たち、やっぱりそっくりだわ」

「お願いだよ。ローゼ姉様。正気に戻って。あたし、ローゼ姉様を消したくないよ」

 シシーリアの懇願は、涙声だった。

「大丈夫よ、シシーリア。すぐに終わるから。頑張って、急いで殺してくるわ。全て終わったら、必ず貴女の言う通り、来世に行くわね」

「それじゃダメなんだ。ローゼ姉様。本当に悪霊になってしまう。お願いだよ」

「嫌よ」

「ローゼ姉様!」

「嫌よ」

「──ローゼ姉様、最後のお願いだ。あたしと一緒に、今すぐ来世へ」


 本当に、困った従妹姫だこと。

 何度聞かれても答えは同じよ。

 やることがあると言っているでしょう?


「嫌よ」


 すると、シシーリアの気配が劇的に変わった。

 決然とした芯を感じる。やらなければならないことを前にした、戦士のような覚悟を。

「そう。じゃあ──仕方ない。ローゼ姉様、ごめん」

 シシーリアから、刺すような不快な光が漏れてきた。光源は、真横に伸ばした右手。漆黒の世界を切り裂くように、鋭い光が走る。

 光の中から現れたのは、巨大な鎌だった。シシーリアの背丈よりもまだ大きい。緩やかに湾曲した刃が、光を反射してその存在感を増す。

 それを握ると、シシーリアは身構えた。

「最期は、幸せな終わりを迎えて欲しい。あの言葉は、本心だったよ」

 過去形だった。


 あの鎌はダメだ。

 あれに少しでも触れたら、私は消滅してしまう。

 やらなければならないことがあるのに。


 グラムに咎めを。


 それを邪魔する、あの鎌を持つシシーリアは。

 ──私の敵だ。




 しかし、その時、扉が強く叩かれた。

 私とシシーリアの間で充満していた、緊張感が途切れる。

 その隙間を縫うように、私にとっては聞き間違えようのない声が響いた。


「グラム様。ここを開けていただきたい。お話を聞きたいことがあるのです」


 理知的な、深いテノール。張り上げなくても、何時でも必要なだけ、周囲の注目を集めることができる声。


 ──フェリクス様!


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