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3.身命を賭す

 フェリクス様は、私の問いかけに姿勢を正した。


「陛下は、お互いの理解を深めよと仰せられました。ゆえに、率直に、言葉を飾らず申し上げます。……私には王位は、厄介な義務の固まりに見えます」

 それはまた、随分思い切った表現だ。

「国政を司る重責を背負い、常に人々から一挙手一投足を注視される。右を向いても左を向いても、誰かの思惑に囲まれ、それをいなすことを求められる。王族とは、その財や権力と引き換えに、大きな義務を背負うもの。幸い私は、セオドア公爵家という十分な家格のもとに生まれ、今現在でも財務長官という、己の力を発揮する場を与えられております。自らの立場には、心から満足しておりますので、ローゼ殿下の仰る通り、王位を欲したことはありません」


 それでは、やはりフェリクス様にとって、今回の指名は迷惑でしかないのだ。

 王命ゆえに、断れず、渋々私をめとるのだ。


 私は、俯きそうになるのを必死にこらえた。

 既にお父様によって、塞は投げられ、フェリクス様に逃げ道はない。せめて私が、フェリクス様の真実の想いを、きちんと受け止めなければ。

 手が震える。

 心の中で、私の恋心が悲鳴をあげた。


 するとフェリクス様は、失礼します、と断って、私の手をとった。私よりも少し体温の高い掌が、私の手を包む。

 王族をやっていると、儀礼を超えて、このように触れてこられることは、あまりない。私は、目を見開いて、フェリクス様を見た。フェリクス様は、へにょりと眉を下げていた。

「申し訳ありません。意地悪な前置きでしたね。ですが、それくらい、私には次期王位の座は不要なもの。それでも私が今回の王命を、前向きに受け入れたのは、伴侶となるのが貴女だからですと、お伝えしたかったのです。ローゼ殿下」

 私はパチパチと瞬きした。


 ……え?


「初めてお会いした時に、おかけした言葉は、私も覚えています。身命を賭してお支えしますと、申し上げましたね。その誓いを果たすときが来たのだと、そう思ったのです」


 ……え?


 私は自分の耳を疑ったが、幻聴ではなかった。

 フェリクス様は私を見ていた。笑みを浮かべることもなく、真っ直ぐに。

 東屋を吹き抜ける秋風。さやさやと届く葉擦れの音。ちらちらと揺れる木漏れ日。お茶から立ち上がった湯気が、空に溶けて消える。

 それに紛れるように、微かな私の声が響いた。


 自らの行動を鏡で映して、目を背けない自分であれば。

 身命を賭すと、フェリクス様は。


「……私は、合格ですか……?」


 フェリクス様は苦笑した。目尻に微かな笑い皺。それさえも、フェリクス様にかかれば、とても魅力的だった。

「殿下を採点などいたしませんが、不遜を承知で申し上げれば、ローゼ殿下の在り方は、非常に好ましく思っております」


 恋情を訴えるような口調ではなかった。やはりフェリクス様は、私を恋愛対象に置いて、好ましいと表現している訳ではないのだろうと思った。

 しかし、それでも、私は嬉しかった。その場で飛び上がって、踊り出してしまいたいくらいに。

 嬉しかったのだ。


「本当に、フェリクス様の意思で、私を伴侶としてくださるのですか……? 強制ではなく?」

「はい。ローゼ殿下」

 誠実な声音。

「そのために、望まない王族暮らしに身を置いても?」

「はい」

 躊躇いもない。

「厄介事が山ほど舞い込むのも、王位に就いて苦労するのも、見えていても?」

「はい」

「……他に、恋愛対象として、お好きな方は、おられないのですか……?」

「仕事にばかりかまけておりますからね。どなたも想ってはおりません。お気遣いいただかなくても大丈夫ですよ」

 少し、あやすような響きがまざった気がする。


 これは政略結婚なのかもしれない。少なくとも、熱烈な両思いの末の恋愛結婚などではないだろう。

 でも、それでも良かった。

 私は、フェリクス様の妻になれるのだ。


 徐々に、私の頬が、薔薇色に色づくのが分かった。

 フェリクス様にとられたままの右手に、私はそっと力を入れる。握り返すなんて、生まれて初めてだ。


 どうしよう、幸せだ。


 ゆっくりと、ゆっくりと。私の顔が、笑みを形作る。

 どうか、今浮かべている表情が。今までで一番綺麗な私でありますように。


「フェリクス様。私はずっと、貴方をお慕いしてきたんです」


 フェリクス様は、動揺しなかった。ただ優しい瞳で、はい、と返した。

 知っていたのだ。私の気持ちを。とっくの昔に。

 フェリクス様は洞察力に優れた方だ。それも当然かもしれない。


「愛しています。フェリクス様が、私を支えてくださると仰るならば。私も貴方を支えます。必ず。……幸せになりましょうね」


 フェリクス様は、ここでちょっと狼狽えた顔をした。


 あら? なぜ今更ここで困るのかしら。


「……参りました……。情熱的に愛を囁けるほど、私は若くないのです。もうすぐ三十ですから」


 何だ、そんなこと。


 私はクスッと笑った。


「いいのです。私が言いたかっただけですもの。これから長い時間をかけて、いつか、愛を囁いていただけるよう頑張ります。覚悟していてくださいね、フェリクス様。とりあえず、子どもは最低でも二人は作らないといけませんわ。王家と、セオドア公爵家と、両方を残さないといけませんもの。もちろん、できるなら、もっとたくさん。私、弟や妹が欲しかったんです。賑やかな家庭って素敵ですよね。頑張りましょうね、フェリクス様」


 フェリクス様は、私の台詞の途中から、握りあっている手に額を当てて、テーブルに突っ伏してしまった。珍しい。

 交渉事なら、こんな隙を見せるような方ではないから、今は素なのだろうか。

 だとしたら、とても嬉しく思う。フェリクス様の内側に入れてもらえたようで。

 ああ、どうしよう。

 本当に、嬉しくて、嬉しくて、幸せだ。


「……お手柔らかにお願いいたします」


 顔を上げたフェリクス様は、目尻のあたりが少し赤かった。私は赤面する余地もなく胸がいっぱいで。

 目を見交わして、二人、微笑みあったこの瞬間を、私は生涯忘れないだろう。






 執務に戻るフェリクス様を見送ってから、私はゆったりとお茶菓子に手を伸ばした。緊張して、フェリクス様の前では、お菓子を食べるどころではなかったのだ。


 そういえば、フェリクス様もお茶を口に含んだだけで、何も口にされていないわ。後で何か差し入れでも持って行こうかしら。


 いい考えかもしれない。私は心中で頷いた。

 もう、でしゃばりかしらと心配する必要はない。周囲の目に配慮する必要もない。胸を張って、いくらでもフェリクス様に会いに行くことができる。

 いつの間にか、私の顔は緩んでいたらしい。幸せな気分と、美味しいお茶とお菓子。ニコニコしていたところで、向こうから声がかかった。


「機嫌が良さそうだな、ローゼ」

 歩み寄ってきたのは、私の結婚相手の、元第一候補だった。

 我が王家に特有の、薔薇色の髪と緑色の瞳。私と全く同じ色彩を持つ、従兄のグラムだ。薔薇色の髪を短く整え、いつも生真面目に唇を引き結んでいる。

 中肉中背のフェリクス様より、頭ひとつ背が高い。その長身を生かして、グラムは私を立ったまま見下ろした。

「セオドア公と腕を組んで歩いていたそうだな。噂になっているぞ」

「よく知っているのね」

「お前の動向を、いちいち俺に注進してくる輩がいるんでな。特に男がからむと、せっつかれてかなわん。軽率だぞ。気を付けろ」

 軽く睨まれて、私は頬を膨らませた。わざわざ指摘されるまでもない。現に今までは、独身男性への対応は、最大限に注意を払ってきたのだ。

 今日フェリクス様のエスコートを受けたのは、状況が変わったからだ。

「大丈夫よ、グラム。貴方が、そうやって悩まされる日々も、今日で終わりなの」

 私は浮かれていたのだ。浮かれていたから、そんな風に情報を漏らした。少し考えれば、明日の正式発表までは、口を閉ざしておくのが正解だと分かっただろうに。

 グラムは眉を上げた。表情に険が加わる。

「どういうことだ。……まさか」

「明日には発表されるわ」

「馬鹿な! 冗談だろう!? セオドア公だと……!? それは陛下もご存知の話なのか!?」

 グラムは目をむいた。顔色が変わっている。


 私は驚いた。グラムは、確かに私の未来の婚約者と見なされていたが、これまでは、その地位に拘っているようには見えなかったからだ。固執するでもなく、拒否するでもなく、賢明に自分の立場を守っているように見えた。

 それが、まさか、こんな激烈な反応を示すとは。

「もちろんよ。お父様がお決めになったんですもの。馬鹿な、だなんて酷いわ。フェリクス様に不足でもあるの?」

 返答は叩きつけるようだった。

「あるに決まっているだろうが!」

 私はさすがにムッとした。フェリクス様の手腕は、お父様も認めるところだ。

「失礼よ。何が不足だと言うの?」

 挑むような私の質問には、鋼のような答えがあった。断固とした口調で。

「王家の血が流れていない」

「グラム……!」

 グラムは皮肉げに口許を歪めた。普段は生真面目な従兄が、初めて会う別人のように見えた。

「ローゼ。お前も陛下も、王弟派を甘く見てるんじゃないか。あいつらが、俺や父上に何を言っているか、事細かに語ってやろうか。それを制御するために、どれだけ俺たちが苦心しているかも。あいつらは、俺でないと納得しない。俺と、お前が結婚して、王家を継ぐんだ。それでこそ国の安寧が保たれる」

「グラム。貴方、そんなこと、初めて言ったわ」

「わざわざ言わなくても、どうせ俺になると思っていたからだ。俺も、お前も、皆もそう思っていたからこそ、俺が事実上の婚約者と見なされてきたんだろうが。……それを、セオドア公だと? 陛下もやってくれる」

 心底から吐き捨てるグラム。私は聞かずにいられなかった。

「グラム。貴方、王になりたかったの……?」

「馬鹿を言うな。なりたいとか、なりたくないとか、言っている場合か。俺にも、お前にも、王族に連なる者として、国の安寧に尽くす義務がある。俺がならなければ、国は割れると言っているんだ。お前とお前の伴侶を推す国王派と、俺を担ぐ王弟派に」


 グラムの言っていることは分かる。私も同じことを考えて、長らく自分の気持ちに蓋をしていたのだから。グラムとの結婚を、半ば受け入れていたのだから。


 でも、お父様は言ったのだ。

 フェリクス様なら、王弟派を制することができると。


 フェリクス様は言ってくれたのだ。

 身命を賭すと。


 それを信じないという選択肢は、私にはない。


「割れないわ。フェリクス様が、いるもの」


 私の凛とした声に、一瞬グラムが気圧された。

 見下ろされたままでは分が悪い。私は静かに立ち上がると、正面からグラムを見た。


 どうか、届いて。


「フェリクス様が、必ず、守ってくださるわ。フェリクス様が、どんなに優秀な方なのかは、貴方だって知っているでしょう? もちろん私も、力を尽くすわ。貴方も力を貸してちょうだい。皆で力を合わせれば、貴方が憂うような事態にはならないはずよ」

 

 緊迫した空気が、その場を満たした。グラムも私も、お互いから視線を反らさない。反らせない。

 その時外宮の廊下から、人の話し声が近づいてきた。誰かが通りかかるようだ。

 こんな話題で言い争っている姿を、他の人に見られるわけにはいかない。

 恐らくお互いに話し足りないが、仕方ない。表情を整え、辞去の挨拶をしようとした私の腕を、グラムは掴んだ。その力の強さで、グラムが納得していないことが分かった。

 いつも生真面目で、誇り高い従兄が。胸の内で渦巻く想いを消化しきれずに、すがるように言った。

「ローゼ。聞き入れてくれ。王家の血に拘る風潮は根深い。俺を推すことで、甘い汁を吸おうとしている輩は、尚更簡単に引き下がりはしない。俺は、国を、荒らしたくはない。陛下に、セオドア公とではなく、俺と結婚すると言うんだ」

 悲痛ささえ漂わせて、言い募るグラムに。

 私は悲しい気持ちで、静かに首を横に振った。


 そんなことはできないわ、グラム。

 私はもう、フェリクス様への恋心を手放せないもの。


 最初から諦めていたから、結婚相手は誰でもいい、なんて言えたのだ。フェリクス様に私の気持ちを受け入れていただけた今となっては、到底その立場を自ら捨てることなんてできない。


 ああ。幼い頃は、グラムと、グラムの妹のシシーリアと3人、仲良く無邪気に遊んでいたのに。

 私たちは、いつの間に、こんなに離れてしまったんだろう。


「いいえ。私はフェリクス様を信じます。……貴方も信じて。信じて、私たちに協力して」


 その返答を聞いて、グラムは一瞬きつく目をつぶった。

「……分かった」

 力無く私の腕を解放すると、私に背を向ける。

「だが、協力するとは約束できない。俺は俺で、国のための最善が何かを考える。そして、全力を尽くす」

 歩み去っていく従兄の背中へかける言葉を、私はそれ以上持たなかった。








 私はゆっくりと目を覚ました。窓から柔らかな暁光が、私の全身を照らしだしていた。床に倒れ伏したまま眠ったことなどないし、昨夜は手荒な真似もされたが、幸いにして体はどこも痛くない。毛足の長い絨毯のおかげだろう。

 まだ半分夢見心地で、私は耳をすました。王宮は静まり返っている。鳥たちの囀ずりだけが、私の鼓膜を震わせた。


 ……私、生きているの? なぜ?


 てっきり、毒を飲まされたのだと思ったのに。もう二度と目覚めることはないだろうと、半ば覚悟していたのだというのに。


 肘をついて上半身を起こし、周囲を見回す。


 ……え……?


 そして私は驚愕した。

 そこにあったのは、見慣れたようで、昨夜までとは全く様変わりしてしまった世界だった。

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