1章:第2話 奴隷少女
ルイラさんから「朝の伽はどう致しますか」と聞かれたけれど、そんなの答えは決まっている。ゲス印象の払拭うんぬん以前に、私には同性を相手にする趣味などない。「そういう気分にはとてもなれない」と正直に言って断った。
「そうですか……それでは、今朝は引き取らせて頂きます」
「あ、というより今後はいいですよ、こういうの。以前の僕はどうだったかは知りませんが、少なくとも今の僕には必要ありませんので」
ここぞとばかりに清廉アピールだ。生まれ変わったリーニェ君は女子に優しい紳士ですとも。
実際、毎朝断るのもしんどいしね。
少女たちもきっと、慰み者から解放されて喜ぶだろう。そう思ったのだけど―――
「殿下、それは……彼女たちはもう、必要ないということでしょうか?」
―――ルイラさんの一言で、空気が変わる。
「……え?」
「殿下。彼女たちは、殿下のお相手をするためだけに買われた者たちです。お役目を頂けないのであれば、処分をすることになります」
少女たちの瞳に怯えの色が浮かんだ。
さっきまでの、嫌悪からくるものとは種類が違う。将来への不安と絶望が宿った色。死刑宣告でも貰ったかのような、血の気の引いた表情だ。
「……処分って、どういう意味ですか。クビってこと?」
「そうなります」
おかしい。
少女たちにとって、リーニェの相手をするのはとても嫌なことだったはずだ。
その職務から離れて自由になれるなら、もっと喜んでもいいはずなのに……彼女たちは怯えている。私に向かって懇願しているような視線さえ飛ばしているほどだ。
矛盾している。
「クビになると、彼女たちはどうなるんです」
「大概の者は再び売りに出されるでしょう。ただ、奴隷の市場は中古品に関して厳しいと聞きます。次の職場がどのような所になるのかは、想像に難くないかと」
奴隷。
音と字面は知っていても、意味のある言葉として聞くことは中々ない。
……買う。中古。
そうか。この世界、人身売買とかが普通に横行している価値観なのか。
「そういうことはせずに、家族の元へ返してあげることは?」
「……無意味です」
「なぜ? 彼女たちが僕のものだって言うんなら、どうするかは自由なんじゃないですか」
「殿下が望むのであれば、仰ること自体は叶うでしょう。しかし、無意味です。彼女たちが戻ってきたら、家族は嬉々として売りに出すだけですから」
家族が売りに出す……?
奴隷って、戦争の捕虜とかがなるものなんじゃないの? 自分の子供を、お腹を痛めて生んだ子供を、この世界の人は自分の意思で売るっていうの……?
ルイラさんの言葉は淡々としていて、妙な現実感があった。
私はこの世界を夢だと自覚しているはずなのに、どうしてか心の底からそう思うことはできないでいる。世界観に没入することは、演技をする上ではマイナスじゃない。役作りが出来ているんだと考えればいいし、現実の思考が役に引っ張られることなんてしょっちゅうある。
だけど、今感じているのはそういう『普段の感覚』とは違うものだった。
上手く表現できないけど……芝居をしている時には必ずある、現実とのズレ、とでもいうのか。とにかく違和感が薄いのだ。普段の私なら、どうしても信じられないハズのルイラさんの話を、今の私は自然と信じてしまっている。
たぶん、ルイラさんを含めた周りの人たちに『芝居臭さ』が欠片も無いからだろう。
少女たちは本気で怯えているし、ルイラさんは現実のこととして、奴隷の事情を語っている。だからこんなにリアリティを感じるのだ。
ここで、呑まれすぎてはいけない。
奴隷の話でショックを受けるのはいいけれど、それはわざとでなくてはならない。
彼女たちは本気でも、私は演技なのだ。素が出れば、『リーニェ』という役は崩壊してしまう。
幸い、まだ言葉だけなので我を失うほどではない。
とにかく、これから先気をつけないと。
「……ふぅー」
私の沈黙と溜息をどうとったのか、ルイラさんの目が少しだけ細まる。
彼女の言いたいことも、分かっているつもりだ。直接的な言葉はなくても、今まで業務以外で言葉を交わしてこなかったリーニェに対して、わざわざ奴隷事情を説明したのは―――つまり、少女たちを助けたいということだろう。
話の流れ、というのも大いにあるんだろうけれど、ルイラさんがここまで踏み込んで来るのに私の演技が一役買ったのは間違いない。
彼女の中で、私が『話のできる相手』と認識され始めている証拠だ。
今の私に、そこを無碍にする理由はない。
ない……んだけど。実際、どうしてあげればいいのか分からないんだよなぁ。
王子王子って呼ばれているけど、具体的にどのくらい権力があるのかなんて知らないし……。
ここで無責任に「わかった、助けてあげるよ!」なんて言って、後でどうにもならなかったら、それこそ最低だ。カッコ悪いどころの騒ぎじゃない。
「ルイラさん。この件は、とりあえず保留というわけにはいきませんか。今、その伽……を、しないからといって彼女たちが即刻どうこうなる、ということもないんですよね?」
「そうですね。殿下は御目覚めになられたばかりですし、本日のところは体調が優れない、ということであれば……」
「正直言って、今後もそういうことをするつもりがない、というのは本当の気持ちです。でも、だからと言って彼女たちをないがしろにするつもりもありません……とにかく、今は自分のことをしっかりしたいんです」
何せ記憶喪失ですから、と困ったような表情を作って見せる。
ルイラさんは、はっと目を見開いて頭を下げた。後ろの少女たちがそれに続く。
「これは……申し訳ございません! 下賎の身でありながら、殿下に申し立てをするなど……しかも、このような、殿下ご自身も大変な時に……!」
私は『王子スマイル』を浮かべたまま、首を左右に振って見せる。
「気にすることはありません。頭を上げて下さい。王子として、僕に何が出来るかも曖昧ですが……やれる限りのことはやる、と約束します。今は、それで構いませんか?」
「……お言葉、承りました。寛大なご慈悲に感謝致します」
頭を上げて、と言ったのに、メイドさんたちは姿勢を変えなかった。ルイラさんだけでなく、少女たちもだ。
とりあえず誠意は伝わった、といったところだろうか。
ああ……すごく、疲れた。
台本を覚えてやるのも大変だけど、全部が全部アドリブでっていうのも、結構神経を削るんだなぁ。