1章:第9話 執務室
もはや笑いを誘っているのでは、とすら思える扉の装飾は、生け贄を貪る悪魔の彫刻だった。まかりなきにも政務を行う部屋にこのセンス……リーニェの悪趣味も、ここまで貫かれると、高度なジョークなんじゃないかと思えてくる。笑えないけど。
「それでは殿下、私は一旦失礼いたします。夕食の際には戻りますゆえ、またご一緒いたしましょう」
「あれ、ドローワさん行っちゃうんですか?」
「ええ。食堂で申し上げた通り、殿下の記憶を取り戻すべく働いて参ります」
「そうですか……」
という台詞に、『行かないで』というニュアンスを込めてみる。
実際、上辺だけでも私に好意的なのは彼だけなので、居なくなられると困ってしまう。
残っているのは一緒に居るだけでへとへとになりそうなメンバーなのだ。
スヴェトくんやメイド長のナギさんは、礼こそ尽くしてくれるんだけど、毛嫌いされてる感がビシビシ伝わってくるし、アンネは普通に苦手なタイプ。他の騎士だって、ヘルムを被っているから顔が見えなくて、話しかけづらい。
っていうかもうこれ、リーニェは何も言わなかったんだろうか? スヴェトくんなんてすごい露骨なんだけど。
あー、それとも、気にしないタイプだったのかな。横暴な人間って、えてして相手の顔色を伺わないものだし。『使用人を所有物と言って憚られない方』、なんてルイラさんが言うくらいだから、そうだったとしても不思議じゃないよねぇ。
そんなことを思いつつ、目線でも行かないでと訴えてみる。
しかし、ドローワさんは髭を撫でながら『NO』の時の顔をした。
「うぅむ。本来であれば私自ら護衛の任に就くところですが、今は殿下の記憶を取り戻すことも最重要の案件ですからな……こればかりは、申し訳ありません」
記憶を取り戻すも何も、別人だから意味ないよ! とはさすがに言えない。
頷くしかなかった。
「なぁに、殿下をお守りするのは皆、私なぞよりよっぽど腕の立つ精鋭ばかり。例え暗殺者がドラゴンに騎乗していても跳ね退けるでしょう! 不安がられることなどこれっぽっちもありませんぞ」
うなだれる私にドローワさんがフォローをくれる。
そりゃ、暗殺される不安が無いことはないけど……今不安なのはそっちじゃないよー。
でも、がははと頼りがいのある笑顔を浮かべ、鎧の胸をガンと叩く。そんな姿が実に気持ちのいい人だ。なんかこう、幼い頃に会った親戚の伯父さんみたいだった。
「ではこれで!」とドローワさんが甲冑のマントを翻し、去って行く。
背中を目で追っていると、スヴェトくんが相変わらずの表情で割り込んできた。
「王子。それでは私たちも参りましょう」
「あ、はい」
だから怖いってば、執事長~。
少しくらい口角を上げて欲しいなぁ。一体何をしたら、幼馴染からこんなに嫌われるんだろ……。
「王子のご入室です」
始めにスヴェトくんが悪趣味な扉の前で宣言し、メイド長のナギさんが開け、アンネを含む騎士5人が先に入る。少し待ってからスヴェトくん、私、最後にナギさんが扉を閉めつつ中に入った。
執務室の中は、装飾過多な扉に比べて幾分落ち着いた印象だった。びっしりと本……というより、ファイルのようなものが詰まった書架。入り口から奥に向かって通路を作るように並べられた6つの机。そこにはスヴェトくんと似たような格好をした男性が6人、詰めている。若い人から初老の人、犬っぽい耳を生やした人までいて、結構バラエティ豊かだ。私が入室した時には、彼ら全員が立ち上がってお辞儀をしていた。
挨拶を返そうとしたけど、その前にスヴェトくんが「紹介いたします」と口を開く。
「この者たちは領民の各代表……他の領民と区別するため便宜的に『円卓』などと呼ばれておりますが、彼らの元へ出向している書記官たちです」
紹介と言いつつも、特に個人名などは教えてくれなかった。不親切だなぁスヴェトくんは。
とりあえず外見で区別はつくけど、後で聞いておかなきゃ。
「書記官、ですか?」
「はい。直接謁見する場合を除いて、王子から円卓の皆さまへの指示や連絡は彼らが書面にして代行致します。各種報告や陳情なども彼らが窓口です。以前は家令の統括でしたが……現在は私が引き継いでおります。ですので何かある場合はまず、私にお願いします」
うーん、政治家で言う秘書的な存在ってこと? にしては人数が多い気がするけど。
要するに、読み書きのできないリーニェが仕事をするには、こういった人たちが大勢必要なわけだ。
ちなみにだけど、この世界の文字は日本語じゃない。嫌と言うほど見た美術品の著者名や、食事の時のお品書きなんかも、私の全く知らない言語で書かれていた。リーニェができない時点でお察しだけど、私の宿呪が翻訳してくれるのは、あくまでも会話だけだということらしい。
そういう意味で、代筆や読み上げをしてくれる人は私とってもありがたい存在だと言える。
うん、いや、ありがたいんだけど……でも実際どうなんだろう。
字の読み書きって、この世界を現実世界の日本くらいの文明だとするなら、小学生以下の教養だよねぇ。
リーニェは王子で、領主。政治家だ。私だって、国会議員とかがひらがなも読めないレベルの馬鹿だったら不安になる。おまけに、そこかしこにある美術品を見る限り浪費家なのは間違いないし、一般市民に対して誠実だったとも思えない。
そんなヤツが政治に携わっているなんて、国民としては耐えられないだろう。
民主主義なら辞任や解任で済む話だけど……。
暗殺、かぁ。
「―――いかがなさいましたか、王子。もしや、なにか思い出せそうな事柄でも?」
スヴェトくんに声をかけられて、はっとする。
私が黙って考え込んでいたのを、失くした記憶を探っていると捉えていたらしい。
そうだな。
ちょうど、いろいろ考える時間が欲しいところだったし……ちょっと乗っかっておこうかな?
「いいえ、残念ながら。でも、仕事に入る前に、少し部屋の中を見ていてもいいですか?」
「もちろんです。気になることがあれば何なりとお尋ねください。王子の記憶回復は、何より優先すべきことですので」
「ありがとう、執事長どの。よければ、僕抜きで出来る業務を進めておいて下さい」
無言のお辞儀が返ってきて、スヴェトくんは書記官たちと話し始めた。きっと政務に関することだろう。
リーニェが無能の領主だったとすると、実質的に領地を運営していたのは彼らや『円卓』、という人たちだったんだろうなぁ。書記官が秘書なら、『円卓』は官僚、みたいな?
ま、そこに関しては私も人のことは言えない。
分数の割り算すら怪しい私に、領地経営なんて絶対ムリだ。できることなら、彼らに任せた方がいいだろう。
そりゃ、何もしない訳にはいかないだろうけど……一番厄介なのは、真面目な無能だってよく言うしね。
さて。
そうすると今、私が考えるべきは……やっぱり、暗殺の件についてだろう。
もう解決したというスヴェトくんの話と、黒幕が居るかもしれないというドローワさんの話。
どっちの説を取るかで、今後の行動方針が大きく変わるわけだけど……。
うん。
居るよね、黒幕は。絶対。居ないわけないよ。
問題なのは、それが誰なのか全然わからないこと。
いや~正直、リーニェに暗殺される要因が多すぎて、出会う人みんなが怪しく見えるんだよね。まだ会ってない人だって山ほどいるんだろうし、王子っていう地位を考えると知り合いですらない可能性だって全然あるわけだし。
とにかくだ。私の命は常に狙われていると思っておいた方がいい。
んで、その上での行動方針だけど。
暗殺者を探すのは……どうせ、私には人を見る目も探偵的な頭脳も無い。そんなことは、現実世界で詐欺に遭った時にイヤというほど実感している。
直接的な護身で言えば、すでにドローワさんが護衛を付けてくれているんだし、これ以上効果的な方法なんて思いつかない。
じゃあ、私にできる対応策って何もないの?
このまま『暗殺されませんように』って神頼みをしているだけ?
……いやいや、まさか。そんなことは全然ない。
できることはある。たった一つだけ。
そうだ。
命が狙われるなら―――狙われなくなればいい。
護衛をする騎士たちに。リーニェを嫌う使用人に。まだ見ぬ円卓の人たちに。市民に。暗殺者に。……どこかに居る黒幕にでさえ。
『リーニェ第三王子には、生きていて欲しい』。そう思わせてやればいいのだ。
敵と味方を炙り出す、のではなく。
敵も味方も、全員虜にしてしまう。
そんなこと、私にできるのか?
自信をもって断言はできない。
でも、全然できないとも思わない。
ここに至れば、うじうじ悩むことなんて何も無かった。
アドリブに計画性なんていらない。思い立ったら吉日。ノっている時に勢いでだ。
行こう。
目立たないように、息を吸って吐く。
今朝、メイドさん達の前でやった演技を反芻。反応がイマイチだったから、も少し重めに、王族っぽい感じを出そう。
背筋を伸ばし、表情を作り、神経を髪の毛にまで張り巡らせて、一歩。
さあ―――いっちょかまそうか。




