榎本貴之の語る演劇部の恋愛事情
俺は昔から不愛想だって言われてきた。
自分でも冷めた人間だという自覚があるし、その意見には何の反論もない。むしろ賛同するレベルだ。
でも高校に入学して、同じ部活に入ったクラスの女子が言った。
「榎本くんって、すっごく熱心な人だよね」
正直言って、俺の苦手なタイプの女子だった。
おとなしくて、おどおどしていて。でも演劇をしているときだけは別人みたいにその役を演じていて。
「……はじめて言われた。どこ見て、そんなふうに思ったわけ?」
棘のある声で問いかけると、その女子は少しびくついて「ごめんね」と謝る。ああ、本当に苦手な女子だ。
「榎本くんの描く背景って、いつも配色とか構成とかすごく丁寧で……大道具も本当しっかりしてて……潤ちゃんが引き抜いたわけも分かるなぁって……」
どんどん声が小さくなって、最終的には何を言っているのかも分からなかった。
「だから……その、これ……」
その女子は俺に可愛らしい紙袋を渡してきた。
「なにこれ」
「えっと……あの……」
今度は普通の声で聞いたけど、その女子は余計にびくついて言葉をしゃべれないでいた。そうなると、中身を見た方が早いと思って、俺は紙袋を受け取った。
「おい、榎本。あんま実音を怖がらせんなよ」
俺が紙袋を開けていると、同じ部活の伊倉がやってきた。
こいつが、俺の目の前にいる女子のことを好きなことも、この女子が伊倉のことを好きなことも俺は知っている。
ため息が出るくらい分かりやすい2人で、おそらく部活のやつで知らない人はいない。
「別に。怖がらせてないけど」
「顔が怖い」
「……それより、隣のクラスのお前が何?」
「はい、俺からもプレゼント」
「は?」
そう言われて、伊倉からも緑色の包装紙に包まれたものを渡された。
なぜプレゼントを渡されるのかも疑問だったし、『も』という言葉にも疑問を感じた。
「榎本くん、今日誕生日だって……潤ちゃんが言ってて」
「だから実音がお前にプレゼントあげようって計画立てたの。ったく、もうちょっと嬉しそうな顔しろよ」
紙袋の中には新品の筆が入ってた。
「このあいだ、新しい筆が欲しいって……ラフ描きながら呟いてたから」
ただの独り言だったのに、その女子は演劇の練習中もちゃんと聞いてたらしい。
「で、俺のはスケブ。これでいっぱい絵の練習してくれよ」
伊倉は人懐っこい笑顔を浮かべて、プレゼントを渡してくる。
こいつの場合、単にこの女子と一緒にプレゼント選びの買い物に付き添えたことが嬉しかっただけなんじゃないか、なんてひねくれたことを考えてしまう。
でも、そんな邪念も吹き飛ばすくらい――。
「お誕生日、おめでとう。榎本くん」
笑ったその女子をかわいいと思った。
もともと容姿が可愛いことは客観的に思っていたことだけれど、そのときは本当に息が止まるくらいかわいく思えて――。
「……ありがとう」
「ははっ、よかったな! 実音」
「うん!」
目の前で伊倉とその女子は笑い合った。
俺が、誰かのことを好きだと思ったのはこのときがはじめてで。
でもその気持ちを知った時からずっと、俺はこの気持ちが100%報われないものだって知っていた。
そのまま、時は過ぎて――。
「うわぁ! 超似合いますよー! 先輩もそう思いますよね! ね!」
うるさい後輩が俺の腕を引っ張って、騒いだ。
俺の目の前には演劇の衣装に身を包む、立石がいた。
大道具の材料を運んでいたら柚木に腕を引っ張られ、嫌な予感しかなかったがその通りだった。
俺に早くコメントしろ、とでも言うように柚木は「ね!」を強調してくる。
「……あぁ、似合う」
半ばうんざりしながら答えていた。すると、立石は気まずそうにしながら俺にお礼を言ってくる。
おどおどした態度は1年前とちっとも変わらない。
柚木にはうんざりしているけれど、立石のドレス姿が似合っているのは事実だ。
だからこそ、見せるべきは俺じゃないと思う。
「それ、伊倉に見せてあげたら」
俺がそう言うと、柚木が俺のことをちらりと見上げた。
本当に面倒な後輩が入ってきたもんだ。
俺はたぶん、この部活で2番目にこいつが苦手だ。
「いいですねぇ」
俺のことを見てすぐに、そんな相槌を打ってくる。
立石に悟られないよう、自然に。
ふざけた態度をとるくせに、まったくもって隙がない。
そういうわけで、立石はそのドレス姿を見せるために伊倉のいる練習部屋へと向かった。
はっきり言って、柚木と部屋で二人きりになるのはこの上なく嫌なのだが、柚木の前で立石と話すのはもっと嫌なのだ。
ふと見下ろすと、にやついた顔が俺を見上げてくる。
「いいんですかぁ? 敵に塩送っちゃって」
「伊倉は敵じゃない」
「敵が誰か、認識できてる時点でアウトですよぉ?」
そうとう、めんどくさい。
俺が立石を好きだということは、たぶんあまり知られていない。
部活の中でもこいつと、あと一人面倒な人には知られているが、それくらい。
立石好き、で言えば伊倉が真っ先に浮かぶのも原因だろうとは思うけれど。
「うるさいな。本当に。これ持って、手伝え」
ただ、もっと面倒なことに柚木は衣装専門ではあるが、大道具と背景のセンスもある。
だからこいつと仕事するのは嫌いじゃない。
「わたし、衣装作る方が好きなんですけど」
「それを言ったら、俺も背景が本来の係だ」
「たかちゃん先輩は美術センスやばいんで、なんでもオッケーですよ」
「その呼び方やめろ」
「ええっ、照れてるんですかぁ?」
そのノリが、あの先輩とまったくもって一緒だ。
ため息が出る。
けれど、文句を言いながらもちゃんと言われた作業をするから、強くは突き放せない。
しかもこいつの場合、やればできると分かっているからこそ、無駄にもっと高いものを要求してしまう。
「そこ、もうちょっと綺麗にやれ」
「布かぶせたら分からないと思いますけど、分かりましたぁ」
ぶつぶつ言いながらもやり直す。
柚木は人間としては本当に面倒だが、仕事仲間としてはいい。
それはあの先輩についても、言えること。
「はい、大道具の準備はどう?」
ワカ先輩が入ってきた。
俺は別の作業について柚木に指摘した後、先輩に視線を向ける。
若松潤一先輩。
この人は本当に柚木よりも100倍面倒な人だ。
そのくせに、才能にあふれている。
美術部に入ろうとしていた俺が演劇部に入ったのはこの先輩の力が大きい。
この先輩の演劇センスとその熱意を目にして、俺はこの人の作る演劇の裏方をやりたいと思った。
それくらいすごい才能を持ち合わせている人だが、人間としては本当に性質が悪い。
「柚木ちゃんも、大道具手伝ってるの?」
「強制的にー。たかちゃん先輩、横暴なんで」
「言ってろ」
面倒なコンビがそろってしまったことに俺は嘆くこともできず、ため息を吐くのみ。
「それより、たかちゃん」
「はい」
「みののドレス見たでしょ? どうだった?」
にっこり笑顔で尋ねてくる。本当にうんざりだ。
俺が半目で「似合ってましたね」と答えると、やれやれと首を横に振った。
「コメントがつまらないなぁ。柚木ちゃん、お手本。みののドレス姿どうだった?」
「ええっ、もうそれは天使みたいでしたね。あのみーちゃん先輩を見たらまず、世の男子はうっとりして思考も奪われちゃう。傾国とはまさにみーちゃん先輩みたいな美少女がもたらすものですよ!」
「完璧。で、たかちゃんどう思う?」
「柚木が答えたんだからいいじゃないっすか」
「部員全員の意見を取り入れるのは大事なことだよ。いつも作品に対して謙虚でありたいからね」
「さっすがワカ先輩! 部長の鑑ですね!」
本当に面倒な2人だ。話しているだけで頭痛がする。
「かわいいとおもいました。少なくとも俺が思うってことは、よっぽどじゃない限り、他の男子も思うと思いますよ。で、それくらいかわいいなら女子も憧れる、いい演劇になるんじゃないっすか」
俺が真面目に答えると、ワカ先輩も柚木も顔をパアッと明るくした。
「いいね! いいよ! たかちゃん!」
「きゃあ、いいこと言いますね! たかちゃん先輩! 柚木感動しました!」
2人して拍手し始めた。
俺はうんざりして、釘を打つ作業に専念する。
「こんなに思われてることに気づかないみのは、本当に鈍感というかなんというか」
「たかちゃん先輩もたかちゃん先輩ですよ! ゆうたん先輩の応援なんかしちゃって! まだ付き合ってないんですから今のうちに奪い合いしましょうよ! 当て馬キャラを演じるにしても先輩何もしてなさすぎです!」
「柚木ちゃん。当て馬は最初から敗北する前提の言い回しだよ」
「あ、失敬失敬」
「勝手に盛り上がらないでください。俺は足りない材料取ってきます」
俺はそう言って、ブーブー言ってる先輩後輩を置いて部屋を出ていった。
ちなみに俺はあの2人に対して立石が好きだと認めたことはない。
でも俺が認めようが認めまいが、あの2人は自分の感じたことこそを信じるタイプの人間だ。
ワカ先輩はからかうことに留まるからいいものの、柚木に至っては行動しろとうるさいし、ひどいときには行動させる方向で動いてくる。
「じゃあ、着替えてくるね!」
練習部屋の前を通りかかると、立石が笑顔で出てきた。
「あ、榎本くん」
少し赤い顔が、俺に視線を向ける。
嬉しそうに緩んだ頬を見れば、立石が伊倉にどんな言葉をかけてもらったのか、容易に想像がついた。
「……よかったな」
強がりでもなんでもなく、素直な気持ちが口からこぼれる。
立石の横を、俺は通り過ぎていくだけ。
でも立石は、ただそれを見過ごすようなことをしない。
「榎本くん」
呼び止められれば、足は止まる。無視して歩き続けることは簡単なのに。
「ありがとう」
振り向いたら、笑顔の立石がいる。
立石が俺の言葉に頬を染めることはない。
でも俺は、立石の笑顔が、ただ単純に好きだ。
たとえその笑顔が俺に向けられているものじゃなくても、それでも立石の笑顔が好きだと思った。
だから、そんな笑顔が俺に向けられたら――。
「ああ」
何の言葉にも表せられない。
演劇部失格か、なんて面白くもない冗談を言って、クスリと笑ってみた。