9話「レッスンを終えて」
レッスン初日を終えた後、安綺は昨日も寝泊まりした部屋に戻ってきた。
安綺がアイネを懐柔するまでに何日かかるかわからない上に、それとは別にこちらで寝泊まりする場所を確保しておきたいという理由から新貴は全部屋をかなり長い期間借りてしまったらしい。
今後日本の自宅に帰るのか、こちらの世界で長期間滞在するかは定かでないが、もしこちらで泊まることになったらこの建物が仮の家となるのだろう。
それでもいつまでもアイネと同じ部屋でいるのは少し問題があるが。
「よっと」
レッスンの疲れで意識を失うように寝てしまったアイネを背から降ろしベッドに横たえた。
その際に髪が流れ、今までは隠れて見えなかった耳が露になる。少なくとも地球上の人間ではありえない形状をした尖った耳がそこにはあった。
「――――」
思わず動揺してしまった。
エルフの少女であるとは聞かされていた。でも、これまでの態度や行動にエルフらしさなんてものは見いだせななかった。
安綺の中でエルフというのは普段は活用されない裏設定のような感覚で、彼女と接する時は高校に入りたてくらいの少女として――あくまで一人の人間としてしか見ていなかった。
だからこうして眼前に人外であることを見せつけられて咄嗟に受け入れられなかったのだ。
この世界のエルフは違うのかもしれないが、もし想像上のエルフと同一なら見た目が幼いだけで安綺より何十倍も人生の先輩の可能性であることも否定出来ない。
などと、色々と複雑な気持ちになりながらも、それ以上深く考えずに毛布をアイネにかけてやった。
本物のエルフであることが発覚しただけでこれまでの関係が変化するわけじゃない。ならば今は彼女のプロデューサーとして接してあげるべきだ。
「さて、俺も着替えるか」
ミミラがアイネの服を届けてくれたのと同時に安綺の分の着替えも受け取ってあった。
どうやらこちらの世界にも四季があり、今は日本でいう夏を目前にした春ということで服装も軽装なものであった。まあ、夏でも冬でも仕事着はスーツのままなのだが……。
絹で出来た半袖Tシャツと黒のスウェットパンツのようなものを履く。異世界製なのか、ちょっとザラザラしており着心地は間違っても快適とはいえなかった。
「まだ基本的な生活レベルのことも分かってないしなあ。今後はその辺も学んでいかないと」
これからすべき事を口で反芻しながらベッドに腰掛け、今日のレッスンで必要だと感じたことをメモした手帳を見返す。
今日は眺めてるだけだったが明日からはアイネが少しでも気持よくレッスンに取り組めるために動かなければならない。そのための努力は今日の内に始めねば。
「うーん……」
アイネが唸りながらゴロンと転がった。その拍子に体にかけておいた毛布が落ちてしまった。
かけ直してやろうと立ち上がって毛布を半分被せた時だった。
アイネがうっすらと目を開けた。
「う、うーん……安綺さん……?」
安綺のことを視界に収めたアイネが寝ぼけ眼のまま見つめていた。
暫く眺めていると徐々に瞼が開かれていき、最後には驚愕の表情となる。
「って、安綺さん!? ど、どうして……って、ここベッドですか!? 私、いつの間に寝ちゃって……! あ、その、情けない姿を見せてすいません。あああ、恥ずかしいです」
顔を真っ赤にさせて背を向けてしまった。
そんな可愛い姿に安綺は微笑むことしか出来ない。
「アイネったらレッスンが終わったら糸が切れたように寝ちゃうんだからな。起こすわけにもいかなくて移動させたわけなんだけど」
「す、すいません! 気がついたらもう意識がなくて」
「今日は頑張ってたしな。仕方ない。それに比べたらアイネをここに運ぶぐらいの労力どうってことない」
気を使わせないためと発言した安綺だったが、当のアイネは何故か恐る恐るといった様子で首を後ろに向けた。
「その、運んだのは安綺さんなんですか?」
「うん」
「ってことは……寝顔、バッチリ見たんですよね?」
「うん」
「あう……」
アイネはまたも顔を赤くして安綺から顔を隠した。
女の子の寝顔を見るのはデリカシーのない事だったか、と今更のように気づいて反省する。
「とにかくさ、寝起きのままじゃあれだし、シャワーでも浴びてくれば? レッスンで汗とかもかいてるだろうし」
「はい、そうします」
彼女の声はとことん覇気がない。
「じゃあ着替えとかはアイネが入ってる内に入り口に置いておくな」
「お願いします。……って、あの、もしかして下着も含まれてますか?」
「え? あ、うん、そうなっちゃうけど」
「や、やっぱり駄目です。私がやるんで安綺さんは休んでててて」
勢い良く振り返り立ち上がったアイネは顔を顰めた。
「もしかして筋肉痛か?」
「そうなんでしょうか。とにかく体の節々が痛くて……」
「まあ、その、暫くは痛みが続くから耐えてとしか。一応ミミラさんが痛みを軽減してくれる魔法をかけてくれたみたいだけど」
「うう、頑張ります。いてて」
少しでも痛みを抑えようとしてるのか、動きが何だかぎこちない。
「あー……やっぱり着替え、俺が置いておこうか?」
「いえ、お気遣い無用ですう!」
痛みのせいで最後の一音がおかしく跳ね上がる。
そんな様子を見て安綺は増々不安になるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あの、初めてなんで優しくお願いします」
困ったことになった。
昨夜も似たような事を考えたことがあったような、無かったような。
とにかく眼下に広がる景観を前に安綺はどうしても元気になってほしくない所が元気になってしまうのを抑えることができなかった。
風呂あがりのアイネはレッスンの時にも着ていたような簡素なシャツに膝まで丈のある短パンを履いていた。あまり色気のないように見える格好だが風呂あがりのしっとりした彼女の髪、歳相応の活発的な姿はむしろ妙な色気のせいで妖艶さを助長させていた。
それでいてアイネは言われるがままうつ伏せになり、何故か顔を蒸気させながら件の台詞である。
これでムラっと来ない男など男ではない。
早くも数時間前の絶対に手を出さない宣言が揺らぎ始める。これでは獣と称されても仕方ない。
「お、俺も慣れてないけどなるべく痛くならないようにするから。安心して身を委ねてくれ」
己の口から飛び出す言葉も勘違いを増長させかねないものであった。
幸いなのは部屋に二人きりだというだけだ。いや、むしろこの場合は「おかしいだろ!?」とツッコんでくれる第三者がいないから不幸にもなのか……。
これから安綺がやろうとしてるのは言うまでもなくマッサージである。
といってもプロのスポーツ選手がやるほどのものでもない。あくまで硬くなってる部分を揉むだけの簡単なものだ。
どんな風に行えばいいかは帰る途中にミミラから教授されている。
あまり時間をかけると本当に気の迷いを起こしてしまいそうだったので「えいや」と腕を伸ばした。
アイネの太ももに手が置かれると彼女が息を飲むのが分かった。
「アイネ? い、痛かったか?」
「ちょ、ちょっとだけ」
彼女はこちらを心配させまいと気丈に振舞っていた。
そんな姿を見て心が痛むのを感じるが心を鬼にする。
ミミラさん曰く、マッサージする部位は彼女が痛いと感じる部位だと言っておいた。傷ついた筋肉をほぐすことで堅固になった繊維は柔らかくなるとも。
あまり強くしないで、最初は優しく……。
安綺は二本の親指を使って太ももをぐいと押した。
「あんっ」
ビクッと彼女の体が震える。
思わず安綺の動きが止まる。理由は勿論彼女を気遣ったからではなく、嬌声に似た艶やかしい声が漏れたり、身悶えるに体をよじったりしたのが原因である。
何がとは言わないがこのままでは本当の本当にやばい。いつどこでミミラと新貴の信頼を失ってしまうかわからない。
「そ、そうだ、アイネ、聞きたいんだけどさ」
「は、はい。何でしょう……んっ」
「今日のレッスンどうだった?」
「えっと、思った以上に過酷……あっ……でした。でも新しい経験が出来て楽しかったのも事実だし、また明日から頑張っていきたいなあと……んんっ」
集中できねええええええええ!
何もかも放り投げて叫び出したい気分だった。
思いが行動にも現れたのか、ちょっとだけ力が入ってしまう。
「あんっ、き、気持ち良い……」
瞬間、安綺の中で何かがブチ切れた。
「……アイネ」
「ど、どうしたんですか安綺さん。声が険しくなってるような」
「俺はこれからおかしくなる。あまり声を上げるなよ」
「安綺さん……?」
不安な気持ちを声に出したアイネの体に安綺が覆いかぶさった。
「や、安綺……さん」
「…………」
狼狽えながらも最後には何かを決心したように覚悟を決めたアイネに安綺は無言で二本の親指を彼女の体に突き出し、
「しりとりりんごごりららっぱぱいなっぷるるーるるびーびーるるあーあいどるるねさんすすいかかめららっここあららじおおんがくくるままりおおーるどどーなつつあーあみみるくくじららくだだがしかししながわわににじじくくわがたたらここひなたみほほのかかおおかららんどせる――」
「や、安綺さん!? ……って、んんん!」
壊れたように単語を呟き続ける安綺に恐怖を感じながらも物凄い手さばきでマッサージをする彼の指テクに抗えず嬌声を上げた。
それから暫く、感情を殺した安綺の暴走が続いた。
ようやく一息ついたアイネの一言がこちら。
「はあ、私、滅茶苦茶にされちゃいました。もう何も考えられません……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あの、安綺さん、そんなとこで寝たら体壊します。お願いだからきちんとベッドで寝て下さい」
「駄目だ。今そんなとこで寝たらどんな間違いを起こすかわからない」
「だ、大丈夫ですよ。それに安綺さんになら私――」
「アイドルが誤解させるような事言っちゃいけません! 駄目ったら駄目だ。とにかく俺は今日はここで寝るんだ」
変な暴走を果たした安綺が我に返った時、目にしたのは息を荒くしてベッドでぐったりしてるアイネの姿だった。
それを見てとんでもないことをしてしまったんだと勘違いした安綺は殺人を犯してしまった罪人のような気分で四つん這いになって頭を垂れた。
その後、全てを懺悔しようと部屋を出ていこうとしたところでアイネが復活。しどろもどろになりながらも身体には手を出してないことを説明して安綺を止めようとした。
安綺はどうにか思い留まったが、代わりに
「今日は君のすぐ横のベッドで寝れない。俺は入口近くの床で寝る」
と言って聞かないのだった。
「あ、あの、確かに安綺さんの気持ちも理解できないんでもないんですけど、職業柄悪くない傾向じゃないんでしょうか。踊り子さんだって男の人は色目で見てるって聞きますし、私をその……え、エッチく見ちゃうのは魅力があるってことなんじゃないでしょうか!?」
彼女としてはかなり勇気を振り絞って口にしたようだ。
確かに彼女の言い分は一理ある。しかし、安綺に限ってはそうではないのだ。
今はまだ無名なので良いかもしれないが、今後有名になるにつれてプロデューサーとアイドルが爛れた関係だったなんて情報が流れたら一巻の終わりである。
これは周囲の信頼の問題なのだ。
「まあそりゃそうだけど。でも、前に説明しただろ? アイドルは不祥事があると面倒なことになるって。特に恋愛関係は一番例が多い。間違ってもアイドルとプロデューサーがそういった関係にあったって思われてはいけないんだ」
アイドルとは何か、というのを説明した時に軽くだがスキャンダルのことにも触れている。
その時にアイネは理解したことを示すように頷いていたので問題ないと思っていたのだが……。
「この前はよく分かっていなかったのでつい頷いてしまったんですけど……その辺がやっぱりよく理解できないんです。この国で有名人といったらやはり国王陛下や王子殿下が思い浮かぶんですが、王族の方が結婚を発表なされた場合、民衆はお祭りごとを催すほどにその報せを歓迎します。なのにアイドルは有名人なのに結婚のご報告が悔やまれる。これは一体何故なのでしょうか?」
端的に彼女の疑問をまとめてしまえばアイドルは何故恋愛を禁止されているのか、となるだろう。
今迄はそれが当たり前の知識として埋め付けられていた。しかしいざ聞かれるとその答えは酷く曖昧で、もしかしたら正確な答えはあり得ないのかもしれなかった。
「うーん、難しいな。国王や王子はその、一般人にとっては手の届かない、言ってしまえば神みたいな存在だろ? 次元が違うから何が起きても受け入れるしかない。けど」
安綺は頭の中で考えをまとめながら説明する。
「例えば、身分が同じくらいの男と女がいたとする。男は昔から器用で何でも出来た。鈍臭い女はそんな男に憧れてた。憧憬はいつしか恋心にすり替わっていった。けどある日、男が別の女と付き合ったことを知ったら女はどうするだろう。憧れから始まる恋愛の場合、多分略奪してやろうなんて気持ちは発生しないと思う」
憧れ、というのは自分よりも尖ったものを持っていると感じるから生まれるものである。
つまりその時点で己より劣っていると認めてしまうようなものだ。
劣っていると一度格付けしてしまったらその認識は簡単には拭えない。
結果的に私より優秀なあの人が選んだ恋人は私よりも良い人だ、と発想してもおかしいことはない。
多くの人がその時点で恋路を諦めてしまうんではなかろうか。まあ、人の気持ちは一概に決められるものではないので絶対にそうなるとまでは言い切れない。
「そうなると女は身を引いて男から距離を置く。アイドルが恋愛するとファンが離れるのはこういうことなんじゃないかって思う。アイドルになったあの子が好きなのに、裏では特定の異性と普段は見せない顔を見せてた、なんて事を知ったら怒るなり落胆するなりでファンを辞める、なんてね」
言ってて自分でも苦しいがこれぐらいしか考えが思い浮かばなかった。
「あの、それはつまりファンはアイドルに恋をしてるってことになるんですか?」
「それは……」
否定しようとして止める。
アイドルの「本来の意味」を考えると決して間違ったことではないと思ったのだ。
「アイドルは職業の名前でもあるけど、一つの単語としてきちんと意味があるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。偶像って意味なんだけど、噛み砕くと憧れや崇拝の対象になるってことかな」
この異世界でアイドルのスカウトを始めた時にミミラが教えてくれたことだ。
「そんな意味が……」
「まあね。で、アイドルは憧れの対象、つまりさっきの男だね……ファンはアイドルをそう見立てる。擬似的にだけど彼らはアイドルに恋をしてることになるんだ」
例えば、と付け加え、
「好きな人にはプレゼントやらなんやら、貢ぐ事が一つの愛情表現にあるだろう? アイドルにもさなると色々グッズが出るんだけど、ファンの人はそれを買ってアイドルに貢ぐ。さっきの例でいえばアイドルに愛情を感じているんだ。だから、その陰に異性がいたら萎えてしまう。ファンがいなくなったらアイドルって職業は成立しないから。そのために不祥事は駄目って考え方なんだけど……どうかな、分かった?」
「分かったような、分からないような」
アイネの苦笑する声が聞こえた。
「ただもう一つ気になることがあるんです。以前、商人様に奴隷で幸せになった子はいないのか聞いたんです。そしたらこのような答えが返ってきました。とある女の奴隷が主に恋をした。彼女は決して恵まれた環境にいたわけではないが――愛するご主人様の傍にいられる。それだけで苦境を物ともしない程の幸福を得ていた。恋心ってのは人間にとっちゃ何にも捨てがたいほどの至上なものなんだろうな。例えどこのどいつだろうと――人間として扱われない奴隷だったとしても、と」
アイネは長い口上を終え、一息ついてから肝心の質問に入った。
「それで思ったんです。人にとって至高といわれる恋愛をアイドルは自分自身でも抑制するんでしょうか。外的要因が原因なのは理解出来ても、心の理屈はそうじゃないんじゃないかと私思うんですけど」
「多分、それは……」
先程の根本的な「恋愛禁止」の意味を説くよりも簡単に答えが浮かんだ。
「アイドルには恋愛以上の魅力があるからじゃないか?」
「恋愛以上の魅力……」
「ああ。やりがいと言い換えてもいい。現に俺達の世界ではアイドルの卵だとか候補生のようなアイドルを志す子がたくさんいる。恋愛が禁止されてるって初めから分かってるのに、だ。彼等や彼女等はそれでもアイドルを目指してこうしてる今も努力を重ねてる。それほどの『何か』がアイドルにはあるんだ」
アイドルの子が恋愛をしていることがバレてスキャンダルに発展、さらに炎上を起こすなんて事例は枚挙にいとまがない。そういった現状にも関わらず、絶えず新たなアイドルが生まれている。
彼等はアイドルという偶像になろうとしているのではなく、アイドルという偶像を追いかけているのだ。その先の『何か』を掴むために。
「もしこのまま続けていったら私でもその『何か』は見つけられるんでしょうか……?」
「見つける、じゃないな。見つかるんだよ、きっと」
ハッと息を呑むような音が聞こえた。
「そうですよね。……安綺さん、私、明日からまた頑張ります。アイドルになるために……アイドルになってその先の『何か』を掴むために」
「ああ。俺も応援してるよ。願わくばプロデューサーとしてその光景を横で見ていたいけど」
安綺は異世界では時計と明かりぐらいの役割しか果たしていないスマホを見た。
「もう時間も遅い。明日もレッスンはあるし今日は寝よう」
「はい。おやすみなさい、安綺さん」
「おやすみ、アイネ」
アイドルに対する想いを強めて二人は瞼を閉じ、長い一日を終えた。
翌日、アイネは筋肉痛の取れない全身とガラガラの声という満身創痍な状態ながらもレッスンに力を注いだ。動きは未だぎこちなかったが、心なしか一日目より笑顔が増えていたらしかった。




