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8話「レッスン開始」

 アスクマ国の王都は真上から俯瞰的に見ると扇形をしている。王都の入り口から奥に行けば行くほど幅が広がっていく。

 扇を左右非対称に分けるように入り口から真っ直ぐ伸びる中央路は商店や宿屋、他にも娯楽施設がズラッと並ぶ。逆に中央路から右へ左へ進んでいくと都会から下町に推移し、更に進むと住宅街へと変化する。

 この住宅街というのも同じ位の平民でも中央路に近いほうが豊かで端に追いやられている世帯ほど貧しくなっていく。

 では平民と貴族の階級はどのように現れているかというと、これは簡単に分かる。入り口から奥に行けば行くほど階級が高くなる。これだけだ。その証拠に商店や宿屋も中央路を進めば進むほどグレードが上がっていくのが目に見えて分かるはずだ。

 最奥部にもなると王族のみの所有地となり、その一歩手前ではアスクマ国の四大貴族がひしめく土地となる。


 元有事務所の所在地は王都の奥を北に、入り口を南とした場合中心よりやや東北寄りに位置していた。

 レッスンルームと呼ばれた施設は事務所より更に少し北に進んだところにあった。


 外観は横幅が広く、縦幅が横幅に比べると狭い。それでも一階の天井はジャンプしたぐらいでは到底届きそうにもないが。

 テニスコート程の幅を持った三階建ての公民館のような建物を見て安綺は呟いた。



「社長はいつの間にこんな施設を……」

「この計画を思いついた時にはもうこういった建物が必要だって考えてたみたいよ。だから早めに土地を確保しておいたらしいの」

 


 ミミラさんの説明を受けながら安綺達は建物の内部に入っていく。



「一階はレッスンルーム。ジムとかにあるフィットネスルームのような作りになってるわ。大分昔の型だけど幾つかトレーニングマシンも置いてある」



 専用の靴が必要となりそうなツルツルの板張りの床に入り口の右から見た側面の壁は鏡張り。その手前には手すりもついてある。左側の奥には伝統のある高校の運動部が使っているような使い込まれたトレーニングマシンがまとまって置かれている。



「今日は使わないけど、二階にはレコーディングルームがあるわ。こちらも一昔前の機材ばかりだから、CDとかをあちらの世界で作る場合とかは使えないけど、毎日の練習には充分な物が揃ってるはずよ。最後に三階だけど、まだ使い道が見つかってなくてね。とりあえずは休憩室にしてる」



 レッスンルームの入り口――こちらは建物入り口から先に少し進んだ所にある――に置かれた下駄箱には既に幾つか館履きが入っていた。



「私や喜瀬君みたいにサイズがあらかじめ分かってるならともかく、アイネちゃんが来るまでアイドル枠は誰だか分からなかったからあらかじめ数種類のサイズを用意してたの。アイネちゃんのサイズはっと」



 アイネの足のサイズを含め、彼女の詳細なデータをミミラは商人の口からあらかじめ聞いていたらしい。アイネの体に合った服を届けることが出来たのもそのお陰だ。

 はい、とミミラは終始驚きと不安と好奇心でキョロキョロ首を動かしていたアイネに館履きを渡す。



「更衣室はこの入り口を出て右に進んだところにあるわ。動きやすい服に着替えなきゃね。ほら、アイネちゃん行きましょう。喜瀬君はここで待ってて」



 と、困惑しているアイネの背を押して二人は出て行った。

 靴だけ履き替えてからレッスンルームに入室し、言われた通り待機する。

 暫くすると緑色のジャージに袖を通した二人が戻ってきた。



「これ、動きやすいですしあったかい……! 触り心地もいいです。私がこんな高級な服を着て良いんでしょうか?」



 先程は建物の内装に戸惑っていたアイネだが今度は服に戸惑っているようだった。



「うーん、俺達の世界だと手頃な値段で買える一般的な便利な運動服なんだけどなあ」

「そうなんですか? 話には聞いていますけど、チキュウは本当に凄い所なんですね」



 二十年近くもその凄い所で暮らしていると全く凄いとは思えない。これが所謂カルチャーギャップというやつなのだろうか。



「私も最初はアイネちゃんと同じようなことを思ったわ。今ではもう慣れたけど文明力が段違いなのよね。だからアイネちゃんの反応が普通なの。喜瀬君はもっと自分達が恵まれていることを自覚するといいかもね」

「自分もそう思います」



 異世界同士の認識の違いを改めて意識しながら三人は同じ床を踏んだ。



「さて、それじゃあ始めていきましょうか。まずはボーカルレッスンね」

「はい!」

「そんな固くならなくていいから。もっとリラックスして。そうね、深呼吸をしましょう。私の動きを真似してね。せーの」



 ミミラの動きに合わせてアイネは深く呼吸をする。ミミラとアイネの胸が上下するのを見てしまい、慌てて視線を外した。



「うん、良い調子よ。じゃあ次にリズムに乗せて声を出すから出来る限り真似をしてみて」



 そう言ってミミラはドレミファソラシドと軽快に歌い上げた。

 アイネはそれを聞いて頭のなかで一度反芻してから同じくドレミファソラシドとたどたどしく声に出した。



「うーん、最初だから仕方ないけど音階が合ってないわね。それと恥ずかしがってるのか声が小さい」

「すいません……」

「気にしないの。まだこれからだから。そうね……細かい指導はこれからやるとして最初は声を思いっきり出すこと。ここで恥ずかしがってたらこの先大変だからね。じゃあもう一回」



 繰り返しドレミとミミラが唱和する。ミミラが歌い終えるとアイネが続く。



「会社で挨拶した時くらいの声量が欲しいわ。喜瀬君の鼓膜が破れるくらいに大声を上げて!」

「はい! ドレミファソラシド!」

「もっと!」

「ドレミファソラシド!」

「もう一声!」

「ドレミファソラシドォ!!」



 鼓膜はもっと大事にして欲しいものだが。しかし茶々は入れずに見守った。

 アイネは何度か繰り返して、最終的にやけくそ気味に叫んでいた。ちなみに最後はリズムなどお構いなしだった。



「そうそう、そんな感じ。まずはしっかり声を出さないと。じゃないとステージの隅々まで歌声が行き届かないから。少し間を挟んでから次行くわよ。まだへばらないでね」

「はい。……はい」



 結構体力を持って行かれたのかアイネは全力で走った後のように喘いでいた。

 ミミラさんはおっとりしてそうで実はスパルタなんじゃないかと安綺が思い始めたのはこの時だった。


 この後のボーカルレッスンは引き続き声を出すレッスンと音程を合わせるレッスンを中心に行った。途中、アイネの声が枯れてきたので一旦練習をストップ。アイネが休んでいる間に安綺はミミラと近くの市場に水を買いに向かった。

 その時聞いたアイネの評価がこちらである。



「歌ったことがないから力を引き出せてないけど、鍛えたら物凄い歌手になるかもね、あの子。声も透き通ってるしかなり高い音階が出てる。歌や音階がどんなものかわかってきたら早い内に腹式呼吸をマスターさせるべきね」



 水分補給を兼ねた休憩時間にミミラは腹式呼吸の簡単な講義をアイネに行った。

 アイネは疲れを感じさせる顔を見せながらもきちんと頷いていた。その目には今まで見られなかった輝きが見られる。安綺はそれを嬉しそうに眺めていた。


 休憩が明けた後はダンスのレッスンに移る。



「今度は声じゃなくて私の動きを真似してね」

 


 ミミラは軽快にステップを踏んで最後にターンを決める。

 うろたえながらアイネは動きをトレース。ステップというより、足の踏み場を探しているようなフラフラとした動きをした後に、最後はターンをするために体を回転させる。が、半回転したところでバランスを崩して床に倒れこんだ。



「だ、大丈夫か?」

「は、はい~。ありがとうございます」

「うーん、歌の才能はありそうだけどダンスの方は前途多難になりそうね」



 アイネに手を差し伸べて起こす間に背後でミミラが苦笑交じりの呟きをしていた。


 今日はお試し、ということでミミラは色んな動きをしてみせた。アイネは少しでもミミラの動きを模倣するために必死で動く。

 早い段階から汗をかいてるアイネの姿を見てレッスンする時はタオルを何枚か持たせたほうがいいとメモに書き込んだ。


 一通り終えた頃には外は陽が暮れていた。



「つ、疲れました……」

「普段運動が出来るような環境じゃなかったものね。それでも初日からこれだけ動けたら充分よ。ただそれでももうちょっと体力が欲しいわ。ランニングも練習メニューに取り入れましょう」



 アイネはレッスンを続ける内に上のジャージを脱いで半袖の白Tシャツ姿になっていた。

 体が冷えて風邪を引くといけない。手に持っていたジャージを彼女にかけて上げた。



「ミミラさん、今日はこれで終わりですか?」

「ええ。……と、言いたいところだけどまだよ。体力も必要だけどある程度筋肉や体幹も欲しいから。最後に筋トレをして終わりよ」



 アイネが無意識に「え」と呟いたのが聞こえた。

 今も肩を上下させて憔悴してる姿を見る。幾ら必要な事といえど、やり過ぎは禁物だ。体を壊したら元も子もない。初日ならこれまでの内容で充分だろう。彼女のマネージャーとしてここは止めるべきだと判断した。



「性急になる気持ちは分かりますけど、アイネの体は限界です。これ以上やったら健康に支障が出ます」

「庇いたくなる気持ちも理解できるけどね。筋トレは体を動かした後やその前に行う方がいいの。持久力を少しでも付けるためにやった方がいいわ。無理さえしなければ筋トレで体に害が及ぶことはないから」

「でも……!」

「安綺さん、私は大丈夫です。だから気にしないでください。ミミラさん、お願いします」

「ほら、喜瀬君。彼女もああ言ってるわ。心配しないで。私の名に賭けて彼女を傷ものにするようなことはしないから」



 辛い思いをしてる本人が気にするなと言ってるのだ。心配する気持ちをグッと堪える。ここは自分の言い分を押し付けるより彼女たちを信じた方がいい。

 腹筋背筋腕立ての定番と体幹を鍛えるための一通りの筋トレメニューをこなす姿を安綺は黙って眺めていた。

 筋トレが終わった後はレッスンルームの周りを軽く走り、簡単な体操とストレッチでクールダウンを行う。

 これにて一日のレッスン終了、とミミラが宣言した時には外はすっかり暗くなっていた。

 終わったことでこれまで彼女を支えてきた力が解けたのか、アイネは床に転がっていた。



「だ、大丈夫かアイネ……?」

「は、はい……。ただ体があちこち痛いです」

「筋肉痛ね。明日はもっと酷いわよ~。と、あまり怖い顔しないでよ喜瀬君。流石にその状態で今日ほどの事はさせないから」

「……信じてますよ」

「喜瀬君は私達以上にアイネちゃんに思い入れがあるものね。でも安心して。喜瀬君が思ってる以上に私も新貴さんもアイネちゃんを想ってるんだから。裏返せばだからこそちょっと厳しめにしてるわけだしね。ただ私に出来ることはこれまで。フォローが出来るのは喜瀬君だけよ」



 ミミラは水を一口煽るとアイネの方を指差した。見ると、いつの間にか彼女は夢の中に落ちていた。



「これは着替えは戻ってからじゃないと無理そうね。目覚めたらきちんとお風呂に入れてあげて。その後マッサージをしてあげること」

「マッサージ……ですか?」

「別に激しい運動をしたわけじゃないけど、体に疲労が溜まったままだと明日からのレッスンで怪我しちゃうかもしれないから。それを回避するために体を温めた後にマッサージするのが有効なの。筋肉が緩んでるから、それを刺激することで何もせずボーっとするより回復が早くなる。喜瀬君って学生の頃運動部に入ってた?」

「高校は帰宅部で、大学は経済的余裕がなかったんでバイトばっかしてました。中学の時はサッカー部に入ってたんですけど地方だったんでチーム一つすら組めなくて……ダラダラ集まってボール蹴って回してって感じでまともに活動してませんでした」

「成る程ね。喜瀬君がもししっかりした運動部に入ってたなら野暮なこと言ったかな、って思ったの」



 ミミラは一息つくと横たわって寝てしまったアイネの傍らに膝立ちする。そして、



「よいしょっと」



 今まで普通の人間の見た目をしてたミミラの頭に獣の耳が生えた。どこからどのように出てるか分からないが細長い茶色の尻尾も揺れている。

 一度その姿を見てるものの、実際に見た目が変わる瞬間を目にしてしまうと驚いてしまう。

 ミミラは安綺には構わずアイネの体に手をかざす。その手に淡い光が宿り、虫眼鏡で太陽の光を映すようにアイネの体に光が流れていく。アイネの体全体が光に包まれた。



「こ、これは……?」

「簡単な魔法よ。傷の治りを促進させるね。ついでに一時的に重力を和らげる魔法もかけておいたわ。安綺君が運びやすいようにね」



 アイネをお姫様抱っこしたミミラは安綺の背に回る。

 有無を言う暇もなくアイネを背におぶる格好になってしまう。



「あの、ミミラさん」

「文句は言わせないよ。心なしかさっきよりもアイネちゃんの寝顔も優しくなってるしね」



 すぐ後ろから聞こえてくる寝息は安らかで、とても幸せそうだった。



「会社にいた時は獣とか言ってたくせにこうして体を密着させて、しかも部屋で二人きりにしようとするんですか」

「ひねくれないの。アイネちゃんを気にかける喜瀬君の様子を見てたら大丈夫だと思ったの。それに手を出すとしたら昨日の内にしてるでしょうしね」

「それ、俺を男として扱ってないですよね?」

「なら喜瀬君は寝てる彼女に襲いかかっちゃうの?」

「いや、それは」



 何か夢でも見ているのか微笑んでいるアイネの顔を見た。可愛いのは間違いないし、許されるなら本能のままに行動してしまう自信もあるが……今日の彼女の頑張りを見た後でそんなことは間違っても出来なかった。

 今は一人の女として見るより、一人のアイドルとして彼女を労ってあげたい。



「それが答えよ。ほら、外はもう暗いわ。帰りましょう」



 少しだけミミラに対して釈然としない思いを描きながらもミミラの後を付いて行った。

 背におぶられたアイネが「安綺さん」と寝言を呟いたのだった。




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