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5話「君の名は」

 困った事になった。

 薄暗い、ベッドが二つ並べてあるだけの簡素な部屋。

 その部屋のベッドに腰掛ける安綺の耳に入ってくる音はお風呂場から聞こえるシャワーの音。

 床を見つめ、汗をダラダラ流す安綺はテンパっているとしか言えなかった。

 シャワーの音が止み、少しの間を置いてから今度は布が擦れるような音が聞こえてきた。

 きい、とお風呂場に続くドアが開く。そこから出てきたのはスラっとした白い肢体。次いで、その全身部分が風呂あがり独特の色香を放ちながら表れる。

 小さくもなければ大きくすぎることもない、体に合った胸。高級な絹を一本一本丁寧に縫い合わせたような腰まで伸びる黒い髪は、水気によって妖艶な刺繍となっている。何より、美という言葉を顔で表した少女は頬を蒸気させ、こちらを見上げてくるではないか。

 安綺と目が合うと、彼女は更に顔を赤くしながら目をそらす。

 あまり経験は積んでないとはいえ、女性と付き合いもあった安綺である。通常時ならばドキッとするくらいで理性のタガは抑えられただろう。

 しかし部屋に二人きり。彼女の方は下着姿。しかも、こうなる前には彼女の方から「誘惑」に似たようなことされているのだ。

 この状態で我慢しろと言われても、かなり厳しいものがある。

 ただそれでも安綺は決して手を出したりしてはいけないのだ。何せ彼女はアイドル候補である。決して欲望を満たすために購入した奴隷少女なんかではないのだから――。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 安綺が非常事態に落ちる数時間前。

 ミミラと共に奴隷商人とエルフの少女と落ち合った。

 理由は至極単純。奴隷として売りだされていたエルフの少女を買うためである。

 現代っ子であるが故、人間を……それも奴隷を買うだなんてあまりにも異次元過ぎてどんな感情を抱けばいいかすらわからない。これがもし少年漫画ならば、買うなんてことはせず、事件を解決したついでに少女を解放したりするのだろうが……。

 けどこれはフィクションでも何でもなく現実である。彼女と対話するためにはまず、正当な手段で解放するしかなかったのだ。


 安綺は結局、この場でもミミラに任せっきりだった。

 まあ、異世界の貨幣価値も倫理観も、そもそも常識すら分かっていないのだから仕方ない。けれども何もかも任せてしまうのはどうかと思う。


 気がつけば話も終わり、商人の手には大きなバッグが、そしてこちらには。



「ほら、今日からこの男が御主人様だ。きちんと挨拶なさい」

「よ……よろしくお願いします」



 たどたどしく一礼をした黒髪の少女が安綺の「物」となった。



「まずは最低限彼女の身なりを整えないとね。服を揃えてくるから喜瀬君は先に会社に戻ってて。新貴さんももう戻ってるはずだから」



 商人と別れた後、ミミラはそう言って安綺達とは別行動を開始した。

 正直、少女とどう接したらいいかまるで検討もつかない安綺は彼女に付いて行きたいというのが本音だった。



「えっと……じゃあ、その、行こうか」



 少女は何も言わずにただ頷いただけだった。

 それから会社までの道のりは苦痛だった。

 一度顔を合わせたことがある……といってもたまたま王都に向かう道中で共にしたぐらいだ。そもそもまともに会話すらしていない。勢いで彼女をアイドルにどうか、なんて言ってしまったが本当に勢いだけである。

 一応、話さなければならないことはたくさんあるのだが、どう切り出したらいいのか思い浮かばず、結局二人は一言も発しないまま会社に向かったのだった。



「ミミラからざっと話は聞いてはいたけど、この娘が例のエルフか」



 会社に戻ったは戻ったで、少女は安綺の背に隠れてしまい、新貴と目を合わせようとはしなかった。

 幾ら話しかけても一向に返事をしないので新貴が「お前が代わりに聞け」と遠回しに言ってきた。頷き返して、基本的な情報を引き出そうとしたのだが……。



「えっと、君はどこから来たの?」

「……分かりません」

「うーん、じゃあ、君の名前は?」

「……分かりません」

「今どう感じてる?」

「……分かりません」

「君は何者?」

「私は御主人様の物です」



 と、何一つコミュニケーションが成立しないのだ。

 これには流石の新貴もお手上げ状態のようだった。

 頭を悩ませた末に新貴が出した結論はこうだ。



「これじゃあ埒が明かない。唯一ハッキリしてるのは、彼女は安綺の物だと感じていることだけだ。俺やミミラが問いかけても心を開いてくれそうにない。だから安綺。まずは二人で話をつけてこい。彼女と仲良くなるのがプロデューサーとして最初の仕事だ!」



 プロデューサーの最初の仕事として色々とおかしいような気がする。

 文句を垂れたい気分だったが、問答無用で近くの宿泊所に放り込まれた。

 こうなっては仕方ない。ゆっくり彼女と向かい合おう。そう決意した矢先だった。



「ああ……なるほど。少しだけお時間を頂けますか御主人様。御主人様のお体を汚さないためにも清めてまいります。戻り次第、御主人様に奉仕を致しますので……は、初めてですのでご満足いただけないかもですが、全身全霊を持って気持よく致します」



 少女はこれまでで一番饒舌に言葉を紡ぎ、唖然とする安綺を置いてシャワールームに入っていった。

 

 そうして、今に至る。

 


◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「お待たせしました御主人様。早速始めさせていただきます――」



 濡れそぼった少女は安綺の前で膝立ちになり、恐る恐るといった様子で股間に手を伸ばしていく。

 

 ど、どうする!? どうすればいい!?


 彼女の動作を止めなければいけない。しかし、男の本能がそれを躊躇させる。据え膳食わぬは男の恥という言葉が無意識に浮かぶ。いやでも、目の前の子とそんなことをするつもりはなくて、むしろしたいというかでも黙ってればバレないだろうし流れに身を任せるのもここは一興なんじゃないか!?

 脳内で悪魔と天使がさざめき合い、恐慌をもたらす。

 身も心もオーバーヒートしかけて安綺を救ったのは意外にも目の前の少女だった。



「あの、その……お気に召さなかったでしょうか?」



 気づけば彼女は手を引っ込めて安綺を見上げており、不安げな瞳を揺らしていた。



「多種多様な殿方がいると聞いております。中には特殊な方法を好む方もいらっしゃると……。もしや身体を清めてしまったのは早計でしたか? もしそうであれば、その罰、この身で一心に受け入れます」

「あ、いや、その……」



 深々と土下座をする少女を目にしてようやく冷静さが戻ってくる。



「と、とにかく顔を上げて。そんな簡単に土下座なんかしたら駄目だ」

「それが御主人様の命令であるならば……」



 別に命令でもなんでも何でもない。けどそれで事が収まるなら、という考えで余計な口は挟まないことにした。



「いやでも、助かった。お陰で頭を冷やせたよ」

「私、何かしましたか?」

「してないよ。俺が勝手に慌ててただけ」

「あ、心の準備が足りていなかったとか……? す、すいません。でも言ってくださればいつでも――」

「しなくていいから! そういうことをするために君を連れてきたんじゃないんだ。俺は君と話がしたいんだ」

「私と話……ですか?」

「うん。そのままだと話しづらいからここに座って」



 ポンポンとすぐ横を叩く。

 おずおずと彼女は腰掛けた。



「話といっても、大したことはお話出来ませんが」

「別にいいよ。ゆっくりでいいからさ。俺の質問に答えてくれる?」



 少女は首肯した。



「よし。じゃあまず、俺のこと覚えてる? 前に一度だけ会ったことがあるんだけど」

「はい。こちらの街に来る時に共にした方ですよね。あと、オークに襲われた時に私を救ってくださった方……」

「あ、先手を打っておくけどお礼とかはいらないよ。当然のことをしたまでだし、あの怪物をどうにか出来たのも俺だけの力ってわけじゃないし」



 首に提げたネックレスが無ければ少女もろともあの世に送られていたことだろう。元勇者さまさまである。



「とにかく俺のこと覚えててくれて良かった。嬉しいよ」



 安綺は嘘偽りない笑顔で言った。

 これまでの反応からして彼女はもしかしてこちらの事を覚えてないのでは、と懸念があった。

 一度顔を合わせたことがあるないは意外と重要だ。見知らぬ土地に放り出された時に一度でも合わせた顔がいるだけで心の持ちようは大きく変わる。それは地球でも日本でも同じだ。

 腹を割った話をするのにも初対面では中々やりにくいこともあるのでそういう意味でも安堵したわけだ。



「まず知りたいのは俺と出会う前……いや、もっと以前かな。あの商人に拾われるまで君はどこで何をしてたんだ?」



 先の回答である「分からない」の意図を掴むためにも一つ一つ紐を解いていく。

 しかし彼女は初っ端から首を横に振った。



「分からないんです」

「分からないって……」



 名前が分からない、というのは安綺でも思いつくことがあった。

 彼女は奴隷である。酷いことをいうようだが、「物」として扱われる彼女にはそもそも名前なんてものを与えられていなかったの。精々あっても奴隷一号とか、エルフの少女だとか通し名程度のものだった。

 そのように予測すれば彼女の回答も至極納得がいった。

 

 だがこの質問は違う。

 いかに酷い扱いを受けてたとはいえ、過去の記憶が分からないだなんてそんな馬鹿なことはありえない。


 では、一体どういうことなのか。

 筋が通る理由を考えて割りとあっさり予想がついた。けどそれは思わず唸ってしまいそうになるほどのものだった。



「分からない、というよりも無いんです。私が商人様に拾われる以前の記憶が無いんです」



 彼女は想像通りの解答をしてみせた。

 そう、彼女は記憶が無いのだ。端的に言ってしまえば記憶喪失というやつである。

 これならば全ての質問に対して同じ答えを繰り返したのも腑に落ちた。



「それは本当なのか?」

「はい。信じてもらえないとは思いますけど」

「いいや、信じるよ。俺にはどうも君が嘘を付いてるようには見えないしね」

「ありがとうございます」

「……なら、代わりに君が記憶に残っている限りの経緯を教えてくれないか?」

「はい、それなら――」


 

 と、少女はこれまでの経緯を語り始める。

 まとめるとこうだ。


 彼女は気づくと、知らぬ街の知らぬ路地で立ち尽くしていた。

 名前すら忘却してた彼女は何が起こったか理解できず、大変な混乱をきたす。

 自分が何者であるか探るため街を三日三晩必死に駆けまわったが成果は上がらなかった。

 無一文だった彼女はやがて力尽き、どこかの細い路地で倒れこんでしまった。

 死を覚悟したその時、あの商人が手を差し伸べたのだという。

 商人は少女に問うた。


「奴隷として商品になるというなら助けてやるがどうする」


 奴隷というものは記憶はなくとも知識で識っていた。それでも寄る辺のなかった彼女は生き残るにはそうする他あるまい、ということから承諾せざるを得なかった。

 奴隷商人は奴隷を売りつけるまで奴隷を商品として管理せねばならない。

 故に簡素ではあるがきちんと食事を与え、道行く人に見られても困らない服を買ってくれたそうだ。

 どうにか命を繋ぎ止めた先に待っていたのは奴隷としての心構えをレクチャーされることだった。

 その講義の結果がこの部屋に入室してからの彼女の一連の行動に当たる。

 商人から暫くの手ほどきを受けた後、商品として売りに出されると判断された彼女は商人の荷馬車に乗せられた。

 その道中、突如空中から舞い降りた安綺と出会って――後は知っての通りだ。



「中々に壮絶な記録だな」

「最初は不安もたくさんありましたし、何より商人様が怖かったのですが、商人様はこうも仰ったんです。俺はまだ優しい方だ。どんなに恭順でも外れの御主人様に買われたら恐怖する感情すら失われる。死んだほうがマシだと思いながら惨めに生きていく事になる。それが嫌なら恭順になれ、言いなりになれ、一切不服を買わないようにしろ――と。それが生き延びるための秘訣だと」



 彼女の言う生き延びるとは決して立場のことではない。文字通り、命を守るための手段なのだ。

 商人は決して良い奴ではないが、かといって一概に悪いやつとも言い切れない。あくまで商人としては公正な人間だったのだろう。



「でもいいのか? そういった裏事情っていうか、仕える人に恭しくしろって言われたみたいなことを語っちゃって」

「御主人様にはこういったことも包隠さずお話しろと、そう教えられました」

「……なるほど」


 

 目覚めた彼女の選べる選択肢は極端なものだった。

 命を失う代わりに人間(正確にはエルフだけど)でいるか、人ではなく物になる代わりに生き延びるか。

 結局、後者を選んだ彼女は心の底まで奴隷という名の「物」に堕ちたのだ。



「あの、御主人様。難しい顔をしていますがどうかされましたか……?」

「まずは、名前だ」

「なま……え?」

「そう、名前。君に名前を付けよう。えっとそうだな」



 そもそも彼女を解放した理由は異世界アイドルプロジェクトに参加してもらうためだ。

 だからアイドルという言葉から名前が作れないか考える。

 アイドルのアイはそのままでいい。けどあと一、二語ぐらい欲しいところだ。下のドルに着目する。ドルと聞いて思い浮かぶのは地球の通貨である。通貨といえばマネー。

 言い方は悪いがアイドルを目指すなら最終的にお金を観客たちから貰う形になる。マネーを得る=マネーを付けることはある意味でこの計画の成功を示すことに他ならない。

 といってもアイマネーじゃ中途半端だ。

 

 アイネ。


 名前に込められた意味を考えると良い名前とはいえないが、響きは悪くない。



「アイネって名前はどうかな?」

「アイネ……」

「うん。気に入らないなら、別の名前を考えるけど」



 むしろ後回しにしてくれたほうがもっと良い名前を付けられそうな気がする。

 しかし彼女は、



「い、いえ、そんなとんでもないです。アイネ……アイネ。これが私の名前なんですね。嬉しいです!」



 アイネは大事な宝物を胸に抱えるような格好で涙を浮かべながら笑った。

 初めてアイネの笑顔を見た安綺は思わずその姿に見惚れていた。女は笑うと雰囲気も印象も大きく変わるのだな、と未だ幼さの残る男の子な感想を抱いた。



「ただ、その名前なんて大層なものを貰ってもよろしいんでしょうか……?」

「名前は大事だけどそこまで感謝されることでもないかな。とにかく呼び名がないと不便だし、本来の名前を思い出すまで君はアイネだ」

「は、はい!」



 先程までの翳りのある無表情とは何だったのか、と言いたくなるぐらいのはしゃぎぶりだ。

 それから暫くアイネは何度も何度も己の名を口にし続けた。




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