2話「勇者の道案内」
安綺達は王都の内部に存在する衛兵の詰所に連れて来られた。
商人と名乗る男は憮然とした様子で、エルフの女の子はオドオドと、安綺は物珍しげな視線で見渡しながら。この一貫性のない集団に女性騎士は随分と訝しげな視線を送ったものだった。
石レンガで建てられた堅牢な詰所に入ると、三人はそれぞれ違う部屋に連行され、一人一人尋問が始まった。
安綺の担当はゴブリンに襲われた地に真っ先にやって来た騎士だった。
「いい加減にしろ!」
痺れを切らした女騎士が怒声を上げて机を叩いた。ショートボブの黄金の髪が振動で揺れる。
「これまでの質問で判明したのは名前ぐらいだ! 出身も、どこに暮らしてるかも分からない! 仕事は芸能事務所とか言ってたか? そんな訳の分からないもの聞いたこともない。やはり貴様は隣国のスパイなんじゃないのか?」
ジロリと騎士が睨んでくる。
威圧感におされ、少し身を引いた。
「いえ、ですから違います。この世界には来たばかりでして……」
「気が付いたら空中から落ちていた、だろ? そんな突拍子もないことよくもまあ平気で言えるな」
「本当なんですってば」
「商人の男も貴様は空から急に落ちてきたと確かに言っている。むしろ聞いた限りそれしか証言が一致していない。だからとて、そんなことを真実だなんて思えるわけないだろう」
「と、言われても……」
と、言いつつも安綺は「まあ、そういう反応が普通だよな」と内心では思っていた。
もしも自分が目の前の尋問者の立場だったら似たような言葉を並べ立てるだろう。こんな妄言じみた事をはいそうですかと信じる方がどうかしている。
けれど、安綺にはこれ以外にかける言葉が見つからなかった。ここが安綺のよく知る世界なら、適当な言い訳を並べることも出来ただろう。しかし今、安綺が足を付けている世界は……どうやら異世界のようなのだ。
普通だったら異世界にいる、なんてすんなり受け入れられるはずがない。でも安綺は異世界にいるという状況証拠を眼前に目の当たりにしているのだ。
乾いた緑の肌に、数メートルの横幅を持った生物。大木ほどの剛健な腕。それに殴られた一本の木は、だるま落としのように下半身を失い、地面に倒れた。
そして、その異形な生物――ゴブリンと呼ばれるそれを超人的な動きで倒した自分。
事が終わった直後はあまりの非現実感から感情が幾つか零れ落ちていたが、職質のような現実味溢れる日常に戻ると、嫌でも感情が戻ってくる。
目を落とせば、一時消失していた感情が腕を震わせていた。
この震えていた腕があの怪物を殺したのだ。
生物を殺した罪悪感と同じぐらい、超人と化した己の変貌に恐怖を感じていた。
何故、自分にあんな動きが出来たのか。何故、自然と殺す事が出来たのか――。
「おい、聞いているのか?」
女騎士が苛立った声を出して机を叩く。
ハッと顔を上げた安綺の顔は蒼白だった。
訝しげに目を細めてくる彼女に対してどのように取り繕うか、動転している脳内で必死に考える。
不穏な空気になりつつある中、この部屋唯一のドアからノックがされた。女騎士は憮然とした表情でこちらを見ていたが、一度目を瞑って息をつくと「入れ」と外にいる者に短く命じた。
ドアが開けられると若い青年が入ってきて、敬礼の姿勢を取る。
「取り込み中だ。手短に話せ」
「はい! ……といってもこの取り調べに関することなんですが……」
「新しい情報でも入ったのか?」
「いえ、そうではなく……」
どことなく青年は歯切れが悪かった。躊躇っているように見える。それでもグッと顔を上げて、女騎士にハッキリと告げた。
「取調べ中の彼……喜瀬安綺の釈放を命じられました。すぐに解放せよとのことです」
「何!? まだ何一つ掴めてないというのにか」
「上からの命令なんです。ある方が彼の身元を保証すると言ったらしいのです」
「そのある方とは誰だ?」
「明かせないそうです。ただとにかく、すぐに喜瀬安綺を開放しろと」
「…………」
女騎士がジロリと安綺のことを睨む。
「上は一体何を考えている? こいつは大型のゴブリンを一人で倒すほどの実力を持ってるんだぞ? どこかのギルドに所属している冒険者でもないんだ。なのに魔物を悠々と倒せるときたら近隣諸国の訓練を受けた兵士かスパイの可能性であるのが濃厚だ! なのにここでやすやすと解放するわけには……!」
「……これは厳令だそうです」
怒りのあまり女騎士は拳を握って机にそれを振り下ろした。振動が部屋全体に走り、彼女のやりきれなさが安綺にも伝わった。
「……喜瀬安綺といったな。今回は運が良かったと思え。次にお前が何かしでかしたなら、私が真っ先にお前を捕まえて正体を暴いてやる」
「えっと、それじゃあ……」
「何をグズグズしてる! とっとと出てけ!」
張り上げられた声に背筋がピーンと伸びる。
安綺は慌てて立ち上がり、青年の隣に立った。
青年も一瞬、どうしたら良いのかと戸惑いの表情を見せていたが、女騎士の悔しさと怒りの混じった顔を見て決断を下したようだった。
「出口まで案内します。付いてきてください」
青年の後に続いて通路を進む。
「敷地から出た所にあなたのことを待っている人物がいるそうです。行ってください。……ご迷惑をおかけしました」
建物から出ると、青年は決まりきった台詞を言った。最後の一言は本心のようにも上辺だけのようにも安綺には聞こえた。
現状の認識がまだ追いついていないけど、自分はどうやら解放されたようである。
短時間ではあるが日の差さない棺桶の中に閉じ込められた気分を味わっていたために広い空間にいるだけで爽快な気分になる。
それにしても俺のことを待っている人物とは誰だろう。
警戒半分、感謝半分といった様子で詰所の塀の外に出た。
「……全く、世話が焼けるなお前は。別に厄介事に絡まれる体質を渡したつもりはなかったんだが」
薄くなり始めた頭頂部を脳天気に掻く男の正体は我らが事務所の社長・長屋新貴だった。
「社長!? どうしてここに」
「うちの若手社員が投函されているって聞いて慌てて助けに来たんだ。昔と違って複雑な組織体系になってるから色々と大変なんだぞ。警察の面倒な所は真似る必要ないんだけどな」
「よく分かりませんが助けてもらって感謝します。で、足早ですいませんが他にも聞きたいことが山ほど……」
「あー、はいはい。分かってる分かってる。今から一つずつ答えてやる。けどその前に、ここが本物の異世界だってのは理解出来たか?」
「ええ、まあ。ゲームや漫画でしか出会えない生物と実際に相対してしまったんで」
「上出来だな。これでようやく俺が病人じゃないって証明できたようだ」
気にしてたんだ、と安綺は密かに思った。
「長い話になる。こちらの拠点を拵えておいたから、そこで話すとするか」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
慣れない異世界を社長の誘導に従って歩いて行く。戸惑いが表に出ている安綺と違って新貴は迷うことなく前に進んでいる。その慣れた足取りはここを訪れたのが一度や二度じゃないのを如実に表していた。
たどり着いたのは三階建ての雑居ビルのような建物だった。
「うちのフロアは何階ですか?」
「このビル丸々だ」
「へえ、丸々……って、はああああああ!?」
驚きのあまり素の声が出てしまった。
「今の会社の経営状況じゃあワンフロア借りられてるのだって奇跡に近いんですよ!? なのに丸々って……正気の沙汰とは思えません!」
しかも肝心の事務所はどこもボロボロで、夏はうだるほど暑く冬は凍えるように寒い。窓から光が差し込んでくるのは唯一まともなところではあるが、それもつい最近までは隣のビルが邪魔をして陽光は一切入って来なかった。隣のビルが解体されてからようやく光を浴びることが出来たが、その際「このビルも近いうちにこうなるのかな」と社長が物憂げな瞳で窓の外を眺めていたのを今でも覚えている。
「あちらの世界ではな。でもここは異世界だ。とにかく中入れ」
社長に促されて中に入る。
一階はどうやら受付になっているらしく、入口正面にカウンター、部屋の右隅には二つのソファが長方形のテーブルを挟むようにして置かれていた。
「あら、いらっしゃ……じゃないわね。おかえりなさい、新貴さんに喜瀬君」
カウンターの奥で二人を出迎えたのは箒を持った豊熟な女だった。少しぽっちゃり気味な体型はしかし豊かな胸と大きめの背によってこれ以上ないくらいの大人の色香を醸し出している。だがその艶姿に反して顔立ちはまだ若く、安綺よりも三つ四つしか年が変わらないようにしか見えない。
乱暴に丸まりながら背中まで伸びた焦げ茶色の髪(これがまたよく似合ってる)とクリクリの瞳、女性にしては勇ましさを感じる声質。姐御と呼びたくなる風貌の彼女に会うのはこれが二度目だった。
「えっと確か……社長の奥さん?」
「あら覚えててくれたのね。嬉しいわ」
彼女――名を確かミミラと言ったはずだ――は満更でもない様子で頬に手を当てて微笑んだ。
最初に顔を会わせたのは珍しく残業が発生して終電に乗り遅れたところ、新貴が家に泊めてくれるというのでお言葉に甘えさせて貰い社長宅にお邪魔した時のことだ。若々しさは健在といえど五十代のオジサンにはそぐわない細君に驚きと羨みを感じたのを覚えている。
「どうして社長の奥さんがここにいるんですか?」
「見て分からないか。会社の掃除をしてもらってるんだ。二人だと細かい所まで行き届かないからな……。今回ばかしは手伝って貰おうと思ったんだ」
社長は何を分かりきったことを、という顔で答えた。
「いえ、そういうことじゃなくて……。第一ここはいつもの会社と違うじゃないですか」
「お前の目は節穴か。ミミラをよく見てみろ。特に耳や尻の部分をな」
尻ってあんた自分の奥さんの尻を社員に見ろってどんな神経してんだあんた。
心に浮かんだ言葉を飲み込みつつ言われた通り見てみると――目を疑うような光景が飛び込んできた。
横に付いてる耳とは別に頭の上に髪と同じ焦げ茶の毛で囲まれた獣耳があった。尻からは犬の尻尾のようなものが覗いている。……しかも、意思を持つかのようヌルヌルと動いていた。
「……しゃ、社長の性癖ですか? 衆目の場でコスプレさせるのは幾らなんでも引きますよ……」
「待て待て待て! 違う、そうではない! 確かにそういったプレイも嫌いではないが……ええい、遠ざかるな!」
軽蔑の篭った視線を社長に送っていたら横でカラカラと笑っていたミミラが口を出した。
「このまま面白おかしく眺めていたいところだけど、あまり時間が経つと信じてもらえなくなっちゃうから先に言うわね。この耳と尻尾は付けものじゃないわ。生まれつきあたしの身体に備わっていたものよ」
「生まれつき……ですか? でも以前お会いした時はそんなものなかったはずです」
「まあ、あっちの世界で堂々と出してたら今の新貴さんと喜瀬君みたいになっちゃうからね。普段は隠してるの」
「隠してる……? それってつまり……」
そこまで聞いてようやく安綺の脳内に一つの答えが浮かんだ。
「異世界に来てると分かってるはずなのに随分鈍いな。答えはお前の想像通りだ。ミミラは元々この世界の住人だ」
ここは異世界である。
そのことを認識したはずなのに突き付けられた事実に衝撃を隠せない。あるいは心の底ではまだ夢を見ているだけだとか、突然の事態に心と体が別離して正常な思考でなくなってるのかもしれない。
そんな安綺を看破したようにあくまで社長は穏やかに言った。
「だから言ったろ。二階に上がろう。そこで簡単ではあるが説明しよう。同時に今後の方針も伝える。ほら、きちんと前向いて一歩踏み出せ」
いつもは頼りない社長がこの時だけは困った人を助ける救世主のように見えた。




