今日からお前は仲間だ
ルナを両親に合わせてから一ヶ月が過ぎた。
今日は母に言われていた試験の日で、コトハはいつも通りの時間に目を覚ました。
コトハは特別朝に強いわけではない。寝る時間を早くしても、ベッドから起き上がるのはとても時間が掛かる。
今日も今日とて辛いが、日課のランニングのために日が昇る前にベッドから抜け出した。
眠るルナはよほど大きな音を立てない限りは起きないが、一般的な気遣いとして起こさないように気を付けて着替え、腰にいつものマジックポーチ――ポーチと言うにはコトハのは大きいが――を付け、胃に携帯食料と水を入れて静かに部屋を出た。
風の国は南に行くにつれて火の国が近くなるために温かいらしいが、ソーディスは風の国でも南東。むしろ水の都の方が近い。太陽が昇る前は冷えやすい地域だ。
冷たい空気に喉をやられないよう、少しゆっくりと慣らすようにスピードを調整する。
いつものように寮から校舎までの道を走り、校舎を一周。その頃には太陽が顔を出してくる。コトハの髪の色のように青紫になることは稀だが、今日は稀なる日だった。経験から言ってこの色の時は雨が降りやすいので水の都ではきっと雨だ。
空の色は赤が強くなってきて、オレンジに染まる。運命の相棒にして初恋の人の髪色だと目を細め、コトハは息を吐いた。
それは、入学する前のこと。水の都の王都に届け物をする依頼を受け、届けた帰り。たまたま通りかかった広場で目立つオレンジの髪を見つけた。案外オレンジ髪の人間は多いので期待するだけ無駄だと思いつつ確認しに行って、コトハは胸を躍らせた。探していた運命の相棒だった。
声を掛けようとして、コトハは動きを止めた。彼の隣には、銀の瞳のとても綺麗な女の子がいた。彼女が何かを言って、彼が頬を赤く染める。それを彼女がおかしそうに笑えば、恥ずかしげに小突く。誰の目から見ても親しげな様子に声などどうして掛けられよう。
運命の相棒ではあるが、もうこの水の都に馴染んでいる様子の彼に声など掛けられず。まだ約束の歌を歌いこなせるほど成長していないからと自分に言い訳をして、コトハは気付かれる前に踵を返していた。後ろから呼び声が聞こえた気がしても、幻聴だとして振り向かずに。
そのまま逃げるように水の都を出て、そろそろ半年。いい加減吹っ切るべきだ。
頭を振って一時的に未練を切り離す。今やるべきはランニングで、体をしっかりと動かすのだ。
空を見上げるのをやめて前を向いたが、気になるものが見えてもう一度空に戻す。
オレンジの空は白みだして、水色になりつつある。その中に、黒い点がふらふらとおぼつかない動きで飛んでいる。
死にかけのカラスにしては大きいし、形もおかしい。翼の他に四足歩行の動物のような影が見える。
それはふらつきながらも魔法学校を目指していて、コトハは見上げながら落下地点とおぼしき場所へと身体強化魔法を掛けてまで走った。
(四足歩行で飛ぶ影――大鷲に掴まれた家畜。いや。大鷲の生息域はもっと西。ハグレの可能性があるなら冒険者ギルドから街に警報が出てる。
ヒッポグリフは北西。でもこっちも冒険者ギルドから警報が出る。
つか、この方角、北? てことはグリフォンか? だが奴らは人里には決して近寄らない。どっかの馬鹿がちょっかいかけたならピクシー族が黙っていないから、一匹でふらふら飛ぶのはあり得ない――)
走りながら自分の中で可能性を上げていき、どれも違うと否定をしていく。
だが、何かが引っかかった。あり得ないとしたが、今の時期を考えると一つだけ可能性が出てくる。
(――いや。まて。縄張り争いで負けたやつがソーディスにたまに来るって言ってたな)
十年に一度あるかないかの確率で、南下してくるグリフォンがいると父が言っていた。
縄張りから逃げてきたとしても冒険者に狩られて素材となる。一頭丸々持って行ければ高く売れるので、ソロで挑んで大怪我をする馬鹿が多いと吐き捨てていたことまで思い出した。
となれば、コトハ一人で挑むのは無謀だ。遠いし影しか分からないが、コトハはロッドベルドに持たされた、彼に繋がる通信用の宝珠を迷うことなく腰のポーチから取り出して起動した。ロッドベルドはこの時間には起きて鍛錬をすると言っていたのできっと起きている。
信じたとおり、時間はかからず彼に繋がった。
『おはよう、ベスティート君。どうしたんだい?』
「北の方角から飛来する生物あり! 翼と四足歩行の動物のような影! 数は一! ふらふらとしたおぼつかない動き! 今は騎乗生物訓練場に向けて飛んでいます! 俺は現在そちらに向かっています! 指示を!」
寝起きではなかったようで、しっかりと起きた声で返ってきたのに少し安堵しながら、挨拶を飛ばして端的に説明する。叫んでいるのはしっかりと届けるためだ。この宝珠は周辺の音も拾ってしまうので、走っていると風の音で声が途切れる弱点があった。
『――では、相手を観測できる離れた場所に到着次第待機。僕はこれから校長に連絡をいれ、彼に出動してもらう。飛来する生物が予想外の方向に移動するようだったら僕に報告を』
「了解しました!」
ロッドベルドは突然の事にも聞き返すことはなく、コトハの言葉を疑うこともなく指示を出してくれる。
通信を切って宝珠を服の胸ポケットに入れておき、喋るために緩めていた速度を上げ直した。
魔法学校は高い壁で囲われており、部外者や獣などが入り込まないようにしてある。空からも入って来ないように結界が張られているが、中から外に出る分には結界は発動しない。
騎乗生物訓練場はこの壁の外だ。通じる扉はまだ施錠されているはずなので、コトハは躊躇うことなく地面を蹴り、壁を駆け上がって壁の上を掴むと体を引き上げて跳び越える。かなり高く恐怖で心臓がすくみ上がるも、体はもう落下している。高所恐怖症を治すためだと何度も落とされ、何度も骨折したし何なら三度ほど死にかけたが、そのおかげで着地の仕方は体が覚えていた。なお、高所恐怖症は悪化した。
二度宙返りを打って勢いを殺し、両足で着地と同時に前転して落下の衝撃を逃がし、地面に再び足が着くと同時に踏み込んで低い体勢から駆ける。
影はだいぶ高度を落としている。訓練場の柵の中には落ちそうだ。その姿はグリフォンのようにもヒッポグリフのようにも見える。後ろの半身が見えればわかるが、はっきりと見えずどちらか分からないので、推定グリフォンとして考えて行動する。
グリフォンは風魔法を使うと父が言っていたのを思い出し、距離は充分に取ることにする。そして風上に立たないため風向きの確認に一瞬だけ影から目を離した。
その一瞬で、影の体勢が崩れて急激に高度を下げてきた。まだ遠いと思っていたのだが、小さな個体のようだ。柵の中に落ちてきた。
「――ッ!?」
地面に落ちたことでようやくその姿を見ることが叶った。鷲の頭と足と翼は予想通り。後ろ半身は獅子だった。グリフォンだ。
だが、コトハが驚いたのはグリフォンの色だった。
通常グリフォンは頭が白く、あとは茶色の毛並みであることが多い。しかし、この個体は全身が白かった。アルビノだ。
充分に距離を取った状態でグリフォンの様子を確認する。翼の片方は折れているのか形が歪んでいた。前足や胴体には裂傷と火傷跡。風と、火の魔法。グリフォンは風しか使えない事を考えると、群れを追い出されたわけでは無さそうだ。
苦痛に呻いている様子に眉を寄せ、コトハは一度深呼吸をして身体強化魔法は解かずに意識を集中させる。
このまま殺すかもしれないが、だからといってずっと痛いよりも一瞬で終わったほうが良いだろう。
そのためにも今は眠れ。
「《――――♪》」
歌うのは眠りに誘う歌『おやすみなさい、愛し子よ』。下手な者が歌うと聞く者すべてを眠らせるが、コトハは歌声はそのままに魔力を絞って効果の対象を選べる。それが出来ないと詩人として失格だと、詩人ではない両親に鍛えられた。
呻いていたグリフォンは動きを止め、目を閉じた。もう抵抗する気も起きなかったのだろう。眠りについた様子なのでコトハは歌を辞めた。
止血ぐらいはしておこうともう一度息を吸った所で、人の気配に振り返る。
銀の髪を後ろになでつけた長い耳の男性がこちらに飛んできていた。確か校長だったなと記憶を引っ張り出す。彼は宙から警戒した表情でグリフォンを見た後、コトハの隣へと降りてくる。
コトハに向ける笑顔は温和だが、なんとなく眼鏡を掛けたその顔に見覚えがある気がした。
「貴女が、ベスティートさんですね。初めまして。校長のモーゼ・オッドベルです」
「……初めまして。コトハ・ベスティートです」
声が。声が完全にロッドベルドなのだが。
硬直してしまったが彼はにこやかに初対面の顔をするので、コトハも初対面であるかのように振る舞うことにする。緊急事態なので猫かぶりは無しだ。
「ここに来るまでに歌が聞こえたのですが、ベスティートさんの歌ですか?」
「はい。俺は詩人でもあるので歌魔法を使い、あの個体を眠らせました」
質問されると思っていたので素直に報告する。グリフォンは苦痛で呻いているか暴れていると思ったら、身じろぎせずに眠っているのだ。気になるだろう。
オッドベルは軽く目を見張り、眼鏡のずれを直した。やっぱりロッドベルドだ。隠す気はないのか。
「グリフォンは魔力抵抗の高い魔物です。状態異常や呪いに掛かりにくく、とても手こずるのですが……弱っているとはいえ、眠らせるとは恐れ入りました。
ついでです。あのグリフォンに治癒の歌魔法は使えますか?」
「え。……できますけど」
「では、貴女の実力を見たいので、完全回復させるつもりで歌ってください」
「……完全回復させてから、素材にするんですか?」
回復させて傷がないほうが素材の価値は上がるが、流石に残酷が過ぎないだろうか。そんな悪趣味なことをするならやりたくないと睨み付ければ、オッドベルは慌てたように首を振った。
「素材にはしません。そもそも、銀翼のグリフォンを殺したなどとあっては、神殿から厳重な抗議文が届いてしまいます」
「……銀翼?」
訝しんで目を凝らしてグリフォンを観察する。どう見ても真っ白なのだが、どこら辺が銀翼なのかとオッドベルを見上げて説明を求めれば、彼は少し考えるように顎に手を当て――やっぱりロッドベルドの癖だ――コトハに付いてくるように言ってグリフォンへと近付いた。強制的な眠りなので多少近付いても起きないが、制限時間はどれくらいかは分からないので少々怖かった。それでも、オッドベルは大丈夫だと言わんばかりの堂々たる足取りなので、幼体程度は抑え込めるのだろうと信じて付いていく。
「上から見ると分かりやすいのですが、翼の付け根辺りをよく見てください」
ある程度近付いた所で、オッドベルが指し示す辺りをしっかりと観察してみる。背伸びをしてみたり、角度を変えてみたりして観察していると、根元辺りの毛がだいぶ登ってきた太陽の光をキラリと反射した。幼体のため、生え替わり前なのだと気付いた。
銀翼のグリフォンは風神の使いとも言われているほどの希少種。殺傷よりも保護を優先されている。
「……と言うことは」
「ええ。しばらくは学園で保護しなければなりません。そのためにも治療をしましょう」
「わかりました。どこまで出来るか分かりませんが、やってみます」
「出来る範囲で構いませんよ。ただし、全力で」
「はい。それは風神に誓って」
通常、詩人の回復魔法は効果が弱いが広い範囲に行き渡るというのが一般的な認識だ。白魔法とは違い、傷を癒やす力は弱いのであまり使われることはない。どちらかといえば疲労回復や鼓舞の歌のほうが喜ばれる。
だが、分散しやすい魔力の方向性をきちんと定め、凝縮すれば、白魔法に劣ることはない。
「《――、――――♪》」
この子の痛みが取り除かれますように。傷が癒えてまた飛べますように。
祈りを籠めて歌うのは『太陽の福音』。自身の魔力を相手に纏わせ、継続的に小さな傷を癒やす歌は、凝縮すれば大きな傷も癒やせるようになる。実際骨折を綺麗に治したこともある。
オッドベルがグリフォンは魔力抵抗が高いと言っていたように、体に入ろうとする魔力を弾いてくるが、寄り添うように歌で宥めて、受け入れさせる。
ほんの少し、ぽっかりと空いた隣のスペースに寂しさを感じたけれど、今はこの子を癒やしたいと願う。
「《――――♪ ――♪》」
分散する魔力を、歌に合わせて手を動かすことで纏め上げる。歌っている間に興が乗り、勝手に身振りが付くように、コトハも自然と魔力を纏め上げるのに踊るようになった。無駄な動きだろうかと悩みもしたが、両親は呆れながらもコトハ流の集中法だとして矯正はしなかった。
グリフォンの傷が光に包まれ、徐々に治っていく。傷が治る感覚はむず痒いので、流石に起きたかグリフォンがゆっくりと目を開けた。隣のオッドベルは刺激してはいけないと分かっているようでじっとしている。
目を覚ましてもコトハは怯えることなく歌い続けた。威嚇のように紡がれた風の魔法を、歌の方向を変え、歌に込める効果を回復から消去に切り替えて包み込んで掻き消す。グリフォンが明らかに動揺し次々に生み出すも全部消してやる。コトハの魔力が届くまでに発動されたら間に合わないため消せないことが多いが、歌ってる間に放たれるのなら、風だろうと雷だろうと掻き消してみせる。
魔法ではダメだと判断したグリフォンはよろよろとしながらも立ち上がり、治りかけの翼を広げて地を蹴り、コトハへと飛び込んでくる。歌をまた『太陽の福音』に戻して癒やしながら、余裕を持って避けてやった。
体勢をほとんど崩さず、歌声もほとんど揺らがせず、コトハは歌い続ける。何度も何度も、コトハに前足のかぎ爪を向けてくるグリフォンは、傷が治ってきて動きも良くなってきた。それでも余裕で避ける。
そろそろ治療は必要ないかと判断し、あとは魔法の持続回復効果とグリフォン自身の自己治癒能力に任せることにして、歌を切り替えた。
「《~~~♪》」
野生動物を捕まえるときは服従を強制する『夜狼の遠吠え』を使うが、コトハはまだ小さく幼いこともあって大体の動物に反発され、逆上させてしまう。
だから彼女が使うのは恐慌状態に陥った家畜を落ち着かせる『羊の呼び声』だ。敵意はない。害するつもりもない。どうかこの小さき身に免じて矛を収めてくれ。そう願って歌う。
だが、弾かれた。しかも強烈な拒絶に一瞬動きが止まり、歌も止まる。その隙を見逃さずにグリフォンが突っ込んできたが、紙一重で避けて距離を取った。かぎ爪が頬と耳を掠って片眉を寄せる。
お前のどこが弱い! という明確な怒りをグリフォンから感じ取って、コトハは口角を好戦的に上げた。
「……そうか。貴様は、俺を対等と見るか」
唸り声を上げるグリフォンに、もう遠慮も容赦も要らない。
「《――♪!!》」
叩きつけるように力強い歌を歌う。『夜狼の遠吠え』は子供の身で歌うには音程が低いのだが、そこをアレンジして歌ってみせる。
グリフォンは一瞬怯んだが、その怯みを振り払うようにコトハへと飛び込もうと下肢に力を籠めた。
「《――――!!!!》」
その一瞬を見逃さずに表情と身振りも交えて歌声と魔力を叩きつける。飛び出す瞬間に叩きつけられて、グリフォンは飛び出せずに足を滑らせた。
コトハは容赦しない。全身全霊で戦う。額の汗を拭って目に汗が入らないようにしながら、グリフォンを睨み付けて歌い続ける。
グリフォンも叩きつけられる魔力に抗い、攻撃を仕掛けてくるがコトハは避けながらも揺るぎなく歌う。
――従え。
――従え!!
「――《俺に従え》!!」
歌を歌いきった、直後。勢いのままに、歌ではなく言葉に全身全霊を注いで、グリフォンへと命じた。
それが決定打となった。
唸っていたグリフォンが、ぎゅっときつく目を閉じて体を震わせた。そのままコトハと視線を合わせずにゆっくりと伏せ、翼を畳んでコトハを見上げてくる。服従のポーズだと理解して、コトハはゆっくりと近付いてグリフォンの顔の前に片膝を付いた。流石に息が切れたし、喉はガラガラ。魔力もすっからかんだ。
「良い子だ」
手を見せてから横に移動させ、頬辺りから触ってみる。緊張はしているが嫌がる素振りはないので頭をそっと撫でれば目を細めた。顔は厳ついが、少しだけ可愛い。
わしわしと頭を指先で撫でて、グリフォンの前足を叩いてコトハは立ち上がった。立てという意思表示のつもりで足を叩いてみたのだが、ちゃんと通じてグリフォンも立ち上がる。そこでやっと自分の怪我について気付いたのか翼をバサバサと動かし、後ろ足を見たりした。
「《――♪》」
コトハが癒やしたと示すためになけなしの魔力を振り絞って『太陽の福音』の二小節だけ歌って、自分の頬と耳の怪我を癒やした。歌声と魔力を感じたグリフォンは驚いたようにコトハを見下ろし、再び服従のポーズを取るので笑って立たせた。
銀の瞳の少女の正体については察してください。




