番外:シルバ
銀翼のグリフォンは、先代の死後、五十年以上経つと群れの中で一番魔力の高い雌から生まれる。先代の魂が冥界に帰り、再び巡ってくるための時間がそれだけかかるからだ。
だが、後年シルバと名付けられる銀翼のグリフォンは、五十年経つ前に生まれた例外である。
そのために、本来ならば生まれた頃から銀色に光るはずの翼は白く、体も弱かった。時折生まれるアルビノと最初は勘違いされた。
「あら。あらあらあら。銀翼なのだわ。なんて珍しいのかしら」
《ピクシー族の長》にそう言ってもらわなければ、親は育児を放置したことだろう。アルビノは長生きできない上に野生では非常に目立って群れにとっても危険なため、親は断腸の思いで人里へと追いやるか、その手で食い殺すのが常だ。
この頃の《ピクシー族の長》は、一族の者にチェンジリングを使わせた人間を探しに国中を駆けていたため、グリフォンの谷に顔を出すことは滅多になくなっていた。彼女が休憩としてグリフォンの谷に立ち寄ったのは、シルバにとって幸運だった。
「ティルの魂がまた生まれてきたのかしら。それともこれからかしら? なんにせよ、あの人のためにアナタも大急ぎで生まれてきたのね。
あの人は、とても魔物に好かれるもの。風龍を筆頭に大鷲や八足騎馬やヒッポグリフ、海に行ったら大海蛇や海龍。火山なら何かしら」
クスクスと面白そうに笑う彼女の言葉を、まだ幼い彼は理解することが出来なかったが、何かに急いで生まれてきたことは本人も分かっていた。
誰よりも早く見つけて、一緒に居なければならない何かが居る。
「ティルの魂に囚われる必要はないわ、と前の子にも言ったのだけれど。アナタもきっと寄り添い続けるのでしょうね。なんせティルの魂は、目を離すとすぐに自分の身を削るのだもの」
《ピクシー族の長》は昔を懐かしむように目を細めて、淡い笑みを口元に浮かべる。その言葉は幼い彼ではなく、彼の魂に向かって言っているようだ。深い意味まで理解は出来ないが、どうやら探し人は非常に危なっかしいのだとは理解した。
ならば探しに行こう。
そう考えて、彼はよく谷から抜け出そうとするようになった。すぐに人間とピクシー族に見つかって谷に戻されるのだが。
****
転機は、彼が生まれてからしばらく。人間の年月の数え方で十二年経った頃だ。
見知らぬ人間が谷の近くをうろついているため警戒するように。と、ピクシーに警告された親が、見回りとして巣から離れた。
これ幸いと、彼は朝の光が出る前に谷の出入り口へと飛んだ。遠くまで行くつもりはなく、そこの近くに住む人間とピクシー族に会いに行くためだ。谷の外に出る気持ちはずっと残っているが、まだまだ幼い彼は外に出ても狩られるだけだと理解していた。五回目の脱走の後、親にこれでもかと叩きのめされたからだ。
代わりに、外の話を聞きたがるようになった。そして谷の出入り口近くに住む人間とピクシー族は、谷の大人達が知らない話を知っている。ただ、親はあまりいい顔をしないので、会いに行くのは親の眼を盗んで、こっそりとだ。
(今日も英雄の子供について聞こう)
少し前に人間の縄張りにいる、英雄という存在について教えてもらった。
日蝕の日に現れる厄災《時空を捻じ曲げるモノ》と戦う強い人間の中でも、一番強い人間。それが英雄。グリフォンに例えるのならば、幼い彼の親と同等だろうとのことだった。
そしてこの前、その英雄にも子供が居るのだと教わった。幼い彼と同じ頃に生まれた、雨が降る前の夕暮れのような赤混じりの青紫の髪――人間の頭部にしかない毛を髪ということもこの時教わった――を持つ、小さな子供。
子供なのに強く、このまま大人になれば英雄になれるだろうと、人間は幼い彼に誇らしげに語った。
(おれと同じ色を持ってるって言ってた)
彼の翼は、いずれ夜に浮かぶ月のような色になるのだと親とピクシー族から教わった。あれと同じ瞳を持つのだと言う。
今の自分では会ってみることはきっと出来ないが、話を聞くくらいは良いだろう。だって青紫と銀色は、《ピクシー族の長》も話していた“ティル”の色なのだ。もしかしたらその子供は“ティル”の生まれ変わりなのかもしれない。
夜目がそれなりに利くとはいえ常より見えづらい視界に、気が逸って夜明けよりも早く出てしまったことにやっと気付いた。日の光すらない時間では流石に人間も起きていない。仕方なく、人間が起きてくるまで巣の出入り口近くで休むことにした。緊急時以外で許可無く巣に入ってはいけないし、寝ているところを起こしてはいけないのは種族が違えども共通のルールだ。なお、自分の巣に戻るという選択肢はない。
浮かれていた幼い彼は、谷の岩陰から見ている視線に気付かなかった。
突然、光が生まれて左前足にぶつかってきた。
「あっつぅ!?」
最初に感じたのは熱。焼ける痛みが後からやってきたことで、火の玉だったのだと思い至る。
『当たったぞ!』
『白い翼、アルビノだ!』
『レアものじゃん!!』
騒がしい声のほうへと顔を向ければ、岩陰から人間が三体出てきた。全身を真っ黒な布で覆っているようだ。おかげで見えづらい。すぐにピクシー族が警告していた怪しい人間達だと気付いた。いつも見ている人間は緑色の服を着ているし、入ってくる前にピクシー族を通して許可を得てから入ってくる。こんなこそこそと隠れるように入ってこない。
彼が大人を呼ぶ警告音を吠えれば、黙れとでも言うように攻撃が飛んでくる。見えづらい中なんとか避けていたが、避け損ねた岩の塊が翼に当たって嫌な音と痛みが走った。動かせば痛みが走り、翼の先まで力が伝わらない。折れたようだ。
反撃をしつつ巣に引き返そうとして、彼は思い留まった。このまま谷に戻れば、こいつらを招き入れることになる。
集落までの道には迷いの魔法をかけてあるとピクシー族から聞いている。グリフォンには効かないが、他の動物や魔物には効くらしい。ただ、正しい道を知る者が先導すれば、辿り着けてしまう。
(人間のところにいけば!)
大人はもう呼んだ。しかし、ここの集落に続く道は迷わせるために複雑な分、身を隠すところが多い。見つけられないまま逃げられるかもしれない。人間はピクシー族と同じように隠れて移動することが得意だとも聞いている。
だから谷の出入り口にいる人間のところまで逃げることにした。あの辺りは拓けているので見つけやすいし、なにより今の声は出入り口にいるピクシー族には確実に届いている。彼女は側に居る人間を起こしているはずだ。
片翼を失った分ふらふらとした飛行にはなるが、まだ飛ぶことは可能だ。怪しい人間達には仕留めやすい獲物に見えるだろう。
『逃がすか!』
『これ以上焼くなよ! 落ちたところを仕留めるぞ!』
『おうさ!』
彼の狙い通り、三体は追ってくる。痛む体に活を入れて、彼は必死に飛んだ。
「幼い子! ああもう! 注意したのに!!」
「ごめん」
谷の出入り口まで飛べたところで、見慣れたピクシー族が怒りと心配が入り交じった表情で彼の所に飛んでくる。彼女がいると言うことは、もう大丈夫だろう。下を見れば、いつもよりは着ている物が簡素な人間と、他のピクシー族、そして彼の親が三体を囲んでいる。
「あっちはもう大丈夫だけど、あなたは大丈夫じゃないね。ええと、どうしよう。わたしたちじゃその翼を治してあげられないわ。ブラックロータス様はどこにいるかわかんないし……」
「怪我は巣で籠もってれば治るでしょ」
「だめよ! 折れちゃってるのはちゃんとくっつけないと変な形になるのよ! 変な形の翼で“ティル”の生まれ変わりに会いたいの!? “ティル”の生まれ変わりに格好悪いとこ見せたくないでしょ!!」
「あー……うん。確かに」
ピクシー族の言葉に、繁殖期になると身綺麗にする雄の青年達を思い出して納得する。少しでも格好良いほうが気に入られる確率が高くなるのはなんとなくわかる。ピクシー族に羽根を強請られるのも、綺麗な毛のグリフォンだ。
どうしたものかと困っていたところで、彼の周りに風が集まってきた。
「おや。怪我をしているのかい?」
「あ、風神様!」
不思議そうな声と共に、大鷲にも似た姿の巨大な緑の鳥がふわりと彼らの前に姿を現した。風の国を自由に飛び回る精霊、風神のフローライトだ。
フローライトは彼の翼を見て、ある方向へと風を吹かせた。
「君、まだ飛べるかい? 僕は治療に長けていないからそれを治してあげられないけど、あっちへ少し行ったところに森神の人形がいる。彼なら癒やしの術が使えるから、治してもらいな。近くまで僕の風で送ってあげる」
「えっ。」
「幼い子ーー………!?!?」
こっちの都合など聞かずに、フローライトは一方的に告げると彼に魔法をかけた。
風が彼を包み込み、大人のグリフォンでも出なさそうな高速で彼を連れて行く。近くに居たはずのピクシー族の声が、一瞬で遠ざかっていった。
目まぐるしく景色が変わって、そして唐突に彼は放り出された。
飛行訓練のため親に放り投げられた時と似た感覚だったのでつい翼を広げようとしてしまい、折れたほうが酷い痛みを放ってバランスを崩す。
だいぶ高い位置だったために地面に叩きつけられることはなかったが、なんとかバランスを取るまでにそこそこ高度が下がった。日も昇ってきたことで周辺が見えてきて、彼は非常に疲れながら安全地帯を探した。
拓けた場所に何かが密集している。それは谷の出入り口にいる人間の巣の形に似ていて、あれは人間の集落のようだと見当を付ける。あそこに落ちたら流石に命はあるまい。
森神の人形はフローライトが名指しするような存在なので、味方なのだろう。人間の集落に近い場所に降りて、攻撃の意思は見せずに留まっていれば、見つけてくれるかもしれない。
ひとまず降りて休憩しようとして、横風に煽られた。
「いっ……つぅ!!」
普段ならばなんてこと無い横風は、今の翼が折れた彼に激痛を走らせた。
再びバランスを崩して、今度は地面に叩きつけられる。翼だけでなく全身が痛い。考えてみれば火傷もしているし、風の刃で裂かれてもいる。あちこち怪我だらけだった。
苦痛に呻く彼の所に、優しい歌が届いたのはその瞬間だった。
(なに、これ……)
優しく染みこんでくるような歌声に、眠気が誘われる。まだ森神の人形は見つかっていないが、この歌声には抗えずに彼は目を閉じた。
****
なんだかむずむずと痒いような感覚がして、彼は目を覚ました。
歌が聞こえている。眠気を誘った先ほどとは違い、こちらに何か暖かな魔力が向いている。
何かが分からないが魔力を向けてくるなら攻撃だろう。彼はこれ以上魔力を向けるなと、歌っている存在に風の魔法を紡いだ。幼体とはいえ、風の刃を生み出すぐらいは出来る。
だが、刃はなぜだか形にならず、そのまま霧散していった。
(ど、どういうこと!?)
隣の成体に見える人間の仕業かと思ったが、そちらから魔力も動きも感じない。つまり、歌っている存在――小さな人間が魔法を消したのだ。
数を増やしてみても、小さな人間は全て消して見せた。
ならば、物理攻撃だ。体はまだ少し痛くとも動けないほどでもない。翼の痛みは慣れたのかあまり感じないが、飛べるほどでもないので、少し勢いを付けるために広げ、地を蹴って爪で攻撃する。
小さな人間より彼は大きい。そんな巨体で突進すれば怯んで動けなくなる、と谷の出入り口にいる人間は話していた。だから、きっとこの小さな人間も怯えるだろう。殺すつもりはないので、これはただの威嚇。攻撃は当てないで当たる寸前で止めてやるつもりだった。
(え?)
だが、予想を裏切って、小さな人間は余裕を持って避けた。
二撃目も同じく避けられて、三撃目からは当てるつもりで動いても避けられる。ひらりひらりと躱す様は集落の大人達のようだ。しかも、謎の歌を歌って魔力を向けたまま行っているのだ。おそらくこの歌は何かしらの魔法で、彼に何かしようとしているらしい。
もう何回目かも数えていない攻撃に焦れて、いっそ飛んでやろうかとしたところで、小さな人間は魔法を変えた。
『私はあなたを傷つけない。見ての通り、小さくて、弱い存在だ。だからどうか怒らずに話を聞いてくれ』
そんな意味が歌から伝わってきて、彼は目の前がまっ赤に染まった。
「嘘をつけ!!! お前のどこが弱いんだ!!」
宥めようとする魔力を全力で拒絶し、弾き返して小さな人間に向かって突進する。強い拒絶を受けて小さな人間は一瞬動きを止めていたが、彼が殺すつもりで顔に向かって放った薙ぎ払いを、紙一重の所で避けて距離を取った。ほらみろ、どこが弱いんだ!
『……そうか。貴様は、俺を対等と見るか』
優しく微笑んでいた小さな人間が、傷に構うことなく好戦的に笑う。
そして叩きつけられるのは、服従しろと命じる魔法。全力で抵抗して、やめさせるために攻撃を繰り出した。誰がお前のような小さな人間に服従するものか。自分はいずれ銀翼になり、“ティル”の生まれ変わりに会うのだ。それまで、誰かに服従するつもりなど毛頭無い。
だけれど、その意思を挫くように荒々しい歌が叩きつけられる。
攻撃も当たらない。
どれだけ拒絶しても、先ほどのように強く弾けなかった。
『――《俺に従え》!!』
互いに息が上がってきて、歌の魔法が途切れた、その次の瞬間。
魔法ではない力を叩きつけられて、心が怯んだ。親に叱られた時よりも強い衝撃が体中に走り、目をきつく閉じてしまった。
悔しいことに、この小さな人間に負けてしまった瞬間だった。
最後の抵抗で目を合わせないが、ゆっくりと伏せて翼を畳み、不服満々に小さな人間を見上げてやる。
小さな人間は彼の所まで来ると片膝を付いて目線を合わせてきた。そこで小さな人間をしっかりと見た。昇ってきた太陽に照らされる瞳は銀色。汗に濡れて光る髪は、夕暮れの青紫かと思いきや、首回りに張り付く髪は赤い。
『良い子だ』
小さな人間は攻撃の意思はないと示すように、小さな手を見せてからゆっくりと頬を触ってきた。そしてそのまま頭を撫でてくる。優しい手つきに目を細めた。攻撃の意思は本当にないようだ。
前足を叩いた後、小さな人間は立ち上がったので、立ち上がれということかと理解して立ち上がる。そこで、前足どころか翼も痛みがない事に気付いた。驚いて翼を動かしてみたら、全く痛みがない。折れる前と同じように力が翼の先まで届く。後ろ足も汚れているが治っている。
『《――♪》』
驚いていたら、またも歌が聞こえて小さな人間を見る。すると彼が付けた傷が見る間に塞がっていったので目を丸くした。
もしかしたらこの小さな人間は風神の言っていた森神の人形なのかもしれない。あるいは人間が言っていた英雄の子供だろうか。だってとても強いし、治療に長けている。
もしそうならば負けるのも当然だと納得して服従を再び示したら、小さな人間は笑いながら彼の背を叩いて立つように言った。
****
小さな人間はコトハと名乗った。人間の子供で、雌。呼び名がないと困るからと、彼にシルバという名を与えた。覚えやすい良い名前だ。
《ピクシー族の長》によると、彼女こそが“ティル”の生まれ変わりだという。
つまり自分たちは、出会うべくして出会ったのだ。
しかし、ここまでコトハが強いのならば、谷を何度も抜け出す必要はなかったなとシルバは思った。
危なっかしい人だとは聞いていたが、全然そんなことはない。だってコトハは本当に強いし。むしろ、まだ弱い自分の方が彼女に守られている。これではただの足枷だ。
谷に戻り、大人達に鍛錬を付けてもらいながら、人間達に交じって鍛錬もする。
羽根が銀色に生え替わるまではコトハと一緒に依頼にも出て、体を鍛えた。
そして思い知る。
コトハ。自分の怪我より他人を心配するし、骨が折れても歌魔法で軽くくっつけただけですぐ暴れる。
目を離すとすぐに命を削るの意味がわかった。
「コトハ!! 従属魔法使わせて!! オレの命を背負って!!!!!
生きて!!!!!!!!!」




