厄災はいつだって身勝手だ
『コトハ・ベスティートは出来損ないである』
風の国グラウンヴァーゼの南東、交易都市ソーディスにある、国立魔法学校。
この言葉は、そこに通う一年生の間に流れる噂……ではなく、共通認識だ。
最強の冒険者、英雄として風の国で名を馳せるベスティート夫妻の娘。入学当初こそ羨望の眼差しを受けていた彼女は、今は嘲笑に晒されていた。
「魔法が使えないんだって」
「それでなんで魔法学校に来たんだろうな」
「頑張りましたけど無理でした~。って箔を付けるためじゃない?」
「「「あははははっ!!」」」
代わり映えのしない嘲笑に、彼らは語彙力をもう少し鍛えたほうが良いと思いながら、今日も図書館へと歩いて行く。
彼らなどどうでもいいのだ。コトハにとって一番嫌なヤツにさえ会わなければ、その日一日は幸せな気分で眠れる。そんな日は入学してから一日たりとて訪れたことはないが。
「――ああ、見つけた!」
歓喜に満ちた声が窓の外から聞こえる。反射で向けそうになった視線を前に固定して、歩みの速度も変えずに彼女は歩いて行く。聞こえてないし、何も見ていない。知らない。
「うわ、『影縫い』出来ないようにちゃんと影を歩いてるし。『麻痺』はこの前対処されたしなー」
声は後ろを続いてくる。手が届きそうでギリギリ届かない、コトハの間合いの外。コトハが対処できているように、相手もまた学んで距離を取っている。
浮遊魔法を解いたか、後ろから足音が付いてくるのが非常に不愉快だが、表情を殺して歩みも変えない。そこに居ないと無視を決め込む。反応したら負けなのだ。
「攻撃魔法は流石に学園側から止められてしまったし、そもそもキミは魔力感知は高いから簡単に避けてしまって意味はない。
その身のこなしはさすがベスティートの娘だ。欠点は魔法が使えない一点のみ」
怒らせようとしているのは明白なので、一方的に語りかけられても耳を貸さずに図書館を目指す。長い廊下。だが、不意に気付いて舌打ちをした。
長すぎる。
足を止めれば後ろの足音も止まる。コトハは目を閉じ、肺の中の空気をすべて吐き出して、細く細く息を吸った。それを二度。
最後に吸って、再び目を開けて歩き出した。後ろの足音も続く。今度の廊下は長く続かず、ほどなくして図書館の入口に辿り着いた。
「ははは! 催眠系もダメか! 呼吸法だけで解呪したのはベスティートの秘法かい?」
心の底から嬉しく、楽しいと弾んだ声が賞賛する。図書館に入れば声を潜めるものの、声を届けようと距離が近くなるので、鬱陶しいことこの上ない。
今日も安寧は訪れなかったことに重い溜め息をついて、コトハは振り返った。相手はもうコトハの間合いに入り込んでいるが、図書館の前で暴れることは出来ないので安心した様子だ。腹が立つ。
深い紺の瞳を下から睨み上げ忌々しい名を呼ぼうとしたが、その前に満面の笑みを向けられた。
「やぁっとこっちむいたね!!!!」
こちらは睨んでとてつもなく嫌そうな顔をしているというのに、彼女は見てくれたことが嬉しいと誰もが分かるほどの笑顔で、両手を広げて喜びを表現してくる。それが演出であることをコトハは知っているため、余計に眉間に皺が寄った。
事情を知らぬ者から見れば、嬉しそうにしている人間を邪険にするコトハのほうが悪者に見える。被害を被っているのはこちらだというのに。
顔見知り程度の知り合いから得た情報によれば、この少女は学校始まって以来の天才少女、ルナ・エルフィンストーン。たった三年で学校の必要単位をすべて取り終え、十二歳で魔法院に入ったそうだ。
基本的に無口、無表情。しかし話しかければ表情を和らげ、物腰穏やかな口調で説明をしてくれる。黒に近い緑の髪は腰に掛かるほど長いというのに、高い身長と凹凸の少ない体、男女共有の制服が合わさって、中性的な雰囲気を醸し出している。顔立ちも整っているのがさらに助長する。
誰とも話さず、達観した様子で本を読んでいることが多い彼女は、近寄りがたい高嶺の花なのだそうだ。
話を聞いて、一体誰の話をしているのだろうとコトハは首を傾げてしまった。コトハが知るルナという少女は、入学式が終わり寮へと移動していたコトハに突然雷の攻撃魔法を放ち、喧嘩を売ってきた狂人だ。
「そんなに高い魔力があるんだ。ボクの研究を手伝ってよ」
杖のような飛行補助の道具もなく宙に浮いた状態で、傲岸不遜な態度で見下ろして言い放った。
まるですべての人間が自分の言うことを聞いて当たり前という態度に腹を立て、少し助走を付けて踏み切り、相手と同じ高さまで跳び上がって拳を振るった。本当は殴ってやろうとしたが、相手がぎゅっと目を瞑ったことで殴り合いは慣れていないと判断して寸止めし、デコピンに切り替えたのは、今思うと優しすぎた。
その後は、それなりの高さだったので一度宙返りを打って勢いを殺し、地面へと降り立って、額を押さえる相手に指を突きつけた。
「人に物を頼むなら、それ相応の態度を示せ。俺は初手で喧嘩を売ってくるクソに手を貸してやるほどお人好しじゃねぇ」
そう言い放って寮に入ってしまったのも悪かった。ここできちんと教師に話し、相談しておけば良かったのに、ルナはあっという間に教師や学生を味方に付けて、コトハを孤立させた。
そして執拗に付き纏い続けている。おかげで教師からも「エルフィンストーンさんの研究に力を貸しなさい」などと言われる始末だ。勉強を理由に断り続けている。
ルナも普通に声を掛けてくれば良いのに、初対面から微弱とは言え雷撃を落としてくるわ、水や炎の球を投げてくるわ、風の刃も飛ばしてくるわ、石礫も飛ばしてくるわ。しかもどれも不意打ち。
コトハが避けたことで被害者が出たら、被害者を癒やしてやりながら、
「あの子が避けたせいだね。ごめんね」
なんて言い放つ不遜さ。悪いのは攻撃魔法を学校内で放つルナだというのに、コトハを悪者にしてくる。大抵は狂っているルナに恐怖の視線を向けるが、被害者の中にはコトハを憎んでくる者もいる。ルナの信奉者のようだ。
良識のある教師がルナに攻撃魔法の使用を禁止したが、本人はなぜ攻撃魔法を使ってはいけないのかを理解していない様子だった。
攻撃魔法を禁じられた彼女が取った次の方法は、行動制限系の魔法を使うことだった。
影を同調させて相手の動きを止める『影写し』。特定の呪物を影に打ち込んで動きを止める『影縫い』。身体を麻痺させる『麻痺』。毒を生成し霧として吸わせる『毒霧』。流石にこれは命の危機だったので僅かに吸った時点で息を止め、ルナへと反撃した。以降、間合いを測るようになって範囲外からちょっかいをかけてくる。
今回は認識阻害だ。おそらくコトハは歩いているつもりで歩いていなかった。視線を真っ直ぐ前に向けていた所為で、景色が動いていないことに気付きにくくなっていたのも要因だ。
「いい加減、俺に付き纏うな」
「それを言うなら、いい加減キミもボクの研究に付き合っておくれよ」
「断る」
「つれないな~」
普通の人間ならばこんな対応をし続けていれば一週間で諦めるだろうに、この少女は飽きもせず、諦めもせず、毎日毎日声を掛け、もう三ヶ月になった。コトハのほうから折れるのは負けた気がして癪なので、ずっとこの対応をしている。
しかし、もう三ヶ月。いい加減、面倒臭くなってきた。
溜め息をついて、ニマニマと笑っている少女の前にピッと人差し指を立てて見せる。いつもとは違う対応にきょとりとルナは目を丸くした。
「一つめ。研究内容の説明。俺は頭があまり良くないから、難しい言葉は使わず、簡単にしてくれ」
「え?」
何を言い出したと狼狽える彼女に無視をして、中指も立てる。
「二つめ。研究をする時間帯と、どれだけかかるかの日数を教えてくれ」
「えと」
ルナは困ったように指を組み首を傾げてみせるがやはり無視して、薬指を立てる。
「三つめ。報酬の提示。金や物でも良いし、情報でもいい。
最低限、この三つを紙に書いて持って来い。
俺は学生ではあるが、冒険者でもある。ちゃんとルールを守るなら、その『研究を手伝う』という依頼を受けてもいい」
魔法院に通うような天才少女がここまでしつこく勧誘してくるのなら、よほど魔力が高い人間が必要だと判断した。コトハは魔法を使えずとも、魔力量だけならば最強の両親に負けないくらいある。
だから、条件を提示することで譲歩する。非常に腹立たしいが根負けしたとも言う。
「ああ、あと。その魅了魔法は俺には通用しないっていい加減気付け。魔力がべっとりと纏わり付いて鬱陶しいから、もうやめろ」
「えっ!?」
必要事項を伝えて図書館に入ろうとしたが、驚いた声を上げたので胡乱げにルナを見上げ直した。
バレてないとでも思っていたのだろうか。しかし、ルナは困惑気味な表情で狼狽えており、視線を忙しなく動かした後に、コトハへと戻して首を傾げて見せた。
「ボク、魅了使ってるの?」
コトハが思わず嫌そうに顔をしかめたのも仕方がないだろう。
ここまでべったりと魔力を放っておきながら、使っているつもりは欠片もなかったらしい。
「……驚いた。無自覚で使ってやがったのか。最悪だな。アルラウネ、あるいはサキュバスのほうがまだ自覚がある分マシだ」
「うぐっ……キミ、結構言うねぇ……」
「迷惑掛けられ続けた相手に気遣う必要なんてないからな」
さっさと切れと待ってみたが、ルナはいつまで経っても切ろうとしない。それどころか本人は口元に手を当てて視線を彷徨わせ、どうやって魔法を切ったらいいのか分かっていない様子で硬直している。無自覚で使っている魔法のために、発動している感覚が無いようだ。
これは時間が掛かると判断し、コトハは溜め息をついて彼女に少しそこで待つように伝えた。いつまでも図書館の出入り口を塞いでいるわけにもいかない。中に入って本の返却手続きだけを済ませに行く。
戻ればルナは流石に邪魔になると気付いたか窓辺に移動し、サッシに軽く腰掛けて悩んでいた。右手の人差し指の側面を軽く噛むように唇に当て、右肘を左手で支えているポーズはとても様になっていた。
声を掛けようとして、はたりと彼女とは自己紹介すらもしていないことに気付いた。情報を集めたので名前は知っているが、自己紹介を受けていない相手の名を呼ぶのは憚られて、なんと声を掛けるか迷っている間にルナの方が気付いて困った顔で歩み寄ってくる。視線が向けられた途端、べったりと纏わり付く魔力に顔をしかめた。ルナはコトハの表情でまだ放っていることに気付いたか申し訳なそうに視線を外した。それでも魔力はコトハに向いている。
魔力ダダ漏れな様子に逆に興味が湧いてきた。
「……常にそんなに魔力ダダ漏れで疲れないか?」
「え……あ、えと。キミに会った後はとても疲れてるけど、普段はそんなに」
問いかければルナは驚いたようにコトハを見下ろし、瞬きの後に慌てて質問に答える。コトハから話しかけたことがないので戸惑っているようだ。
ちゃんと応対すればどうやら彼女は逆に大人しくなるらしい。人の気を惹こうとして大騒ぎや攻撃をしてくる子供のようだと思って、ルナはもしやあまり人と交流をしていないために、コミュニケーション能力が未発達なのでは無いかと予想を立てた。
「その鬱陶しい魔力を止める術を先に学ぼう。魅了魔法の分類はなにかわかるか?」
「あ、と……精神系、かな」
「なら、精神系魔法の先生のところだな」
幸いにもここは魔法を学ぶ場所。教えを請うのに困らない。
コトハのように魔力はあるのに魔法を使えない子供が魔法を使う方法を探すのは手伝ってくれないが、ルナのように無意識下で使う魔法を止める術ぐらいは教えてくれるだろう。というかそもそも何故教師は彼女のこの無作法を許しているのだろうか。
図書館から教師棟まで少し遠い。来た道をコトハは戻ろうとして、大切なことを一つ忘れていたのを思い出し、足を止めてルナへ顔を向ける。
「俺はコトハ・ベスティートだ」
「え、うん? 知ってるよ?」
突如自己紹介をしたコトハに、ルナは困惑して曖昧に頷く。一体何を言い出したこの子は。と顔に書いてあって失礼極まりないが、コミュニケーションの基礎が出来ていないのだから仕方ないと不躾を許した。
「一方的に情報を知っていても、俺達は自己紹介を交わしていない。自己紹介はコミュニケーションの基礎だ。
だから教えろ。お前は誰だ?」
そんなことは初めて聞いたと言わんばかりにルナは大きく目を開き、何度も瞬きを繰り返す。その反応に、今の今まで彼女に接してきた人間は誰も彼女に教えてこなかったのだとも分かってしまった。親は何をしているんだか。叱るべき大人達もその責務を放棄するな。
「え、と、ボクは、ルナ・カタフトロス・エルフィ」
「バ……ッ!!」
戸惑いながらもされた自己紹介にコトハは咄嗟にルナの口を手で塞ぎ、周辺を確認した。幸いにも朝早かったために周囲に人はいない。手を離しながら安堵の息を吐く。ルナはコトハの様子に目を白黒させていた。
「貴様は馬鹿か!? 『予言名』まで言う奴があるか!」
図書館の前なので声は抑えているが、感情は抑えずにルナへ叱りつける。
風の国では、名前と名字の間に入る名前は風神から名付けられた『予言名』だ。生まれた子供が将来何になるのかを予言された名前で、両親が教えずとも自分の名が名乗れるほどの年齢になると、風神の使いである精霊がわざわざ教えてくる。
風神の祝福を受けた証でもあり、大体が魔力が高くなるか、精霊と契約を結びやすくなる反面、人間達から妬みを買いやすい。なにせ風の国で生まれれば全員祝福を受けるわけではないからだ。風神信仰の強い地域では崇められることもあるという。
コトハも実は持っているが、両親以外で知る者はいない。絶対に言うなと言い含められている。
「『預言名』は家族以外には言うなと教わらなかったのか!?」
家の方針も様々だと知っていても、ツッコミを入れなければ気が済まない。少なくとも冒険者として働いていた二年間、持っていると嘯きながらも『預言名』を名乗った者は一人も居なかった。教えて欲しかったら恋人になろうと誘う常套句だ。
ルナはコトハの言葉にかなり狼狽えた。この様子から教わっていなかったのだと悟って舌打ちし、手を引いて大股で歩き出した。
目指すは精神魔法科の教師のところだ。何を話すにもまずはこの未だに纏わり付く魔力を止めさせなければ、ルナが魔力を使い果たして倒れてしまう。




