第2話 現れたトロールに、勇者達は
勇者たちは村に到着するなり、お祭り騒ぎだった。
だが、その様子はどこか滑稽で――そして不穏だった。
子どもたちは目を輝かせてローディンを囲み、母親たちは料理を差し出していた。
けれど、勇者は子どもを一瞥することもなく、豚の丸焼きを貪っている。滴る脂が土に落ちるたび、じゅっ……と芳しい香りが漂った。
隣では赤髪の魔法使いフレアが若い男たちを巻き込み、酒をぐいぐい煽っている。
賢者のクルルは皿を積み上げながらも、時折ローディンの様子を不安げに見ていた。
そして、最後に姿を見せた聖剣士シャルロットは、ただ黙って村を見渡すだけ――だが、助ける素振りはない。
……あぁ、これが《《勇者》》ってやつかよ。
俺は畑の隅で拳を握りしめた。
女を侍らせ、酒をあおり、笑い声を響かせながらも、戦う意思なんてこれっぽっちもない。
胸の奥に、何か黒いものが渦を巻く。
でも、ただの村人にできることなんてない。
そう分かってても――じっとしていられなかった。
山の向こうでは、瘴気の影がゆっくりとこちらへ向かっている。あのハイトロールは確実に、こっちを目指してる。
「……行くしかないか」
喉の奥で小さく呟くと、身体が勝手に動いていた。背後ではまだ宴の笑い声が響いていたけど、もう耳に入らなかった。
高台へ駆け上がると、風が冷たく頬を打った。その先に見えた光景に、思わず息を呑んだ。
――黒い巨影。
棍棒を振り上げ、瘴気をまといながら、ハイトロールが村へと迫ってくる。
大地が鳴る。空気が震える。
村の命運なんて、あの一撃で粉々に砕けそうだった。
「……やばい、急がねぇと」
俺は踵を返し、家へと走った。
せめて武器を――そう思った瞬間。
「あら、あなた、可愛い顔してるわね。ねぇ、私のお酒の相手をしてよ?」
背後から甘ったるい声が俺を引き留めた。振り返ると、そこには妖艶な笑みを浮かべるフレアが立っていた。
次の瞬間、肩を掴まれ、壁際に押しつけられた。
「な、なにすんだよ!」
抵抗したが、女のくせに力が強くて振り解けなかった。胸元が押し当てられ、熱が伝わってくる。
「おいおい、フレア。また少年を襲う気か?」
散々聞き慣れた嘲り声。
ローディンが腕を組み、口の端を吊り上げていた。
「アンタだって似たようなもんでしょ? この辺境での楽しみなんて、それくらいしかないじゃない」
フレアの吐き捨てるように言葉を耳にし、視線の先を向くと――そこには、血の気を失ったレイラがいた。
裸の肩を震わせ、白いシーツに赤い染みを広げながら。
頭が真っ白になった。
「テメェら……何してんだよォ!! それが勇者のすることかッ!!」
声が裂けるほど叫んだが、ローディンは鼻で笑った。
「勇者に刃向かうとはいい度胸だな、村人風情が」
俺は歯を食いしばり、殴りかかろうとした。
でも、フレアの腕一本で押さえ込まれ、地面に叩きつけられた。
情けないほど、何もできねぇ。
レイラの震える声が耳に焼き付く。
クソッ……俺に力があれば、こんな奴らに頼らずに済んだのに!
だが、その瞬間、足元が大きく揺れた。
地鳴り。悲鳴。空気を裂くような咆哮。
ハイトロールの咆哮だった。
狼の群れがそれに続き、村の方角で人々の叫び声が混ざり合う。
「な、なんだよ……この地獄は……」
目の前で、狼たちに引き裂かれる村人。
肉の焦げる臭い。焼けた鉄と血の味。
泣き喚く赤ん坊の声が、途中でぷつりと途切れた。
「こ、こんなの聞いてねぇ! フレア! 撤退だ! ドラゴンを呼べ!」
「はぁ? 戦わないの!?」
「バカ言うな、死ぬ気か! 撤退だ!」
耳を疑った。
戦うどころか、逃げる? この地獄を置いて?
……あぁ、やっぱりこいつらは、勇者なんかじゃねぇ。
ただの《《屑》》だ。
ローディンたちはドラゴンに跨り、炎の風を巻き上げて飛び去っていった。
残されたのは――俺たち、無力な村人だけ。
藁にも縋るはずの希望が、灰になって散った。そして俺は心の底で静かに悟った。
《《この世界を救ったはずの勇者は、もういない》》。




