7.立石勝己という男
──彩華町 松田一家本邸外・昼
陽光が降り注ぐ昼下がり、黒塗りの高級車が松田一家本邸の重厚な門をくぐる。
後部座席の立石勝己は額に汗を滲ませる。
彩華町の外では有力とされる若手議員だが、今日の相手がこの町の統治者である松田一家の当代総長であるかと思うと、立石は少し緊張を隠せない。
玄関前で立石とその秘書を出迎えたのは、松田一家の本部長を預かる諏訪潤。
静かに頭を下げ、丁寧な声で挨拶する。
「立石様、本日はお忙しい中、ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ」
立石は軽く会釈を返すが言葉を発しない。
隣の秘書は冷静な表情を崩さず、立石の後に続く。
諏訪は本邸の廊下をゆっくりと歩きながら、落ち着いた口調で案内する。
「こちらが応接室でございます。どうぞ、お掛けになってお待ちくださいませ」
応接室の扉を開けると、上品な調度品と静謐な空気が迎える。
諏訪は立石と秘書を一歩ずつ中へ促し、軽く会釈する。
「本日のお話の場として、こちらをご用意いたしました。ご不明点がございましたら、どうぞお申し付けください」
立石はソファにどかっと座り、秘書も横に立つ。
だが諏訪は一切の動揺を見せず、終始丁寧で落ち着いた態度を崩さない。
「ありがとうございます、諏訪様」
秘書が礼を言うと、諏訪は微笑みを添え、そっと応接室を後にする。
廊下を去る足音が消え、室内には立石の荒々しい息遣いと、静かな緊張感だけが残った。
立石は周囲を見渡し、松田一家の本拠地の重厚さにやや圧倒されつつも、口元に薄い笑みを浮かべ、秘書に小声で囁く。
「…ここの総長に力を貸してもらうとなると、ちょっと覚悟がいるかもしれんな」
秘書は淡々と立石を見つめ、何も答えず、悠長に座る立石の横で静かに状況を見守る。
「お待たせしました、総長の準備が整いました」
そう諏訪が言葉を発し、応接室の扉を開いた。
足音ひとつ響かせず、悠吏が姿を現す。
黒一色の艶やかな着物に、襟元と帯に差した深紅がわずかに揺れる。
髪は高く結われ、白い首筋が空気を切るように伸びていた。
一瞬、室内の空気が張りつめる。
墨のような黒に、血のような赤。
目元は冷ややかで、ただ歩いてくるだけで空間の温度が変わる。
その存在は若さではなく“支配者”の気配を纏っていた。
だが立石だけが違う受け取り方をした。
(……女?しかも若い?)
緊張で汗ばんでいた手が、露骨に緩み、唇が歪む。
立ち上がるどころか、ソファに深く座り直し、片脚を組んで見下す体勢を取る。
そんな立石の正面に悠吏が座る。
「あぁ? もしかして、君が総長さん?ははっ…」
あまりの安堵と侮りが混じった笑いが漏れる。
悠吏は表情を変えない。
静かに立石を一瞥する。
その一瞬で、秘書だけは背筋に冷たいものが走った。
女性とはいえ、ただの若手議員が見下してよい相手ではない。
目の前の人は――この彩華町の“支配者”なのだ。
しかし立石は気が付かず続ける。
「いやぁ、てっきり…もっとこう、強面の男でも出てくるかと思ってましたよ。それで松田一家のトップがこんな可愛らしいお嬢さんだとはね」
軽薄な笑み。品のない視線が悠吏をなぞる。
「まぁ、話は早そうだ。俺の計画に協力してくれればいいだけだ。分かりやすく言えば、黙って俺に力を貸しなさいってことだ」
室内が凍りつく。
悠吏の瞳が、静かに、深く、暗く沈む。
だが怒りも嘲りも浮かばない。ただ――冷たい無。
「それで、本日の具体的なご要件は?」
悠吏の声は水面のように滑らかで、温度がない。
立石は気づかない。
その一言にこめられた“命じる側”の意志も、侮辱への致命的な返答も。
「資金を工面してくれ、あとお嬢さんの力を貸してほしいね」
薄ら笑う立石。
秘書は立ったまま、静かに目を伏せた。
(――終わった)




