5.灰
──彩華町 表通り Cafe&Bar『Crow』・夜
黒塗り車が店の近くで止まり、運転席に乗っていた中井が先に降り、後部座席のドアを開ける。
悠吏が車から降りる。
重いガラス扉を押すと、心地いいジャズが迎えた。
淡い照明に金色の酒瓶が並び、夜の底に沈むような静けさ。
ここのマスター、烏丸鎮がカウンター越しに顔を上げる。
金髪に口髭、体格のいい体に白シャツと黒ベスト、そして黒のギャルソンエプロンを付けている。
目尻をやわらかく下げて笑った。
「いらっしゃい、悠吏ちゃん。中井さんも」
先程まで談笑していた客がその名前を聞き、驚き、沈黙する。
この店に彩華町の“頂点”が来たのだ。当然だ。
「銀次先生なら奥のいつもの席。悠吏ちゃんと飲むと言ってたから通したよ」
“いつもの席”。
この店でただ一つ、松田一家当代総長関係者だけが使えることが許される席。
この町の権力者の象徴であり、普通では絶対に届かない“静かな威圧”の場所。
悠吏と中井は奥へと歩く。
視線が遅れてついてくる──客も、空気も。
最奥。
銀次が静かにグラスを揺らし、彼らを見つけると、笑った。
「遅かったのぉ、座りんさい」
2人が椅子に腰を落ち着けたのを確認した瞬間、銀次の笑顔が消える。
更に皴の深い目が鋭くなった。
そして懐から、透明な小さな袋が置かれる。
白い粉。
裏社会で生きる者なら、脳が覚えている色。
空気がひりつく。
悠吏が低く問う。
「…これは?」
銀次は答えを急がず、袋を指でつまむ。
まるで重さを測るように。
「表で見つかったもんじゃ」
言葉ひとつで、場が凍った。
裏ではなく、表で。
「しかも、品質が最悪じゃ。粗悪品も粗悪品。わしはこれを灰と呼んどる」
灰。
まるで命を焼いた残りカスのような名。
悠吏は瞼を伏せ、低く言った。
「……私たちをここに呼んだ理由は、その話ですか」
銀次はグラスを置き、短く間を空けた。
その沈黙が重く沈む。
「半分当たりじゃ、もう半分は─」
中井が目を上げる。
銀次はゆっくりと続ける。
「さっき見た子ども──声が出ん子じゃ」
悠吏のまつげが揺れる。
無意識の反応。
「あの子から、灰の副作用らしき反応があった。明日ちゃんと診るがほぼ間違いはないじゃろう」
静寂。
だがその裏で、何かが崩れる音が確かに響いた。
「空腹の極限状態で、これを摂った可能性があるんじゃよ」
そう銀次は言って酒をあおる。
ジャズが遠のく。
店の空気が、底へ沈んだ。
中井の拳が膝の上で震えた。
悠吏は目を細め、淡々と吐いた。
「表に流れた死薬を子どもが口にした、ってわけね」
銀次はただ頷く。
その瞳は子どもを憂いてる、そんな老人の目だった。
中井の声は静かに。
しかしその底には怒気が確かに存在した。
「誰が…踏み越えた…」
灰の袋がテーブルの上で音もなく震えたように見えた。
興味本位でまばらに座ってた客は急いで店から出始める。
烏丸は遠くのカウンターで、手を止めたまま動かない。
夜は静かに何者かが牙を出す音だけが確かにそこにあった。




