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外海の嵐

粉暦13年の秋、エルモラ港に停泊していた商船団の一隻が、異国の船と遭遇したという報告を持ち帰った。

それは、私がこれまで見たことのない構造の船だった。帆は三角形で、甲板の上には奇妙な塔が建ち、船首には金色の獣の像が据えられている。

船長の証言によれば、その異国船は初め友好的に接近してきたが、積荷の確認を求められた際、突然砲声を放ち、商船のマストを粉砕したという。


「未知の海の向こうにも、交易を求めぬ者がいるということです」

軍務卿が低く言った。

私はしばらく沈黙し、机上の地図を見つめた。

これまで私の目は大陸だけを見ていた。しかし今や、視線を外洋に向けねばならない時が来たのだ。


粉暦14年、私は議会に「海軍拡充法案」を提出した。

艦隊の規模を倍にし、新型の砲を搭載した戦列艦を建造する計画だ。

軍閥派は即座に賛成したが、商人派は「武装より交易協定を優先すべき」と主張した。

私は商人派に譲歩し、拡充の予算の一部を「外洋交渉団」の派遣に充てると約束した。


交渉団は三か月後、異国の港に辿り着いた。そこは香と香辛料の匂いに満ち、色鮮やかな布が市場を覆っていた。

だが、交渉は失敗に終わった。

彼らは「プタンロードの商人は貪欲で、海を汚す」と言い放ち、門を閉ざしたという。

私はその報告を聞きながら、心の底で戦の匂いを感じ取っていた。


粉暦15年、異国船の艦隊が我が商船団を包囲したとの報が届いた。

その数、七隻。我らの護衛船は三隻しかなく、旗艦が撃沈された。

議会は緊急会合を開き、私はただ一言告げた。

「出撃する」


艦隊は十二隻。私は旗艦《黎明》の艦橋で海図を握りしめ、外洋へと進んだ。

戦場は波高く、風は西から強く吹いていた。砲声が海を裂き、黒煙が空を覆う。

異国船は速く、旋回も鋭い。だが私は、彼らが風上を取り続けることに固執していることを見抜いた。

一斉に帆をたたみ、急速に風下へ回り込む。敵が追おうとした瞬間、我が艦隊は横列を組み、側面砲撃を浴びせた。

轟音とともに敵旗艦の帆柱が折れ、炎が甲板を包む。

戦いは夜明けまで続き、最後に残った敵船は沈没を免れず降伏した。


勝利は港に歓声をもたらしたが、私は疲弊していた。

海戦は陸戦以上に人を奪う。溺れた者の顔が、夜ごと夢に現れた。


粉暦16年の春、私は長く続けてきた法典編纂事業をついに完成させた。

その名は「エルモラ法」。

大陸全域の慣習法を整理し、統一盟約の精神を基礎に置いた法典だ。

条文は全12巻、民法・刑法・商法から戦時規定まで網羅している。


公布式典で、私は壇上から各地の代表に向かって言った。

「この法は、剣よりも強く、交易よりも豊かに、人を結びつける」

拍手は起こったが、その中に渋い顔もあった。

法は統一の道具であると同時に、古い特権を削ぎ落とす刃でもある。

西方鉱山の領主たちは早くも「鉱山税の課税方式を変える気か」と詰め寄ってきた。

私は笑って受け流したが、内心ではこの刃がいつか自分に向けられることを覚悟していた。


法典公布のわずか数か月後、粉暦17年、西方山岳地帯で「影狼団」が再び活動を始めた。

彼らはかつて紅斧団と肩を並べた山賊連合の残党で、今や密輸や暗殺を請け負う地下組織へと変貌していた。

影狼団は夜陰に紛れ、山道を行く商隊を襲い、銀や鉄を奪っていった。

被害は日に日に拡大し、西方交易の流通量は半減した。


私は討伐軍の派遣を決定したが、山の地形は敵に有利で、何度も伏撃を受けた。

討伐隊が山奥の砦を包囲したとき、影狼団の頭目から密使が送られてきた。

「盟主よ、我らは統一の旗の下には入らぬ。山は山の者が治める」

その文は挑発とも宣戦布告とも取れるものだった。


砦を落とすまで三か月かかった。

炎に包まれた砦の中、頭目は自ら剣を腹に突き立て、私の名を叫んで絶命した。

その声は山に反響し、しばらく耳から離れなかった。


粉暦18年、外洋交易路の安全確保を目的に、私は常設の「大洋艦隊」を編成した。

旗艦は新造戦列艦《蒼穹》。全長はこれまでの倍近く、三層甲板に並ぶ砲列は敵船を圧倒できる火力を誇った。

艦隊は南方航路から東方外洋へと巡回し、異国船や海賊を排除。

やがて各国の商人たちは「プタンロードの旗が掲げられた海は安全だ」と口にするようになった。


だが、その安全は血で買ったものだった。

新型艦の建造費は莫大で、港湾税や交易税は引き上げられ、市民の不満は確実に膨らんでいった。

港の酒場では、「盟主は海ばかり見て陸を見ぬ」と囁く声が流れ始めていた。


勝利を収めたはずの外洋戦も、私は安堵しきれなかった。

異国船との衝突は終わっていない。彼らは我らの交易網を脅威と見なし、再び艦隊を差し向けてくるだろう。

海図の端に描かれた未知の大陸の影を見つめ、私は思った。

――この嵐は、まだ序章にすぎない。


粉暦18年の冬、エルモラ港は厚い霧に覆われていた。

港の波止場に立ち、私は遠くを見た。

そこには、かつて異国船と交戦したあの外洋の方角があった。

風は冷たく、波は静かだったが、その下には必ず潮の流れがある。

統一の旗は、陸だけでなく海の上でも翻るようになった。

だが旗の影は、次第に長く、そして濃くなっていた。

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