もう一度言っていい?
港を出て、街道を少し離れた丘の道を歩く。
もう日は傾いて、空はオレンジから紫へと変わっていた。
馬を引きながら、カイルとリーネは並んで歩いていた。
しばらく沈黙が続いていたけれど、それは居心地の悪いものではなかった。
海風が頬を撫でて、ざわめく草が二人の間に優しい音を添える。
リーネがぽつりと口を開いた。
「けどよく船内まで来れたね。あれ、そういえば出るときも誰もいなかったような」
「強行突破するつもりで行ったら、皇子を止めてくださいって部屋まで案内されたよ」
もしかするとなかなか出航しなかったのも、彼らの意思だったのかもしれない。
どこまでが計画だったのかは分からないけど、皇子のやりすぎな部分をこれ以上見過ごすことが出来なくなったのだろう。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「当たり前だろ」
「でも、殴っちゃって……大丈夫だったかな。あれ皇子だったみたいだし」
「…あいつの顔がリーネに近づいたとき、我慢できなかったんだ」
熱が混じったカイルの声に、思わず顔を赤くする。
「俺、リーネが好きだ」
「――っ」
思わずリーネの心臓が跳ねた。
空気ばかり吸って、言葉がうまく出てこない。
「……て、てっきり、カイルは姉さんのことが好きなんだと思ってた」
「え?」
「なんか、よく一緒にいるし、姉さんのこと褒めるし、優しいし……」
カイルは目を見開いて、そして吹き出すように笑った。
「そっか、そう見えてたんだ。……でも、それは違うよ」
「え……?」
カイルは馬の手綱を止めて、立ち止まる。
綺麗な琥珀色の瞳に目が離せなくなる。
「……俺はいつだって、リーネのことを目で追ってたんだよ」
そう言ったカイルの顔は、真剣だった。
優しくて、真っ直ぐで、あったかい。
耳まで赤くなった自分に気づいて俯く。
「……ずるい」
「え?」
「私、そんなの……聞かされたら……困るっていうか……」
「困る?」
ちょっと傷付いたような声色に、慌てて顔を上げる。
「……う、嬉しい、ってこと」
その言葉に、カイルの目がふっと和らいだのが分かった。
「なら、もう一度だけ言ってもいい?」
「……なにを?」
「ずっと前からリーネが好きだよ」
まっすぐ、しっかりと、少し照れながらの告白に、照れ隠しに口を尖らせながら私も応える。
「……こっちが先に好きだったかもしれないのに」
「ほんとに?」
カイルはそう言って、ふわりと笑った。
月明かりがふたりの間を照らしていた。
「うわっ、これ……ほんとに俺のために作ってくれたの?」
カイルが嬉しそうに目を丸くする。
机の上に並ぶのは、ふっくら焼き上げられたハンバーグと、彩りよく盛り付けられた温野菜。
ソースにはちょっぴり赤ワインのような香りをきかせて。
「……うん。なんとなく、好きそうだなって思って」
私はスプーンを持ったまま、ちょっと照れくさそうに目を伏せた。
前世の記憶で食べた、母のハンバーグ。
まさか、ここで役に立つとは。
「好きどころか……最高だよ!」
もぐもぐと頬張るカイルを見て、胸がほんのり温かくなる。
今までは、目立たないように、騒がれないようにって、そればかりを気にしてた。
けど。
彼が喜んでくれるなら、たまには、知識を使ってもいいのかもしれない。
思えばセリナもそうだった。
最近では前よりずっと、姉を慕ってくる貴族や王族が増えている。
ちなみに先日の隣国の騒動は、向こうが文句を言ってきたけど、父が冷静に『じゃあ商品の取引を白紙にしますね』って言ったら、向こうが謝ってきたようだ。
「リーネ、どうしたの?」
カイルが首を傾げる。
「ううん、なんでもない。ただ……今日もセリナがまた目立っちゃったって騒いでたの思い出して」
「はは、相変わらずだな」
「でも……セリナは全部、自分のためだけじゃなくて、誰かのためにやってるんだよね。そういうの、すごいなって思う」
そう呟いた私の言葉に、カイルが優しく笑った。
「それ、リーネも同じだと思うけど?」
「……私?」
「俺のためにこんなに美味しいごはん作ってくれる君が、一番すごいよ」
「……ふふっ。ありがと」
カイルと並んで座る時間が、こんなにも自然で、あたたかいなんて思わなかった。
前世の記憶があっても、未来はきっと、今をどう生きるかで変わっていく。
(……これからも静かに。だけど、少しだけ“幸せ”に貪欲に生きていこう)
外はすっかり夕暮れ。
窓の外、色づく空を見上げながら幸せを噛み締めた。