大きな努力と大好きな香り
朝からセリナの作業部屋は、いい匂いに包まれていた。
棚に並んだハーブの瓶。
秤とノート。
そして、オーブンから漂う甘い焼き菓子の香り。
「あと少し……ここをこうして……」
セリナは真剣な顔で、ケーキの仕上げに取りかかっていた。
パレットナイフを滑らせる手はなめらかで、手元には一切の迷いがない。
(完全に慣れてる人の動きなんだよね)
一度言葉にしたら、翌日にはもう試作されている。
そして、一ヶ月には商品化され、行列ができる。
それがセリナだ。
今は食品や美容品メインとしたものに力を入れているけど、ものを作り始めた頃は健康グッズなどもあった。
「このハーブティー、紅茶ベースで合ってたかな。あ、でも酸味がちょっと強い?」
ひとりごとをぶつぶつ言いながら、試飲と微調整を繰り返す姿に、私はこっそり心の中で拍手を送った。
誰もが天才と呼ぶけれど、天才と呼ばれる裏で、どれほど丁寧に、確実に、失敗と修正を繰り返しているかを知っているから。
セリナ自身はいつもこう言う。
「たまたま思いついただけなの!」
だけど私は知ってる。
それは思い出しているんだと。
前世の、どこかで出会ったことのある技術を。
だから、何度間違っても諦めないし、何度失敗しても形にしてくる。
それが、私の姉。セリナ。
「……ふふ」
「な、なにリーネ、笑ってるの? 変な顔してた!? やっぱり変な味だった!?」
セリナが焦ったようにこちらを振り向いた。
試作だと言って出してくれたクッキーを手に、私は首を横に振りながら小さく微笑む。
「ねえ、リーネ。明日一緒に買い物に行かない?新しいハーブが入荷するって聞いて…。あ、カイルも誘ってみる?」
「うん、いいよ」
文化祭が近づくにつれ、姉のまわりはどんどん賑やかになっていく。
王子も、貴族も、友人たちも。
だけど、セリナは今日も変わらず、試作を続けていた。
商人街の薬草屋。
乾いた草の香りと、ほのかに漂う花の匂いが混ざった空気の中。
「──これ……っ!」
セリナが、ぴたりと立ち止まり、手に取ったのは
くすんだ紫色の小さなドライハーブの束だ。
「この香り、絶対に知ってる……というか、これ……ええと……うん、これは……!」
徐々にセリナの目がきらきらと光り始める。
甘くてスパイシーなドライハーブの香りは、確かに記憶のあるものだ。
「ちょっと待って、これさ、あの月の花蜜と相性いいよね? いや、むしろ中和してくれるんじゃ…。わっ、やばい、これ湿気吸うタイプ。え、待って待って、じゃああの瓶詰めの方と合わせて……いやそれだと香りが飛ぶか……でもワセリンのほうなら──」
「でた」
カイルが横でくすっと笑う。
「たぶん今私たちのこと見えてないわ」
私ももつい笑ってしまう。
セリナはなおも夢中でハーブの束をあれこれ手に取り、ぶつぶつ呟く。
「この香り、湿気と混ざるとちょっと甘くなるし、そこに足せば……ふふ、ふふふ、作れる、これ絶対作れる……!」
「……なんか笑ってるんだけど」
「たぶん、楽しくなってきたんだと思うわ」
こんなふうに、テンションが上がると早口になり、一人で勝手に世界を構築し始めるセリナに、私とカイルは完全に置いてけぼりだ。
「ふふふ……これとこれ混ぜたら絶対……いやまって、ベースは先に選んで……。 え、ということは保存法が……」
セリナがぶつぶつ呟きながら、棚から瓶を出したり戻したりしている。
そのテンションは完全に誰にも止められないモードだ。
私は小さくため息をついて、棚の角にもたれた。
「これはちょっと長くなるやつだね……」
隣にいたカイルが、苦笑まじりに応えた。
「でもさ、セリナってほんとすごいよな。才能って、ああいうののこと言うんだろうな。俺が同じもの見ても、匂いが強いなくらいで終わるのにさ。セリナはその先を考えて、作って、実際に形にしちゃうんだよな。すごいよ」
カイルの声に、どこか尊敬と憧れが混ざっていた。
ふと見上げた先に笑うカイルの顔は、まっすぐで飾り気がない。
「カイルも十分すごいと思うよ」
「え?」
カイルが不意を突かれたように、目を見開く。
光の加減で柔らかく見える茶色の髪。
最近身長が伸びて大人びてきたと思っていたけど、こうやって目を丸くする様子は幼く見えて可愛い。
「将来のこと、ちゃんと考えてるし。騎士になりたいって、昔から言ってて……今も変わらず、まっすぐで。それってすごいことだと思う」
カイルは一瞬、言葉をなくしたように黙る。
「毎日鍛錬したり、勉強したりって、簡単じゃないし」
言ってから少し恥ずかしくなって、ついつい口早になっていくのを分かっていても止まらない。
「それに人のこと、ちゃんと見てるし。背も伸びてるし、声も低くなってるし、前みたいに走り回ってないし──」
「ちょ、ちょっと待って!? 最初の褒め言葉どこ行った!?」
「全部、褒めてるよ」
そう言って笑いながら、リーネは棚に視線を戻した。
カイルはしばらく黙っていたけれど、やがて少しだけ照れたような声でつぶやいた。
「……ありがとな」
その声に、彼の耳がほんのり赤くなってるのを、なんとなく想像してしまった。
そんなことを思いながら、笑みをこぼす。
「さて、そろそろセリナを引きはがさないと。あれ本気で店の棚、丸ごと買っちゃうかも」
「それはマズい」
ふたりでそっと顔を見合わせて、小さく笑った。
その後ろでは、セリナがまだ「保存容器は……ガラス瓶がいいけど遮光タイプ……!」と夢中になっていた。