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風の加護


翌日は快晴で、街の喧騒は昨日よりも落ち着いていた。

けれどそれとは対照的に、私はの胸の中は少しそわそわとしている。


「今日は気合い入れていかないとな!」


張り切った声とともに先頭を歩くのは、いつも手振りが大きいサイ。

ケイトは柔らかな栗色の髪を揺らしながら、書類の入ったケースを丁寧に抱えていた。

クシナさんの案内で通された部屋では、昨日と同じふっくらとした商談相手ヤクモさんが笑顔で迎えてくれる。


「いやはや、昨日は楽しかったですなぁ。さて、今日はその先のお話を」

「はい。私たちとしても、安定した品質と供給体制を整えることで、より広い市場を見据えたいと考えています」


セリナの言葉は、やわらかさの中に芯がある。


「こちらが、現地価格の比較表です」


ケイトがすっと書類を差し出し、商談の流れにそっと助力する。


「長期保存に関しては、この処理法を活用すれば気温差にも対応できると思います」


サイも補足しながら、用意していた試作資料を提示する。

兄妹の息の合った動きに、相手方も頷いた。


「ふむ……フェルシス商会のお若い方は皆優秀だ。クローズ殿のご子息ご令嬢なら、納得ですな」


にこりと笑うヤクモの隣には、昨日もいた精悍な顔立ちの武士風の補佐役が控えその目が鋭く資料に走っていた。

交渉の間私はそっと隣でその様子を見つめていた。

昨日まで全てのものに目を輝かせていたセリナは、今は目の前の資料と人とに向き合い、堂々と話を進めている。


(やっぱりすごい……私なんて、隣で見てるだけなのに)


ちらっと視線を横にやると、カイルもまっすぐセリナを見ていた。

彼の目にも尊敬が宿っていた。

話が一段落したところで、ヤクモが「茶菓子を用意しました」と豆菓子の包みを開いた。


「こちら、うちの港で新しく扱っている加工品でしてな。よろしければぜひご意見を」


甘く香ばしい香りがふわりと広がる。砂糖と醤油を絡めて乾燥させた、小さな煎り大豆菓子だった。


「ありがとうございます」


セリナが微笑んで受け取り、サイとケイトも一粒ずつつまむ。

私もそっと口の中に放り込む。

ぽりっ、と軽快な音がして、後からじんわりと豆の甘みが広がる。


「……ん?」


絶妙な甘さが美味しい。

けれど少しの違和感が声に出てしまっ


「どうかされましたかな?」


ヤクモが笑顔のまま尋ねてくる。

あわてて姿勢を正すが、正直な性格が災いしてつい口をついて出てしまった。


「いえ、その……とても香ばしくて、おいしいんですが……豆の芯が、少し残ってるような……気がして……」


場がしんと静まり返る。


(余計なこと、言った……?)


背中にうっすらと汗がにじんでいた。


「あ、あの…!」

「……なるほど!確かに少し芯がある。水に浸す時間を調整しないといませんね。夏場は水をよく吸収するが、最近は涼しくなってきましたから」


ヤクモが手を打って、感嘆の声を上げた。


「このわずかな芯の残り具合、気づく方はなかなかおらんのです。やはり、セリナ嬢のところは感性が似ておられる……いやはや、実にありがたい」


そう言いながら、彼はなぜか汗をぬぐっている。

隣の武士風の補佐役も、ほんのわずかに頷いたように見え


「ありがとう、リーネ。あなたの感覚に助けられたわ」


セレナに落ち着いた笑みを向けられて、なんだか落ち着かない気分で俯いた。




商談を終えた翌日。

出航までには少し時間があった。

「みんなに土産を買おう!」とサイが言い出し市場通りをぶらぶらすることにした。

お土産を選んだり、気になっていた菓子を試食したりと出航までは自由時間だ。

私はある程度の買い物は済ませていたので、迷子にならない路地の端でひと休みしていた。


「……ちょっと、いいかな?」


不意に、カイルの声。

振り返ると、どこかそわそわしている。 


「え? うん、いいけど」


カイに連れられてついていくと、たどり着いたのは、初日に立ち寄ったかんざし屋だった。


「いらっしゃい、おやおや。今日はお二人で?」


覚えてくれていた店主が、あたたかな笑みで迎えてくれる。

並べられたかんざしは、色とりどりの細工物が美しく光っていた。


「実は……プレゼントしたくて」


そう言ったのはカイルだった。

目を逸らすように言う彼の頬は、ほんのり赤い。


「わ、わたしに?」

「うん。せっかくだし、記念というか……」


リーネはどきりと胸を打たれ、思わずうつむいた。


「じゃあ、えっと……選んでもらっていい?」

「……うん、任せて」


驚いて選びきれない私は、カイルにお任せすることにした。

カイルは真剣な表情でかんざしを見つめ、一つを選んで差し出した。それは柔らかな桜色の玉に、銀糸で風を描いたような細工のかんざしだった。


「似合うよ」

「あ、ありがとう」


顔が一気に熱くなるのがわかる。


「いやぁ、旦那さん、なかなかやりますな」


店主が茶目っ気たっぷりに言って、ふたりは揃って「あ、ちが……!」と慌てた。




「名残惜しいですが……そろそろお時間ですね」


港の風が船の帆をはらませている。案内人がクシナさんが優雅に微笑み、最後の挨拶へと歩み寄ってきた。


「この数日間、とても楽しかったです。皆様の旅が、穏やかなものでありますように」


そう言って、クシナさんは一人ずつ手を取って、軽く握手を交わしていく。

サイ、ケイト、私。

そして、カイルの番。


「……?」


案内人がカイルの手を取ろうとしたその瞬間、カイルがじっとその目を見て、ふと首を傾げた。


「……指先。……それに、肌の厚みが……」

「おや……?」

「……あの、“男”だったり、します?」


瞬間、空気が止まる。

全員が「えっ?」と声にならない声を上げて固まる。


「カイルっ。それは失礼…」


我に帰ったセリナが声を上げたとき、クシナさんは口元を隠し朗らかに笑った。


「……ばれましたか。はい、実はそうなんです。こちらの姿の方が都合がよくて。それと…趣味でもあります」

「えええええ!?!?!?!?!?」


サイの叫びが港に響き、ケイトが「声がでかい!」と慌てて口を塞ぐ。

混乱が渦巻くなか、クシナさん最後にセリナの方へ向き直る。


「セリナ殿、あなたは…」


手を伸ばそうとした、その瞬間――


「っ……!」


ぴたりと空気が跳ねた。

クシナさんの手がまるで見えない壁に弾かれたように、セリナに触れることなく止まった。


「……なるほど」


少し目を細めた案内人が、そっと手を下ろす。


「おそらく、風の加護ですね」


セリナが目を見開く。


「風の加護?」

「私も、精霊と契約している身ですので。加護の種類までは分かりませんが、触れようとしたときに風が走った――それで十分です」


案内人は柔らかく微笑む。


「これは、よほど貴女を大切に思っている誰かの“祈り”です」

「……レオニス」



セリナはふと顔を伏せた。

耳まで赤く染まっている。

セリナの恥ずかしげな呟きが、生暖かい風に消えていった。




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