自慢の姉 前編
香ばしい出汁の香りが立ち上る食卓には、湯気のたつ味噌汁とふっくら炊けたごはん、焼き魚に香の物。
セリナの発案で取り入れられた味噌汁は、今ではすっかり我が家の朝のメニューとして取り入れてられている。
「やっぱり朝はこれが落ち着くなあ」
身体中行き渡るような優しい味にほっと息をつきながら味噌汁をすする。
この国では珍しい“味噌”という調味料。
どうしてもあの味が飲みたいと、セリナが他国との商談の末取り寄せたものだ。
味噌はなかなか手に入らないものらしい。
なので手に入りやすい大豆から味噌を作ると、セリナが試行錯誤しているところだ。
「優しい味だよね。譲ってくれたカスミノ国のみなさんに感謝だよ。自家製の味噌が出来たら毎朝味噌汁だよ。期待しててね」
セリナは笑って答える。
その背後では商品開発・店舗対応・交渉……数えきれない仕事が、確実に広がっている。
ふと、セリナは向かいの席にいる父を見る。
「……あの、お父さん」
「なんだい?」
「秘書のクロードさん、最近、少し……お疲れではないですか?」
「……ふむ」
お父さんが箸を置いて、湯呑みに口をつけた。
「昨日、倉庫の在庫確認もひとりでされていて。最近、商品の数も増えているし……」
セリナの声は少し曇る。
「私、ずっとフェルシス商会や、お父さん、クロードさんみんなに頼りすぎていたと思うんです。そろそろ、本格的に自分のお店を考える時期かもしれません」
食卓の空気が、少しだけ静まる。
「卒業までには形にしたいです。これまでのことを無駄にしないためにも、私なりに責任を持ってやっていきたいと思っています」
お父さんはしばし目を閉じ、茶を一口すすったあと、頷いた。
「……その言葉が出るのを待っていた」
「えっ」
「周囲に頼るのは悪いことではないよ。私も周りの助けがなければやっていけない。実はクロードからも相談を受けていたんだ。セリナが独り立ちを考えるなら、自分の子どもたちも補佐に加えたいと」
「クロードさんの……」
「店の候補地もいくつか見てある。今日の午後、空いているなら一緒に見に行こうか」
セリナの目が、ぱちぱちと瞬いたあと、少し潤む。
「……はい、お願いします」
二人の会話をリーネは黙って姉の味噌汁を見ていた。
セリナはすごい。
ちゃんと前を見てすすんでいるんだ。
姉の背中は、やっぱり少しだけ遠い。
「がんばれ、お姉ちゃん」
心からの応援を伝えると、セリナがふっと微笑んだ。
「ありがとう。リーネも……いざとなったら、味噌仕込むの手伝ってね?」
「……それはちょっと」
二人の笑い声が、朝の食卓に穏やかに広がった。
学院の食堂は、昼の鐘とともに一気に賑やかになる。
高い天窓から柔らかな光が差し込み、白いクロスのかかったテーブルが規則正しく並ぶ。
料理の香りと人々の会話が交じり合い、まるで祝宴のような空気が満ちていた。
「リーネ、こっちよ」
お礼を言いながら、クラスメイトの友人たちがとってくれていた席につく。
今日のメニューはハーブ香る鶏肉のグリルと、チーズを練り込んだ焼きたてのパン。
優雅なランチタイムは、ほんのひとときの憩い。
「ねぇ、セリナ様、また新しい薬草を使ってたって聞いたよ。何作るんだろうね?」
「この前のローズ入りの化粧水、すっごく良かったって母が言ってた。さすがセリナ様!」
「ほんと、すごいお姉さんだよね〜。リーネが羨ましい」
「うん。姉は努力家だし、発想もすごいから」
にこっと微笑んで、パンを割った。
その時だった。
「まあまあ。お姉様が優秀だと、妹としては色々大変ですわよね?」
聞き慣れない声が、やや遠くのテーブルから飛んできた。
顔を上げると数席離れた場所にいる別グループの女子たちが、こちらを見ていた。
声をかけてきたのは、淡い金髪に小ぶりの宝石をちりばめた髪飾りをつけた少女。
この少女を囲む生徒達の飾りも豪華で、貴族の家柄の令嬢が多いのが分かる。
「セリナ様ほどの方と常に比べられるなんて、私でしたらとても気後れしてしまいますわ。ましてや……生徒会の方々とも、最近はあまりご一緒されていないようで?とくにカイル様なんて、以前はよくあなたの近くにいたのに」
「でも、あんまり目立つと誤解されちゃうかもしれませんわ。ほら、セリナ様とカイル様って、なんだかお似合いですし?」
笑顔のまま、取り巻きたちはくすくすと笑い合う。
そのどれもが“さりげないようでいて、確実に心を突いてくる言葉”。
楽しく食事をしていた友人たちも、少しだけ気まずそうな顔をして黙ってしまった。
(……ああ、そういうこと)
きっと、マリーヌはカイルのことが気になっているのだ。
そして、自分が「セリナの妹」であるという立場を、なんとなく利用していると思われている。
「姉は最近とても忙しくて。それに、私は生徒会じゃないですから」
さらりと答えた私に、一瞬眉間に皺を寄せたのがわかった。
「まあ、謙虚ですこと」
瞬時に微笑みを浮かべながらも、マリーヌの目は値踏みするように細められていた。
その瞬間――
「リーネ、ここにいたか」
後ろからかかった声に、マリーヌの笑みが少しだけ固まる。
「どうしたの?カイル」
「午後の時間、空いてたらちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」
「うん、大丈夫」
リーネが頷くと、カイルは彼女の皿に目を落とした。
「ちゃんと食べてる?」
「さっき食べ始めたばかりだよ」
そんな何気ない会話に、マリーヌが口を挟む余地はなかった。
彼女は一瞬口元を引きつらせ、それから微笑みを整えた。
「それでは、また授業でお会いしましょう、リーネさん」
またお会いしたくはないけど、とりあえず会釈を返した。
カイルはそれを見送ってから、私の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「平気だよ」
私は小さく笑って、騒がせてしまったことを友人たちに謝る。
邪魔してごめんと離れるカイルに対して友人たちの視線が熱い。
カイルを見送ったあと、無意識に小さくため息をついた。




