第九話 遣隋使
〇 小野妹子と遣隋使
冠位十二階と憲法十七条を制定して国家の仕組みを整えた推古天皇と聖徳太子は遣隋使を派遣することにしました。
遣唐大使は小野妹子です。聖徳太子は隋との対等外交を目指して国書を小野妹子に託しました。
遣隋使は成功して隋の使者の裴世清が派遣されてきます。
裴世清を隋に送り返すために第三回遣隋使が派遣され、多くの留学生が隋へと行きました。
□ 589年 隋が中華を統一する
□ 600年 第一回遣隋使
□ 607年 第二回遣隋使
□ 608年 第三回遣隋使
□ 614年 第四回遣隋使
□ 618年 隋が滅亡する
――国の仕組みを整えた推古天皇は遣隋使を派遣することにしました。
推古「馬子と大使に一任いたしますわ」
馬子「前回の遣隋使は散々でした」
聖徳太子「前回とはなんでしょう。今回が初めての遣隋使ですよ」
推古「そうね、後世にはそう伝えることにしますわ」
――遣隋使の大使は小野妹子です。遣隋使として隋の皇帝の煬帝に国書を渡すことになります。
聖徳太子「国書は私が書きました」
――「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」、隋の煬帝は怒ったようです。
聖徳太子「問題はありません。隋は高句麗と戦争しています。日本と敵対するはずはないですよ」
馬子「それにしては煽りすぎでは?」
聖徳太子「日出る処、日没する処は仏教用語的に東と西を意味します。これに怒るのは自らが無知と表明するが如しです」
推古「天子と自称するのは隋皇帝の不興を買いそうですわ、わたくしは大王とはいえ隋の皇帝と並ぶ尊称は恐れ多いですわね。次に国書を書く時は天子ではなく………天皇とかにしてはいかがかしら」
聖徳太子「素晴らしい。そのようにします」
馬子「あまり変わらないのでは?」
――小野妹子は隋の使者の裴世清と共に帰国しました。その際に小野妹子は煬帝からの国書を百済で奪われて無くしたそうです。
聖徳太子「斬首ですね」
推古「追放でよいと思いますわ」
馬子「小野妹子に罰を与えると隋に国書紛失の失態がばれます。幸いにも裴世清が国書を持参してますので御咎め無しにしましょう」
推古「それもそうですわね。妹子にはもう一度隋に大使として行って功績で罪を償ってもらうことにしますわ」
――裴世清の帰国に合わせて第三回遣隋使が小野妹子を大使として送られました。この中には高向玄理、僧旻、南淵請安など八人が留学生として同行しています。彼らは隋に残留して留学生として学ぶことになります。
推古「ついでに最後の遣隋使の話もいたしますわ。犬上御田鍬を大使として隋に送りましたの。ですけれど、隋に内乱が起きていて大した成果もありませんでしたわ」
馬子「留学生は引き続き隋に留まることになったのですが………」
推古「隋が滅んでしまいましたわね。運が良ければ生き残れると思いますわ」
――小野妹子はどうなったのでしょう?
推古「わたくしは知りませんけど。太子は?」
聖徳太子「飛鳥文化アタックを食らわせました」
推古「まあ、あまり無茶はしないで欲しいわ」
馬子「えーっ………妹子は冠位十二階の最高位の大徳を与えられたと聞いてますが………」
推古「ふふふ」
聖徳太子「ははは」
――小野妹子の晩年は不明です。
〇 聖徳太子の功績
聖徳太子は数々の功績を残しています。
□ 613年 難波から飛鳥までの大道を築く
□ 615年 聖徳太子が三経義疏を著す
――聖徳太子は日本最古の官道である難波から飛鳥までの大道を築いています。これは現在の竹内街道とほぼ重なります。
推古「仏教導入で大陸の建築知識を導入しているようですわ。もちろん秦氏の支援があるのでしょうけれど」
馬子「民衆の支持はますます高まっています。熱狂的なほどで神格化されているほどです」
推古「馬に乗って富士山を飛び越えたと聞きましたわ」
馬子「十人の話を同時に聞いて理解したとも噂されています」
推古「ところで今日は太子はいないのかしら?」
馬子「三経義疏を書いてます。唐の経典の注釈書です」
――聖徳太子は複数の后とその間に生まれた皇子・皇女がいます。少し整理しましょう。
橘大郎女(尾張皇子の娘)
└ 白髪部王
刀自古郎女(蘇我馬子の娘)
└ 山背大兄王
膳大娘(膳氏の娘)
└ 泊瀬王
推古「橘大郎女はわたくしの孫娘ですわ。尾張皇子が亡くなってしまいましたので、わたくしの数少ない直系の子ですの」
馬子「尾張皇子は太子に次ぐ皇位継承候補でしたのに惜しいことです」
推古「自分の子が先に死んでいくのは悲しいものですわ。長生きもあまりしすぎるものむなしいものですわね」
――現在の皇位継承者はどのようになっているのでしょうか。
推古「わたくしの死後に群臣の協議で決めますので、あくまで参考ですが、聖徳太子が筆頭で同世代の対抗馬がいないようですわ。その下の世代であれば山背大兄王、田村皇子、白髪部王が候補ですわね」
馬子「白髪部王は生まれたばかりですので、継承順は低いですが血統的には十分です。泊瀬王は母親が地方豪族の娘ですので候補外ですね」
推古「そういえば馬子の娘が田村皇子に嫁いだそうですわね。蘇我氏は太子から鞍替えするつもりかしら?」
馬子「とんでもありません。山背大兄王には蘇我氏の血が入ってます。不満は何もありません」
推古「そう………でも、太子の神格化が今以上にすすめば蘇我氏もやりにくくなりそうね。保険というところかしら。それに太子は近頃は膳大娘に夢中で困りものですわ」
馬子「………太子が即位した後に泊瀬王を後継者にしようとすると困ったことになりますな」
推古「困ったことになりますわねぇ。ですが、わたくしが死んだ後のことはどうにも出来ないですわ。わたくしは六十代半ば、馬子叔父様は七十、後のことは若い人たちに任せることにいたしましょう」
――この時はまだ誰もが聖徳太子が天皇に即位すると思っていました。ですが――――。