第五話 崇峻天皇暗殺事件
〇 崇峻天皇即位
泊瀬部皇子が即位して崇峻天皇となります。
排仏派の物部守屋と中臣勝海がいなくなったことで崇仏派の天下となりました。
善信尼・禅蔵尼・恵善尼は百済に留学して仏教を学び帰国後に仏教を広めます。
崇峻天皇は仏教とは距離を置いて父(欽明天皇)の悲願である任那復興を目指しました。
しかし、その頃の中華では隋が数百年ぶりに大陸を統一したのです。
仏教問題・外交問題で蘇我馬子と崇峻天皇は対立していくことになります。
□ 587年 崇峻天皇が即位する
□ 588年 善信尼らが百済に留学
□ 588年 蘇我馬子が飛鳥寺を建立する
□ 589年 隋が中華を統一する
――泊瀬部皇子が即位して崇峻天皇となりました。
炊屋姫「これでひとまずは落ち着きましたわね。前大后として大王家を背負ってきましたけれど、これで肩の荷がおりましたわ」
――大臣は引き続き蘇我馬子が任じられています。蘇我馬子は物部氏の勢力圏を自分の者として蘇我氏の権力を磐石のものとしました。
馬子「私の妻の太媛は物部氏ですからね。女系相続が当たり前の今の時代に太媛が物部を継ぐのはおかしなことではありません」
炊屋姫「強欲ですわね」
――蘇我馬子は仏教を新興するために飛鳥寺を建立した。本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院です。蘇我氏の氏寺です。伽藍が分からない人は各自ググること。
馬子「ヤマトを仏教国家にすることが夢ですから」
炊屋姫「悪くないですわね。わたくしも尼にでもなろうかしら。―――そう言えば日本人初の尼僧、善信尼は何をしているのかしら?」
馬子「仏教を学びたいと以前から申してたのでな。戦が終わり落ち着いたので百済に留学させました」
――善信尼、善信尼と共に禅蔵尼、恵善尼は百済に留学して仏教を学び、二年後に帰国して日本での仏教の普及に貢献しました。
炊屋姫「厩戸皇子が四天王を祀る寺を建てると息まいていましたけれど、それはどうなったのかしら?」
馬子「厩戸皇子には寺を建てる資金も人脈もないのでまだ建てられない。飛鳥寺が落ち着いて金剛組の手が空いたら貸してやる予定ではあるが」
炊屋姫「そう。守屋討伐の功労者でもあるし、なにかしら報わなければならないわね。私の娘の菟道貝蛸皇女を嫁がせてあげますわ。厩戸皇子にお義母様と呼ばれたいですわ」
馬子「まだ十歳ほどではなかったかな」
炊屋姫「五年ほど後になるかしら」
――一方、その頃の中華では数百年ぶりに隋が中華を統一しました。
馬子「これは外交が難しくなる。大王に相談しなければ」
――しかし、蘇我馬子と崇峻天皇の間には溝が出来ていたのです。崇峻天皇は仏教振興を進める馬子の政策に賛同しておらず、蘇我氏以外の豪族を優遇して宮を大和の外れに遷しました。そして、大伴氏の娘との間に皇子をもうけて後継者にしようとしています。
炊屋姫「………また次の大王で揉めそうな話ですわね」
馬子「大王を決めるのは群臣の合議、そしてその群臣をまとめるのは蘇我氏、大王にはその辺りを分かってもらわないとな」
〇 崇峻天皇暗殺
崇峻天皇は欽明天皇の悲願である任那復興を目指して新羅征伐軍を組織する。
蘇我馬子は反対するが筑紫に二万の軍を派遣した。
大和には崇峻天皇に反発する豪族たちが残ることになる。
そんな中で崇峻天皇は東漢駒に暗殺された。
□ 591年 崇峻天皇が新羅征伐軍を組織して筑紫に二万の兵を派遣する
□ 592年 崇峻天皇が暗殺される
――崇峻天皇は大伴咋を征新羅大将軍に任命して二万の軍勢を筑紫に送りました。
炊屋姫「この時代に二万も兵を用意出来たのかしらね」
馬子「大伴咋は大伴金村も孫で大伴氏の長者だ。大伴咋の従妹の小手子が崇峻天皇の皇子の蜂子皇子を産んだことで大伴氏が再び豪族らのトップに立とうとしている。この流れは止めないとならない」
――崇峻天皇も蘇我馬子を排除したがっていました。猪が献上された時に「このように奴の首を斬りたい」と猪の首を切り取ったと噂されてます。奴が馬子なのは明白でした。
馬子「このままでは私も蘇我氏も破滅する………」
炊屋姫「次の大王が大伴系になるのは業腹ですわね。なんとかしなければなりませんわ」
馬子「なんとかとは?」
炊屋姫「なんとかはなんとかですわ」
――東漢駒が崇峻天皇を暗殺しました。
馬子「はっ?」
――崇峻天皇は臣下に暗殺された唯一の天皇です。
炊屋姫「東漢駒は大王の后の一人に懸想していたようですわ。とんでもないですわね。その后というのが馬子の娘の河上娘らしいですわね。東漢駒は河上娘を浚ったそうですわね。娘を拐かわされた馬子は如何なさるのかしら。このままでは面子が立ちませんわ」
馬子「………駒があろうことが私の元に逃げて来たので首を刎ねました」
炊屋姫「まあ、怖いですわ」
――大王の座は空位となった。
炊屋姫「次の大王の有力候補は厩戸皇子、竹田皇子、押坂彦人大兄皇子の三人ですわね。群臣を束ねる馬子は誰を大王に推薦するつもりかしら」
馬子「蜂子皇子がいますよ」
炊屋姫「蜂子皇子は身の危険を感じて丹後国まで逃げたそうですわ。厩戸が逃亡の手助けをしたとか。優しい子ですわね」
馬子「押坂彦人大兄皇子は年長で血筋は確かですが、宮に出仕せず政務に関わらず豪族たちとの関わりは薄い。推薦者はいないでしょう。蘇我系皇族の厩戸皇子と竹田皇子のどちらかです。普通に考えれば年長で物部守屋討伐の功のある厩戸皇子でしょう」
炊屋姫「でも、二人とも若すぎではなくて? 大王になるには少なくとも二十五歳は超えていて欲しいところですわね」
馬子「ですが、他に候補はおらず………」
炊屋姫「有力な皇族による称制(皇位につかず政務を執ること)で時を待つという手がありますわ」
馬子「称制ですか。それで時を稼ぐとすれば厩戸皇子が次の大王ですね。ただ、ある人が即位するとすれば竹田皇子がその次の大王に選ばれるでしょう」
炊屋姫「そう? わたくしはどちらでもよろしくてよ。息子の竹田皇子と甥で娘婿の厩戸皇子―――そうねぇ、どちらかを選ぶ選択権がわたくしにあるのだとしたら愛する息子が大王になって欲しいかしら」
馬子「では――――」
炊屋姫「わたくしが大王に即位します」
――西暦593年1月15日(崇峻天皇5年12月8日)、炊屋姫は即位して推古天皇となる。
タイトルを「Interview with 推古天皇」に変更します。