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第弐話 崇仏論争

 〇 崇仏派・蘇我馬子(そがのうまこ)


 蘇我馬子(そがのうまこ)は敏達天皇の即位と共に大臣(おおおみ)に任じられています。

 その時に大連(おおむらじ)には物部守屋(もののべのもりや)が任じられていました。


 蘇我馬子は父の稲目の影響で仏教に傾倒して行きます。仏教を保護する崇仏派です。

 物部守屋は神事を司る中臣氏と共に仏教を排斥する排仏派でした。

 両者はことあるごとに対立するようになります。



 □ 578年 金剛組が創業

 □ 584年 善信尼が日本初の尼僧となる




――蘇我氏渡来人との関わりが深く大陸文化に精通していて仏教を保護している氏です。現在の蘇我氏の長で大臣の蘇我馬子は崇仏派として有名です。



炊屋姫(かしきやひめ)「わたくしも幼い頃から仏教に触れてますので詳しいですわよ。父(蘇我稲目(そがのいなめ))が渡来人の方と親しくされてましたので。司馬達等(しばだっと)さんとかには幼い頃に可愛がってもらいましたわ」



――渡来人の末裔と言われる(はた)氏を蘇我氏は保護していました。秦氏は養蚕や土木・建築なのどの技術を持っていてヤマトの発展に寄与しています。蘇我氏が政権内で力を持てたのは秦氏のおかげでもあります。蘇我馬子は仏教と大陸の技術を更に高めるために百済から宮大工を呼び寄せました。彼らにより創業されたのが現存する世界最古の企業である金剛組です。



炊屋姫(かしきやひめ)「世界最古とは素晴らしいですわ」



――金剛組は聖徳太子が四天王寺を創建するために百済から職人を招いたとされてますが…………。



炊屋姫(かしきやひめ)「聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのみこ)はまだ五歳ですわ」



――それに聖徳太子が四天王寺を創建することを誓ったのが587年ですので、年代が合いません。578年に創業という年代を正とすると蘇我馬子が招いたのが正解でしょう」



炊屋姫(かしきやひめ)「馬子叔父様は先見の明がありますわね。金剛組のホームページに名前が載ってないのは残念ですが」



――聖徳太子の方がメジャーですし蘇我氏は悪者のイメージがありますからね。それから現存する世界最古の企業と言いましたが、超過債務で破産して高松建設の一部門として再建されました。倒産したとも言われますが倒産の定義にもよりますので、現存する世界最古の企業というのは間違ってないでしょう。



炊屋姫(かしきやひめ)「いろいろと面倒ですのね」



――蘇我馬子は584年に百済の仏像を手に入れました。そして高句麗の僧を招いて司馬達等の娘を出家させます。善信尼(ぜんしんに)です。善信尼と共に禅蔵尼(ぜんぞうに)恵善尼(えぜんに)も尼となります。日本人で初めての出家者と言われています。



炊屋姫(かしきやひめ)「善信尼はまだ十一歳ですのよ」



――蘇我馬子が居宅の東に仏殿を作り、弥勒菩薩の石像を安置しました。そして法会を開いて三人の尼をもてなします。これが日本における仏教信奉の始まりと日本書紀は言ってます。



炊屋姫(かしきやひめ)「何を基準に始まりと言っているのか定義によりますわね。司馬達等さんは522年には仏を拝んでいたと記録がありますのに」



――蘇我馬子は翌年には仏塔を建てます。日本に仏教の布教させることに熱心でした。



炊屋姫(かしきやひめ)「わたくしも仏教は良いと思いますわ。ですけれど、少し不安なのです」



――何がですか?



炊屋姫(かしきやひめ)「主上(敏達天皇)はあまり仏教をよろしく思っていないようですの。それに物部氏と中臣氏が仏教排斥の声を上げてまして、宮で同調する群臣も多くおりますの。このままでは蘇我氏が孤立してしまいますわ」






 〇 仏教禁止令


 蘇我馬子は病となり敏達天皇に仏教を祀る許可を得ます。

 ところが、大和で疫病が流行して多くの死者を出しました。それに対して排仏派の物部守屋(もののべのもりや)中臣勝海(なかとみのかつみ)が異国の神を祀ったせいで疫病が流行したと奏上します。敏達天皇は二人の意見を受け入れて仏教禁止令を出しました。



 □ 585年

 ・敏達天皇は仏教禁止令を出す

 ・物部守屋は仏塔を焼き尼僧を鞭打つ

 ・蘇我馬子は敏達天皇に願い出て私的に仏教を祀る許可を得る




――蘇我馬子が疫病にかかりました。病の快癒を願い仏を祀ることを敏達天皇に願い出ます。



炊屋姫(かしきやひめ)「馬子叔父様大丈夫かしら」



馬子(うまこ)「なんとか大丈夫だ」



――ゲストに蘇我馬子をお呼びしました。病が治ってからで良かったのですが。



炊屋姫(かしきやひめ)「叔父様は頑張りすぎですわ」



――排仏派の物部守屋(もののべのもりや)中臣勝海(なかとみのかつみ)が異国の神を祀ったせいで疫病が流行したと奏上しました。中臣氏は古来の神を祀る氏族で仏教が日本で広まることに強い危機感と忌避感を持っていた。



馬子(うまこ)「物部氏はそれほど強い排仏思想を持ってはいなかったが、蘇我氏と政治的に対立していたので崇仏派の蘇我の反対で排仏派になったのだ。中臣氏が物部氏に近い氏族であったので行動を共にした面もあるだろう」



炊屋姫(かしきやひめ)「中臣勝海は狂信的で苦手ですわ。それと比べると守屋小父様はまだ話が通じますわ」



馬子(うまこ)「守屋など政治が分からぬ愚者だよ」



炊屋姫(かしきやひめ)「義理の兄に対して言うべきことではありませんことよ」



――物部守屋の妹の太媛(ふとひめ)は蘇我馬子に嫁いでいる。敏達朝のトップ2の氏族を繋ぐ役割を与えられていた。



炊屋姫(かしきやひめ)「子供も生まれて仲が良いではありませぬか。二人目も出来たと聞きましたわ」



馬子(うまこ)「それはそれ。これはこれだ」



――敏達天皇は物部守屋(もののべのもりや)中臣勝海(なかとみのかつみ)の上奏を受け入れて仏教禁止令を出しました。物部守屋は寺に向かい仏殿を破壊します。仏像を難波の堀江に投げ込ませた。



炊屋姫(かしきやひめ)「父の世代にも同じことがありましたわ。歴史は繰り返されるものですわね」



馬子(うまこ)「日本書紀には同じような事件が複数回記録されていることがある。内容増やす為にコピペした説があるそうだ。欽明朝の排仏運動は今回のことをモデルとした創作かもしれん」



――物部守屋もののべのもりやは三人に尼僧を差し出すように蘇我馬子に要求する。



馬子(うまこ)「大王の詔にそむくわけにはいかぬ」



――蘇我馬子は善信尼(ぜんしんに)禅蔵尼(ぜんぞうに)恵善尼(えぜんに)の三人を守屋に差し出します。守屋は三人の僧衣を剥いで全裸にすると衆人環視の前で縛り上げ鞭打ちました。



炊屋姫(かしきやひめ)「なんて酷い。善信尼(ぜんしんに)なんて十二歳の少女なのですわよ! 守屋小父様を見損ないましたわ!」



――しかし、疫病は収まらずに敏達天皇と守屋も病となった。人々は「仏像を焼いた罪である」と噂する。



馬子(うまこ)「そこで私が大王に奏上して三人の尼僧の釈放と仏を祀る許可を得ることに成功しました」



――蘇我馬子は新たに寺を建てて仏像を据えて三人の尼僧を迎えました。敏達天皇は蘇我氏が私的に仏教を祀ることは許可したわけです。世論に屈したとも言えるでしょう。



炊屋姫(かしきやひめ)「今回のことは酷いですが………主上(敏達天皇)の病が心配で夜も眠れませんわ」



――敏達天皇は病が癒えず数ヶ月後に崩御しました。


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