第拾話 聖徳太子の死
〇 『天皇記』『国記』
聖徳太子と蘇我馬子は『天皇記』『国記』『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』を編纂しました。
□ 620年 『天皇記』『国記』が編纂される
――日本の歴史に関する史書を聖徳太子と蘇我馬子が残したとされてます。
聖徳太子「歴史に名を残し神格化させるには自分で史書を書いた方が良いと気が付きました。プレイヤーよりクリエーターの方が強いのです」
推古「わたくしのことも良く書いて欲しいかしら」
聖徳太子「当然です。アマテラスの化身の偉大なる天皇として記します」
――『天皇記』『国記』『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』は現存せず内容も伝わっていません。これより二十五年後の大化の改新のおりに焼けてしまいました。
推古「それは残念ね」
聖徳太子「私の伝説の一端が後世に残らないのは残念です」
――聖徳太子の虚像は残りまくりですけどね。太子信仰が盛んになり昭和になって紙幣にもなりました。
聖徳太子「後世に伝説として残るのは計画通り―― ̄ー ̄)ニヤリ」
――虚像が多いので平成になると実在が疑われて教科書から消されそうになります。
推古「あらあら、やりすぎは良くないですわね」
聖徳太子「どうしてそんなことに」
――聖徳太子はいなかったブームがあって深く検討せずに流れで………つまりみんなが空気を読んだわけでその原因は………。
推古「原因はなんのですの?」
――和を以て貴しとなすという日本人の国民性です。
〇 聖徳太子の死
聖徳太子の母である穴穂部間人皇女が病で亡くなると、聖徳太子も病で倒れました。
膳大娘が太子を必死に看病しますが、体を壊して先に亡くなってしまいます。最愛の后を亡くした太子は失意のまま亡くなりました。
□ 622年 聖徳太子が亡くなる
――聖徳太子は疫病で亡くなったとされます。享年四十九歳。当時として早死にというわけではなかったのですが、推古天皇が長生きしすぎために天皇に即位出来ませんでした。
推古「わたくしも七十歳まで生きるなんて思いもしませんでしたわ」
――殯の期間が異例に短いので、暗殺説なんてのもあります。聖徳太子の怨霊を鎮めるために「聖徳」という諡号を贈ったとも。
推古「みんなミステリー好きね。だけど怨霊なんて輪廻転生の教えのある仏教らしくありませんわ」
――怨霊信仰、御霊信仰は日本的な宗教観ですが、古代から仏教と交わっていました。神仏習合は聖徳太子の時代から始まったと言っていいでしょう。
推古「殯の期間が短いのは仏教的な方法で鎮魂したからと考えられないかしら」
――橘大郎女は天寿国繍帳を造らせました。これは聖徳太子が往生した天寿国での様子を刺繍で現したものです。国宝にも指定されています。
推古「橘大郎女はわたくしの孫娘ですの。太子を愛してらしたのね」
――また、鞍作止利により聖徳太子のために釈迦三尊像が造られ法隆寺に収められました。これも国宝です。秦河勝が広隆寺を建立したのもこの時期で後に聖徳太子信仰の寺となったことから鎮魂の意味があったと思われます。
推古「国宝がたくさんありますわね。それだけ慕われていたというわけですね。もしくは怨霊が恐れられていたのかしら?」
――後世に太子の子孫が途絶えた為に鎮魂の為に神格化されたとは考えられますが………。
推古「死の直後にこれだけのものが造られたのは怨霊化が恐れられたのかしら。母と妻を亡くした直後に亡くなるのは悲劇ではありますけれど。馬子はどう思う?」
馬子「私が暗殺したなどという説である様子。陰謀論も甚だしいです」
推古「そんなことする理由はありませんものね。太子が亡くなってしまったので次の大王候補の筆頭は山背大兄王かしら?」
馬子「押坂彦人大兄皇子の皇子の田村皇子も有力候補の一人です」
推古「田村皇子………驚きましたわ。お異母兄様(敏達天皇)に瓜二つですわ」
馬子「血筋で言えば田村皇子と山背大兄王は同格です。政治経験で言えば山背大兄王が豊富ですが………」
推古「太子の一族、上宮王家は名声が高まりすぎましたわね。蘇我氏が傀儡にする余地がないほどに」
馬子「そういうわけでは………」
推古「そういえば近頃は田村皇子と懇意になさってると聞いてますわ。娘を田村皇子の后にしたのですって?」
馬子「大王の継承権のある皇族に対しては等しく親しくさせていただいているだけでございます。私も年ですし次世代のことは息子の蝦夷に任せています」
推古「その蝦夷が田村皇子と親しいですわね。あなたの弟の境部摩理勢は山背大兄王の後援者ですのにね。これは蘇我氏が二つに割れるのかしら。ふふふ」
馬子「摩理勢といえば征新羅の将軍に任じることをお許しいただきたく」
推古「そういえば新羅から任那の調が滞っていましたわね。任せますわ」
――蘇我馬子は弟の境部摩理勢を征新羅将軍へ任命して朝鮮半島へ派遣しました。
推古「太子は国内政治に関心はありましたけれど、朝鮮半島には無頓着でしたわね。とにかくわたくしは政治は馬子に一任しておりますの」
――新羅は戦わずに降参して任那の調を再開しています。
推古「あら、さすがは摩理勢ね。馬子の外交手腕も大したものですわ」
馬子「太子は隋の文化を取り入れて国力を増して国としての格を上げるのに熱心でした。それは正しいのですが、時には武を用いなければなりません」
推古「頼もしいですわ。太子亡き後はやはり蘇我氏の時代ですわね」




