第壱話 炊屋姫は敏達天皇の大后になる
〇 炊屋姫
欽明天皇を補佐する大臣の蘇我稲目には二人の娘がいました。
蘇我堅塩媛と蘇我小姉君の二人の姉妹です。
二人は欽明天皇に嫁いで后となります。
欽明天皇には宣化天皇皇女の石姫皇女が先に嫁いでいました。石姫皇女は二人の皇子を生んでいます。
蘇我堅塩媛と蘇我小姉君の二人も欽明天皇に愛されて多くの子を残しました。
ここでは代表的な何人かを抜粋します。
蘇我堅塩媛の産んだ皇子の橘豊日皇子と桜井皇子。皇女炊屋姫。
蘇我小姉君産んだ皇子の穴穂部皇子と泊瀬部皇子。皇女の穴穂部間人皇女。
今回の話では炊屋姫が主役となります。
□ 541年 蘇我堅塩媛と蘇我小姉君が欽明天皇に嫁ぐ。
□ 551年 蘇我馬子が生まれる。
□ 554年 炊屋姫が生まれる。
□ 570年 蘇我稲目が亡くなる。
□ 571年 欽明天皇が崩御する。
□ 572年 敏達天皇が即位する。
蘇我氏家系図
蘇我稲目 ┬ 蘇我堅塩媛 ┬ 橘豊日皇子
│ ├ 炊屋姫
│ └ 桜井皇子
│
├ 蘇我小姉君 ┬ 穴穂部間人皇女
│ ├ 穴穂部皇子
│ └ 泊瀬部皇子
│
├ 蘇我馬子
└ 境部摩理勢
――本日は欽明天皇皇女の炊屋姫にお話を伺いたいと思います。
炊屋姫「よろしくてよ」
――まずはご家族のことをお聞かせください。
炊屋姫「お父様は欽明天皇ですわ。父方のお爺様は継体天皇でお婆様は手白香皇女になりますの。大王家の正統な血族でしてよ」
――華麗なる一族というわけですね。
炊屋姫「お母様は蘇我堅塩媛ですわ。大臣の蘇我稲目の娘ですの。わたくしは大王一族と蘇我氏を繋ぐ架け橋なのですわ」
――蘇我稲目は欽明天皇の信頼の厚い重臣です。百済から仏教が伝来した時に崇仏派として仏教を保護していました。
炊屋姫「わたくしもお釈迦様を推してますのよ。義兄の穴穂部や泊瀬部にも布教してさしあげてますの」
――蘇我稲目の先祖は百済系の渡来人という説もありますが。
炊屋姫「それはデマですわ。馬子叔父様のお母様が高句麗のお姫様でしたので、そのようは噂が流れたようですわね」
――欽明天皇の皇后は石姫皇女です。石姫皇女と欽明天皇の皇子が訳語田皇子です。訳語田皇子が皇位を継ぐ予定です。家系図を見ると血筋の正統性が見えます。
継体天皇 ┐
├ 欽明天皇 ┐
手白香皇女 ┘ │
├ 訳語田皇子
宣化天皇 ┐ │
├ 石姫皇女 ┘
橘仲皇女 ┘
炊屋姫「お異母兄様はヤマトのプリンスですわ。残念なのは既にお后がいらっしゃることですわね。皇族のお姫様で広姫様とおっしゃりますの。わたくしと違い両親ともに皇族で正妃に相応しい方ですわ」
――炊屋姫は訳語田皇子に嫁がれるようですね。
炊屋姫「わたくしも適齢期ですから。この時代の皇族の女性は皇族に嫁ぐか巫女になるかしないのですわ。わたくしは年齢の近い相手がいてラッキーでしたわ」
――異母兄ですが………。
炊屋姫「おくれてらっしゃるのね。多様性の時代ですわよ」
――近親婚は古代の常識ですので。それはそうと訳語田皇子と広姫の間には皇子が生まれたようです。
炊屋姫「押坂彦人大兄皇子ですわ。わたくしも皇子を産みたいですわ」
――571年に大臣の蘇我稲目、572年に大王の欽明天皇が相次いで亡くなりました。
炊屋姫「悲しいですわ」
――訳語田皇子が即位して敏達天皇となりました。
炊屋姫「喜ばしいことですわ」
〇 炊屋姫は大后となる
敏達天皇が即位すると、大臣に蘇我馬子・大連に物部守屋が任じられます。
蘇我馬子は仏教を信仰する崇仏派で物部守屋は仏教を廃する排仏派でした。
敏達天皇は欽明天皇の遺言の「任那を復興せよ」を実現しようとします。
敏達天皇は広姫を大后としますが、若くして亡くなってしまいました。炊屋姫は次の大后となるのでした。
□ 572年 敏達天皇が即位する
□ 576年 炊屋姫は敏達天皇の大后となる
――大后の広姫が若くして亡くなりました。
炊屋姫「悲しいですわ」
――空いた大后の席に炊屋姫が座ることになります。皇族の女性として最高位となりました。
炊屋姫「複雑ですけれど頑張りますわ。この時代の子供の養育は母方の実家で行われますので、広姫の皇子・皇女は息長王家が育てていますわよ」
――息長氏は皇族のようですが詳しく分かっておりません。それゆえに嫡子であるはずの押坂彦人大兄皇子の動向が不明なのです。これからの皇族は蘇我系を中心に動いていくことになります。
炊屋姫「責任重大ですわね。大臣の馬子叔父様も重責を負って大変でしょう」
――この時期の敏達天皇の政策を簡単に紹介しましょう。欽明天皇の遺言で任那復興を目指して新羅や百済と協議しますが、新羅が任那の調をヤマトへ送るということで同意することになります。任那がヤマト政権に送っていた貢物、税負担を新羅が肩代わりするということですね。
炊屋姫「殊勝なことですわ」
――新羅は急激に領土を広げたことで百済・高句麗と同時に対立しています。その上でヤマト政権までが敵に回ると困るので下手に出たのでしょう。敏達天皇としても朝鮮半島への出兵は負担ですから新羅から送られる任那の調で譲歩したと思われます。
炊屋姫「政治のことは良く分かりませんの。主上(敏達天皇)にお任せしておりますわ。馬子叔父様が大臣ですからなんとかするでしょう。わたくしの仕事は皇子を生むことですわ」
――炊屋姫は敏達天皇との間に竹田皇子、尾張皇子といった皇子と他に複数の皇女を生むことになります。