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二人電車

作者: 海北水澪

 夜だ。疲れたという印象しかない。会社近くのターミナル駅に何とかやってきた。ビルから実は地下鉄で一駅くらいの距離があるのだが、歩けなくはない。というか朝に出社するときにそんなに乗り換えをしたくない。電車の乗り換えというのは結構な体力使うのだ。そもそも動くということ自体、朝は中々きつい。一本で通勤できるのはとてもいいアドバンテージになりうる事実。仕事をとにかくこなす秘訣の一つ。それは余計ない体力を使わずに通勤すること。

 人々の流れに合わせて体を動かす。決して逆方向に逆らうなんてことはしない。この場にいる人たちはほとんどが帰宅する客。とにかく前に足を進めて家路を目指す。顔をあげたくないというかそんな気力なんてないのだ。とにかく目に見えるものを極力少なくしたいという願望。生きるために少しでもエネルギーを温存しておきたい。といってもこの混雑の中を歩くだけでもエネルギーを使わないといけないのだが。人ごみでごった返す中、なんとか乗り場までたどり着く。あとは電車に乗るだけ。望むべくは、この混雑のなかでも空席があることなのだが。こればっかりはもう運に掛けるしかない。階段を上ってホームへ行く。人が多いからまた一苦労なのだ。

「……?」

 乗り場で見慣れた影があることに気づく。間違いないあの人影は。

「父さん」

「リョウ。今帰りなのか」

 間違えるはずもない。ずっと見慣れた姿なのだから。自分の父親たる男性だ。どういう外見なのかといえば。丸い眼鏡をしている。そしてくたびれた中年。ようはどこにでもいるおじさんってことだ。そういうこっちもさえないサラリーマンなんだろうから人のことなんて言えないんだけどさ。ある程度の段階で行けば年齢なんてものでさえ議論するとき無為になってくる。

「うん、父さんもこの時間なんだ」

「たまたまだよ、日によって変わるからさ」

 なんてことを話しているうちに電車が入ってきた。東京の西側へ向かう各駅停車10両編成。見慣れた電車だ。子供の時からずっと同じ電車が走ってるから代わり映えしない。前に続いて乗り込む。空席を探してみる。すると都合がいいことに、二つ空いているじゃないか。何と運がいいことか。

「そういえば、大沢監督って新作作るらしいね」

「映画か何か?」

 電車がゆっくりと動き始めた。一瞬だけ揺れてそのまま電車が加速していく。窓の外を一瞬見たが、帰宅時間のためか徐々に人がまた増えていく。階段を上る人の波は尽きることがない。

「んー深夜の特撮番組見たい」

 父さんとオレをつなぐのは趣味の話が主だ。仕事の話も大学の話もほとんどしたことない。進路についても何も言われなかった。ある意味気楽なことだ。反対されて家の中が修羅場になることもない。その分ぶつかって腹を割って、話すってことはあまりしなかったけど。それが幸せなことなのか不幸なことなのかは人によって変わるのだろうけど。オレはそれが幸せなことだと思ってる。誰がなんて言おうとも。

「メインどころ?」

「多分。雑誌で少し見ただけだから何とも言えないけど」

 大沢監督、本名は大沢義一郎。昭和の時代から活躍してきた名物監督だ。愛称は映像の錬金術師。テレビ以外にも舞台とかで活躍していてそっち側で培った技術をテレビで思う存分発揮する。その魅力からファンも多いのだ。異業種を混ぜ込むことからついた名前が映像の錬金術師。

「あの人もキャリアが長いからなあ」

 大沢監督の話でひとしきり盛り上がっている間に、窓外のライトがすさまじいスピードで流れ去っていく。最初はネオンのサインや外套照明だったのが次第に住宅地に入っていくから窓のライトになっていった。光量も少しずつ小さくなっていく。真っ暗な中に走る電車が1つ。外から見たらこの電車は光の塊のように見えるはずだ。

 思えば父さんと二人だけで電車に乗ったのは久しぶりだったかもしれない。それにこんな夜になってから乗った電車に限ればもっと前だ。幼稚園だった時に二人で出かけた。親戚の家だったかもしれない。色々用事があるとかで日帰りで変えることになったのだが長居をしてしまい家を出た時点でもう真っ暗。それはとある冬の日の出来事だった。とても寒かった気がする。それ以外にも父さんとは色々な場所に出かけた。けれど夜真っ暗になってから電車に乗るような出来事はその一軒だけだ。家族全員で出かけて新幹線の都合で夜になってから家に着いたことはあったけども。

 思えば出かけた場所は数知れない。シフト制の仕事だから、土日に確実にいるとは限らない。だから毎週なんてことはないけど。二人とも鉄道が好きだったから。大人になってからは休みも時間も調整するのも合わないしで出かける機械なんてほぼなくなってしまった。最後に行ったのは高校生だったか、大学生だったか。数年前のことなのに遠い昔のように感じてしまう。

 人間は昔はよかったなんて思ってしまえばおしまいだ。けれど、実際はどうだったのだろう。何も考えなくてもいい、未来に希望だけがあふれているような時代。

 泣けてきたかな。疲れているから考えることもろくでもないことのほうが多い。思い出の逃避なんてみっともないことしてられるか。何があってもどうなってしまおうとも常に前を向いていくだけ。後ろを見て後ろに走り出した時点でそれが人間の敗北。

 車内を見わたせば十羽人広げ。乗っている客は様々。といっても圧倒的に社会人が多い。子供の時とは違うのだ。時間が違うのだから客も違う。流れる光の洪水の量が多くなりだした。また駅だ。以前一緒に乗った時は郊外だったから光の量はもっと少なかったかな。あとはまあ新しく作られた路線だったし高架は高いしで街の光から距離が離れていたんだけどさ。

 知らない間にも電車は走る。いくつもの駅を通り過ぎ高速で、夜の闇を貫く光の矢。銀色の車体はきっと闇の中でも激しい主張をする。時々派手な色をした特急列車とすれ違う。父さんと子供の時、見ただけではしゃいだ。知らない場所へと連れて行ってくれる道の象徴。わざわざターミナル駅に発着する特急列車を見に行ったこともある。飽きることもなく、何時間でもいられた。めったにないことだったからうれしかったのだ。もう少し大きくなって中学生の時。明け方に発着する夜行列車を一緒に見に行ったこともある。一人では母さんの許可が下りなかった。父さん同伴でやっと許してもらったんだからこれも思い出深い。そういえば知らない間に、夜行列車も姿を消してしまった。今ではほぼ全滅に近い。代わりに何か登場したものがあっただろうか。確かある。

 新型の新幹線、そして後数年後にはリニアモーターカーさえ登場してくる。300キロを遥かに超え、どこまで最高速度をマークし続けるのか。人間と違って機械は着実に進化を続けていく。

 考えているだけで虚無のような感情がわいてきた。虚無に身を宿すのはやめた方がいい。疲れるだけなのだから。思考回路に負担は強いるべきでない。

 何か別のことを考えることにした。何がいいだろう。せっかく父さんがいるのだからそれにまつわることがいい。

「そういえば」

 切り出す。これは自分の中にある思い出を引き出すための作業。別段恐れるものは何一つない。

「?」

「とうさんおぼえてる?こうやって夜更け過ぎになってから電車にのったこと」

「そんなこともあったっけ。リョウがまだ小さい頃だよね」

「そうそう。もう外が真っ暗になってて」

 その時のことを思い出していたが、ふと気づいたことがある。隣に座る父さんがとても小さく思えたのだ.一緒による電車に乗っていたこれはあんなに大きく頼もしい背中だったのに。夜はあの時怖かった。けれどなんで歩けたのか。それは父さんが一っしょにいてくれたからだと思う。真っ暗な闇。何が潜んでいるか分からない。もしかしたら恐ろしい化け物が潜んでいるかも。そんな空間に歩いて行けたのも父さんがいてくれたからだ。そんな父さんの背中が。今ではとても小さく見える。それは時の流れによるものなのかもしれない。残酷な時のいたずら。彼らは容赦しないのだ。奪うだけ奪って何も残していかないのだから。

 思えば父さんの背中の大きさを知ったのは、それよりも前だった。あれは幼稚園の時だった。熱を出し家で寝込んでいた時。小さいときは往々にしてそうなのだが大したことのない風邪でも深刻な症状を発症しているように感じてしまう。そんな時に看病してくれたいたのが父さんだった。なんで父さんが看病してくれたのかは覚えてない。けど理由自体は何得だけど想像がつく。多分仕事が休みとかシフトの関係だと思う。朦朧としている意識の中で父さんの姿は覚えている。その後も父さんとは出かける機会があったけどいつも父さんの背中は大きかった。そして久々に見た父さんの背中は小さかったのだ。

「……」

 急に現実を突きつけられたようでむなしくなってきた。考えれば考えるほど深みに入っていくことで答えも見えない。ライトのない状態で山道を歩かされているようなものだ。答えの出ない悩みほど苦しいものはないのだから。

 ただ一つ言えるのは。父さんはもう昔の父さんじゃないんだ。守ってくれるような強い存在じゃない。多分父さんの誰かを守るために先を歩くという役割は解かれたのだ。それはきっと次世代へ明け渡される。誰が継ぐのかは知らない。そうだ、あらゆるものは継承されて行くのだ。さっきの夜行列車のこと然り。

 今乗っている電車だってそうだ。銀色のステンレス車両。外側は新しいがもう登場してから20年近くになる。最近の車両は登場する新技術に対応するために置き換えスピードが速くなっているという。現にすれ違う列車は後継車両だった。この列車も登場したときは前面の咆哮幕が巻き取り式になっていたが、ほどなくしてLEDに改造されて行った。いわゆる延命工事、体質改善というやつだ。光景に道を譲るのは有機物、無機物問わず行われる逃れえぬ宿命。その父さんと出かけた時はこの車両だって新型だったのだ。そのときは鋼製の全面塗装の車両が走っていた。鮮やかな黄色に塗られた車両は夜の中でもたいそう目立った。きっと父さんとの出来事を覚えていたのはそういうじじょうもあるんだろう。色の退避、光の使い方。特徴的に人の目を引くものは人間の記憶の奥底に焼き付いて離れなくなる。現実にはなくなってしまっていっても記憶には永遠に残り続けた。忘れなければいいのだ。

 電車が止まりお客が下りて行った。といっても満員であることには変わりない。話すネタがなくなってしまったから父さんは文庫本を読み始めた。父さんの愛読書は古典だ。最近のエンタメ小説は一切読まない。別にそういうたぐいの作品を悪く言うなんてことはないけど、単純に興味がないんだと思う。若い時から古典を読み続けてきたという。洋の東西を問わず昔から親しまれてきた作品を読むのが好きだからそれ以外を読む必要なんてなかったのだ。若い時からこのまま固定されていたため年を取ったら取ったで別の方向に進むことはない。保守的な人だ。もっともそのやり方でうまく行って既定のだから無理に他を向く必要なんてなかった。

 「……」

 考えてみれば父さんと同じ立場になったのだ。父と子供という関係性は永遠に変わらない。しかし学生という身分は失われて、父さんと同じ社会人という身分に変わっていく。対等といえば対等なのだろう。しかし、同じ身分になったからといって父さんと同じようにふるまえるのかえといえばそれは違う。発想、考え方、覚悟とまああげて行けばきりがない。どれもこれも一朝一夕で身につくような代物でもない。

 いわゆる「大人」になるっていうのは難しいことではないと思ってた。でもそれは外側から見ていただけの体裁の話。自分で意識して変えていかなければならないことであるのだった。

「この前おばあちゃんの家に行ったよ」

 本を閉じて父さんが話し始めた。電車はまた次の駅に泊まってまた走り始めた。モーター音と風の音が今までと変わらずに響く。そういえばレールの方の音はあまりしない。

「元気だった?」

「そうだね。いつも通りかなあ」

 おばあちゃんは少し離れた場所に住んでいる。日帰りできる距離なのでそんなに往復が難しいわけではない。ただ電車の本数が少なかったりと少し面倒だった。どんなに早いルートを使っても片道1時間はかかる。特に面白い車両が走ってるわけでもないけども。

「おばあちゃん、リョウに会いたがってたよ」

「休みが取れればいいんだけどね」

 おばあちゃんに会いに行ってたのは子供のころはもっと多かった。親の都合次第だけど大体2~3か月に一片。今では正月、盆、春の連休の3回くらいしか行かなくなってる。足が向かないのは別にそれ以外もあるけれど・・・・・

 父さんとは話が広がらない。今更する話もないからなんだろうけど。顔を合わせる機会が多かろうと少なかろうと話はない。でも子供のころはもっと多かった。それはなぜか。

休日しか父さんと顔を合わせることがなかったから。見た番組の話。街で見かけた景色。学校で新しい機材を使ったこととか。1週間のうち数回しか会えないってなると話の蓄積も増えていくんだ。

 ふと気になって身をよじって窓の外へと目を投じた。相変わらず電車は高架区間を走っている。ビルはなくなってきた。代わりに戸建て住宅が増えてきた。完全な住宅地へと突入していく。もうそろそろ下車駅が近づて生きた。だからって車内の客が減るわけでないけど。まあでも降りるまでにある程度のお客さんには減っていてほしい。降りるときに人込みをかけ分けるってことに労力を使いたくないのが本音。

「……」

 喋ることなんて何もないような気がした。それは気がしただけで本当は話すネタなんてある。あえて目を曝していた話題。仕事に関する話題だ。父さんと自分に存在している共通項。同じ立場になったからこそ話せることだ。だが自分にとっても仕事なんて言うのはいい印象のないことだから。現実の片隅に潜む悪夢の欠片のような存在。現実に潜む不安要素の始ま理のようなものなのだから。ただでさえつらいのに自分と向き合わざるを得ない題材の話なんてする必要がどこにある者か。そもそも生きていること自体、悪夢と向き合っているのだから。夢であろうとなかろうと悍ましい事態に付き合わされる。

車輪は開店し電車は走り続ける。話す前に停めるのではなくそのまま突き進めと言わんばかりに列車は止めることをやめない。なぜか、大した駅間距離でもないのに長く感じる。それはいつも以上に。まるで切り出せと、そのことについて離さないと止めないといわれているような気がする。無慈悲な宣告。

「父さんは」

「?」

 意を決して口を開いて聞いてみる。新たなる扉を蹴り飛ばす。賽は投げられた。もはやと戻りはできぬ。覚悟を決めるのだ。既に……。

「仕事を何歳まで続ける予定なの」

「うーん、今の雇用形態だと一応あと5年くらいかなあ。その後でもう一回再雇用してもらって数年、そこからは年金もらうことになるのかな」

 父さんの定年は近い。ずっと同じ会社で働き続けてきたのだ。オレも漠然とそんなことを考えていた。父さんと同じように大学を卒業した後は会社に入り、その会社で転職を考えて、一生を終えるものだと。

「途中で本社に行ったりしないの」

 本社で勤務するのと現場でお客の前に出続けて働くのは、微妙に違う意味合いがあると個人的に思ってる。少なくとも転職して会社を移動するくらいには。

「どうだろ。多分ここまで来ちゃうとずっと現場なんじゃないのかな」

「そっか」

 ダメだった、会話は広げられなかった。仕事について心構えとか聞いてみるべきだったんだろうけど。やはり勇気が出なかった。自分と向き合って弱さを見つめるのはきついのだ。できないことを必死になってできるようにする。しかし何かを拒絶しているから必死にならない。足かせになるのが、多すぎる。

「……」

 再び、窓の外を見た。会話は一旦打ち止めだ。どうすることもない。夜の闇をもう一回見つめてみる。自分の顔が電車の窓に映った。疲れ切ったひどい顔だ。やつれているうえに目が死んでいる。見たくない。というか顔の話をしたくない。思えば覇気がないとか漠然とした理由でいくつも会社を落ちてきた。働くことに後ろ向きだったからそれが顔にも出ていたということか。考えてみれば、つらい思いをするという事実を隠しきれていないのが、ダメだったのか。

 つくづくオレは生きるのが下手らしい。父さんはあまり顔に出したりしないから、ここも資格の問題か、大人になるための心持なのか。もし必要ならオレはいまだに父さんに及ばないということになる。道は遠い。

 もう一度子供の時を思い出してみた。思えば、夜の電車なんて言うものは乗ってもそんなに楽しくなかったのかもしれない。自分のこととはいえ完全な推測でしかないけれど流れる外の景色が好きだった。しかし夜になればそれはもう見えない。漆黒の夜に支配され、光が抵抗し自分たちの居場所を主張する。まあなんと悲しい戦いであることか。

 ただ昼間に載って景色を見るのが楽しいとか言っていられたのは子供の時だけだった。大人になってしまえば毎日同じ景色を見て会社を連想する。憂鬱な時間であるのだ。あんなのに楽しいとか思っていられたのに。失うものは時間だけではないのか。得られるものなんて、そんなに多くないのだ。できもしないのに無理やり自分の能力以上の場所にあてこまれ不具合を生む。努力によってそれを埋めなくてはいけない。考えてみれば努力なんて嫌いだったな。人間は多かれ少なかれば努力をしないといけないんだろうけど生きていく この行為以上に努力しなくてはいけないことなんてないじゃないか。考えようと思えばいくらでも考えられるだろうけど、思考が混濁してきた。とりあえず目の前のことをどうにか片付けるような人生だ。着手しないといけないんだ。

だから毎日満員電車に乗って会社に行ってそれで……。

「着いたから降りるよ」

「え? ああ」

 最寄り駅についてしまった。時が過ぎるのは速い。思ったよりも人が下りて行かないので人が着をかき分けて前を進む。オレが意図的に仕事の話を父さんとはしたことがない。それは多分父さんとあまり話す機会がないから。好きでもない話をあえてするべきではない。話す内容なんて言うのはある意味では話す側の気持ち次第では明るくもなる暗くもなるのだ。暗くなって険悪な雰囲気になってそこで弁解するのも大変。

 数少ない時間をそういうことに費やしたくはない。一種の処世術、世渡り術。無意識のうちに身に付けて行った。

役に立っているかどうかは定かではない。会っていると思い込むしかない。

「コンビによって行こうか。夜ご飯会に行かないと」

 昨日から母さんは出かけている。といっても友達と一緒に旅行に行ってるだけなんだけども。確かイズだって言ってた二泊三日だから明日帰ってくるはず。普段忙しいからオレがお金を出して旅行に行ってもらったってわけ。ついでに妹も学校行事で宿泊してるから居ない。いるのは父さんと男二人だけ。とうさんは休みの日に? 料理をしない。そもそも二人だけだからどうこうすることもないんだけど。

駅前のコンビニといっても複数ある。その中でも弁当が揃っている店へ向かった。ここはコンビニ共通のメニュー以外にも独自の物も置いてある。しかも出来立てだ。たまに仕事が休みの時とかはここに買いに行った。

 店内は少し混んでた。多分同じような発想の弘がいっぱいいる。週末だからきっと楽をしたい。父さんはきつねうどんのセットを買った。父さんはうどんが好きだから。たまに朝から自分でゆでて食べてる。さすがに生地から作るなんてことはないんだけど。あれって大変だから。そもそも家にそんなことをできるような場所なんてない。

 オレはかつ丼を買った。平日は体調があんまりよくないため消化が悪いものは食べられない。消化不良を起こしてしばらく食事が進まないことも普通にある。だから薬がしばらく前から手放せなくなってきた。食べる気がしないのはまだしもそもそも食べた後も不快感がひどい。内蔵全体を圧迫されているようなナゾの不快感。そもそも何が原因かなんて言うのは分かり切ってる。知っているが考えるだけで苦しい思いをするからあえて目をそらし、考えないようにする。対策方法もわかっている。答えは簡単、そのストレスとなっている原因を排除するしかない。こちらからの動き方次第で本質的に未来を変えるのだ。しかし不快なことを考えていたら疲れた。前は考えの切り替えができていたのに最近は時間がかかる。

幸いなことにレジはすいていた。レジ前にある簡単なお菓子売り場があったのでチョコレートを何個か買う。饅頭とか和菓子とかウヰスキーボンボンとか置いてあってこれが安く買えるわけで。すぐに会計を済ませることができたので家路を急ぐ。

 そもそも寒い。冬場でもないのに気温の下がり方がひどいと見える。雨が降るよりはよっぽどましなのだが。

 空には月が浮かんでいる。満月だ。雲が1つもないため綺麗に見えている。十五夜であろうとなかろうと月は年中輝く。それによって父さんとオレの影ができている。影でもオレのほうが大きい気がする。並んで歩くわけにもいかないから、正確な判断はできない。やはりここでも時が流れたことを実感させられる。前を歩く父さんの背中はやはり小さかった。あんなに大きいと思っていたのに。そもそも、だ、子供の時父さんとおばあちゃんに手を引かれて持ち上げてもらったりもしていた。それは短い時間の美しき記憶。世界が怖ろしいなんて思いもしない無垢な少年の。その後すぐに現実を突きつけられるシステムなのだからどうなっているのやら。

 二人で無言で歩いていく。そもそも耐えられる無言と耐えられない無言がある。耐えられる無言というのは空気に慣れているからこそなせるもの。合わない人間とだったら無言だろうと何だろうと苦しいものだ。

「リョウ、さっきからなんか顔色が悪いけど大丈夫?」

「あ、いやうん、ちょっと仕事が大変だから疲れてるのかもしれないな」

 笑ってごまかした。ていうか調子はずっと悪い。朝起きてから今週はずっと吐いてる。そもそもお湯を飲んだ打だけで吐くって言った移動なんているんだろう。最近は何かを食べただけで消化が悪い感じがする。胃の中はひっくり返る。悪夢は体内ですらむしばんで体を破壊するのだ。吐いたとかそんな話のことを気が付かれているが朝あれだけバタバタしていれば誰でも気づくか。そして安息の地である自宅へと帰ってきた。

 ※

 我が家は建築されてからかなりの時間が立っている。戦後すぐに立てたというから歴史の深さがわかる。ただ古くて有難いのは重要文化財だけだ。一軒家が古いといろんなところに迷惑がかかる。地震が起きて隣の家に倒れたとか問題だ。そもそも立て直すだけの金があればいいんだろうけど。何をするにしても規制やら金の問題がのしかかる。ああ憎むべき拝金主義社会。金を稼ぐだけでも大変なのに、稼げる金額にも限度があるなんて。

この苦情を一体どこに言えば受け付けてもらえるのか。

「ただいまー」

 父さんとオレしかいないがもはやクセであいさつをする。あいさつをされていやがる人間などいないだろうから別に気にすることはない。玄関で靴を脱いで大して長くもない廊下を歩く。というかこの家はなぜか知らないが玄関がやたら広い。そして廊下はほぼないんじゃないかというくらい短い。ゆえに我が家に廊下らしい廊下はほぼない。二階に少しだけあってかな。1階はほぼすべての部屋が何らかの形でつながっている。風呂やトイレなどの水回りの場所を除いてだが。

「さ、食べよう」

 買ってきた弁当を引き出す。適当に電子レンジに放り込んで温める。その時父さんのも一緒に。時間と電気代の節約だ。その父さんは何をしているかと思えば冷蔵庫の隣から酒を取り出している。ウヰスキーだ。といっても高級品ではない。普通に酒屋で売っているような品物。そもそも我が家には贈答品なんてものはなこない。そういうものとはゆかりがないんだから嘆いたってしょうがない。そういうものがあるせいで生活水準が上がると失った時が厄介だ。精神ではなく物理によって支配されるのがこの世界だ。

「飲むか?」

「うん」

 ただの気まぐれだった。オレはほとんど酒は飲まない。というか飲めない。体質によるものなんだろうけど。ただ酒を集めるのだけは趣味だから家の物置には大量の日本酒やらワインやらが眠ってる。日本各地を回って適当に買うだけ買ってきた代物だった。たまに母さんが料理をするのに使ってる。というかそれにしか使い道がない。

「ソーダで割るから」

「冷蔵庫に入ってるよ」

 正しい作法があるのかもしれないけどそんなものはしらない。この疲れている状態で一々そんなもの守ってる気にもならないから。モグリの酒飲みにルールなど無用。というか酒をそんなに飲まない理由は単純に味がよく分からないっていうかあんまり子の実じゃないっていうか。

「……」

 前に缶のハイボールを飲んだことがある。別に味が分からないというかあれは多分美味しいとは思えなかったんだろう。それは今でも変わらない。ただ水で割るよりはおいしい気がする。炭酸の感覚がいい。あるいは味のついている酒だ。赤いブドウのワインとか。

「仕事はどうだい」

「あんまりうまく行ってない」

 父さんの方から切り出してきた。なんとなく察していたのかもしれない。

「うまくいってないっていうのは人間関係とか?」

「全部。任される仕事も意味わからないし上役の言ってることは気に入らない何言ってるかさっぱり分からないから」

 これはすべて事実だった。仕事もできなきゃ書類に書いてある言葉の意味すら理解できない。周りが何を言ってるのかも。というか頭の中に、入ってこないのだ。つらい、どこまで行っても何をしても苦しい。恐らくこの仕事も長くは続けられないだろうとは漠然に思う。

「人間関係かあ」

 父さんもソーダで割ったウイスキーを飲んでいる。どれくらいの濃度にしているのは知る由もない。うどんはとっくに食べ終わってしまったらしい。今、皿の上にあるのは冷凍してあった天ぷらだ。酒のつまみにするためにとってあったものだ。

「むずかしいよな、人間関係は」

「父さんも悩んだことあるの」

「そうだね」

 グラスの中の液体を飲みながら父さんが答える。園眼? はどこか遠くを見ていた。ここではないどこか。きっと昔のことを思い出していたんだろう。考えてみれば、今オレが経験していることも、父さんがどこかで感じてきた道なのだろう。それを何らかの方法で乗り越えてきた。

「二番目に勤務した店舗の上司が難しい人でさ、何を考えてるのか分からなかった。いやあれは大変だった」

 楽しそうに言っているが、きっとつらかったはずだ。だってオレも同じようなことで悩んでいて起きたら毎朝、体のどこかが痛いし胃がひっくり返るような感触を、味わっているのだから。

「結局、その人とはどうやって接してたの」

「そうだねえ。あまり会わないように逃げ回ってた。一人で行かないようにしてたかな」

 笑って答える。思い出は浄化されていたようだ。

「結局半年でその人は昇格して本社に行ってしまったんだよね」

 オレは黙って父さんの話を聞いていた。時の情勢に助けられたんだ。人間には追い詰められると、世界が味方をする不思議な力でもあると感じるが。

「でも、どこに行ってもうまく合わない人って言うのはいるものなんだよ。おばあちゃんも言ってたけどね」

「それはそうだけど」

 おばあちゃんに以前同じ話をされたことがあった。曰く、オレのおじいちゃんは転勤族でいろんな場所に引っ越していておばあちゃんもそれについていったわけだけど。近所に住んでいる人にはいろんなのがいたらしい。その事実に共通していることが1つだけあったという。それが絶対合わない人がいたって話。

「まあでも、リョウにも耐えきれないことだってあるよなあ」

「どうしてそう思うの」

「だって、リョウずっと悲しそうな顔してただろ」

「……それは、その」

「だから仕事がうまく行ってないのかって思ったんだ」

 うまく言葉が継げなかった。言葉を継ぐ代わりにグラスの中の液体を飲んでいく。

「仕事ができなくてもな。ゆっくりでいいんだぞ」

「……」

 父さんが欠けてくれた言葉に返す言葉がなかった。イヤ返せなかった気がする。なんとか耐えてみるが目に涙がにじむ。目の前がぼやけてきた。

「父さんやお祖母ちゃんが言った通り、どこにいってもうまく行かない人って言うのはいるものだからな。ただそれが本当に合わないっていうかいるだけで苦しいっていうんなら逃げ立っていいと思う」

「……うん」

 ダメだ。顔が上げられない。

「リョウが幸せに、仕事ができて笑って暮らせるのが一番いいんだから。母さんも言わないけどきっとそう思ってるよ。何より倒れたらおばあちゃんが悲しむから」

「そう、だね」

 なんとか、言葉を紡ぎだした。震えはきっと抑えられているはずだ。

「じゃあ先に風呂入るから」

 一足早く、夕食を食べ終わった父さんが器を処分すると風呂へと向かっていった。リビング日はオレ以外誰もいない。耐えていたが、もう無理だ。涙がコップに落ちた。一つ落ちればそれをせき止めるものなんてない。次から次へと落ちていく。父さんの話だけで簡単に緊張は弾けた。父さんになんか一生叶わないし越えられない。

「……」

 しかし、だ。逃げようとも、何をしようとも人間は生きるという戦いからは逃れられない。父さんの言葉はそのことを教えてくれた気がする。座っているままだと思考回路がマイナスになってきた。少しでも回復させるために、立ち上がって外へ行く。相変わらず夜空には月が笑っていた。その月の下で、グラスに口をつけてソーダで割られた液体を体に流し込んだ。

 無言で月と夜景をにらみつける。その頬を涙が流れて行った。

 久々に飲んだ酒は涙が混じっていて、以前飲んだ時より苦かった。もともと苦い酒が涙のせいでなおさら。 

 明日もまた生きていくのだ。

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