3.これは序章
「本当に腹立たしいったら」
「すごいご令嬢もいたものですね」
クリスティナ様が視察から戻ってきて数日。
珍しく負の感情を露わにしているクリスティナ様に私とクライヴァル様、そしてバージェス殿下は苦笑いだ。
「やはり私が行って正解でしたわ」
「精神的苦労をかけて申し訳ないとは思ったがクリスティナに行ってもらって良かった」
クリスティナ様とバージェス殿下がこう零すのには訳がある。
今回クリスティナ様御一行はルクセンの街がある領主の屋敷に宿泊していたそうだ。
そこの領主一家は領主、領主夫人、娘、息子の家族構成なのだが今の時期領地にいるのは領主だけで、他の三人は子息が王立学園に通っているため王都の外れにある屋敷で過ごしているそうだ。
けれどなぜか領主夫人と娘は今回の視察に合わせて領地に戻ってきたらしい。
なんとそれは、領地の屋敷に来る王族関係者と接触するためだったそうな。
「こちらも敢えて誰が行くとは言わなかったからな。おそらく私が行くと思ったんだろう」
しかしやってきたのはクリスティナ様。あからさまになぜ? どうして? と表情に出ていたらしい。
どうやら領主の娘は自分の容姿に相当な自信があるらしく、バージェス殿下に一目会って認識されれば側妃くらいにはなれるかもと思っていたらしい。
「側妃って……いろいろ気になるところはありますけど、その方今お幾つなんです?」
「私たちの4つ上よ」
4つ上か。
つまりクライヴァル様とバージェス殿下は同時期に学園にいたことがあるということ。
そう聞けば、二人とも首を捻って「知らない」と答えた。
「あの様子だとクラスは一番下だったでしょうね」
「あー、なるほど。でもそんなに自信のある容姿なら多少学園でも目立っていたんじゃないですか?」
私の問いをバージェス殿下は鼻で笑い、「私の婚約者を誰だと思っている」と言った。
「クリスティナだぞ? こんなにも可愛らしくも美しい愛する婚約者がいるのだ。視界に入ったところで有能でもなければ関わり合いもない者に興味など湧かん」
「そもそも学年も違うから接点もなかったんじゃないか?」
その手のタイプは自分から接点作りに行きそうですけど。
まあそれは置いておいて。
「そのご令嬢は側妃が迎えられる条件をご存じないのでしょうか?」
この国は一夫一妻制で、それは王族であろうと基本同じ。
例外は、どうしても、どうしても子供に恵まれなかった場合のみ離縁か側妃を娶ることが許される。
この“どうしても”というのが婚姻後10年以上、もしくはお妃様の年齢が28歳を超えてもという条件である。
つまりクリスティナ様たちにはあと10年弱の時間があるのだ。
「もしそういった状況になった場合、彼女は32歳。バージェス様の側妃に選ばれることなどありえないわ。おそらく王族は側妃を娶れる、くらいの中途半端で自分に都合の良い知識しか持ち合わせていないのでしょうね」
晩餐会の際も不機嫌を隠そうともしない仏頂面でいたというのだから呆れてしまう。
「あの、領主は確かメリング子爵でしたよね? 子爵令嬢がそんな様子で大丈夫なんですか?」
余計なお世話だとは思うが、メリング子爵家の行く先が案じられる。
「ああ、それに関しては子爵本人と子息はまともだからね」
第一子である長女の教育に失敗したと悟った子爵は夫人に任せきりだった教育に子息の時は積極的に関わったそうだ。
おかげで子息はまともに成長。母親と姉とは積極的に関わることはないらしい。
そんな関係性ならば夫人と令嬢が領地に戻って来たとき、子爵は大層驚いたに違いない。
なるべくクリスティナ様の耳に入らないように領主が二人を窘める声が何度か聞こえていたとクリスティナ様は言った。
「けれどねぇ? それを理解できるならそもそも領地に戻ってこないわよね」
「結局何をしたんです?」
「自分のほうがバージェス様を支えることができるのに、ですって。仕事が大好きならそちらは任せるからバージェス様を癒す役割は自分にくれないかとも言っていたわね」
「……頭沸いてるんですか?」
この方、王太子妃になられるお方ですよ?
それ以前に公爵令嬢ですよ? 貴族の一般常識どこに置いてきたの?
仮に、ものすごく能力が高いご令嬢だったとしても、全方位に秀でているクリスティナ様とは同じ舞台に立つこともできませんけど?
思わず怪訝な表情を浮かべそうになったが、ぐっと堪えて微笑む。
いけない、いけない。気をつけなければまたリディアナお義母様に叱られてしまう。
「あら、マルカもすっかり表情管理が板に着いたわね」
「ははは、どうせ頭の中では辛辣に突っ込んでいるのだろう?」
「ふふ、バージェス殿下こそ」
私ですら苛立ちを覚えるのだから、クリスティナ様のことを愛してやまないバージェス殿下も当然怒る案件だろう。
私とバージェス殿下が二人でふふふと笑っていると、クライヴァル様が苦笑を浮かべながらクリスティナ様に話の続きを促した。
「それで? まさかそのまま放置したわけではないのだろう?」
「当然よ。バージェス様への愛も容姿も教養も、私があなたに劣るところなど何一つ無いのだけれど、メリング子爵令嬢はバージェス様の何を支えられるというのかしら? って聞いて差し上げたわ」
まさしくその通りなのだけれど、こういった頭の中がお花畑の人は誰が聞いても正論だと思うことが理解できないことがある。
そんなことを言ったらクリスティナ様が無表情で頷いた。
「まさにそれよ。言葉が通じなさすぎて眩暈を起こしそうだったわ」
クリスティナ様のようにすべてを完璧になさる方が傍にいてはバージェス殿下の心が休まる暇がない。
だからこそ傍にいて、王族としてではない、ただの男性として癒してあげられる自分のような心優しい女性の存在が必要だ。
お馬鹿さんはそう宣ったらしい。
クリスティナ様ではないけれど頭が痛くなりそう。
たぶんメリング子爵令嬢の知っているバージェス殿下が外向けの顔で、クリスティナ様と一緒にいる時の顔が本来の殿下なのだと知っている私にとっては勘違いも甚だしいという感想しか出てこない。
「ね? 頭が痛くなるでしょう?」
メリング子爵令嬢の言い分を聞き流し、妾になりたいということかと問えば、彼女はその顔に悲しみの表情を浮かべたという。
「え? 今どこかに悲しむ要素ありました?」
「ないな」
「ないだろう」
「ないわね。けれど彼女の言い分だと、妾だなんて酷い。そんな存在ができてしまえばバージェス様の清廉潔白な経歴に傷がついてしまう。生まれてくる子供も嫡子と認められないなんて可哀想だから正式な妃、側妃として上がりたいと言ったわ」
「……お馬鹿を通り越して、もはや恐怖なんですけど。起きながら夢でも見ているんですか?」
「自分に自信を持つのは良いことだけれど、まるで自分を客観視できない人が自己肯定感が高すぎるのも問題よねぇ」
みんな揃って遠い目をしてしまった。
特に私以外の三人は、こういった頭の中にお花が咲き誇っている人と関わったことがあるようで、口には出さないが「非常に面倒だ」という感情がありありと漏れ出ていた。
「まあ、とにかくね。もう本当に面倒になってしまったから、側妃についてもう一回お調べになったら? と言っておいたの」
そしてクリスティナ様はお屋敷を後にする際にメリング子爵にすべて告げ口してきたらしい。
「せっかく良い技術と産業を持っているのだから、子息のためにも娘さんをどうにかしたほうがよろしいのではなくて? 今ならまだ冗談として笑い話で済ませて差し上げましてよ? と伝えたときの子爵は見たことないくらい青褪めていて少し可哀想だったけれどね」
クリスティナ様は溜め息を吐いて紅茶で喉を潤した。
ただの視察のはずがとんだ災難だったようだ。愚痴を零したくなるのもわかる。
「マルカも気をつけてちょうだいね。貴族といってもこういう輩もいるから。というわけで本題なのだけれど」
「……本題? 今の愚痴は序章なんですか?」
「序章のような私の精神的安寧のためのもののようなものではあったわね」
クリスティナ様の言葉に私とクライヴァル様は顔を見合わせた。
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