2.大切だから
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「ではお先に失礼します」
「ああ、今日は本当にご苦労だったね。気をつけて帰るんだよ」
魔術師長たちに見送られて部屋を出る。
パタンと扉が閉まったところで私はクライヴァル様の腕をポンと叩く。
「クライヴァル様……もう我慢しなくてもいいんじゃないですか?」
「……っふ、くく。やはり君にはバレていたか」
クライヴァル様が口元を押さえながら目を細めた。
どうやらクライヴァル様はフェリスさんの変わり身の早さに笑いのツボを刺激されるらしく、毎回こんなふうに笑いを堪えている。
もちろん口を開けて大笑いをしたりはしないし、なんなら表情に出してもいない。
いつもどおり穏やかな笑みをその美しい顔面に張り付けている。
「口の端がひくついていましたよ。まあほとんどの人には気付かれないと思いますけど」
けれどわかる人にはわかる。
「そうか。気をつけないとだな」
そう言って顎を擦りながら表情をいつものものに戻し、流れるように私の荷物を持つと「さあ、帰ろうか」と言って歩き出した。
自分の荷物くらい自分で持つと初めのうちは言っていたのだけれど、「マルカの手は私と繋ぐために空けておかなくてはね」と眩しいほどの笑顔で言われてしまっては何も言い返せなかった。
よくよく考えれば、荷物を持っていても片手は空いているから問題ないのでは? と思ったけれど、これはクライヴァル様の優しさだし、手を繋ぐこと自体は嬉しいことだったのでそのまま流されることにした。
というわけで、今も私たちは仲良く手を繋いで歩いている。
以前のクライヴァル様は女性たちから人気はあったけれど、特定の女性と親しくなることもなく、噂すらも立たないような人だったらしい。
そんな彼が女性と手を繋いで歩いているこの状況に、最初のうちは目撃した人たちは皆驚いた表情を浮かべていた。
私たちのことをよく知らない人たちからすれば、私は高い魔力を買われてフィリップス侯爵の養子になった女だ。
王太子のバージェス殿下とクライヴァル様の妹のクリスティナ様は婚約しているし、私はその二人のお気に入りとされている。
私たちの婚約は学園での一件で国王陛下や魔術師長からも覚えがめでたい平民の私を貴族の中に取り込むためにフィリップス侯爵家の養女とし、アルカランデ公爵家に嫁がせることで家同士の結びつきを強くする。
そしてバージェス殿下を支える地固めの政略的なものだと思っている人も多かったのだと思う。
だからこそクライヴァル様に対して価値のない平民の娘を娶らされるなんて可哀想だとか、完璧令息だったのに婚約者だけ完璧じゃないなどと言う人もいた。
私も私で、身の程知らずだの侯爵家と公爵家が結びついたという事実が大事なのであって、結婚だけすれば後は用済みだのと言ってくる人もいた。
まあ私からすれば、そんな口先だけの人よりも私のほうがよっぽど価値がありますけどという感じだし、血は薄まったといってもきちんとフィリップス侯爵家の一員だし、両親は亡国とはいえ貴族だったんですけどねと心の中で軽くあしらっていたのだけど。
むしろクライヴァル様を始めとした周りの人たちのほうが怒ってしまって大変だった。
そんなこんなでいろいろあって、クライヴァル様は「いかに私がマルカのことを愛しているかというのをアピールする必要性を感じるな」と言い出す始末。
婚約者だからといって皆が皆仲睦まじいというわけではない貴族社会の中で、嬉々として私を構い倒している。
私をわざわざ魔法省まで迎えに来るのもその一環だ。
仕事は大丈夫なのかと思うでしょう? そこはもちろん大丈夫。
だってクライヴァル様だから。
バージェス殿下が学園を卒業されてからクライヴァル様は正式に殿下の側近として働き始めた。
まだまだ国王陛下もご健在だし、王宮の業務も滞りなく回っていた。
そこにバージェス殿下が加わり、クライヴァル様も側近として出仕するようになったことで、よりスムーズに仕事が終わるようになり、個人の時間が増えたとバージェス殿下も喜んでいた。
つまり良いことづくめなのだ。
誰に文句を言われる筋合いも無いというわけである。
クリスティナ様も令嬢たちとのお茶会でクライヴァル様の溺愛ぶりを語っているらしく、クリスティナ様の周りの方たちでとやかく言ってくる人たちはだんだんと減ってきている。
「そういえばクリスティナがまたお茶会をしようと言っていたよ」
「三日前にもお会いしたばかりですけど」
「そう言ってやるな。クリスティナにとって本音で語り合える相手というのも少ないんだ」
「この前は一時間バージェス殿下との惚気話を聞かされました」
「それはまた……」
「なので代わりに私もクライヴァル様との惚気話をたっぷりしました」
ゴホッとクライヴァル様が咳込む。
心なしか耳が赤くなっているような気がする。
「……ほどほどに頼む」
「ふふっ」
こういう顔も私しか知らないのだと思うと喜びが込み上げる。
クライヴァル様と想いが通じ合ってから、自分が思いのほか独占欲が強いということを知った。
婚約していても人気が衰えないクライヴァル様はパーティーや夜会などでもどうしても女性が周りに集まる。
もちろん彼は適切な距離を保とうとしてくれるし、私以外の女性に目移りをしているなんて微塵も思っていない。
私だって社交の観点から他の方とお話しすることもあるし、ずっとクライヴァル様に張り付いているわけにもいかない。
けれど、本当はやっぱりダンスを踊るのは私だけであってほしいし、他の女性にクライヴァル様が熱の籠った目で見られているのも、触れるのも触れられるのも嫌だと思ってしまう。
そんな感情を表に出すわけにはいかないから標準装備の微笑みを顔に張り付け、何事もないようにやり過ごす。
べつに束縛したいわけではないのだけれど、感情というものは自分の思い通りになることばかりではないので難しいところだ。
これに関してはクライヴァル様に直接話したことがある。
その時にクライヴァル様は自分も同じようなことを思っていると聞いて、少し心が軽くなったのを覚えている。
そして外では取り繕わなければいけないが、自分の前ではそういった感情も隠さず見せてくれた方が嬉しいとまで言ってくれるのだから、私の旦那様になる方の愛は深くて広いなと思った。
「私の婚約者は自慢したくなることが多いですからね。でもそんなのを聞いてくれる人というか、聞かせられる人って少ないじゃないですか。きっとクリスティナ様も同じなんですよね」
私ですらこうなのだから、王太子妃になるクリスティナ様はもっといろいろなことを考えなければいけないし、周りに隙を見せてはいけない。
しかも以前と違い、半年後に婚儀を控えた現在はすでに王太子宮に居を移されているから余計に私のように気軽に呼べる者は貴重なのだろう。
「あれ? でもクリスティナ様、明後日からご公務でルクセンに行かれるんじゃなかったでしたっけ?」
ルクセンは馬車づくりの街として有名で、そのせいか道路の整備が進んでいる街だ。
近いうちに王都の道路の改修工事が行われる予定で、その視察のために関係者とクリスティナ様が向かうのだ。
別にクリスティナ様が直接工事に関わるわけではないけれど、時折地方都市に王族関係者が赴くことで、王家は地方も気にかけていますよとか、そちらの技術に一目置いていますよとアピールする目的もあるんだとか。
「本当に大変な役割ですよね。しかもクリスティナ様のことだからきちんとルクセンや工事技術や果ては馬車の作り方や素材についてまで勉強されているはずですもん」
クリスティナ様は息抜きをすることはあっても手を抜くことは決してしない人だから。
「私も見習わないとですね」
「君も十分頑張っていると思うけど? だがマルカのように理解して支えてくれる友人を持ててクリスティナも幸せだな」
「ふふっ、逆です。クリスティナ様のような友人を持てた私が幸せなんです」
絶対に私のほうが彼女に助けられている。
学園時代からクリスティナ様にはお世話になりっぱなしだ。
そもそもクライヴァル様とこういう間柄になれたのも、寮に入れなかった私を公爵家に連れて行ってくれたことから始まったのだし。
「君たちの絆には少し妬けるな。お茶会の詳細が決まったら私から伝えるよう言われているから少し待っていてくれ。もちろん業務には支障のないようにすると言っていた」
「わかりました。楽しみにしていると伝えてください」
「ああ」
こんなふうに話していると、あっという間に馬車の待機場に着いてしまった。
とはいっても私たちにはまだまだ時間がある。迎えに来ていたアルカランデ公爵家の馬車に一緒に乗り、お屋敷へと帰るのだ。
婚約してからも私はアルカランデ公爵家にお世話になっているので帰る場所は一緒だ。
以前は向かい合って座っていた馬車の席も、今では隣に並んで座ることが当たり前になった。
「出してくれ」
御者に声をかけるとゆっくりと馬車が進み出す。
そうしたところでやっとクライヴァル様が深く息を吐いた。
「お疲れですか?」
「疲れは疲れでも気疲れだよ」
何かあったのかと問えば、クライヴァル様は私を見てあからさまに溜息を吐いた。
私が何かしたのだろうか。してないと思うのだけれど。
「私はね、マルカが窃盗犯に応戦したと知って、君の無事をこの目で見るまで気が気じゃなかったんだよ」
「私、強いですよ?」
「知っている。いつどこで何があるかわからないと誰よりも理解していることも、そのために油断をしないことも。だがそれとこれとは別だ。君を大切に思っているから心配もする」
私は幸せな日常がある日急に終わってしまう怖さを、命が果ててしまう恐ろしさを身をもって知っている。
クライヴァル様もそれは十分に理解してくれている。
その上で大切だから心配だと言ってくれている。
私だってクライヴァル様が大切だからその気持ちはわかる。わかっていたはずなのに、今の返事は間違っていた。
「……ご心配おかけしました」
こてんとクライヴァル様の肩に寄り掛かる。
すると私の頭にクライヴァル様の頭がもたれかかってきて、膝に置いていた手が大きな手で包まれた。
「うん。君が無事で良かった」
「はい」
私たちが手を繋いだまま、馬車は夕焼けの中をお屋敷までゆっくりと進んでいった。
やはりラブ♡がないとね!
相変わらずの二人です( *´艸`)