86.蛾は再び舞い戻る
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人だかりをかき分けて、というよりは人だかりが綺麗に左右に割れて、そこからスッとバージェス殿下とクリスティナ様、クライヴァル様が出てきた。
ゆっくりとこちらに向かってくる途中でどこからともなくヒューバートお義父様とリディアナお義母様もやってきて合流し、とんでもなく豪華な人たちが揃った。
全体的にキラキラしている。
そんな中でも一番クライヴァル様が輝いて見えるのは、恋人としての欲目かもしれないと思わず自分に呆れてしまう。
けれど、近づくにつれよく見えるようになったクライヴァル様の表情が、私と目が合ったとたんに社交用の笑みから愛情を感じさせる笑みに変わるのだから、それも致し方のないことだと思うのだ。
「やあ、魔導師長。いや、今日はフィリップス侯爵のほうが良いか?」
やって来たバージェス殿下がまずフェリクスお父様に声をかけた。
「どちらでも構いませんよ、と言いたいところですが、そうですね。今日はマルカの父としてこの場におりますので、そちらのほうがありがたく」
フェリクスお父様はにこやかにそう殿下に返すと、クリスティナ様に「クリスティナ嬢、ご卒業おめでとうございます」と声をかけた。
「ありがとうございます。こちらにいる皆さんのおかげでとても有意義な学生生活を送ることができましたわ」
クリスティナ様が私やシンシア様たちにそう言って笑いかけたので、私たちも笑顔で返した。
「特にマルカのおかげで家でも学園でも今まで以上に面白……楽しく過ごせたわ。ねえ、皆さん?」
クリスティナ様の言葉に「ええ、本当に」とシンシア様とハルフィリア様が返すので、私は少し眉を顰めた。
「……今、面白くって言おうとしませんでした?」
「うふふ」
「……クリスティナ様?」
「だってねぇ? マルカがいなかったらもっと単調な毎日だったなと思って。貴女にとってはこの数年は大変だったり面倒だったりすることのほうが多かったでしょうけれど、私としては貴女の強さだったり、逞しさだったり、強かさなんかを近くで見ているのはとても面白かったのよ」
「クリスティナよ、強かさ以外は女性への褒め言葉としてはどうかと思うが」
珍しくバージェス殿下からまともな指摘が入る。
「まあ、殿下。これは何も身体的に限ったことではございませんのよ? マルカの場合は精神的な意味合いが強いかしら。その強さで突き進んでいくマルカを見るのが面白かったと言っているの。言い換えれば魅力的だった、ということね」
クリスティナ様の言葉になぜかシンシア様たちもうんうんと頷いている。
「これ褒められてるんですか?」
「もちろんよ。まあその魅力に一番やられてしまったのがお兄様なのだけれど」
そうよねと言うようにクリスティナ様が視線を向けると、クライヴァル様が恥ずかしげもなく「そうだな」と言った。
「マルカ以上に魅力的な女性を私は他に知らないし、この先知る必要もないと思っている」
シンシア様とハルフィリア様がクライヴァル様の言葉に手を取り合って小さな声で「これがあの噂の!」とか「生で見れたわ!」と頬を染めてきゃあきゃあとはしゃいでいる。
(わかる、わかるわー。甘ったるいんだもの。声も、視線も)
何度も言うが、クライヴァル様は見目が良い。
だからこそ普通に優しく接するだけで好感、好意を持たれやすい。
けれど、クライヴァル様から恋情たっぷりの視線を日々向けられている私は思うのだ。
クライヴァル様の優しさでやられているそこのあなた、彼の本気はそんなものじゃないんですよ、と。
「相変わらずお前の息子は愛が重いな。いったい誰に似たのやら」
「愛情深さなら私だろうな。安心して嫁がせるといい」
「はっ、もう半分嫁いでいるようなものだろうが」
「フェリクス、それは仕方のないことよ。愛する二人を引き離すなんて酷なこと私にはできないわ」
「フィリップス侯爵夫人のお心遣いには感謝してもしきれませんわ。ねえ、クライヴ?」
「ええ。夫人のおかげでマルカと共に過ごすことができております。ありがとうございます」
「いいのです。高貴なる者に見初められ、隣に立つために努力する娘、そして結ばれた二人の想い……最高のロマンスだわ!」
ローザお母様が胸の前で手を組んで少女のように瞳を輝かせる。
この手のロマンス小説が大好きなローザお母様のおかげで、フィリップス侯爵家の娘になっても今までと同じようにアルカランデ公爵家で暮らせているのだから感謝しかない。
「フィリップス侯爵、侯爵夫人。ここからのご息女のエスコートを私にお任せいただけませんか?」
「よかろう」
「ええ、ええ! さ、マルカさん」
クライヴァル様の言葉に嬉しそうに頷いたローザお母様に背を押され、彼の前に立つ。
「じゃあ後は若い人たちで楽しんで? 私たちはあちらに行っているわね」
そう言ってそれぞれの両親は私たちのもとを去り、シンシア様たちもそれぞれの婚約者の元へ戻ると言って離れて行った。
ここまではほぼ事前に話し合っていた筋書き通り。
それでもやはり公の場でクライヴァル様のエスコートを受けるというのは嬉しいもので。
私よりも背の高い彼を見上げると、たった一日会わなかっただけなのに普段以上に素敵に見えるから困る。
これはそう、きっとクライヴァル様がお屋敷内にいる時よりもきちっとした格好をしているからだ。
「会いたかったよ。手を」
差し出された手を取るとそのまま腕へと誘導され、耳元で「そのドレス、やはりとてもよく似合っている。すごく綺麗だ」と囁かれた。
私を見る目は優しく、たしかな愛情をそこに感じる。
「クライヴァル様が私のために贈ってくださったものですよ? 私以上に似合う者がいてたまるものですか」
私が胸を張ってそう返せば、クライヴァル様は目を細めて「ははっ、違いない」と言った。
「やっと、やっとだ。やっとマルカをエスコートできる。とても嬉しいよ」
「私も嬉しいです。よろしくお願いします」
「任せてくれ」
そうして二人で笑みを交わしていると、揶揄うように声がかけられた。
「ちょっとお二人さん? いつまで二人の世界に浸っているつもりかしら?」
「まあまあ、クリスティナ。許してやれ。クライヴ念願のエスコートなのだから」
「わかっているなら邪魔しないでくださいよ」
「クライヴァル様、仮にも王太子殿下にそれはどうかと」
「……マルカ嬢。仮にもとは何だ。私はれっきとした王太子だぞ? 君が一番ひどいことを言っている自覚はあるか」
「あら、申し訳ありません。バージェス殿下がにやついたお顔をしていらっしゃるので友人としての対応で良いかと思ってしまいました」
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、誰ともなくくすくすと笑いだす。
「やっぱりマルカは最高ね」
「本当にクリスティナの言ったとおりだな」
「何がです?」
クリスティナ様とバージェス殿下の会話に首を傾げると、彼らはここに来る前に私はきっと緊張などしていないだろうという話をしていたと言った。
「緊張、ですか」
「していないだろう?」
「そうですねぇ」
緊張、は確かにしていない。
来賓に偉そうな人もたくさんいるけれど、なにせ普段から会っているのがこの国の最有力貴族のアルカランデ公爵や魔導師長、それに王太子殿下たちなのだ。
人生で最も緊張したのは一昨年の件で国王陛下に謁見した時だろうか。
あれは結構怖かった。
その時のことを思い出しながら私は答える。
「国王陛下に謁見した時に比べればこれくらいどうということもないですね。できれば目立ちたくはなかったですけど、まあそれは無理だとわかって――なんで笑ってるんですか?」
今の会話のどこに笑われる要素があったのか。
特にバージェス殿下が彼にしては珍しく外向けの顔が崩れかかっている。
「本当に何なんですか?」
「ふっ、くく。いや、クリスティナとクライヴがな、ふ、ふふ」
「私とお兄様は、マルカなら『国王陛下にお会いした時と比べたらどうということもない』なんて言いそうねとバージェス殿下に言ったのよ」
「はは、すまん。あまりに二人の言う通りだったものだから」
「はあ、さすがお二人。私のことをよくわかっておられますね」
そんな感じでしばらく四人で談笑していると、クリスティナ様が「ところで、マルカ」と話題を変えた。
「なんですか?」
「あなたの周りは少しは静かになったのかしら?」
「ああ、はい」
これは面倒なあの人たちは黙らせたのかということだ。
「フェリクスお父様たちの手も借りましたのであっさりと。ほとんど自滅、いや滅されてはいないと思うんですけど」
最後にはきちんと笑顔で気にしていないと伝えたし。
うん、たぶん大丈夫だろう。
「……どうだろう、クリスティナ。これはもう滅されているのではないか?」
「そうですわねぇ。けれど滅されていようがいまいが自業自得ですから、どちらでも良いのでは?」
「うむ、それもそうだな」
クリスティナ様とバージェス殿下が私を見ながらひそひそと話している。
「……なんなんですかね、お二人とも」
「なんでもないわよ? 雑音が消えて良かったわねとお話してしていただけよ。ねえ、殿下?」
クリスティナ様の言葉にバージェス殿下はうんうんと頷く。
絶対それだけではないだろうと思いつつも、私を気に掛けてくれたことに感謝を告げた。
そして、そうこうしているうちに卒業パーティーの開始が告げられた。
はじめに学園長が挨拶をし、次に来賓の挨拶と祝辞、そして成績上位者の発表だ。
私とクリスティナ様を始めとした上位十名がそれぞれ名前を呼ばれ前に出て、その中から代表して首席卒業生――クリスティナ様へ成績優秀者を表すバッジの授与が行われた。
このバッジをいただけるのはとても名誉あることで、成績上位者の中でことさら優秀であると学園側が認めた者にしか与えられないものなのだ。
今年このバッジを授与されるのは私を含め六名だけだ。
もちろんクライヴァル様も持っているので、お揃いのものが増えたことを密かに喜んだ。
そしてそれらが終われば後はパーティー要素が強くなる。
お喋りに花を咲かせるも良し、ダンスに興じるのも良し、軽食を楽しむのも良し。
ただ、パートナーがいる人たちは基本一回はダンスを踊るし、婚約者同士で参加していない場合はダンスを申し込むのも受けるのも自由だ。
一昨年は役目を果たした後はダンスなんぞに目もくれずひたすら食に走った私だが、今年は違う。
私の隣にはクライヴァル様がいる。
ちらっと横目にクライヴァル様を見上げれば、それに気づいたクライヴァル様がにこりと笑い、その麗しの笑みの流れ球を受けたどこかのご令嬢から小さく黄色い声が上がった。
えーい、うるさい。
今一番ときめいているのは私なんですよ。
「どうかした?」
「いえ、今年のパーティーは前の時とまったく違うなと思って」
平常心を保つように視線を中央で踊るクリスティナ様とバージェス殿下に向けて答える。
「ああ、そうか。前の時は踊らず食事をしていたのだったか。華奢な身体のどこにその量が入るのだという量を平らげていたとクリスティナが言っていたな」
「あの時はその後の食事と住まいの心配しかなかったので、食べられるときに食べておかなければと思っていたんです。今考えれば恥ずべきことだとわかりますが」
そうなのだ。
通常パーティーで満腹になるまでお腹を満たそうとする者はいない。
せいぜい小腹を満たす程度の物なのだ。
それをガツガツ食べているのは基本よろしくないとされる。
あの時はとりあえず自分の仕事は終わったし、もう貴族ではなくなったと思ったし、先が見えない不安もあったし、何よりパートナーもいなかったからそんなことを気にすることもなく思いっきり食べていたのだが。
「でも、今年はクライヴァル様がいてくださいますから」
「……ああ、そうだな。今年は……いや、この先もずっと私がいる」
「はい」
見つめ合って笑顔を交わす私たちに周りの人たちがざわついているのがわかる。
これだけ距離が近いままずっと隣にいれば、否が応でも私たちが特別な関係であるということはわかるだろう。
しかしどこにでも現実が受け止められなかったり、やたらと精神が強靭な人がいるもので。
「クライヴァル様」
しかもそれが先ほど私の前から逃げるように去って行ったうちの一人、メイジャー伯爵令嬢なのだから、本当にこの人の精神はどのようになっているのかと呆れを通り越して感心してしまう。
「メイジャー伯爵令嬢」
私の声にちらりと視線だけ寄こし、彼女はそのまま無視をして私の横にいるクライヴァル様に笑顔を向けたのだった。
マルカたちの周りのご令嬢&ご令息も「ああ、何でまた……馬鹿だなぁ……」と思ってる。
やめておけばいいのに……と皆さんも思ったことでしょう。
感想などいただけましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。