8.マルカに戻る
しかし、今日という日を迎えるにはいろいろと苦労が多かった。
実は意外と殿下と恋仲のフリをするというのが大変だった。
よくよく考えたら今まで誰かを好きになったことが無かったので、愛を囁かれた時の対応が分からなかった。
いつも通り曖昧に微笑んでおけば良いかという私の考えが顔に出てしまっていたのか「演技とはいえここまで無反応なのは面白い」と殿下に言われ、面白がって次から次へと砂糖より甘い言葉を囁くものだから、周りから見れば熱に浮かされたバカップルに見えたことだろう。
時にはクリスティナ様にその場を目撃されることもあり、肩を震わせ俯く彼女を周りの令嬢が慰めているところを目にしたこともあった。
おそらくクリスティナ様は悲しみのあまり涙を堪えているのだと周りの令嬢は思っていただろうが、もちろんそんなことはありえない。
この計画を知っているクリスティナ様が殿下の甘い囁き作戦に私が内心げんなりしているということを分かっていて笑いを堪えていたということを私は知っている。
王宮でクリスティナ様とこっそりお茶会をした時も「バージェス様との時間を譲っているのだからそれくらい我慢なさい」と大変良い笑顔で言われた。
あれは確実に楽しんでいる目だった。
私が思わず「譲ってほしいなんて頼んでないのに……むしろ出来ることなら今すぐお返ししたい」と言えば「あらまあ、バージェス様ったらずいぶん嫌われたものね」と笑って返された。
全てが終わったら同じ言葉を殿下からかけてもらえばいい。
きっとクリスティナ様は顔を真っ赤にさせることだろう。
何度かお茶会をして知ったが二人は相思相愛なのだ。
本物の恋人同士である彼女たちならきっとそうなるに違いない。
絶対にからかってやる、と心の中で思ったりもした。
回想に耽っていると私に向かって伯爵が声を荒らげた。
怒鳴らずに話すことが出来ないのだろうか。
「マルカ!これはどういうことだ!この父を嵌めたのか?!」
「嵌めただなんて人聞きの悪いこと言わないでください。あなたたちの謀の火の粉が自分にかからないように振り払っただけです」
伯爵の言葉に言い返す私の顔にいつもの微笑みはない。
相手を馬鹿にするような笑みを顔にのせている。
「っ貴様!拾ってやった恩も忘れてこの私を裏切るというのか!」
「拾ってやった恩?裏切る?ずいぶんと面白いことをおっしゃるのですね」
思わずフフッと笑い声が零れた。
「何がおかしい!」
「まず、私はあなたたちの仲間でも何でもありません。拾ってほしいなんて頼んでもいません。全てあなた方が勝手にやったことではありませんか」
「なん、だと?」
「大体あなたが父親だなんて私は認めない。そんな話はこちらから願い下げです」
「貴様っ……貴族の私が父であると言ってやっているのになんだその態度は!?」
ここまで来てもまだこの男は自分が父親であると言い張るらしい。
本当に馬鹿げている。
私の中で伯爵に対する苛立ちが募っていく。
「……ですから頼んでいないと言っているでしょう?妄想も結構ですが、もっと現実を見てはいかがですか?ああ、それとも……愚かな夢を見過ぎて現実と妄想の区別すらつかなくなってしまっているのでしょうか?」
「たかが平民の分際でっ!誰に向かってその様な口を利いている!?」
「あなたです……私の父を騙るレイナード伯爵、あなたによ」
私は笑みを消し、ゆっくりと伯爵に近づいた。
「私は父様を覚えてる。私と同じ瞳の、優しい父様だった。そんな父様を愛していた母様を自分の愛人だったなどと……たとえ冗談でも許せない!とんだ侮辱だわ!母様はあなたのような性根の腐った人間に入れ込むような愚か者なんかじゃないんだから!母様を馬鹿にするな!」
私は言いたいことを言いきって肩で息をする。
今まで一度も反抗したことの無かった私が急に牙を剥いたことに伯爵と伯爵子息は大層驚いて声も出ない様子だった。
情けなく呆然と口を開けている伯爵親子に殿下が言う。
「王家に対する反逆罪に私に対する傷害罪、そこに庶子でもないのにマルカ嬢を娘と偽って貴族社会を謀った詐欺罪も追加しておこう」
「そんなっ!これは何かの間違いです!そこの平民の娘が我々を嵌めたのです!殿下!」
殿下の言葉に意識を戻した伯爵が縋るように前に出ようとしたが、すぐに押さえつけられた。
「すでに証拠は揃っているし、マルカ嬢の身の潔白も王宮にて証明されている。処分内容は追って沙汰するが貴様らは二度とこの世界に戻ってくることは出来ないと思え。連れて行け!」
殿下の声で動き出した兵たちに引きずられるようにして二人は連れて行かれた。
その後、殿下が正式に立太子されたことを宣言し、会場は先ほどまでの空気を一変し再び祝いの場となった。
立太子の件に関してはまた後日陛下から正式な発表があるだろうが、この場で殿下が立太子を宣言されたのは、せっかくの卒業記念パーティーをこのような形で終わらせてしまうのは申し訳なく、少しでもおめでたい話で上書きしようという目的もある。
それと共に今回あえてこのような場で断罪が行われたのは、伯爵たちを油断させるためというのもあるが、見せしめの意味もあったのだと思う。
ただ人伝に話を聞くのと実際目にするのとでは受ける印象、影響は大きく異なる。
バージェス殿下は同じ時代を生きるであろう若い貴族たちにしっかりと叩き込んだのだ。
過ぎた欲、愚かな考えは身を亡ぼす―――レイナード伯爵のように、と。
会場の喧噪の中、私の心は穏やかだった。
やっと終わった。
今まで我慢していたことを言ってやった。
私は今日この日をもってマルカ・レイナードから、ただのマルカに戻る。
レイナード伯爵家はおそらく取り潰しになるだろう。
私は元々本当の娘などではないのだから、ただの平民に戻る。
この学園にはあと二年在籍することになるが、伯爵家の屋敷も押さえられて帰るところも無くなってしまったからまずは家探しから始めよう。
そういえば学園の寮って今からでも入れるのだろうか。
そこが無理なら街で部屋を借りることになるけど、王都って家賃はどのくらいなのだろう。
出世払いとか出来るのかしら。
とりあえずは学園の寮に入れてもらえるか聞いてみなくては。
やらなくてはいけないことが山積みだ。
これから私は自分の力で生きていくのだ。
(母様、私頑張ります!)
この騒動が落ち着いた後、私は報奨金として平民には驚きの額を頂いたり、家探しを公爵家一丸となって邪魔されたり、クリスティナ様のお兄様に口説かれたり、魔術師長から卒業後の勧誘を受けたりと激動の人生を歩むことになるのだが、今の私はそんなこと知る由もない。
私の名はマルカ。
母様と父様からもらったこの名前が私の誇り。
短編と同じ内容はここで終わりです。
次話から完全に新しい話になりますので、若干更新ペースが落ちると思います……すみません(;´Д`)
≪マルカに聞いてみよう≫
質問:伯爵たちはこの後どうなるんですかね?
↓
マルカ「そこまでは私にはわかりませんが、とりあえず魔術師長お手製の、あの緑色の液体をものすごーく苦い味にして飲ませてほしい。今はそんな気分です」
クリスティナ「マルカ……貴女って結構良い性格しているわよね」
マルカ「クリスティナ様、性格悪いって言っていただいても大丈夫ですよ」
バージェス「自分で言ってどうする。……自白剤の味に関しては魔術師長にひとこと言っておいてやろう」
マルカ・クリスティナ「……」