73.婚約者
「いやあ、まさか半年以上も掛かるとはなあ」
紅茶を口にしながら公爵様が言う。
「本当に。マルカさんはなかなか手強かったわね」
「長かったわね。お兄様、マルカを泣かせたら承知しないわよ」
公爵夫人とクリスティナ様もやっとまとまったのかという表情を隠しもせずに言った。
クライヴァル様ときちんと気持ちを確認し合った翌日、予定通り公爵邸の立派な庭園で開かれるお茶会――と言っても参加者は公爵一家と私だけなのだが――の時間の少し前、クライヴァル様が私の部屋を訪れた。
一緒に庭園まで行き、お茶会が始まる前に公爵様に婚約の許可を貰うつもりだと言われた。
正直、それはきちんと公爵様の部屋に出向き行うことなのではと思ったが、クライヴァル様はその必要は無いと言った。
「何と言うか、おかしな話だが父の許可は既に貰っているんだ。あとは私が君の心を手に入れられるかどうかだったから、どちらかと言えば報告に近いな。それに母やクリスティナも居たほうが都合が良いだろう?個別に後から色々と聞かれるのは面倒だしな」
その言葉に、確かにと頷き笑い合ったのは二人だけの秘密だ。
そんなわけで、お茶会を始める前にクライヴァル様から私たちのことが報告されたのだが、案の定反対されることもなく和やかな雰囲気だ。
私に用意された席もクライヴァル様の隣で、最初からこの場でこうなることが分かっていたような感じだったが気にしないことにした。
そして公爵様の指示で執事さんが持って来た書類を渡された。
婚約証書だった。
「問題無いならそこにサインを」
そう言われて、私は迷うことなく自分の名を記入した。
クライヴァル様の名は既に記入してあり、いつの間に書いたのだろうと思っていると、公爵様が笑いながら教えてくれた。
「半年以上前、マルカ嬢が我が家に来てから割とすぐに用意していたよ。君から良い返事を貰えたらすぐにでも婚約を整えられるようにとね」
「……父上、言わなくても良いでしょう」
余計なことを言わないでくれというような視線をクライヴァル様が公爵様に向けた。
その頃と言えば、私はまだクライヴァル様の言葉をあまり信じておらず、心を寄せ始めてもいない時期ではなかったか。
そんな頃から婚約証書を準備していたことに驚きを持ってクライヴァル様を見ると、ばつが悪そうに溜息を吐いて言った。
「……だから、最初から私は本気だと言っていただろう。マルカ嬢への気持ちを自覚してからは君しか考えられなかった。しかも父上も反対しないとなれば尚更だ。ある意味、絶対に君を振り向かせてみせるという私の決意表明であったとも言えるな」
「それにしても用意するのが早すぎませんか?」
クライヴァル様はそこまで自意識過剰な人ではないし、権力を使って無理矢理ことを進めたり、私の気持ちを蔑ろにすることは無いと分かっている。
もしも私が同じ気持ちを返せなかった場合はどうしていたのだろうか。
「その場合は潔く諦めるしかなかっただろうな。ただ、潔くとは言っても、君が他の誰だかと婚約、婚姻を結ぶまでは無理だっただろう。……想像もしたくないが」
自分で言ったことなのにクライヴァル様は苦々しい顔をした。
「だが君は私の想いに応えてくれた。この紙を破り捨てることにならなくて本当に良かったよ。ありがとう」
「私たちからもお礼を言わせてちょうだい。マルカさんが現れなければクライヴの婚約などいつになっていたか分からないもの」
「想い人が出来たと言われた時には本当に自分で探す気があったのかと驚いたが、上手くまとまって良かったよ」
「お兄様を受け入れてくれてありがとう」
口々にお礼を言われて私の方が恐縮してしまう。
私は慌てて立ち上がり頭を下げた。
「私の方こそ、ありがとうございます。私は平民で、孤児で、後ろ盾も何も持っていません。そんな私を受け入れてくださって感謝しかありません。至らない所も多々あると思いますが、クライヴァル様や公爵家の皆さんの恥とならないように努めていきたいと思いますので、末永くよろしくお願いします」
深々と頭を下げる私にくすくすと笑い声が聞こえてきた。
そっと顔を上げるとみんな笑顔でこちらを見ていた。
訳も分からず隣のクライヴァル様を見ると、「マルカ嬢、座って」と微笑んだ彼に椅子を引かれ腰を下ろした。
「やっぱりマルカはマルカよね」
「そんなに畏まらないでほしいけれど、これだけ覚悟を持っていてくれると助かるわね。クライヴに愛されていることに胡坐をかくようでは困るもの。育て甲斐があるわ」
「マルカ嬢は本当に我が家向きの子だね。努力を怠らない子は好きだよ。クライヴ、良いお嬢さんを選んだな」
公爵様にそう言われたクライヴァル様は「ええ、本当に私には勿体ないくらいの女性です」と答えた。
大真面目にそう返したクライヴァル様に、またみんなが笑った。
「こんなに惚気るようなタイプだとは知らなかった」とか、「息子なのにまだ知らないことがあったのね」と揶揄うようなことも言われていたが、クライヴァル様は全く動じていなかった。
「本当のことを言っただけです。女性にこのような気持ちを持つこと自体初めてなので、私自身新しい発見があって楽しんでいますよ。マルカ嬢が共に歩んでくれるなら、私のこれからの人生もさらに鮮やかに色づくことでしょう。そして彼女の人生もそうであるように私も努力を惜しまない」
しれっとクライヴァル様がそう言うと、公爵夫人が驚いたように「まあ」と言った。
「本当に、変われば変わるものねぇ」
「悪い方に変わるのでなければ喜ばしいことだ。改めておめでとう、二人とも」
「「ありがとうございます」」
公爵様に二人揃ってお礼を言い、明るい雰囲気でお茶会は始まったのだった。
お茶会が始まると、やはり話題は私の両親の話になった。
すでにトリッツァという国は無くなってしまっているので証明することは難しいが、当時の状況や父様たちの話から見て、両親が亡国トリッツァの伯爵家、子爵家の出身であったことはほぼ間違いないであろうこと。
そして、父様たちに何が起きてこの国にやって来たのか、そしてその後何が起きたのかがクライヴァル様の口から語られた。
初めは自分の両親のことなので私が話すつもりだったが、話し始めて言葉が詰まった私に無理はするなとクライヴァル様が代わってくれた。
話が進むにつれて、公爵様たちの表情は沈痛な面持ちに変わっていった。
けれど、最後まで話を聞いた公爵様は私の目をしっかりと見て嬉しいことを言ってくれた。
「マルカ嬢のご両親はとても勇敢で、心の強い方たちだったのだな。君を守り切った父君を、慈しみ育てた母君を誇りに思いなさい。父君から受け継いだ魔力、母君から与えられた教養、今は亡きお二方がマルカ嬢の礎を築いてくださったのだ。君と言う存在が、素晴らしいお二方がいたという証だ」
「公爵様……ありがとうございます」
私は公爵様の言葉に熱くなった目頭を誤魔化すように笑った。
父様たちの話を聞いて、こんな風に言ってくれる人がクライヴァル様のお父様であることが、近い将来父と呼べる相手であることを嬉しく思った。
私たちが微笑み合い、すっかり話は終わったような雰囲気になっていたが、実際はまだこれで終わりではない。
まだ懐中時計の話が残っていた。
「それともう一つ、話しておかなければならないことがあります」
クライヴァル様はそう切り出すと、私の所持している懐中時計がフィリップス侯爵家と関わりのある物かもしれないということを話した。
「フィリップス侯爵家と言うと、魔術師長の?」
「そうです。先代のご当主の持っている懐中時計と瓜二つであると。ただ、これに関してはあくまでも可能性の話で、今は魔術師長が先代に話を聞いてみると言う所で話は止まっています」
「……なるほどな」
「父上?」
妙に納得したような公爵様の言葉にクライヴァル様が聞き返すと、公爵夫人が「この人はマルカさんの懐中時計がフィリップス侯爵家と関わりがあるかもしれないと以前言っていたのよ」と言った。
どういうことなのかと話を聞けば、私の懐中時計に使われている石について聞かれた。
「マルカ嬢はその鳥の目に使われている石が何だか知っているかい?」
私は懐中時計に彫られた鳥の目をじっと見た。
「ガラス玉だと思っていましたが、違うんですね?」
「ああ、私の見立て通りならばおそらくそれはトパズと言う宝石だ」
「トパズ?……でも、トパズは黄色ではなかったかしら?」
クリスティナ様がこのような色のトパズは見たことが無いと言う。
私もトパズは黄色い宝石だと認識していて、この鳥の目のような黄味がかったオレンジピンクの石がトパズと言われてもしっくりこない。
「その色のトパズは非常に珍しく、王家への献上品として扱われるほどだ。一般にはほぼ出回らない。私も本物を見たのは一度きり、フェリクス――魔術師長の家に遊びに行った時だけだ」
公爵様が魔術師長様に聞いたところ、魔術師長様が当主を務めるフィリップス侯爵家でも採掘されるのは相当稀なことで、そのほとんどが王家に献上されるかそのまま侯爵家で使用されるらしい。
そんな希少な宝石が使われた懐中時計を持っているということは、フィリップス侯爵家と何かしらの繋がりがあるのではないかと予想していたそうだ。
「トリッツァでそのトパズが採掘されていたかどうかまでは分からないが、同じデザインの物が侯爵家にあると言うなら可能性は高いだろう」
公爵様の話や、魔術師長様の話からも私の曾祖父がこの国のフィリップス侯爵家と関わりがあると見て良いのかもしれない。
ただ、私たちがどれだけ考えを巡らせたところで真実は私の懐中時計と同じデザインの物を持っているというフィリップス侯爵家の先代に話を聞かなければはっきりしない。
どうなるかは分からないが、フィリップス侯爵家と関わりがあろうが無かろうが、私とクライヴァル様との婚約は覆らないと言われてほっとした。
むしろ何かが分かって横やりを入れられるのも面倒だからと、お茶会が終わった直後に公爵様が直々に王城へ出向き、婚約証書を提出してきてくれた。
私もこの時初めて知ったのだが、リスハールでは基本的に貴族の婚約、婚姻に王の承認などは必要無く、当主が許可し、婚約を結ぶ者同士のサインが入った証書を提出すればそれで良いらしい。
一応はその証書に国王陛下のサインがされて正式なものとなるが、よほどの事が無い限りはすんなり認められて終わりだそうだ。
翌日仕事から帰られた公爵様にクライヴァル様と共に呼ばれて執務室に行くと、公爵夫人も一緒にいて、国王陛下のサインが入った婚約証書を見せられた。
私とクライヴァル様が顔を見合わせて喜んでいると、公爵様たちは真剣な顔で言った。
「これで正式にマルカ嬢はクライヴの婚約者になった。これから参加するパーティーなどは必ずマルカ嬢を伴って参加し、マルカ嬢が我が公爵家の庇護下にあるということを認知させるように」
「分かりました」
「マルカさん、貴方が身につけたマナーは貴族令嬢としては十分なものだわ。けれど、将来公爵家夫人となるには足りないのも事実。これから私が文句のつけようがない淑女に育て上げるからしっかりと付いてきてちょうだいね」
「よろしくお願いします」
二人の言葉を聞いて私たちは背筋を伸ばす。
ここからが始まりだと言われているようだった。
ブクマ&評価誤字報告ありがとうございます。
感想も楽しく読ませていただいております!
毎年この時期になると、「今年こそ自室にエアコン買おうかな……」と言う気になるけど結局買わずに終わります。
今年は先立って扇風機を新調しました。
お値段1500円。
やっすーい!安くても良く働いてくれます。
ありがたや。
みなさんも暑さにはお気を付けて~。