66.若き日の父と母
年嵩の魔術師は呟いた後、ハッとしたように「ブラックス・ブルームです」と名乗った。
もちろん私たちは、そのブルームさんの呟きを聞き逃さなかったが、ひとまず彼に着席するよう言った。
聞きたいことは山ほどあるので時間が掛かると思われる。
私は紅茶を淹れるべく一度席を外した。
その間、殿下やクライヴァル様が一応呼び出した理由の魔導ランプや魔法省支部について話を振っていたようだが、ブルームさんは何度かちらっと私の方に視線を寄越していた。
先程の呟きと言い、この視線と言い、ブルームさんは絶対に母様のことを覚えていると確信した。
「お待たせしました」
私が紅茶を配り終えると、先程までは魔術師長様とブルームさんが座るソファに座っていたのだが、何故かクライヴァル様の隣に座るように促された。
何なら私は立ったままでもと思ったが、クライヴァル様がポンポンと自分の隣の空いたスペースを叩くものだから大人しくそこに座った。
私が席に着くと殿下が「さて」と話を切り替えた。
「ではそろそろ本題に入ろうか」
そろそろも何も、ここまでも大した話はしていないブルームさんは何が起こるのかと少々困惑気味だ。
だがそんなことはお構いなく殿下は話を続けた。
「ブラックス・ブルーム。彼女を見て何か思うことは無いか?」
私に視線を寄越して言った殿下の言葉に、ブルームさんはもう一度私の顔をよく見てから言った。
「かつての知り合いに、似ています。とても。もしかして彼女は――」
「マルカ嬢、自己紹介を」
「はい。マルカと申します。以前はカルガス領にある孤児院にお世話になっていました。父はマシュハット、母はモニカです」
「やはり、君はあの二人の子か。こんなに大きくなっているとは……そうか、もうそんなに経ったのだね」
ブルームさんは目を細めて穏やかな表情をしていた。
そして一度殿下に向き直ると、自分がここに呼ばれた理由をクライヴァル様に確認していた。
クライヴァル様が至極個人的な理由で私の両親について調べていることを伝えると、なるほどと言うように大きく頷いた。
「それでこのような呼び出しを。確かに噂好きな者も多いですからなあ」
「そういうことだ。だが嘘ではないだろう?先ほど魔法省支部について語り合ったではないか」
「おお、そうでしたな。誰に何を聞かれても地方の魔法省支部に関して殿下とお話をしたと胸を張って言えますなあ、はっはっは」
ブルームさんは殿下と笑い合った後、再び私をじっと見ると「本当にモニカさんによく似ている」と言った。
「モニカさんは――いや、君が孤児院にいたということはそういうことなのだろう。いつ、と聞いても良いのだろうか?」
ブルームさんは遠慮がちに私に聞いてきた。
この様子だと父様に続き母様も亡くなったということは知らなかったのだろう。
「もう10年以上前になります。私が5歳の時です」
「そんなに前に……君も大変だっただろう」
「周りの方たちが良くしてくださいましたから。さほど不自由なく生きて来れました」
「そうか、それなら良かった」
それから母様のことを調べている中で、カルガス領主様からブルームさんの名前が出たことによりここに辿り着いたことを伝えた。
「ああ、カルガスの。しかしよく私のことを覚えておりましたな」
「それだけマルカ嬢の母君のことが印象に残っていたのだろう」
「確かに、モニカさんは記憶に残るお嬢さんでしたね。儚げなのに凛としていて、その目にはどこか力強さがあって」
母様が人から褒められているのを聞いて嬉しくてついつい口角が上がってしまう。
今でもこんな風に思い出してくれる人がいるなんて、母様が生きた時間は短かったかもしれないが、きっと人には恵まれていたのだろう。
そう思うと嬉しくなった。
「まあ印象深いのはマシュハット君も同じでしたがね。彼もまた若いのに地に足が着いているというか、聡明で優しい子でした」
「ブルームさんは、父様のこともご存じなんですよね?」
「知っているよ」
母様以外で初めて会う、父様のことを知っている人。
どんなことでも良いから知りたい、教えてほしい、そう思った。
「どこから話しましょうか。殿下たちはどこまでマシュハット君のことを知っていますかな?」
「そうだな……名をマシュハット、出身は今は無きトリッツァで、25年前のジェント王国からの襲撃の際にマルカ嬢の母君と共にこのリスハールに逃げてきた。魔力の高さを示す色は最上位の白であったが、何故か学園には通っていなかった。あとはマルカ嬢の持っている時計が形見であるということくらいか」
「左様でございますか。大筋は掴んでいらっしゃるようですな。では私は、マシュハット君との出会いからお話ししましょう」
そう言ってブルームさんは昔を思い出すようにゆっくりと目を閉じた。
父様は15の歳に国の定めに従って、ブルームさんが勤める魔法省支部に魔力測定を受けに来たそうだ。
その時の住まいはカタタナ村と言う所だったらしい。
「カタタナ村?」
「かつて存在した隣国トリッツァと山森を挟んで隣り合った地域だよ。だが今ではその村も存在しないはずだ」
私の疑問にすぐさまクライヴァル様が答えてくれる。
そのカタタナ村からやってきたという父様は、着ている服も、持っている荷物も田舎から出てきましたという感じなのに、どこか品があったとブルームさんは言った。
そしてそんな風貌の父様が魔力測定で白色を示し、王立学園に通わなければならないことが伝えられるとそれは無理だと拒んだというのだ。
「拒んだ?義務なのにか?」
「ええ。正確に言うと魔法を使うことが出来ない身だから学園に通う必要が無いと、そう言ったのです」
「魔法が、使えない?」
高い魔力があるのに魔法が使えないとはどういうことだろうか?
そもそも魔法は魔力測定を終えた後から徐々に使えるようになるものであり、その制御を学ぶために学園に通うのだ。
通う前から使えないと断言するなんて普通は有り得ない。
「私たちも意味が分からず、彼から詳しく話を聞くことになったのです」
まだトリッツァが平和だった頃、父様は伯爵家の長男として生を受けた。
生まれた家は魔力が高い者が多く生まれる家系で、父様の父親も宮廷魔術師として城に上がっていたらしい。
「その伯爵家の名がマルカさんが受け継いだ懐中時計にもあるダルトイという名です。マシュハット君の話によると、その懐中時計はダルトイ家の当主になる者が受け継いでいるということでした。後に調べて分かったことですが、かつてこのリスハールの王族がトリッツァの王族と会談した際に傍に控えていた筆頭魔術師の名もまたダルトイであったと」
筆頭魔術師、つまり国一番の魔術師ということだ。
このリスハール王国で言うところの魔術師長様と同じ立場ということだ。
父様が伯爵家の出だったということにも驚きだが、家格と共に実力も備わった家だったのだなと感心してしまった。
平穏な世が続いていたなら、きっと父様もトリッツァで立派な魔術師になっていたのだろう。
「元々その懐中時計はマシュハット君の祖父君がダルトイ家に婿入りする際に持って来た物だそうですが、祖父君が非常に大事にされていたことと質が良かったので代々受け継がれることになったそうです。マシュハット君は10歳の誕生日にそれを父君から譲り受けたと言っていました。けれど、まさにその年に例の痛ましい事件が起きたのです」
ブルームさんの言う、痛ましい事件こそが約25年ほど前に起きたジェント王国からの襲撃事件だった。
自らの親や屋敷の者たち、多くの者が命を落とす中、運良く父様と母様は逃げ出すことが出来た。
「マシュハット君とモニカさんはカタタナの森を歩いて越えたそうです」
「あの森をか?あれは森とは言ってはいるが、山森だぞ?馬車でも半日以上かかるはずだ」
「ええ。二人はひたすら歩き続けたと言っていました。しかも整備された街道は敵に見つかる恐れがあったため、あえて森の中に入ったそうです。子ども二人の足では想像を絶する険しい道のりだったことでしょう」
10歳の子供が、どんな思いで森を進んだのだろう。
親を殺され、親しい者を殺され、当たり前にあった幸せを奪われたばかりの子供が。
想像しただけでも胸が苦しくなる。
朧気にしか覚えていないが、私を見る目が優しく温かかった父様、時には厳しいこともあったけれど、いつも笑顔で朗らかだった母様。
こんな悲しい過去があったなんて微塵も感じさせなかった。
『辛かったり悲しかったり、色々な事があるわ。でもね、マルカ。悲しみや憎しみに囚われては駄目よ?そんなものにあなたの人生を使ってしまうのはとても勿体無いことだもの』
『でも母様、やられっぱなしは悔しい。馬鹿にされたら腹も立つわ』
『そうねえ。でも母様はそういう気持ちを持ってはいけないとは言っていないの』
『じゃあやり返しても良い?』
『ふふ、それは駄目。嫌なことをする人と同じレベルまで自分を下げてはいけないわ』
『なあに、それ。難しい』
『自分がやられて嫌なことを人にしては駄目。いーい、マルカ?笑顔の周りには笑顔が、優しさの周りには優しさが集まるの。母様もずっと笑顔でいたから素敵な人たちにたくさん出会えたし、幸せになれたわ。何をされたって私はこんなに幸せなのよって、その方が胸を張って言える素晴らしい人生だと思わない?』
(……不思議ね。どうしてこのタイミングで思い出したりするのかしら)
唐突に幼き日の母様とのやりとりが思い出された。
あの時も母様はやっぱり笑顔だった。
でもあれが偽物だとは思わない。
色々な物を飲み込んで、乗り越えて、どれだけの時間が掛かったのだろう。
過去の二人を想い思わず目頭が熱くなると、背中に手が添えられ、目の前にすっとハンカチを差し出された。
「大丈夫か?」
労わるようなクライヴァル様の視線と、支えるように添えられた背中の手の温もりを感じて、母様も父様もきっと独りではなかったから耐えられたのだと何となくだがそう思った。
両親の話はもう少し続きます。
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