62.変わったのは
魔術師長様が私の懐中時計を凝視している。
確かに女性用ではないけれど、そこまでおかしな物ではないと思うのだが。
「あの、魔術師長様?この時計が何か?」
「マルカ君、この懐中時計もっと近くで見させてもらっても良いかい?」
「え?あ、はい。どうぞ」
私は懐中時計を手に乗せ、魔術師長様の前に差し出した。
魔術師長様は懐中時計の外装を見ると一瞬目を見開いた。本当に一瞬だったので私以外は気づかなかったかもしれない。
そして口元に手をやり考えるような仕草をした。
「あの、この時計が何か?」
「ああ、いや。……マルカ君、この懐中時計は君が――」
「失礼するよ。マルカ嬢はここに居るかな?」
魔術師長様が何か言う前に、入り口をノックする音と共にバージェス殿下とクライヴァル様が姿を現した。
「これは、バージェス殿下。無事のご帰還何よりです」
魔術師長様がそう言って臣下の礼を取る。
それを見て私たちも慌てて頭を下げた。
何故こんなところに殿下が、とグリーさんたちは驚いているようだった。
私は彼らと同じように臣下の礼を取りつつも、こうしてみると殿下はやはり王族だったんだなとかクリスティナ様の前とでは全然顔つきが違うなとか失礼なことを考えていた。
近頃は周りに凄い立場の人がいることが当たり前すぎて感覚が麻痺してしまっていたようだ。
慣れって怖い。
殿下を見習って公私混同しないように気を付けねば。
「皆楽にしてくれ。ああ、マルカ嬢。ここに居たとは手間が省けた」
殿下はにこやかに手を上げて無駄に決め決めの顔で私に声を掛けた。
なぜ最初に私に声を掛ける。
止めてほしい。
「そのローブよく似合っているな」
「ありがとうございます」
殿下に続いてクライヴァル様にまで声を掛けられた。
嬉しいけれど先輩方の視線が痛い。
「マルカ嬢、ちょっとこちらに来てくれるかな」
殿下に呼ばれて、クライヴァル様と三人で部屋の端に寄る。
久し振りに――と言っても一週間も経っていないけれど――クライヴァル様に会って、自分の心臓が高鳴ったのを感じた。
(クライヴァル様ってこんなに、こんなに素敵だったかしら……)
久し振りに顔を見たからなのか、それとも気持ちを自覚したからか。
今までよりもクライヴァル様が素敵に見える。
仕事中だからお屋敷にいる時よりもきちっとした格好をしているけれど、それ以外は今までと同じクライヴァル様だ。
何も変わらない。
変わったのは自分の気持ちだけ。
それなのに。
(それだけのはずなのに)
私がクライヴァル様を視界の端に入れてあれこれ考えていると、殿下から頼まれた。
「マルカ嬢。いつものアレ、頼めるか?」
「――っ、分かりました」
急に現実に引き戻される。
危なかった。
今は実習中だ。
ついさっき公私混同はしないように気を付けなければと思ったばかりだと言うのに、恋とは恐ろしいものである。
ちなみに殿下のいうアレとは防音魔法のことである。
「悪いな。聞かれても困らないだろうが念のためだ。久しぶりだな。まさか魔法省にいるとは思わなかった」
「てっきりこの時間は学園にいるものだと思っていたよ。迎えをやろうと思っていたらこっちにいると聞いたから驚いた」
どうやら先触れには午後には帰れそうなので、学園まで迎えをやるから私が公爵邸に帰らないように言っておいてくれと言うことが書かれていたらしい。
私が職業体験制度を利用することを決めたのはクライヴァル様たちが出発してからのことだったので彼らが知らなくて当然だ。
「職業体験制度だったか?」
「そうです。アルカランデ公爵様経由で魔術師長様からお誘いを受けておりまして」
「父上から?」
「何だクライヴ、お前何も聞いていなかったのか?」
「うるさいですよ、殿下」
「おい、まだ何も言っていないだろうが」
「腹立たしいことを言われそうな気がしましたので」
「おい」
防音魔法をかけてから二人の話し方が明らかに気安くなった。
もし何もしていなかったらクライヴァル様も殿下にこのような言い方はしないだろう。
二人のいつも通りのやりとりに、帰って来たのだなと感じる。
「殿下。いくら防音魔法を使っているからと言っても表情までは隠せませんからね。それよりも、私が呼ばれたという事は、両親について何か分かったということでしょうか?」
しかも何か急ぎの用があるのではないだろうか。
そうでなければこの場に殿下たちが来るはずはない。
急ぎでなければ、クライヴァル様がお屋敷に帰って来てからでも問題無いはずなのだから。
二人の様子を見る限り悪いことではないとは思うが、私は内心ドキドキしていた。
「そうなんだ。ある程度分かったこともあるんだが、より有力な情報を手に入れてな」
「有力な情報?」
「ああ。とりあえず場所を移したいんだが、すぐに移動出来そうか?」
「はい。すぐに準備します」
私は自分の荷物を纏めるために二人の傍を離れ、書き終わった報告書と机の上に置いたままになっていた筆記用具を取りに戻った。
クライヴァル様たちは魔術師長様を呼んで何かを話している。
(そう言えば……魔術師長様は何を言おうとしていたのかしら)
魔術師長様は私の懐中時計について何か聞きたそうだった。
この懐中時計を持つのが私というのはそんなに可笑しなことなのだろうか。
(確かに女性が持つような物じゃないけど)
元々は曾祖父の物だからもちろん男性用で大きさは女性用の物に比べて大きい。
デザインも女性用は花や植物、美しい蝶々などをモチーフにした物が多いけれど、私の物には力強く羽ばたく鳥が施されている。
うん、確かに私がこの時計を持っている理由を知らなければ変だと思うのかもしれない。
「……ちょっと!ちょっとマルカ!」
「何ですか、フェリスさん」
私が懐中時計についてあれこれ考えながら荷物を片付けていると、フェリスさんに急に腕を掴まれた。
「何じゃないわよ!どうしてあのお二人とにこやかにお話出来るのよ!?」
「どうしてと言われましても……先ほど魔術師長様も仰っていた通り、一応友人ですので」
「そうだけどっ……百歩譲ってバージェス殿下は良いとして、アルカランデ様にまであんな風に話しかけてもらえるなんてっ!なんて、なんて羨ましいの……!」
「…………はあ?」
頬に手を当てもじもじしているフェリスさんに思わず遠慮の無い、この人は何を言っているのだろうかという声が出てしまった。
「素敵だわ……」と頬を染めているフェリスさんを呆れたような目で見るグリーさんとリードさんが、フェリスさんのこの状態を説明してくれた。
「クライヴァル・アルカランデは僕たちと同学年なんだよね」
「え?そうなんですか?」
クライヴァル様の方がずいぶんと落ち着いて見える。
余計な事だと思うのでもちろん口には出さないが。
「うん、そう。それで、彼ってまああの見た目と家柄でしょ?そりゃあもう女性の熱い視線を受けまくっていたわけ」
「しかも途中で婚約者もいなくなったからな。彼を狙うご令嬢たちが熾烈な争いを繰り広げていたわけだ」
「……その中にフェリスさんも?」
もしそうだとしたらちょっと厄介だ。
フェリスさんは良い人そうなので、嫌われたくはない。
「争いには参加していなかったよな?」
「うん。フェリスはどっちかって言うと見て満足してた感じだよ。高嶺の花過ぎて話しかけられないとか訳分からないこと言ってたし。今も顔見ただけでコレだしね」
その答えに少しほっと胸を撫で下ろす私をグリーさんはじっと覗き込んできた。
「何か?」
「いや?フェリスじゃないけどさ、アルカランデとも親しそうだから」
「アルカランデ卿の妹のクリスティナ様と親しくさせていただいているので」
今は詮索されるのも面倒なのでいつもの笑顔を貼り付けてスラスラと答える。
何となくまだ何かを聞きたそうなグリーさんだったが、急に私の後ろの方を見て「――あ」と声を出した。
私が後ろを振り向くとクライヴァル様がすぐ後ろにいた。
クライヴァル様は私とグリーさんの間に割って入るとにこやかに挨拶を口にした。
「久しぶりだな。グリー、スピアナスタスティンクルとマクガード伯爵令嬢も卒業以来か?」
「どうも。僕たちのこと覚えてたんだ」
「当たり前だろう」
グリーさんは普通に話しているが、フェリスさんは顔を真っ赤にして「こ、声かけてもらっちゃたわ……私のことご存じだったなんて」とまたもじもじしている。
今までのフェリスさんと違い過ぎてちょっと怖い。
リードさんはそんなフェリスさんを白けた目で見ていた。
「マルカ嬢、準備は出来たか?そろそろ移動したいのだが」
クライヴァル様の声にハッとする。
「はい。大丈夫です」
「そうか、なら行こうか。悪いね、少しマルカ嬢を借りていくよ」
「僕らに言われてもね。またね、マルカ」
「はい、また。失礼します」
私はグリーさんたちに挨拶をしてその場を離れた。
クライヴァルはリード・スピアナスタスティンクルの家名を全く噛むことなく言えます。
作者はリードの家名をよく打ち間違います(´_ゝ`)
ブクマ&評価&感想等ありがとうございます。
だいぶ暑くなってまいりましたので、体調に気を付けて楽しんでいただけたらと思います。