54.一粒の小さな宝石
あの後部屋の扉がノックされ、私は思わずワンピースのポケットに懐中時計をしまった。
そしてそのまま夕食の時間だと呼びに来たメイドさんと共にダイニングルームへと向かった。
食事を終え、みんなで食後のお茶を楽しんでいると、不意にクリスティナ様から話しかけられた。
「お兄様からお手紙が届いたのでしょう?何が書いてあったの?」
思わずギクッとしてしまったが、手紙の内容は知られてはいないはずと思い平静を装って答える。
「両親の出自についてが主な内容でした。二人とも他国から移り住んだようだと。それ以上のことはカルガスの領主様がご存じかもしれないということでした」
私のその答えにいち早く反応したのは公爵様だった。
「他国?隣国ということかい?」
「そこまでは……もし、隣国ならばカルガスから最も近いのはジェント王国でしょうか?」
カルガスから西にずっと行き、森を超えればそこは隣国だと習ったことがある。
「ああ、だが――」
そういうと公爵様は少し考える素振りを見せた。
「お父様?何かありまして?」
「いや、何でもないよ。それよりも魔法省での実習の準備は進んでいるかな?」
「はい。問題ありません」
「必要な物があったら遠慮せずに言いなさい。時計は持っていると言っていたが、本当に用意しなくて大丈夫かい?」
時計は意外と高価なものが多いので、どうやら気にしているらしかった。
最初に聞かれた時に、時計は持っているので心配は無用だと伝えたが、この様子だと遠慮して言えないだけなのではと思われていそうだ。
持っていなかったとしても、つい先日多すぎるほどの報奨金を頂いたばかりなので買うことも出来るのだが。
まあ、納得してもらうためには実物を見せるのが一番だろう。
そう思い、ちょうどポケットにしまっていた懐中時計をテーブルの上に置いた。
「お気遣いいただきありがとうございます。ですがこの通り、少し大きめではありますが持っておりますので大丈夫です」
「まあ!素敵ね」
テーブルの上に置かれた懐中時計を見て、クリスティナ様が声を上げた。
「力強いデザインだわ。これは鷹?……それとも、鷲かしら?」
「母の形見なので詳しくは分からないんですよね」
「まあ、お母様の……触っても良いかしら?」
「ええ、どうぞ」
クリスティナ様は懐中時計を持ち上げて「女性用にしては珍しいデザインね。サイズも大きいし、結構重いもの」と言ったので、元々は父様の物だったらしいと伝えると、なるほどねと納得された。
「私も見せてもらって良いかな?」
クリスティナ様の言葉で興味を持ったのか、公爵様がそう言ったのでもちろんお見せした。
公爵様は一通り懐中時計をまじまじと見ると、すぐに私に懐中時計を返してくれた。
「なかなか手の込んだ造りだね。外装の鳥の彫りも見事だ。蓋の内側に鏡が張ってあるのも珍しい。後ろに彫ってある名は、以前君から聞いたお父上の名ではないようだが」
公爵様の言う通り、父様の名はマシュハットだが、懐中時計の後ろには“アーノルド・P・ダルトイ”と刻まれている。
「ややこしいんですが、それは父の祖父、私の曾祖父の名らしいです」
「曾祖父、ダルトイ……」
姓があるということは、少なくとも私の曾祖父の代までは貴族であったのではないか。公爵様たちがそう考えているのが分かった。
「でも、私は母が姓を名乗っているのを聞いたことはありませんし……実は以前貴族名鑑で調べてみたことがあるのですが、やはりダルトイという名はどこにもありませんでした」
せっかく調べられる環境にいるのだからと自分で調べたことがある。
やはり自分の血縁者のことだし気になったのだ。
けれどどこにも載っていなかった。
少なくともこの国にはダルトイという姓の貴族はいない。
「ご両親が他国の出身であったなら、その国の貴族という可能性もあるかもしれないわね」
公爵夫人がゆったりと口にした。
その可能性は確かにあるだろう。
「まあ、確かに。だが、今それについて話し合ったところで何も分からないな。クライヴァルが帰ればもう少しは詳しく分かるだろうが……それに、貴族でなかったとしても君は何も変わらないだろう?」
公爵様がにやりと笑って聞いてきた。
なんだろう。
クライヴァル様を好きだという私の気持ちはまだ公爵様には伝えていないのに、何故だか全てを把握されているような気がする。
思わずクリスティナ様をちらっと見たが、私の視線に気づいたクリスティナ様は、何も言っていないと言うように首を横に振った。
(本当に、どこまで知られているのかしらね)
公爵様の言う通り、私は別に貴族になりたいわけじゃない。
その方が色々と言われることもなくなるのだろうが、それならば私自身が貴族の出じゃなかったとしても、公爵様の力でどうとでも出来てしまう。
けれど私はそんな表面的なものではなく、私自身を認めてもらってクライヴァル様の隣に立ちたいと思っているのだ。
「はい。私に貴族の血が流れていようといまいと、私のやるべきことに変わりはありません」
だから私も公爵様に笑顔で返した。
「やはりマルカ嬢は良いね。末永く付き合っていきたいものだ」
うん、やはり色々バレている気がする。
おそらく、隣で微笑んでいる公爵夫人にも。
隠しきれていない私が甘いのか、公爵夫妻がすごいのか。深くは考えないことにした。
◆◇◆◇
その夜、公爵夫妻の寝室で公爵と夫人はマルカが持っていた懐中時計について話していた。
「あなた、ずいぶんと真剣にマルカさんの懐中時計を見ていたわね。何か分かったの?」
「……外装に彫られていた鳥の目、お前も見ただろう?」
「ええ。マルカさんは知っているかどうか分からないけれど、あれはガラス玉ではなく宝石よね?あまり見たことの無い色合いだったけど」
「やはり気づいていたか」
「姓を持つ曾祖父に、宝石を使用した懐中時計。国は違っても貴族であった可能性は高いのではないかしら」
その可能性をもちろん公爵も考えた。
ただそれ以上に気になったのは、外装の鳥の目に使用されていた宝石だ。
やや黄味を帯びたオレンジピンクのその宝石に公爵は心当たりがあった。
「あなた?」
「私もそこまで宝石に詳しいわけではないが……私の見立てでは、あの石はトパズだ」
「トパズ?トパズはもっと淡い黄色や透明に近い色のはずでしょう?」
「通常はな。だが私は以前あの懐中時計に使われていた宝石とよく似た色合いの石を見たことがある」
公爵がその宝石を目にしたのは、とある貴族の屋敷だった。
その貴族の領地ではトパズがよく採れた。そのほとんどは夫人の言っていたような透明から淡い黄色のものだったが、極まれに黄味がかったオレンジのようなピンクのような不思議な色合いのものが採掘されるらしかった。
採掘量の少なさから市場にはほぼ出回らず、それ故にとんでもなく希少価値の高い宝品として扱われている。
懐中時計に使われている程度の極々小さな物だったとしても破格の高値が付く。
「もしあれが私の思う通りトパズならば、他の国では分からないが、この国であの宝石を採掘出来るのは一ヵ所だけだ。とてもじゃないが男爵や子爵が手を出せるような代物ではない」
「トパズを多く産出しているのはフィリップス領だったはずよね……もしかして希少なトパズも?」
「そうだ」
夫人は自分で言っておきながら少し驚いた様子だった。
フィリップスはアルカランデと同じく昔からある古い貴族の家系だ。
そして何を隠そうマルカが実習に向かう魔法省のトップである魔術師長が現当主でもある。
「まさか、マルカさんと何か関係が?やたらとマルカさんを気に掛けるのも……」
「いや、それは無いだろう。仮にそうだとしたらすぐに態度に表れるだろう。魔術師長は腹芸の出来るタイプではないからな。あれは純粋にマルカ嬢の魔法に興味があるだけだろう」
だが、フィリップス家は魔法に長けた者が多い。もしかしたらという考えが脳裏をかすめる。
「まあ、今の時点で私たちに出来ることは無いわね。フィリップス侯爵家なら我が家としても問題は無いし。色々な状況を仮定して、いざという時にすぐ動けるようにしておくくらいだわ」
「私の奥さんは理解が早くて助かるよ」
公爵がそう言えば、夫人はふふっと笑う。
「我が家の嫁になる子だもの。安心して嫁いできてもらいたいじゃない?」
「ずいぶんと気が早いな。クライヴはまだ口説き落とせてないようだが」
「あら、あなたがそんなことを言うの?」
夫人はくすくすと笑いながら「うすうす勘付いているくせに」と言った。
最近のマルカは何か吹っ切れたような表情をしていると公爵は感じていた。
マルカの中で何かが変わったことは確かだろうという確信はあった。
時折クリスティナと目配せを交わしていたりと、何か隠し事をしているような雰囲気も感じる。
極めつけは今日のクライヴァルから届いた手紙だ。
普段通りを装ってはいたが、いそいそと手紙を胸に抱えて部屋へと戻る姿を「初々しく可愛らしいものでしたよ」と言ったのはステファンだ。
「さて、どうだろうね」
クライヴァルが帰ってくるまでもう少し。
早く二人並んで良い報告をしに来てくれると良いのだが。
そんなことを思いながら公爵夫妻はベッドに横になり目を瞑った。
マルカは自分で調べてダルトイ家が貴族ではないと知っていたのでクライヴァルには言いませんでした。
隠そうとしたわけではなく、その時は両親が他国出身だなんて思ってもいなかったので必要無いと思っただけです。
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