47.甘やかな
最初はマルカ視点
◆◇◆◇の後はクライヴァル視点です
ふっと意識が浮上して、一瞬自分がどこにいるのかが分からなくなる。
そうしてぼうっとしながらも状況を把握しようとしていると、すぐ隣から柔らかな声が降ってきた。
「なんだ、もう起きてしまったのか。残念だ」
残念?何が?
私は何をしていたのだったか。
「こんなに無防備な君も珍しい。今日は色々あったからやはり疲れているのか?」
色々?
そう、今日は色々あった。
学園に行って、ロナウドさんのことがあって、その後王宮に行って、馬車に乗って帰って来て、それで。
馬車に乗って、揺れが心地良くて眠気に襲われて。
「マルカ嬢?」
身体の右側に感じる体温に恐る恐る顔を上げれば、私を見つめる灰色の瞳と目が合った。
「っす、すみません!寝てしまったみたいで……!」
状況を理解し、慌ててクライヴァル様から離れようとして立ち上がるため腰を上げたところで腕を掴まれた。
「落ち着いて。ここで立ったら頭をぶつける」
優しく腕を引いて私を座らせたクライヴァル様は口元に手を当てて肩を震わせていた。
「いや、すまない。そんなにぐっすりだとは思ってなかった」
確かに、馬車の中だという事を忘れるくらい深く眠ってしまっていたようだ。
(あれ?)
そう、ここはまだ馬車の中だ。
そのはずなのに、一緒に乗っていたはずのクリスティナ様の姿が無い。座る席から伝わる振動も無い。よくよく見れば扉も開いている。
その扉の向こうには見覚えのある景色。
クライヴァル様を見るとにっこりと笑われた。
「クリスティナならもう邸の中だ」
「……でしょうね。どうしてこの状況なのか教えてほしいのですが」
とっくにアルカランデ邸に着いていて、クリスティナ様はすでに降りていて、何故か向かいの席にいたクライヴァル様が私の隣にいて、私はその肩に寄り掛かって眠りこけていて。
「わりとすぐに眠ってしまって壁に頭をゴンゴンとぶつけるものだから、クリスティナと場所を代わって私に寄り掛からせた」
頭は痛まないかと自分の側頭部を人差し指でトントンと指しながら苦笑を浮かべた。
「到着しても起きないから……自分で思っているよりも疲れていたのだろう」
「……ご迷惑をお掛けしまして」
恥ずかしい。
そんな状態になっても起きないとか、少し気を抜きすぎではないだろうか。
けれど、到着したなら何故起こしてくれなかったのか。起きなかった自分を棚に上げてクライヴァル様を責めるのは間違っているとは思うが、恥ずかしさから私がそう言うと、少し視線を逸らされた。
「気持ち良さそうに眠っていたから起こすのも可哀想かと思って……いや、すまない。名残惜しくて」
「はい?」
「もう少しこのままでいたいと……いや、誓って不埒なことはしていないからな?!」
慌ててクライヴァル様が視線をこちらに戻す。
「それは全く心配していませんけど」
「……それはそれで、全く男として意識されていないようで複雑なんだが」
そう言われても。私はこれでもクライヴァル様のことを誠実で信用のおける人だと思っている。
今だって扉は開けておいてくれているし、きっと馬車の近くに誰か人もいるはずだ。
「クライヴァル様のことを信用しているだけです。それよりも、戻って来てからだいぶ時間経っちゃってます?」
「いや、まだ10分も経っていない……残念だが降りるか」
クライヴァル様は馬車から降りるとこちらに向かって手を差し出す。
「ありがとうございます」
私はその手を借り馬車から降りる。
するとこちらを嬉しそうに見るクライヴァル様がいた。
「何ですか?」
「ん?」
「笑ってますけど」
クライヴァル様は驚いたように自分の口元を隠した。
「そんなににやついていたか?」
「にやついているというか、嬉しそうでした」
「そうか。気を抜くと緩んでしまうようだ。気を付けねば」
馬車を降り、歩きながらクライヴァル様は自分が笑っていた理由を教えてくれた。
「初めの頃と違ってすんなり私の手を取ってくれるようになったなと少し感動してしまった」
馬車から降りる時のことを言っているらしい。
言われてみれば、私はいつから自然とその手を取るようになっていたのだろう。今だって自然と私の部屋まで送ろうとしてくれている。
最初は戸惑い、遠慮していたはずなのに。
慣れって怖い。
「それに、毎回君は律儀にありがとうと礼を言ってくれるだろう?」
それはそうだろう。
何かをしてもらったらお礼を言う。やってもらって当たり前なんて思い上がったりはしない。
いくらクライヴァル様が当たり前のように手を差し出してきても。
「ただの礼だとしても、私だけに向けられているその言葉を聞くのが嬉しいんだ」
「……そうですか」
(なによ、その笑顔。そんなことで嬉しいなんて)
クライヴァル様の笑顔が眩しすぎて直視出来ない。
私は思わず顔を逸らした。それなのに、クライヴァル様は横から覗き込むように私の顔を見て僅かに目を瞠り笑った。
「顔が赤いようだが?」
「そんなことありません」
「そんなに照れるようなことを言ったつもりはないのだが……だが、私の言葉に頬を染める君も悪くないな。可愛らしい」
クライヴァル様の言葉にいっそう顔を熱くしたところで私の部屋の前に到着した。するとクライヴァル様は溜息を一つ吐く。
「残念だ。もう着いてしまった」
私は少し睨むようにクライヴァル様を見上げた。
「クライヴァル様」
「何だ?」
「大人しく待ってくださるんじゃなかったんですか?」
「ん?ああ、あれか。大人しいだろう?」
「どこがですか。あれからいっそう、なんというか……言動が甘いです」
先日の二度目の告白の後から、私に対しての言動に今まで以上に甘やかな空気を纏うようになった。これは絶対気のせいではないと思う。
「それくらいは許してほしいな。なにせ私は日々忍耐力を鍛える訓練をしているのではと錯覚するほどには我慢している」
「我慢ですか?」
「ああ。時折君を抱きしめたくなるのを堪えている。自分の忍耐力を褒めてやりたいくらいだ」
「だ、抱き」
「言葉と態度で振り向いてもらえるように努力するくらいは良いだろう?」
クライヴァル様はそう言って大袈裟に肩をすくめる。
そんなことを言われても。私はこういった男性からのアプローチには不慣れなのだ。どうするのが正解なのか分からないし、自分がどう思っているかきちんと考えたいのに、雰囲気に流されているんじゃないかと不安にもなる。
「……心臓が煩いのでもう少し控えてほしいです。クライヴァル様とのことをきちんと考えたいのに、頭が働かなくなります」
私は不満を込めて言ったはずなのに、それを聞いたクライヴァル様は驚いたように目を丸くしたかと思えば、次の瞬間嬉しそうに「――そうか」と答えた。
何故だ。
◆◇◆◇
マルカ嬢の部屋の扉がしっかりと閉まったのを確認し、私は自分の口元を手で隠し、このだらしなく緩んでいるであろう顔を誰かに見られる前にと自室へと急いだ。
『……心臓が煩いのでもう少し控えてほしいです。クライヴァル様とのことをきちんと考えたいのに、頭が働かなくなります』
前々から私の言動に時折頬を染めることはあったが、はっきりと口に出して言われたのは初めてだ。思いのほか自分の気持ちに鈍いマルカ嬢は気づいていないようだが、少しずつだが私に心を寄せてくれてきていると思っても良いのではないだろうか。
演技とはいえ、あの殿下から間近で愛を囁かれても顔色一つ変えなかったマルカ嬢。あまつさえ迷惑がっていたあのマルカ嬢が。
私の言動ひとつで頬を染め、動揺するなんて、それはもう私のことを少なからず男として意識してくれていると考えても良いのではないか。
そう思うと自然と口角が上がるのを感じる。
しかも初めて手に口づけた時の様な嫌悪感を含んだ視線を向けられることも無い。今更あのような視線を向けられたら本気で凹む。
もっとマルカ嬢に近づきたい、心を手に入れたいと焦る気持ちと、彼女の全てを尊重したい、辛抱強く待つべきだという気持ちが複雑に入り混じり、何度マルカ嬢へと伸ばしかけた手を握りしめて耐えたことか。
恋とはなんとも難儀なものだ。
だが、今まで知らなかったこの感情を得られた嬉しさと、それを与えてくれるのがマルカ嬢だという事に喜びすら感じている。
自分が思っていたよりも嫉妬深く狭量であること、独占欲が強いことなど知りたくなかった部分も知ってしまった。
だが、気づいたからこそ上手く付き合っていけるというものだし、他者の気持ちもより理解出来るだろう。
彼女の存在が私という人間をまた一回り成長させてくれる。
マルカ嬢にとっての私もそんな存在であれたならと願わずにはいられない。
【馬車の中で】
クリスティナ「お兄様、お顔がだらしなく緩んでいてよ?」
クライヴァル「お前……こういう時は見ぬフリをして黙っていてくれても良いと思うのだが」
クリスティナ「あら、人前でそのお顔はどうかと思って教えてあげたのに」
クライヴァル「いいか、クリスティナ。お前は今から空気だ」
クリスティナ「……私が空気と化したからと言って不埒なことをなさっては駄目よ?」
クライヴァル「するか。私を何だと思っているんだ」
クリスティナ「ずばり”初恋に浮かれる男”ですわ」
クライヴァル「……」
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