37.新たな友人
時は数日前に遡る。
一人でいるとロナウドさんがやって来る確率が高いため、図書室通いを控えざるを得なくなって私の中で苛々が募っていた時期だ。
その日も放課後になって私が教室を出ようと席を立ったところでロナウドさんが廊下に待ち構えているのが見えた。
思わずそのまま自分の席に座り直してしまった。
(……クリスティナ様は今日もお茶会、というか先生に呼ばれて今はいないし。ああもう!どう逃げようかしら)
教室から出て行く生徒たちが、ちらちらとこちらを見ているのが分かる。
また来ているぞとでも言いたいのだろう。
みんな視界にだけ入れてさっさと帰ってしまうから、待ち合わせをしていると思われている気がする。
違うから。
待ち合わせでなく、待ち伏せですから。
何だったらそのままその人をどこかに連れて行ってほしいと思ってます。
何故私に構うのか。
上から目線で忠告したことが癇に障ったから嫌がらせだろうか。
こっちは親切心で言ったのだから広い心で受け止めてほしいものだ。
ピチチと鳥の鳴き声が聞こえ窓の方に目をやる。
窓の外には青空が広がっている。
もういっそ窓から脱出しようかと無謀なことを考え始めたところで声が掛かった。
「マルカさん、助けが必要かしら?」
「え?」
私が声のした方に振り返るとキラキラと輝くシルバーアッシュの髪と、深い森の様な緑色の目をしたご令嬢が立っていた。
これが初めて私がシンシア様とまともに言葉を交わした時だった。
「リリクス様」
「あの方ずっと待っていらっしゃるけれど、お約束しているのかしら?それとも助けが必要?」
「た、助けてください……!」
シンシア様に縋るようにお願いしてしまった。
今までこうやって声を掛けてもらったことは無かったし、お茶会だってクリスティナ様は誘われていたけれど、私に声が掛かることは無かった。
それは当たり前だと思っていたから何とも思わないが、今このタイミングで声を掛けてくれたことは意外だった。
「では荷物を持って。一緒に行くわよ」
「はい」
私とシンシア様が一緒に教室を出ると、待ってましたと言わんばかりの勢いでロナウドさんが行く手を塞いだ。
シンシア様は私の前に出ると「何かご用かしら?」と聞く。
「いえ、貴女ではなくそこのマルカに」
「あら、では早く済ませてくださらない?」
「え?」
「私たちこれからお茶会をする予定ですの。それともあなたとの先約があったのかしら?」
シンシア様が私に視線で問いかけてきたので私は頭を横に振る。
「いや、約束は……でも」
「していないのね?でしたらそこを通してくださらない?私たち急いでますの」
シンシア様の強い姿勢に負けたロナウドさんが僅かに身体を引くとシンシア様は「さ、急ぎましょう。クリスティナ様をお待たせしてしまうわ」と私に言ってロナウドさんの横を通り抜けた。
無事に教室を脱出した私は、ロナウドさんの姿が完全に見えなくなってからシンシア様に感謝を述べた。
「ありがとうございました。お急ぎのところお手間をお掛けして申し訳ありません。あの、お時間は大丈夫ですか?」
先ほどの会話からすると、本日のクリスティナ様のお茶会のお相手はこのシンシア様に違いない。
クリスティナ様が先生に呼ばれていたとしてもそろそろ終わり、お茶会が始まる時間ではないだろうか。
私のせいで遅らせてしまったら申し訳ないと思っていると、シンシア様は「付いていらっしゃい」とだけ言って再び歩き出してしまった。
私はシンシア様の後を慌てて追うしかなかった。
シンシア様に付いて行った先は庭園にあるガゼボだった。
この学園の庭園はカフェテリアの奥にあり、窓際の席に座ると四季折々の花が見事に咲いているのが良く見える。
そんな庭園の中に建つガゼボはお茶会を催すのに人気の場所だ。
ここへ来たという事は今日のクリスティナ様たちのお茶会会場はこのガゼボなのだろう。
「クリスティナ様、お待たせしてしまって申し訳ありません」
シンシア様が声を掛けると、クリスティナ様は「大丈夫よ」と答えた。
そしてシンシア様の背後にいる私に気が付くと安心したように微笑んだ。
「マルカも誘うことが出来たのね。良かったわ」
「あ、いえ。違うんです、クリスティナ様」
「なあに?」
「ロナウドさんから私を引き離すためにリリクス様が話を作ってくださっただけで――」
「マ、マルカさんの席はそちらよ!」
「え?」
私の言葉を遮ってシンシア様が声を上げた。
心なしか頬が赤くなっている気がする。そしてそんなシンシア様の姿をクリスティナ様と、同じくお茶会に参加しているハルフィリア様がくすくすと笑って見守っていた。
「え?あの、え?」
「いいから早く座ってちょうだい」
「は、はい」
とりあえず言われたままに席に着くと、控えていたメイドさん――シンシア様が連れてきたメイドさんだろうか――がお茶の準備を始めた。
そしてその間に、状況がよく分かっていない私にクリスティナ様が説明をしてくれた。
「シンシア様は元からマルカをお茶会に誘うおつもりだったのよ」
「え?そうだったんですか?」
私がシンシア様を見ると、彼女はぱっと顔を逸らした。
クリスティナ様の説明によると、シンシア様は何度かお茶会をする中で、色々な噂のある私を何故傍に置くのか、それほど優秀なのかと聞いてきたそうだ。
クリスティナ様はその問いに対し、「確かに優秀には違いないわ。でもそれだけでマルカといるわけではないわ。友人であるマルカのことが好きだから一緒にいたいと思うのよ」と答えたそうだ。
それを聞いたシンシア様は、王太子殿下の婚約者で公爵令嬢のクリスティナ様が平民である私のことを友人だと言ったことに驚きを隠さなかったらしい。
理解出来ないという様子のシンシア様にクリスティナ様は言ったそうだ。
「貴女が納得出来ないのは本当のマルカを知らないからよ。先入観は視野を狭くしてよ?」
この時のシンシア様は、私のことを頭の良さと容姿を利用して未来の王妃に上手く取り入った女という認識だったらしい。
何ということだ。最悪な印象である。
ただ、幸いなことにシンシア様は人の忠告を真摯に受け止めることが出来る人だった。
クリスティナ様に言われてからというもの、シンシア様は私をずっと観察していたと言う。
「観察してみて、はっきり言って私は自分のことを愚かだったと反省したわ。噂になんて流されていないつもりだったけれど、私は勝手に貴女という人の人物像を作り上げてしまっていたのよ」
それまで黙っていたシンシア様が、会話の邪魔にならないようにいつの間にか用意されていた紅茶の水面を見つめながら苦々しく呟いた。
「この学園に入学してきたのだから魔力が高いことは当然としても、制御能力に長けていることは別の話だわ。座学の成績が不正を疑われるほど良いのだって普通じゃないわ。幼い頃から教育を受けてきた貴族と違って平民の貴女が上位にいることは全然当たり前じゃないのよ。普通じゃないの」
「えっと……すみません」
「何で貴女が謝るのよ!違うわよ、そうではなくて」
「シンシア落ち着いて。マルカさんは意外と鈍感だと仰っていたじゃない」
鈍感?私が?
と言うか、いきなり何の話だ。
シンシア様も「ああ、ハルフィリア。そうだったわね」じゃないでしょう。
「つまりね、貴女が普通でないのは、普通では考えられないくらい努力をしているという事なのよ」
「はい?」
鈍感だと言われたと思ったら急に褒められた。
展開に付いて行けない。
「クリスティナ様に本当の貴女を知らないと言われてから、しばらく貴女を観察してそれが分かったのよ。私は貴女が毎日のように放課後学園に残って勉強しているだなんて知らなかった。容姿を利用するどころか、割と真剣な男性の気持ちには全く気付いていないし、反対に平民だからと侮って良くない下心を持って近づく男性には冷たいし、貴女の何を見て人に媚びているという噂が立ったのか不思議なくらいだわ」
シンシア様の言葉にハルフィリア様も続く。
「実際に色目を使われたなんて殿方もいらっしゃいませんのにね。昨年の印象が強いのでしょう」
やはり、昨年の半分以上を殿下の傍で仲睦まじく(周りにはきちんとそう見えていたらしい)過ごしていたことも下らない噂の原因の一つのようだ。
いくらあれは演技でしたと言っても未だ疑いの目を向けられているらしい。
もう一度言う。最悪だ。
あんなに頑張って耐えていたのに。
殿下になんて全く、これっぽっちも興味なんて無かったのに。
「とにかく!貴女のことを知ろうともしないで勝手に勘違いして遠巻きにしていたことを……あ、謝りたいのよ!」
テーブルに両手を突いてシンシア様が勢いよく立ち上がり、ティーカップの紅茶を揺らした。
ただし揺れたのは私のカップのみで、クリスティナ様とハルフィリア様はソーサーごと持ち上げて何事も無かったかのように紅茶を口にしていた。
因みにシンシア様のカップはメイドさんがいつの間にか回収していた。
「シンシアったら落ち着いて。マルカさんが驚いてらっしゃるわ」
「あ、あら嫌だ。つい力が入ってしまったわ」
シンシア様が静かに座り直すとすかさずティーカップが目の前に出された。
それを一口口にして、シンシア様は私に頭を下げた。
「マルカさんごめんなさい。勝手に誤解をして距離を置いていたことを謝罪するわ」
「私もよ。ごめんなさい、マルカさん」
「や、止めてください!」
シンシア様だけでなくハルフィリア様にまで頭を下げられた私は流石に慌ててクリスティナ様を見た。
「クリスティナ様、何とかしてください!」
「これは彼女たちなりのけじめだから私にはどうにも出来ないわ。マルカが一言許すと言えばそれで良いの」
「ええええ?!」
納得出来ないけれど、このまま二人に頭を下げさせ続けるわけにはいかない。
「わ、わかりました。許す、許しますから!だから頭を上げてください!」
私の言葉でようやく二人は頭を上げてくれた。
おかしい。何故私一人がこんなに疲れているのだろう。
「何なんですか、本当に……リリクス様も、シモンズ様も別に何もされていないではないですか」
許すも何も、特に何かされたわけでもないのに。
嫌味を言われたりもしていないし、物理的に危害を加えられたりもしていない。
「……何もしないことも、時には良くないことだわ。だからこれはクリスティナ様がおっしゃった通り、私たちのけじめなの」
「私たちはマルカさんが陰口を言われたりしているのを知っていて何もしなかったのだから、同じことなのよ」
「……そういうものですか?」
「そうよ!でもこれでスッキリしたわ。もうこの話は終わりよ」
もしかしてこの為に私をお茶会に誘おうとしていたのだろうか。
平民である私にわざわざ謝るために。
そう思ったらなんだかムズムズした感覚になってきた。
「リリクス様、シモンズ様、ありがとうございます」
「どうして貴女がお礼を言うのよ。……それと私のことはシンシアで良いわ」
「私もハルフィリアと呼んでちょうだい」
「よろしいのですか?」
「……友人なら名前で呼び合うのが普通でしょう?」
シンシア様の言葉に思わずきょとんとしてしまう。
クリスティナ様を横目で見ると、にこやかに頷いていたので、ここまでが予想された流れなのだろう。
「何よ、嫌なの?!」
「いえ、あの……嬉しいです。シンシア様、ハルフィリア様、よろしくお願いします」
(友人、ふふ!素敵な響きね)
私にはこの学園でクリスティナ様以外とは必要以上に言葉を交わすことも、相手もほとんどいなかったのでなんだか今こうしていることが不思議な気分だ。
久し振りに出来た新しい友人に思わず心からの笑みが零れた。
ブクマ&感想&評価などありがとございます。
長くなりそうなので2話に分けます。
あと1話、数日前の話が続きます。