36.怒ったのは
声を出したのはクリスティナ様と同席していたリリクス侯爵令嬢シンシア様だった。
その声音には明らかに不機嫌さが滲み出ていた。
「申し訳ありません」
私がすぐに謝ると、シンシア様は「マルカさんじゃないわ」と言ってキッとロナウドさんを睨みつけた。
「マルカさんに付きまとうそこのあなたに言っているの」
「付きまとうって俺のことですか?」
ロナウドさんでも一応貴族の方には敬語を使うという最低限の常識はあるらしい。
本当に最最最低限だけど。
「あなた以外に誰がいると言うの?」
「俺は付きまとってなんかいないですよ」
「お黙りなさい。嫌がる相手にしつこく言い寄ることを付きまといと言わず何と言うの」
「嫌がってるだなんて、心外だな。マルカは恥ずかしがり屋なだけですよ。な?」
同意を求めるように私の肩に手を置こうとしてきたので、思い切り手で払ってやった。
シンシア様たちはあらあら、まあまあと言う声と冷笑を浮かべる。
「これで嫌がられていないなんて、ずいぶんと幸せな頭をしていらっしゃるのね」
「許しも無く女性に触れようとするなんて紳士の風上にも置けませんわね」
シンシア様にシモンズ辺境伯令嬢ハルフィリア様が続く。
流石のロナウドさんもこれだけご令嬢から馬鹿にされると笑顔を保てなくなるらしい。
「……俺は平民ですから。貴族の方達とは違って平民はこれくらい普通ですよ。マルカだって平民だ。高貴なお嬢様たちと一緒にいるより俺といるほうが話だって合うし良いに決まってる」
それを決めるのはあなたじゃない。私自身だ。
今までも誘いに乗ったことは無いし、出来るだけ避けて会話も短く切っていると言うのに、どうしてそういう事になるのか理解できない。
頭の中はお花畑か。
「……それを決めるのはあなたではなくマルカ自身でしょう?そろそろ引かないと二度とマルカが口を聞いてくれなくなるわよ?」
今まで黙っていたクリスティナ様が口を開いたと思ったら、私の心を代弁してくれた。
流石クリスティナ様。私のことをよく分かっている。
「しつこい男性は嫌われてよ?」
大丈夫です、シンシア様。もうすでに嫌っていますから。
「マルカさんは知識が豊富ですから私たちとも話が合わないということはありませんの」
ハルフィリア様、笑顔が怖い。言葉の後に「あなたと違って」と言う幻聴が聞こえます。
「同意するならマルカも座ってちょうだい。せっかくのお料理がすっかり冷めてしまうわ」とクリスティナ様に言われ、私は迷うことなく席に着いた。
「おわかり?これがマルカさんの答えよ」
「貴族に言われたら座るしか――うわ、まずっ……!」
シンシア様の言葉に反論しかけたロナウドさんが何かに気付き、視線をカフェテリアの入り口の方に向けた。
彼の視線の先を辿ると走ってはいないのに凄い早さで近づいてくる男子生徒がいた。
こちらに向かってくる男子生徒を目にしたロナウドさんは明らかに慌てだした。
「マ、マルカ、今日はこの辺で!またな!」
そう言ったロナウドさんの顔にはあからさまに焦りが浮かんでいる。
慌てた様子でこの場を去ろうとした彼の制服の襟を大きな手がガシッと掴み、「またお前か」と呆れた声が聞こえた。
先ほどすごい勢いでこちらに向かって来ていた男子生徒だ。
「何処へ行く」
「何処って、もう用は済んだから教室に戻ろうとしただけだ」
放せと言うロナウドさんの声を無視して男子生徒は私たちに目をやると、短めに刈り込んだ焦げ茶色の髪に大柄な体躯の男子生徒は丁寧にお辞儀をした。
「お騒がせして申し訳ありません。この者が何か失礼なことを致しましたか?」
「何もしてねーよ!」
「黙ってろ。お前には聞いていない」
男子生徒はロナウドさんの頭を上から押さえ付け、強制的に頭を下げさせた。
男子生徒の問いにクリスティナ様が答える。
「私たちは大丈夫です。ですが、こちらの女生徒にしつこく言い寄るものですから少々迷惑しておりますの」
クリスティナ様が私に視線をやると、男子生徒もそれにつられて私に目をやった。目が合った私たちはお互いに会釈を交わす。
すると横からハルフィリア様が「レオ。早くそれを連れて行ってちょうだい」と言った。
「レオ?ハルフィリア様のお知合いですか?」
私はレオと呼ばれた男子生徒とハルフィリア様の顔を交互に見て首を傾げる。
周りの反応からすると、私以外は二人がどういう関係か知っているようだ。よく見ると二人の持つ色彩はよく似ている。
「失礼。お初にお目にかかります。シモンズ辺境伯が次男レオナルドと申します。レオナルドとお呼びください。」
「ハルフィリア様の弟君でしたか。失礼致しました。マルカと申します。以後お見知りおきを」
私たちが互いに自己紹介をしていると、頭を押さえ付けられたままだったロナウドさんが、ようやくと言った様子でレオナルド様の手を振り払ったが、今度は後ろから首を羽交い絞めにされ呻き声をあげた。
「レオ」
「分かってますよ」
ハルフィリア様に名前を呼ばれたレオナルド様は「失礼します」とだけ言って、ロナウドさんをずるずると引きずるようにしてカフェテリアから去って行った。
彼らがいなくなり、私たちに向けられていた多くの視線も何事も無かったかのように元通りになった。
私はテーブルに突っ伏したい気持ちを深い溜息に変えて吐き出した。
「マルカさんにそこまで感情を出させるなんてある意味あの方も凄いわね」
「そんな凄さ求めていません……」
思わずげんなりした声で返す。
「でもあの方、下の学年の女生徒にもちょっかいを掛けているらしいわよ」
「まあ!ずいぶん軟派な方なのね。でも相手にされないでしょう?」
「それがそうでもないらしいわ。見た目はそこそこ良いし、女性には優しくて、少しの変化にもすぐ気が付いてくれるのですって。レオには出来ない芸当だわ」
「けれど婚約者がいる子も多いでしょう?」
「そうなのよ。それで万が一にも面倒事が起きないようにって、お目付け役に抜擢されたのがレオと言うわけ」
「だから先ほどもあの様に慌てていらっしゃったのね」
「誰かがレオを呼びに行ったのでしょうねえ」
「……レオナルド様、可哀想」
心底同情する。
しかしあれが優しいとは。
もしかしてあんなにしつこいのは私に対してだけなのだろうか。
レオナルド様には申し訳ないが、頑張っていただきたい。私のところに来る前に捕獲してほしい。
「まあ、まあ、マルカ。疲れた時は甘い物っていつも貴女言っているでしょう?デザートにチョコレートのムースもあるわよ」
「本当ですか?」
おっといけない。
つい大きな声が出てしまった。
慌てて口を押さえるが時すでに遅し。
そんな私の様子をクリスティナ様、シンシア様、ハルフィリア様が微笑ましそうに見ていた。
「マルカさんは本当に甘い物が好きねえ。この間もいつの間に食べたのって言うくらいあっと言う間にお茶菓子が無くなって驚いたもの」
くすくすと笑いながら言われて、途端に恥ずかしさが込み上げる。
「すみません。美味しくって、つい」
「可愛らしくて良いと思いますわよ。あんなに幸せそうに食べられるともっと与えたくなってしまいますわね」
「クライヴァル様もマルカさんのこういう可愛らしさに惹かれたのかしら?」
「兄はもっとマルカの人間性に惹かれたようですわ」
「素敵ね~。私もそんな風に好かれてみたいわ」
「……」
女子的会話が繰り広げられる中、私は黙々と食事を摂りデザートに行きつく。
会話の内容からも分かるように、ここにいる方達には私とクリスティナ様の関係性どころか、私とクライヴァル様の関係性までもがすでに知られている。
もちろん自ら言いふらしたことではない。
知られてしまったわけは数日前に遡る。
怒ったのは新登場、シンシアでした。
でも彼女が言わなければクリスティナが怒ったでしょう。
ブクマ&感想&評価、誤字報告ありがとうございます。
前回いつになく感想が多くて皆さんがどれだけロナウドを苦々しく感じているかがよく分かりました( ̄▽ ̄)シメシメ
感想を読むのも面白いです。
ありがとうございます。