31.相応しい人
公爵様、よく喋ります。
執務室を出て行くために扉の取っ手に伸ばした手を引っ込め、公爵様に向き直る。
「……あの、ひとつよろしいですか?」
「何かな?」
「ずっとお伺いしたかったことがあるんです」
「聞きたかったこと?私で答えられることなら答えよう」
今から私がするのは、むしろ公爵様にしか答えられない質問だ。
「……何故、公爵様はクライヴァル様のお気持ちを許されたのでしょうか」
「おや、ずいぶんと釈然としない様子だ」
私の不躾な質問に、怒る様子は無かったが困ったように公爵様は笑った。
「ちょっとこちらに来て座りなさい」
公爵様は室内のソファに私に座るように言うと、向かい合ったソファに自分も移動した。
そして執事さんを呼んで紅茶を用意させると、それを一口飲み喉を潤した。
「どうだい?良い茶葉だろう?」
「はい。正直茶葉に関してはよく分かりませんが、香りも良く美味しいと思います」
いきなり紅茶の感想を聞かれて戸惑いつつも思ったことを口にする。
公爵様は穏やかに微笑みながら、「ああ、クライヴの話だったね」と言った。
「君は何故だと思う?」
「分かりません。分からないからこそお伺いしたいのです」
私のことを認めてくれているのだろうという話は何度か人伝に聞いたことはある。
けれど本人から聞いたことは無いし、一体私の何を評価してくれたのかも分からない。
「クライヴァル様の年齢や性格から考えても、一時の遊びということは無いでしょう。ご本人にもそう言われましたし、クライヴァル様は本気で私を伴侶に迎える気でいらっしゃる。ですが、平民が公爵夫人になるなんてありえないことです。そんなことは物語の中だけの話で、貴族の何たるかを理解していない私ではクライヴァル様の助けになることも出来ません。それどころか平民を嫁に迎えた公爵家として侮られるかもしれない。こんな魔力がただ高いだけの平民などではなく、然るべきご令嬢を迎えるべきなのではないでしょうか」
公爵様は私が言い終えると「そうだね」と言って脚を組んだ。
「では君の言う、然るべきご令嬢というのはどういう人のことだろう。どんな女性なら相応しいと言えるのかな?」
「それは……」
公爵様に聞かれて考える。
自分のような平民ではないと思ってはいたが、改めてクライヴァル様の隣に立つに相応しい人を想像してみる。
ぱっと頭に浮かんだのはクリスティナ様だった。
「クリスティナ様のような―――」
あのクライヴァル様の隣に立つのだ。
クリスティナ様や公爵夫人のように聡明で、美しくて、何事にも手を抜かないクライヴァル様を支えられるくらい完璧な人が良い。
「品格と知性があって、クライヴァル様のように研鑽に励むことの出来る内面も見目も美しく、芯の通った女性。……クライヴァル様に寄り掛かるだけではなく、隣で支えられるような、そんな女性だと思います」
公爵様は私の答えを聞くと、僅かに目を瞠ると口元に手を当てて笑い出した。
「くくっ、いや、これはなかなか」
何故笑われるのかが分からない。
そんなに可笑しなことを言ったつもりはないのだが。
私が訳も分からず固まっていると、公爵様は「すまん、すまん」と言って笑いを止めた。
「マルカ嬢の子供たちへの評価が存外高いのだなと思ってな。自慢の子供たちだが、クライヴの隣に立つ女性は大変そうだ。っふ、くく、マルカ嬢の評価を聞いたらあいつはどんな顔をするのだろうな」
公爵様にそう言われて、先ほど自分が言った言葉をもう一度よく考えてみる。
考えた結果、おそらく私の顔は赤くなった。顔が熱くなったのを感じ、思わず太ももの上で服を握りしめ顔を逸らした。
(絶賛してるじゃない!嘘は言っていないけれど……でも、でもっ、恥ずかしい!)
「時にマルカ嬢」
「……はい、何でしょうか」
私は赤くなった顔を鎮めようと、努めて冷静に返事をした。
「君が先ほど口にした、クライヴに相応しいという人物像に、君が最も気にしていることが入っていないことには気が付いているのかな?」
「……え?」
「“貴族の令嬢”と言う最も君が気にしていたはずの言葉が入っていなかったのだがね?」
それを聞いて唖然とする私とは対照的に、公爵様はどこか嬉しそうだ。
「私としては嬉しいがね。マルカ嬢が私の問いにクライヴ自身を見て答えてくれたという証拠だろうから」
確かに私はクライヴァル様に相応しい人はと考えて答えた。
貴族のご令嬢という言葉は入れなかったのかもしれないが、そもそもクライヴァル様が公爵家の嫡男であるなら、相手は貴族だなんて大前提だろう。
私がそう反論をしても公爵様は軽く受け流し「大体ね」と続ける。
「マルカ嬢が言った人物像は、傍から見たら君かなり良い所まで行っているから」
「へ?」
思いもよらない公爵様の言葉に、私は素っ頓狂な声を上げる。
「君は貴族の子女が集まる学園でも上位の成績だね、問題無い。品格、これは一朝一夕では行かないが、何故だか君は上流階級の者の中に混じっても違和感が無い。マナーなどもしっかりと基礎が出来ている。及第点以上だ、問題無いね。必要以上に魔術書やそれ以外の本も読んで勉強しているね、これは研鑽で良いのではないかな。はい合格」
公爵様は言いながら指を一つ二つと立てていく。
「雰囲気や、状況に流されず、自分というものをしっかりと持っている。これで芯が通っていないなんて言ったら、他のお嬢さんはもうぐにゃんぐにゃんだ」
「ぐにゃんぐにゃん……」
「そして最後に、クライヴを支えてやろうなどと言う殊勝な心掛けのご令嬢はいない。いや、いるかもしれないが私は会ったことが無い」
最後だけ公爵様の声音の雰囲気が変わった気がした。
「クライヴはな、親の私から見ても良く出来た息子だ。外ではより気を張っているし、殿下の側近として恥ずかしくないよう努めている。それこそお嬢さん方からは完璧な男なんて言われていたりもする」
私は公爵様の話に頷いて応える。
完璧令嬢のクリスティナ様の兄の完璧令息。
王族に次ぐ爵位を継ぐ予定の男性、優秀な独身女性の憧れの的。
公爵夫人や、クリスティナ様が参加したお茶会でも、クライヴァル様を褒める声はよく耳にした。
さりげなく自分の娘はどうかと薦めてくるご婦人方もいるくらいだ。
「多くのお嬢さん方は、クライヴと婚姻を結べば社交界で自慢出来る伴侶と一生の贅沢な暮らしを得ることが出来ると思っているだろう。寄り掛かることはあっても支えてはくれない。例え支える意思があったとしても、知識も能力も足りないようでは逆に足手纏いというものだ」
公爵様は笑顔でサラッと怖いことを言う。
「そんな女はクライヴァルの伴侶に、公爵家に必要無い」と言っているようだ。
今までクライヴァル様に好意を寄せてきた女性たちがみんなそうだったという事なのだろうか。
怖くて確認なんか出来ないけど。
恐らく私の顔は引き攣っているだろうけれど、公爵様はそんなことお構い無しに話を続ける。
「その点マルカ嬢は良い所まで来ている。あの一件で君の能力の高さは分かっているつもりだ。度胸の良さもね。ちなみに、君が陛下の御前に呼ばれた時にいた面々は概ね私と同じ意見だろうね」
「……それは、平民の割にという評価ではないのですか?」
「違うな。有能な貴族ほど良い人材を見逃したりはしない。そして無能な者ほど相手の価値を認めず、相手を貶め、身分を振りかざす。何故だか分かるかい?」
そう言って公爵様は私をじっと見た。
公爵様の言いたいことは、おそらくだが分かった。
けれど、その答えを平民である私が言うべきではないと思い口を噤むと、薄く笑った後に「その通りだ」と公爵様は言った。
(何が?!私何も言っていないわよ?考えを読むのは止めてよ……!)
内心バクバクしていると、公爵様はうっすら口の端を上げて言った。
「身分くらいしか勝てるところが無いからさ。実にくだらない。我々の生活の基盤を支えているのは多くの平民だ。彼らがいなくなれば食べる物にも困ると言うのに、長らく貴族でいるとそれを忘れる馬鹿がいるらしい」
(こ、これ、私が聞いても良い話なのかしら)
こんな会話、どう対処して良いのか分からない。
同意するのもしないのもおかしい気がするし、考えた末、私はまだ沈黙を守ることに決めた。
ブクマ&感想&評価、誤字報告などありがとうございます。
芯がぐにゃんぐにゃんな令嬢。
自分で「何それ」と思いもしましたが、気に入ってしまったのでそのまま採用( ̄▽ ̄)