30.公爵様に呼ばれて
コンコンとこのお屋敷の中でも一番立派な扉―――公爵様の執務室の扉を叩く。
「入りなさい」
「失礼します」
公爵様が呼んでいると言われたのは数分前のこと。
この数分間で呼ばれた理由を考えたが、思い当たる節が無い。
仕事で特に失敗もしていないし、他の使用人さんの迷惑になるようなこともしていないとは思う。
それ以外だと、クライヴァル様のことだろうか。
応援されているとクライヴァル様は言っていたけれど、そのことについて公爵様から直接何かを言われたことは無いので、本当のところはどう思っているかは分からない。
机を隔てて公爵様の前に立つ。
気さくな方だし柔和な顔をしてはいるが、この方の前に立つとどことなく緊張を覚える。
これが上に立つ者の気なのか、同じ当主と言ってもレイナード家の人とは格が違うと感じる。
(この笑顔なのに有無を言わせなさそうな感じがご兄妹とよく似てらっしゃるのよね)
「やあ、来てもらって悪いね。話はすぐに終わるからこのままでも構わないかい?」
「はい」
「この屋敷に来てしばらく経つがもう仕事には慣れたかい?」
「はい。おかげさまで毎日充実しており、雇っていただき感謝しております」
これは偽り無い本音だ。
仕事はそんなにきつくないし、お給金もしっかり貰えて、食事も美味しい。
休みはもちろんあるが、仕事がある日だってきちんと自分の時間を取れるだけの余裕がある。
屋敷内には広い図書室もあって、そこへの出入りは自由にして良いと言われているので結構入り浸っている。
私が深々と頭を下げると、公爵様の「うーん」という声と苦笑いと思しき声が聞こえた。
「そこまで感謝されると少し困ってしまうね。元々はこちらが無理を言って引き止めたようなものだし、息子の件もあるからね」
息子の件、と聞いて緊張が走る。
そんな私の様子に公爵様もすぐに気づいたようだった。
「今日はその話ではないから安心しなさい」
「……違うのですか?」
「殿下たちからは色々聞かれたらしいがね。こういったことは周りが下手に手を出すものではない。私は許しを出したし、あとは息子からの報告を待つだけだ。と、まあこの話はこれくらいにしておいて」
公爵様は机の上に肘を突き、顔の前で手を組んだ。
「マルカ嬢は王立学園の授業の一つに職業体験制度があるのは知っているかな?」
「職業体験制度、ですか?」
聞いたことがない。
入学した時の説明にもそのようなものは無かった気がする。
「すみません。存じ上げません」
「そうか。では2年次から授業数が減ることは知っているね?」
「はい」
王立学園は3年制だが、ある意味一番忙しいのは1年次だ。
あらゆる分野の基礎を学ぶ。
そして2年からは各々が必要だと思った授業に出席するのだが、驚くことに一部を除いて取らなければいけない授業数には決まりが無い。
必須なのは魔力制御の授業のみで、その他は取らなくても良いというくらいにゆるい。
正直、よほど魔力制御に問題が無ければ2年も通えば十分なのではと思う。
では何故3年制なのかと言うと、一番の理由は本格的な貴族社会に出て行くための準備期間と捉えているからだ。
一応生徒は皆平等などと言ってはいるが、そんなものは建前だと誰もが分かっているはずだ。
学園は練習用の小さな社交場で、人脈作りや結婚相手を探す場で、特にご令嬢方にとって勉学はそのついでなのだ。
嫡男でないご令息方は婿入りするか、自身で身を立てるしかないため真面目な人も結構いたりするが、基本的に貴族女性は働いたりはしないから、いかに好条件の男性の元に嫁げるかが重要なようだ。
そのような感じなので、2年次からは生徒も来たり、来なかったり、来たと思ったら優雅にお茶会を開催していたり。
学園って勉強する場所ではなかっただろうかとか考えるだけ無駄なのである。
「その余った時間を利用して、希望する職種を経験出来るという制度がある。それが職業体験制度だ。そこでマルカ嬢に提案なんだが、その制度を使って魔法省に行ってみないかい?」
「魔法省?私がですか?」
驚いて思わず聞き返してしまった。
魔法省と言えば国の魔法機関の最高峰。
国内の魔法に関わるあれやこれを管理する機関で、ここのトップはもちろん魔術師長様だ。
国民全員が受ける魔力測定も魔法省の管轄だ。
「先方が、というより魔術師長が是非にと言っていてね。どうだろうか?」
「それは、もし本当なら大変嬉しいことなのですが……」
今の私は公爵家で雇われている身。
学園が始まったらそちらを優先して良いと言ってもらっているが、魔法省で勉強させてもらうとしたら、正直両立は難しいと思う。
「それならば君は気にする必要は無いよ。その為に私に話が来たのだからね」
魔術師長様は、私がアルカランデ公爵家で使用人として働いていることはクリスティナ様や、殿下から聞き及んでいたらしい。
まあ普通の使用人と同じように働いているかと言ったら甚だ疑問だが。
「マルカ嬢を使用人という枠から外してくれと言われ、了承した」
「……良いのですか?」
「まあ元々私たちは君には客人としてここに留まっていて欲しかったしね。君があまりにも客人という扱いを気にするから使用人という立場を用意したに過ぎないのだから問題無い。ああ、あの時新たに人手を欲していたのも嘘ではないよ」
そして「それに、少しくらい息子に手を貸しても良いかと思ってね」と公爵様は続ける。
「だが、私は別にマルカ嬢の将来を縛るつもりはない。マルカ嬢にやりたいことがあるならそれを止める権利は無いしね」
縛るつもりはないと言いつつ、出来ないとは言わないあたりが怖い。
「まあ、この制度の申請は半年くらい先になるからよく考えてみなさい」
「え?半年後ですか?」
今話をされているのだから二年に上がったらすぐのことかと思っていた。
公爵様も笑いながら言う。
「そう、半年後だ。魔術師長は相当君のことを気に入っているようだね。気の早い話だが、今のうちに約束を取り付けておきたいようだ。だが魔術師長のことは気にしないように。申請期間も決まっているし、半年後にマルカ嬢が行きたいと言ったら行かせるとだけ伝えてあるからね」
「分かりました。ありがとうございます」
「お礼を言われるほどの事はしていないよ。それに礼を言うならこちらの方だろうね。君が来てから子供たちが楽しそうだ。これからもよろしく頼むよ」
そう言った公爵様の顔は穏やかだった。
これが父親の顔というものだろうか。
「さあ、話は終わりだ。思っていたより時間が掛かってしまって悪かったね。もう下がって良いよ」
「はい、失礼します」
私は部屋から出るために扉の取っ手に手をかけて―――開けるのを止めた。
「どうした?」
「……あの、ひとつよろしいですか?」
公爵様に質問をするために振り返った。
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いつも読んでいただきありがとうございます!
久し振りに2日で更新出来ました。
毎回これくらい、せめて週2で更新出来たら良いのですが……なかなか難しいですね(;´Д`)
なるべく早く上げられるように頑張ります!