14.深まる疑惑
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用意されたお茶で喉を潤し一息つくと、急に体がずっしりと重くなったような感覚に襲われた。
気づけばカップの中の紅茶も細かく揺れており、音を立てないようにそっとカップをソーサーに戻した。
(今さら震えるなんて……思っていたよりも不安だったのかしら……)
自分の小刻みに震える手を見つめながら今日一日のことを反芻すると、無意識のうちに眉が寄ってしまった。
そしてそんな私の手を隣に座るクライヴァル様の大きな手が包み、それが私に安心感を与えた。
(うん、やっぱり不安だったんだわ)
自分のこともそうだけれど、ナンシーが無事でいるかわかるまでがきっと一番怖かった。
本当に安心できる場所に戻ってきたからこそ、自分の気持ちを素直に受け入れることができる。
いつの間にか手の震えは止まっていた。
「……もう大丈夫です。ありがとうございます、クライヴァル様」
しっかりとクライヴァル様の目を見てそう言えば、彼は安心したように頷いて手を放した。
「ではマルカ、君とナンシーの身に起きたことを話してもらえるかい?」
「はい」
ヒューバートお義父様に促され、私は書店でナンシーが連れ去られたことや街外れのお屋敷に自ら行くよう指示されたこと、そしてお屋敷で男たちから聞いたことなど、一連の出来事について話した。
「なるほど。ひとまず君たちに目立った害がなくて良かった。そして犯人の男たちを屋敷に閉じ込めてきたことは良い判断だったな」
「本当にね。犯人たちにはきつい仕置きが必要だわ」
リディアナお義母様の言葉と視線に、縄で縛られ部屋の隅に転がされた男が「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。
表情としては笑っているのに、内心では絶対笑っていないとわかる目線の持って行き方はさすがリディアナお義母様である。
「リディアナお義母様、公的な刑はもちろんですが、私もきっちりお仕置きしてきました。もちろん証拠も残さず消してきましたよ」
「あら、さすがね。何をやったの?」
ナンシーにはえげつないと言われてしまったので詳細を語るのを言い淀んでいたら、横からナンシーが「水責めと雷責めを交互に繰り返したそうです、奥様」と告げ口した。
さすがに引かれてしまたかと心配したのだけれど、それは杞憂に終わった。
クライヴァル様とヒューバートお義父様はよくやったとばかりに頷き、リディアナお義母様はコロコロと笑って「自業自得ね」と言ったのでほっと胸を撫で下ろした。
「お屋敷に残してきた男たちには警備隊に通報すると言いましたが、犯人の目的も定かではなかったのでナンシー救出後はそのままこちらに戻ってきました」
「それについても適切な判断だったと言えるだろう。ところで、そこの君」
「へ? 俺、ですか……?」
「そう、私の義娘に手を出しかけた愚かな君のことだ」
「ひゃ、ひゃいい!」
組んだ脚の上で笑顔で頬杖をつくヒューバートお父様から発せられる冷気に、男はガタガタと震えながら返事をした。
「あれ、雰囲気だけでなく実際に魔法で空気を冷たくしていません?」
「おそらくしているな。まあ父上も相当お怒りだからな」
クライヴァル様とこそこそと話している間にも、男の顔色は悪くなる一方だ。恐怖心を煽る演出までするなんて手が込んでいる。
「君たちの雇い主は貴族の女性で間違いないな?」
「は、はい!」
「根拠は?」
「その女が偉そうに自分で言ってました! 自分は本来なら俺たちなんかが口をきけないくらい高貴な人間なんだから、雇ってもらえたことを誇りに思えって」
男の言った言葉に思わず「あなたたち本当によくそんな人の依頼を受けましたね……」と呆れてしまった。
典型的なダメ貴族ではないか。
私だったらそんな人の依頼を受けたいとは思わない。
けれど男はへへっと笑いながら「なんせ報酬が破格だったもんで」と言った。
ちょっと心配になるレベルで阿呆だ。
しかもそんな理由で指示に従っていた男がこれの他に4人もいるのだから頭が痛い。
「報酬に目が眩んで人道を外れてしまっては救いようがないけどね」
「それは、はい……まったくもって仰る通りで」
クライヴァル様の至極真っ当な意見に男は身を縮めた。
「まあ、いい。とにかく今は私の問いに正直に答えたまえ。君たちはどこでその女性から依頼を受けた?」
「それは俺たちの地元、あ、ケデフです!」
「……その女性の容姿は?」
「ええっと、なんつーか可愛らしい人だった、かな? あ、でも見た目だけですよ? 可愛らしさを吹き飛ばすくらい高慢ちきだったんで!」
「もっと具体的に」
「ぐ、具体的?」
「髪や、瞳の色は?」
「ああ、そういう! ええっと、髪は濃い茶色で目は宝石みたいな綺麗な緑色でした」
男が言葉を発する度に、ヒューバートお義父様、リディアナお義母様、そしてクライヴァル様の表情が険しくなっていく。
いや、実際はちょっと眉間に皺が寄るとかそれくらいなもので、一見すると皆笑顔なのだ。
笑顔だからこそ怖い。
笑顔なのに張り詰めた空気感。
「……なるほどな。最後に、今回受けた依頼について話してもらおうか」
「は、はぃ……!」
さすがの男もこの異様な雰囲気を肌で感じ取っているらしく、縋るように私に視線を向けた。
(そんなもの向けられても助けるわけないでしょう?)
自業自得なのだからさっさと答えろという思いを込めて笑顔を返した。
誰も自分を守ってくれないと悟った男は涙目になりながら貴族女性から受けたという依頼を話し始めた。
最後の依頼は従者を通してで、書店にいるナンシーを連れ込み宿に連れて行くこと。
それを遂行すれば王都の外れにあるお屋敷に娼婦を派遣するので、翌日の朝に迎えを寄こすまでその娼婦を外に出さないこと。
そうすれば約束の報酬を支払うということ。
私は聞くのは2回目だったが、多少言い回しは違うけれど概ね内容は同じだった。
「娼婦が来て、あとはお楽しみだと思ったら、実際やってきたのはそこのお嬢さんだったんですけど……」
娼婦という言葉にクライヴァル様が男をギンッと睨みつけると、男は「も、申し訳ありませんでしたー!! こんな犯罪紛いのことだなんて思ってなかったんです! 俺まだ死にたくないよぉっ」と言って床に突っ伏したかと思うと、緊張の限界が来たのかしくしくと泣き始めた。
泣き始めた男をリディアナお義母様は冷たい目で見て「あらまあ、情けないこと」と言い、ヒューバートお義父様は「ちょっとうるさいから隣りの部屋に置いてきてくれ」と言い捨てた。
男は縛られたまま隣室へと連れて行かれ、部屋には私たちとナンシーが残った。
「さて、ナンシー。あの男が言っていたことと何か違う所はあったか?」
「私がお答えできるのはこの身に起きたことだけですがよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわない」
「では、お話いたします」
ここからは私も初めて聞く話だ。
「書店で読書スペースで本を読むお嬢様の側を離れた後、私は販売スペースでお嬢様を待ちながら本を物色しておりました」
ナンシーは他にも私好みの本が無いかどうか探してくれていたらしい。
その途中で一人の男性とぶつかったという。
「ぶつかったと言ってもわざとではなく、あちらも本を探していてたまたまといった様子でした。男性は軽く謝罪をし、すぐに側を離れていきました」
その時は特に何も思わなかったとナンシーは言った。
「けれど、その後すぐに身体に異常を感じました。身体のほてりと息苦しさに見舞われ、とりあえず近くにあった椅子に腰を下ろしました。」
その後、頭痛と急激な眠気に襲われたらしい。
「今考えればこの時点ですぐにお嬢様や書店の店主なりに助けを求めるべきでした。申し訳ございません」
「今さら嘆いてもしょうがないことだ。その反省点は今後に生かしなさい」
「はい」
「ぶつかった男に関して覚えていることは?」
「そうですね……身なりの整った男性で――」
ナンシーはちらっとクライヴァル様を見ると「どことなく雰囲気がクライヴァル様に似ていたように思います」と答えた。
「そうか、それでその後のことは? 何か覚えていることはあるか?」
「情けないことですが、書店から連れ出されたことや、馬車に乗せられたことなどは覚えておりません。次の記憶はベッドの上、恐らく連れ込み宿のベッドだと思われますが、手足を縛られ口に布を噛まされた時のことです」
ナンシーは俯いて縛られていた手首をぎゅっと握った。
知らない男にそんなことをされるなんてどんなに恐ろしかっただろうか。
彼女の気持ちを考えると居た堪れない気持ちになる。
私がもっと彼女を気にかけていれば、もっと早く助けてあげられれば、そんなふうに思い泣きたくなる。
けれどナンシーが泣いていないのに私が泣くわけにはいかない。
ナンシーはふーっと息を吐き、顔を上げた。
「私を攫った男はおそらく二人。意識がはっきりしていなかったので定かではありませんが、おそらく先ほどまでここにいた男がそのうちの一人だと思われます」
「なぜそう思う?」
「声が……」
「声?」
「はい。『手荒なことをしてごめんな。何もしないから』『明日になったら解放してやれるから』と」
男たちはナンシーを縛りながらそう言っていたという。
そうして男たちが部屋を出て行った後、徐々に意識がはっきりしてきたナンシーが縄を解こうと藻掻いているところに私がやってきたそうだ。
「お嬢様の姿を見た時は心底ほっといたしました」
「よくわかった。ナンシー、無事で何よりだった。もう下がって良いからゆっくり休みなさい。ああ、念のため休む前にロイド爺に診てもらいなさい。明日になったらきちんとした医師を手配する」
「かしこまりました。お心遣い感謝いたします」
ロイド爺は医学の心得のある庭師のお爺さんだ。
本当ならきちんとしたお医者様を呼びたいのだが、こんな時間に呼びつけては緊急で何かあったと言っているようなものなので今は呼べないのだろう。
ナンシーが退室すると、皆揃って深い溜息を吐いた。
「疑惑がさらに深まったな」
ヒューバートお義父様が呟いた。
「疑惑? ヒューバートお義父様はどなたか怪しんでいる人物がいるのですか?」
私の問いに私以外の3人が頷いた。
さすがアルカランデ公爵家の優秀過ぎる頭脳の持ち主たちだ。
ちょっと私が行方不明の間にすでに怪しい人物を見つけ出していたらしい。
「どなたか、お伺いしても?」
「ベサニー・スタークス。クライヴァルの元婚約者だ」
告げられた名前は少し前にクリスティナ様から聞いた名前だった。
先日の大寒波襲来の際にこの冬初の雪を見ました。
学生の頃は純粋に喜び「積もれー!」と思っていましたが、社会人になると「降ってもいいけど積もるな!」と思うように……。
あの頃が懐かしいわ~( ̄▽ ̄)