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短編集

縁日で買ったラムネの瓶の開け方が分からなかった

作者: 喜岡せん

この物語はフィクションです。実在する人物、団体、その他とは一切関係ありません。

 縁日で買ったラムネの瓶の開け方が分からなかった。


◇◇◇

 

 八月十三日。焼けるようだった暑さから一変、夜は幾らか涼しかった。昼間は蝉の音ひとつだけだったものに今夜は笛と太鼓の音が加わっている。初めて聴くはずの音楽が少しだけ懐かしい。

 少しの心細さに空を仰ぐ。地上に余計な光源がないぶん、普段より随分綺麗に見えた。ついでに言えば、半ば人探しも、諦めていた。

 神社でのお祭り――縁日に少々浮かれていたのは事実に相違ない。年長組の威厳を保って「走るなよ」と小さな従兄弟たちを窘めていたが、本当に注意が必要だったのは僕自身らしい。昔ながらの瓶で売ってあるラムネに興奮して従兄弟たちから離れてまで買ったものの、結局開け方が分からず僕の右手で滴を垂らしていた。挙句はぐれてしまったのだから目も当てられない。

 神様の通り道だと言われて普段は厳かな参道も今日は無礼講だ。定番のかき氷に綿あめ、たこ焼き、焼き鳥に射的、それから金魚すくい。楽しげな屋台が連なっている。

「ちょいとあんちゃん、たこ焼きはいらんかね」「イカ焼きあるよ~、おひとつどうだい」「お母さんお母さん、射的! 射的したい!」「かき氷ひとつください」

 浴衣を着た人もいれば、普段と変わらないような人もいるし、お面で顔を隠して走り回る子供たちも、それを眺めながら屋台を切り盛りするおじちゃんもいて、「祭り」と呼ぶに相応しい人がそこかしこで縁日を作り上げていた。

 慣れない浴衣で慎重になりつつ、下駄で参道の石畳を蹴りながら歩く。半ば諦めたとは言いながらはぐれた従兄弟たちを探して境内の奥へ奥へと進んでいくにつれ、屋台の数が減っていった。それに合わせるように人の賑わいもなくなっていく。

 縁日の喧噪から完全に離れた時には拝殿の前だった。賽銭箱の後ろは階段状で、その先に本殿があるのが見える。

 人の波から抜けたことによる解放感と少しの疲労を感じて、今くらいは許してくださいと思いながら階段の一番初めに腰を掛けた。

 あれだけ近かった人波も祭囃子も遠くに感じる。

 天上は相変わらず星の輝きが目立つほどに真っ暗闇で、その下を朱色が煌々としていた。灯篭の朱、提灯の朱、鳥居の朱。屋台が石畳を照らして、みんながそれを頼りに歩いている。

完全に通りの賑やかさと分けられた、異質とまで感じる静けさ。まるで向こうからはこちら側が見えていないような。

 

「お兄さん、罰当たりだな」


 不意に後ろから声がした。

 まだあどけなさが残る少年の声。従兄弟たちよりも大人びた声に後ろを振り返って目を凝らすと、フードを被った小学生のような影を捉えた。地元の子だろうか。

「それは、きみもだろ」

 自分より高い位置に腰を下ろしている少年に笑って返す。

「…………そうだね」

 少年はそう言って隣まで降りてきた。

「それじゃあ俺とお兄さんは共犯者だ」

「共犯者?」

「そう、神様に失礼なことをした共犯者」

 暗闇の中、フードを深く被った少年が肩で笑う。からかっているのかただ単に面白がっているだけなのか僕には分からなかった。明らかに歳下に見えるのにどこか不思議と歳不相応な子だ、と思う。本当のことは知らないけれど。

「……お兄さん、それ、開け方わかんないんでしょ」

「それ?」

「ラムネ。ずっと持ったままだから」

「ああ……買ったは良いけど開け方が分からなくて」

 貸して、と少年が手を差し出す。迷うことなく預けると作業をしながら少年が話を続けた。

「…………お兄さん、ここの……弥田村(やたむら)の人間じゃないよね。見ない顔してる」

 瓶の栓を抜いて、少年が尋ねた。小さな村だから余所者はすぐ分かるのだろう。

「母さんの実家が弥田村なんだ。従兄弟とかもこっちに住んでるし、夏休みだから遊びに来てるだけ。お盆は部活も無いし」

「部活? ……そうだ、中学生になったら授業以外で学校に行かなきゃ行けない日があるんだった」

 不思議なTの字をした栓の突起部分で中のビー玉を押し出す。ガコンだかガタンだか変な音を立てた瞬間、沸騰したようにラムネが溢れ出した。

「ごめん、溢れた」少年が無機質に謝った。

「いいよ、ありがとう」水滴が垂れる瓶を受け取る。濡れた指先はほんの少しだけ甘かった。

「……中学生になったらって、今は小学校に通ってるの?」

「うん、六年。お兄さんは?」

「僕は高校生。まだ一年だけどね」

「……すごい年上じゃん。敬語使った方がいい?」

「いや、いいよ。今日は縁日だから」

 変なの、と少年は首を傾げた。

 少年が開けてくれたラムネを傾ける。サイダーとは違う爽やかで優しい炭酸が口の中に広がった。日常とかけ離れた空間が、夢なのか現実なのか判らないほど僕の感覚を狂わせる。

 帰りたくない、と素直に思った。

 学校の騒がしさも、陰湿な陰口も、理不尽な教師も、此処には無い。社会はこうだ、働くとはこういう事だと未来に影を落として現実を突きつけられる事も無い。そもそも就職希望とは言えまだ一年生だ。考えるには早すぎると、教室で面接の練習を繰り返す先輩方を横目にしながら僕は思っている。

 早く大人になりたいと願った日もあった。それはまだ自分が子どもでいられる自信があったからだ。子供心を対価に手に入れたSNSも、初めは楽しくて仕方なかったけれど赤の他人の悪口とか、批評とか、評価とか、色んなもので雁字搦めになっている。

 全てを投げ出して、何処か遠くへ。

 本当のところ僕は現実から逃げるために弥田村に来たのだった。この三日間は携帯電話の電源を落としている。

「学校は楽しい?」

 まるであの頃の自分に言い聞かせるように少年に尋ねた。

 別に、と素っ気なく返される。

「楽しくなんかないよ。先生たちは勝手に怒って教室を出ていくし、怒ってる理由も分からないまま俺たちは職員室に謝りに行くんだ。この間なんか教科書を落として怒られたよ、お母さんが買ってくれた教科書でしょ、大切に扱いなさいって。落としたくて落としたものじゃないのに。

 シャーペンは使うな、鉛筆しかダメだ、ハサミは持ってくるな、みんなと仲良くしなさい、自分にされて嫌なことはしない、家には夕方五時には帰ること、ゲームは一日二時間まで。何でもかんでも決まりがあって馬鹿らしくなる。このサエキだって……」

 少年はそこまで言って、抱えた膝に顔を埋めた。

「早く大人になりたい。それから俺は、この村を出ていくんだ」

 それはまるで、祈りだった。

「村の外には出たことないの?」

「……ないよ、出られるわけがない。このままじゃ死ぬまで村に閉じ込められたままだ、俺は、佐伯を継いで、弥田村を守らなくちゃならない。──佐伯家の長男だから」

「……家を守る、かぁ。伝統ある家なんだね」

「そう言えば聞こえは良いけどただの時代遅れさ。昔からある伝統も儀式もご丁寧に受け継いで、この家こそが村を支配できるなんて思ってる。馬鹿げてるよ、だから俺は早く大人になって家を出ていくんだ」

 小学六年生の家出発言に驚いたけれど少年の瞳は確かに強い意志が宿っていた。

 少年の家の事情なんか、知る由もない。判ったと言えば、小さな身体に抱えきれないくらいの業を背負っていることだ。知ったところで僕にはどうしようもない。

 ようやく返した言葉も子どもじみた夢物語だった。

「じゃあ、自立したら僕のところにおいでよ」

 だけどそう提案したのは僕も現実に辟易していたから。

 大人になれば、自立すれば、きっと自由になれる。それはたぶん違いないのだろう。それなら、自由の対価に奪われるものは一体何なのだろうか。

 僕にはそれがまだ分からない。けれど、自由の手助けは出来る。

「初めて会った人間によくそんな、夢みたいな提案ができるな」

 少年はそう言いながらもどこか嬉しそうに笑った。

 カラリ、とビー玉が転がる。ラムネを飲み干した格好のまま見上げていると、硝子の表面が縁日の灯りを反射して揺れているのが見えた。視界の端で影が動く。

「俺はそろそろ帰るよ」

 少年が段差を飛び降りた。風でフードが捲れ、少年の短髪が靡く。ようやく見えた少年の顔は年相応にいたずらっ子のような笑顔を浮かべていた。

「ああそうだ……ねぇ、お兄さんの名前は?」

幸多(こうた)。きみは?」

「……………………内緒。今度会えたらその時に教えてあげる。じゃあまたな、幸多さん」

 少年はそのまま軽やかに縁日の人波に紛れていった。

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