第一話 不老不死
夕暮れのある日、僕は彼女に出会ってしまった。
三月。
中学校の卒業式を間近に控えた僕は、仲の良いクラスの友達と中学校最後の思い出作りのために肝試しをすることにした。
僕の中学校の近くにはとても大きなお屋敷があった。もう何年も使われていなかったその屋敷は喧騒から隠れるように山の中にひっそりと立っていた。
『犬見屋敷』。
いつからかその屋敷はそんな風に呼ばれていた。別に家の中に犬がいっぱい居たりだとか、そういう理由ではない。自然とその屋敷はそう呼ばれていた。
御多分にもれず、周囲から『犬見屋敷』などと奇妙な名前を付けられ、山の中にひっそりと建っているとあれば買い手がつかないのも頷けるだろう。
極めつけが……“魔女”が住んでいるという噂だった。
「その屋敷には魔女が住んでいてもう何百年もいるらしい」とか「魔女は子供が好きで、中学生くらいの 子供をさらっては屋敷に閉じ込めている」だとか。まあ、どこにでもある根も葉もないうわさである。
でも中学生の僕らにとってそれは、とても魅力的な話だった。
だから僕たちは、高校生になってバラバラになる前に、自分たちが中学生であるうちにその心霊スポットでの肝試しを敢行することにした。
だが、うわさはうわさに過ぎなかった。
結局なにもなかったね、と言いながら友達たちは皆帰ってしまった。
僕たちが踏み入れた屋敷の中は、多少は朽ちていたものの崩落の危険があるわけでもなく、廃墟と呼ぶにはきれいすぎる屋敷だった。人が住んでいる形跡もなかった。
でも僕は、なんとなく、その屋敷に一人で残っていた。
外はまだ夕暮れの時間だったが、屋敷の中には光は一切入ってこなかった。まるで夜みたいだな、と思った。
別に皆と一緒に行ってもよかったのだ。そうした方が良かったのかもしれないし、むしろここに残るとしても皆と一緒にいるべきだったのかもしれない。
しかし僕の、僕自身がもっているこの屋敷への興味が、それを妨げさせたのだった。
きっとこの屋敷には何かがある。これまで自分が経験したことがないこと。
それは、非日常。
朝起きて学校に行き、夕方授業を終え帰宅する。そんな日々の繰り返しに飽き飽きしていた僕は、微かな非日常の匂いを求めて屋敷を奥に、奥に進んでいった。
そしてついに僕は見つけた。
非日常がそこには居た。
屋敷の一番奥の部屋。ほかの部屋の扉は比較的真新しいのに、その部屋の扉だけはなんだか古めかしかった。かなり年季が入ってさび付いてしまっているドアノブをひねり中に入る。
「お前、何をしに来た?」
教室がすっぽり入ってしまいそうな大きな部屋。そのど真ん中にある天蓋付きのこれまた大きなベッドの上に、彼女は居た。
「よく私をみて逃げ出さないな。珍しいやつめ」
そう言って彼女はくつくつと笑った。
「言え、小僧。まずは名前、そしてお前がここに来た理由を」
彼女はとても奇妙な格好をしていた。
赤い着物に袴。そんな古風な格好をしているにもかかわらず、どことなく似合わないような雰囲気。
切れ長の目に黒くて長い髪。前髪は額で切りそろえられている。
そして……彼女はとても美しかった。
「え……と、僕は」
少し小柄な少女が怪訝な顔で見てくるので、僕はすこし慌ててしまった。
しどろもどろになる僕。
「僕は、丸岡です。あの、あなたは……魔女ですか?」
「はあ? 魔女? なんだそれは」
怪訝そうな顔をする少女。
「犬見屋敷」の噂の一つ。この屋敷には何年も魔女が住んでいて、子供をさらっては屋敷に閉じ込めるという話を思い出し、つい尋ねてしまった。
「ふん。魔女だか何だか知らんがここはお前みたいな小僧が来るところじゃない。さっさと立ち去るがいい」
そう言ってしっしっと手を振られてしまった。
「あなたは……一体なんなんですか?」
僕は臆せず彼女に問いかけた。
「私か? 私は……」
仕方ないな、という顔をした後に、少女はいたずらっぽく笑った。
「魔女ではない。かぐや姫、だな」
「かぐや姫?」
魔女とかぐや姫。まったくもって関係性がない。
「だな。くくっ。我ながら上手い例えだな」
そう自らを月から来たお姫様に喩えた魔女は、カラカラと笑っていた。
「あなたはここに住んでいるんですか?」
「そうだな」
「なんで住んでるんですか?」
我ながら直球な質問の連続になってしまった。
「なんでもなにも……ずっと住んでいるんだから、理由はない」
「ここは誰も住んでないって聞いたけど」
「私が住んでいる。……質問が多い奴め」
うんざりした顔で彼女は言った。
「それと私には敬語を使え。年上だぞ、お前も何倍もな」
どうみても彼女は自分と同い年くらいだった。
喋り方や態度は大人っぽいが、背格好に関しては中学生くらいと言っても差し支えはない。
「その目、私が少女にしか見えない、とでも言いたげだな」
「いや、そんなことは」
「ならば私の年齢を言おう。……四百十五歳だ」
彼女がとんでもないことを口にした。
「へ? よんひゃくごじゅう……?」
「信じていないな。まあそうだろうな」
くっくっと再び笑う彼女。
「さて、お前。そろそろ良いだろう。私をこのままこの屋敷に一人にしておいてくれ」
「また会いに来ても良い……ですか?」
僕は彼女にそう尋ねる。
彼女に会いたいから、というのは嘘ではない。こんなにきれいな人と一対一で話すのはかなりテンションが上がる。
でもそれ以上に、僕は自分が特別なことをしている実感が欲しかった。
「……ふん」」
彼女はまんざらでもなさそうだった。
「なんの目的があるかは知らないが、ここに辿り着けるならな。何の間違えかしらないが、ここに人間がくるなんて何十年ぶりなのだから」
翌日の昼。
「蔵人!」
下校時間。
玄関で上履きを履き替えていた僕は、いきなり背後から声を掛けられた。
「おう、加奈子」
思った通り。声の主は石田加奈子だった。
彼女は僕の幼馴染。家も隣同士で、幼稚園から中学までずっと同じ学校に通っている。
「今日、帰り暇? 一緒に帰ろ」
幼馴染とは言っても中学生になると、お互いの関係は少しずつ変わってきていた。僕は男子とつるむようになり、彼女も女子のグループに所属していた。小学校の時などは男子や女子が混ざって遊んでいたものだが、さすがに思春期に入ってしまうとどうやらそういったことは難しい。
だから彼女と一緒に家に帰るなんて、中学に入学したばかりの頃に何回かあったくらいだ。
そう、だから彼女からの申し出を珍しいと思った。
「ああ、今日はちょっと予定があるんだ。すまない」
久しぶりに一緒に帰って話すのもいいかな、とは思ったが、今日は屋敷に行くつもりだったため断った。
「そっか……残念。また今度ね」
加奈子は予想以上に残念そうな顔をしていた。
帰り道、僕は犬見屋敷に向かっていた。
昨日と同じように二階への階段をあがり、奥まで続く廊下を歩き、辿り着いた古めかしい扉。
ガチャリ、と扉を開ける。
「む」
昨日と同じ格好の魔女が、天蓋付きのベッドに寝転がっていた。
「また、会いましたね。魔女さん」
「魔女ではない……」
うんざりした顔をして彼女は言った。
「なぜお前はここに来ることが出来る? 人間が入れない結界を張ってるのに」
「やっぱり、魔女の魔法でこの部屋は隠されていたんですね。通りでみんなで来たときにはこの部屋には入れなかったわけです」
「なのにお前には効かない。おかしいこともあるものだな。私の力が弱まったか」
意外そうな顔をして彼女は言った。
「で、今日は何しに来た」
「僕、あなたの話が聞きたいです」
「どういうことだ」
「魔女でもかぐや姫でもなんでも良いです。あなたが四百年間生きてきたのなら、その話を聞かせてください」
「いやだ」
ぷいっとそっぽを向かれる。
「そこを何とか」
「いやなものはいやだ」
まるで子供のようだ、と思った。
「なんでですか」
「……はあ」
しつこく聞く俺を横目で見て、はぁ……と彼女はため息をついた。
「暇つぶしだ。喋ってやってもいいだろう」
やれやれという様子で彼女は話し始めた。
「私は大正二年生まれだ。大正というのはー、平成の前の前の年号で……」
「それは知ってる」
「いいから黙って聞け。そして大正十六年。私はある男に騙されて薬を飲まされた」
くいっ、と瓶を傾ける仕草をした。
「それが不老不死の薬だったという話さ。以来私は老いることなく、死ぬことなく、この姿のまま今まで生きてきた、ということだ」
えーっと……。
「そんな薬あるんですか?」
僕がぶつけるべき、もっともな疑問だ。
「ふん、実際に飲まされて以来、私は老いてもいないし死んでもいない。ずっとこの屋敷の中で暮らしている」
「じゃあ」
と、僕が尋ねる。
「あなたは……死にたいんですか?」
「……」
「僕は、あなたを助けたい。あなたが望むのならば、あなたを死なせたい」
くくっ、と彼女は笑った。
「……無理だな。私を殺そうとこれまで何人もの輩が手をつくした。でもそやつらはいつの間にか私の部屋に来ることができなくなっていた」
そう言って彼女は、部屋の隅の写真を指差す。
「あれがこれまでここに来ることのできた者たちだ。珍しいから写真を残していたのだがな」
うずたかく積み重なっている写真が、その人数を示唆している。
「中には私に恋をしてしまったらしい輩もいた。そいつらは本気になって私を死なせようとしたが、そんなものは無理だったのだからな」
ニヤリ、と彼女は笑う。
「で? お前はどういう理由で私を死なせようと思うのかな?」
そんな理由は特にない。
「ただ、あなたを助けたいから。困っている人を放ってはおけない」
僕は僕自身がそうしたいから。目の前の困っている彼女を助けたいからそうするだけだ。
「ふむ……まあ、いいか。で、どうする? お前のような小僧になにができる」
「もっと、詳しくあなたの話を聞きたい。あなたの飲んだ薬はだれが作ったのか」
「ふん。次に来るときまでに説明してやる。私はもう疲れた。また明日にしてくれ」
彼女はそう言うとベッドにゴロンと寝転がった。
長い髪が顔にかかる。横になったことによって袴のすきまから白い足が覗く。
「わかったよ。また明日くる」
そう言って僕は屋敷を離れた。
夜の帰り道。
「あ……」
自宅の目の前に人影があった。
「こんばんは」
「お、おう」
加奈子だった。
「随分遅かったね。どこに行ってたの?」
「……図書館だよ」
「へえ、珍しいね」
まだ肌寒い風が吹く中、加奈子は一人で立っていた。
「どうした? 何かあった?」」
「ううん、なんでもない」
加奈子が首を振る。
「なんとなく、蔵人とこれまでみたいに一緒に学校に通うことがないんだな、と思ってたら久しぶりにここに来たくなっちゃって」
幼馴染でもある僕たちは、小学生の頃まではお互いの家で一緒に遊んでいた。
でもお互いが大人になるにつれ、同性の友達と遊ぶことが増えていき。また僕の方の問題もあってだんだん遊ばなくなっていた。
でも、行き、帰り道は近かったからよく一緒になっていた。
「上がってくか?」
「ううん、いい。 また明日ね」
そう言って加奈子は帰っていった。
「私が薬を飲んだのは今からちょうど四百年前になるな。その薬は、かぐや姫が月から持ってきたものらしい。私はそれを誤って飲んだ」
「ふむ」
犬見屋敷の寝室。僕は再びここを訪れていた。
僕が普通に来られることを彼女はもう驚かなかった。むしろ、よく来たな、という素振りを見せた。
「それから私は一切歳をとらないのさ」
「その薬はだれからもらったんですか?」
「知らん。薬売りから貰ったと言っていたが、私も詳しくは知らない」
「……心当たりがある」
「ふん、そうか」
なんとなしに彼女は言った。
『心当たりがある』という言葉は、もう何度も聞いているのだろう。
「じゃあ、そのお前の心当たりを見せてもらおうじゃないか。期限は……そうだな、あと三日」
三日。
ちょうど卒業式の日だ。
それまでに僕は彼女の薬を調べなければならない。
「三日たったら私はこの部屋の結界を張り替える。お前が二度と入れないようにな」
「そんな、もっと時間を」
「私には時間は腐るほどある。だが、感じる時間の速さは、お前たちと同じなんだ」
彼女は少し悲しい顔をしてそう言った。
心当たりがあると言ったのは嘘ではない。
お婆ちゃんがよく言っていた。
「お爺ちゃんの薬は日本一だよ。どんな病気の人も飲んだだけで治っちゃうんだから」
僕が生まれる前に亡くなってしまったお爺ちゃんは、薬を作る仕事をしていたらしい。
そのことをお婆ちゃんは誇りに思っていたと言う。
僕がお爺ちゃんの薬を飲みたいとダダをこねると、
「それは蔵人が病気になったらね」
と諭してくれた。
「お爺ちゃんはね、自分に孫ができた時のために何にでも効く薬を作っておいてくれたんだよ」
そういって押し入れの奥からガラス瓶と一枚の紙を出してきてくれた。
「このガラス瓶の中に入っているお薬はね、飲むとどんな病気でもすぐに治っちゃう薬だよ。これがあれば蔵人がどんな病気にかかっても大丈夫だね」
そう言ってニコニコ笑っていた。
その後お婆ちゃんが病気になって無くなった。
お婆ちゃんは死ぬ前、
「何かあったら押し入れの薬を飲むんだよ。もし足りなくなったら、紙に作り方が書いてあるからね」
と僕に小声で言ってくれた。
その後僕は、八歳の時に白血病という病気にかかった。
僕はお婆ちゃんの話を思い出してその薬をこっそり飲んで、でも怒られる気がしたから水を入れて戻しておいた。
よく覚えていないけど、僕の病気はその後すぐに治ってしまった。
本当に気がついたら治っていた。
自分で飲んでしまってから、僕はその瓶と紙を一回も見ていない。
でももしかしたら、僕の病気が治ったみたいに彼女の不死の力も治せるんじゃないかと思った。
家に帰り押し入れを探す。
中には、茶色の瓶と、一枚の紙を見つけた。
瓶の中身は、きっと僕が入れた水だろう。
傍らにある紙を見てみる。
そこには
『ここにある瓶の中に水を三日入れれば、その水はみるみるうちに万能の薬になるだろう』
と書かれていた。
これで彼女はなんとかなると思った。
だって僕の病気が治ったんだから。
僕はその瓶を取り出すと、水を中に入れた。
あとは三日間放置するだけだ。
彼女との約束の日まであと二日という日。
僕の携帯電話にこんなメールが来ていた。
「明日の夕方六時、神社で待ってます」
差出人は、加奈子だった。
どういう理由なんだろう。
帰り道に犬見屋敷に寄った。
そうしたら、玄関でヘルメットをかぶった大人が何人もいて何やら話し合っていた。
僕は裏口から入ると、二階に上がり彼女の部屋に着く。
「ふむ、お前か」
いつもの尊大な態度で彼女は僕を迎え入れてくれた。
「死なないことの、何が辛いんですか?」
僕はずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「……その質問は初めてされたな」
彼女は頭を掻いていた。
「死なないこと自体は辛くはない。長生きできるし、新しいものは見ることが出来るし、そういう意味では面白いな」
なるほど。
「だが、決定的に辛いこと、それは私の過去を知っている人間は私とともに歩んでくれないということ。それが異性であれ、同性であれな」
「私の過去を知っている人間。私の事を信じてくれる人間。不老不死、死なない、老いない。そんな夢見事を信じてともに歩んでくれる人。それがいないのが、最も辛い」
信じる。
僕は彼女が不老不死であることを信じているのだろうか。
そんなのはありえない、と普通は考えるだろう。信じてしまうのは子供だ。
僕は、そういう意味ではまだ子供なのかもしれない。
「そういう意味ではお前は、私を信じてくれているな。この部屋に来ることができるのがその証拠だ」
ふふん、と彼女は笑った。
約束の日まあと一日。学校が卒業式のため休みだったので、昼間から僕は屋敷に向かっていた。
今日は屋敷の前にはだれもいなかった。
彼女の部屋に着くと、
「期限は明日だぞ。大丈夫なのか」
「大丈夫、と思います」
「ふん、ならいいけどな」
夕方過ぎに屋敷を後にして、僕の足は自然と神社に向かっていた。
鳥居の前に立つころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
「来てくれたんだ」
そこには加奈子がいた。
いつも会う制服ではない。私服だった。
「うん。呼ばれたからね」
「久しぶりだね、ここで待ち合わせして会うなんて」
「そうだな……小学生の頃以来かな」
「昔は一緒にここで遊んでたのにね」
そう言って加奈子は笑った。
なんとなく、
なんとなく僕は加奈子が何を言うのかをわかっていた。
「私達、四月から別々の高校に通うでしょ」
「ああ、そうだな」
「だから、私、蔵人に言っておかなきゃならないことがあって」
数拍おいて、
「私、蔵人のことが好きだから。」
彼女は、俯きながら、恥ずかしそうにそう言った。
「好き……っていうのは友達として、幼馴染として……じゃなくて、男子として、異性として好きだから」
「……」
「どうしても、それだけ言っておきたかった」
「……」
「蔵人は? 私の事は好き? 嫌い?」
加奈子がそう詰め寄ってくる。
「僕は」
それは、どうしても言わなければならなかった。
「僕は、加奈子が好きだよ」
「それは、幼馴染として?」
「それは……」
頭の中がぼうっとする。
「女の……子として」
僕の絞り出すような声に、それでも加奈子には聞こえていたらしい。
ふっ、っと顔を上げて、
「そう、よかった」
その瞬間、彼女の眼から涙がこぼれていた。
「あはは、嬉しくて泣いちゃった」
笑いながら泣く彼女の顔は、涙で台無しになっていた。
僕は黙ってポケットのハンカチを差し出す。
「うん、ありがとう」
眼を拭って再び笑顔を見せた加奈子は、
「洗って返すね」
と言ってポケットにしまった。
「じゃあ、また明日。卒業式で」
そう言って去っていった。
僕に、生まれて初めての彼女ができた。
翌日。
朝起きた僕は、なんだか世界が違って見えた。
景色は同じだけど、これまでかかっていたモヤが取れたような気がした。
見えるものは一緒なのに、そのものが色々な方面から見えて、たとえば椅子なんかは、今まで気が付かなかったけど四脚だった。素材は木でできていて、座る部分は座り心地が良いようにクッションが置いてあったのだ。
今日は卒業式だ。
今日で学校に行くのは最後になる。
制服を来て、学校に行く準備を始める。
カバンの中に妙な重さを感じた。
そこには茶色い瓶と、その中に液体が入っている。
今日で三日目だ。彼女のところに持っていかなければなるまい。
卒業式が終わった。
僕はひとまず終わったら加奈子のところに行った。
「卒業おめでとう」
「こちらこそ」
これまでの加奈子との会話とはなんとなく違っている気がした。
何気ない会話にも、なんだか深い意味があるように感じた。
「今日はこれからどうするの?」
「うーん」
周りは打ち上げだの、遊びに行くだのいっているようだ。
「私は自分のクラスのやつに行くけど、蔵人は?」
ひとまず僕は自分の使命を果たさなければならない。
僕は自分のカバンの中にある液体を屋敷の彼女のところに届けなければならないことに、なんとなく気が進まなかったが、彼女に約束をしてしまった。
皆がどこかへ行くのを尻目に僕は犬屋敷にむかった。
だけどそこには、
大型の重機が並んでいた。
僕達が卒業式をしていた間に、屋敷の取り壊しが始まっていたようだ。
周りには立入禁止の看板が立っていて、僕の行く手を遮るようにカラーコーンが立ち並んでいた。
取り壊し? 聞いてないぞ?
だけど、僕は急に思い出した。
ここ数日、屋敷の周りに良く大人が立っていて何やらはなしあって居たことを。
どうやらここの取り壊しの話をしていたらしい。
だとしたら、彼女は?
僕は周囲に誰も居ないことを確認すると、看板を無視して屋敷に近づいた。
まだ取り壊しは本格的には始まっていないようで、周囲にあったポストやその他の小物が片付けられていただけだった。
玄関を開け、彼女の部屋に向かう。
でも、なんだか今日は彼女の部屋までの道がかなり遠い気がした。
同じ道を進んでいるのに、妙に時間がかかっている気がする。
それでもなんとか部屋の前についた。扉を開くと、彼女はいつもの様に底に居た。
「おう、ついたか」
「……はい。でもなんだか妙に今日はたどり着くのに時間がかかった気がします」
「……そうか」
彼女は暗い顔でそう言った。
「……持ってきました」
僕はそう言ってカバンから瓶をとりだした。
彼女はそれを不思議そうなかおで眺める。
「これは……なんだ?」
「僕の祖父が作った、万能の薬の瓶です。この瓶に入れた液体は、三日経てば万能の薬になるらしいです。三日前から水を入れておきました」
「私は病気ではないがな」
そう言って彼女は面白そうに笑った。
「そういうことならわかった。ではそれを飲ませて貰おうか。となりの部屋に花柄のグラスがある。どうかそれをとってきてくれないか」
「いいですけど……瓶から直接飲めば良いんじゃないですか?」
「そんな無作法なことはできるか」
「はい」
僕はそう言って、一旦部屋を出ようとした。
「……待て」
そう彼女は僕を呼び止めた。
「なんですか?」
「……いや、なんでもない。早く取ってきてここに戻ってきてくれ。必ずな」
「隣の部屋ですよね。すぐじゃないですか」
僕はそう笑って部屋を出た。
隣の部屋に入りグラスを探す。食器棚に行くと、大小様々なグラスが埃をかぶっていた。
彼女が言っていた花がらのグラスを手にとる。少し歪みのある、古いグラスだった。
「ん?」
そのグラスの下に紙が置いてあった。
そこには『楼子』とかかれていた。これが彼女の名前だろうか? そういえば確かに彼女の名前を聞いていなかった気がする。
あとですこしからかいがてらに彼女の名前を呼んでみることにしよう。
僕はグラス片手に部屋を出て彼女の部屋に戻ろうとした。
「あれ?」
扉を開くと、隣にあったはずの部屋がない。ついさっき、自分が出てきた部屋がなかった。
扉が見えないとかそういう問題ではない。
そこに部屋が合ったという事実がなくなってしまったようだ。
『早く取ってきてここに戻ってきてくれ。必ずな』
彼女の台詞が頭で反響する。
どうして戻れなくなってしまったんだ?
僕は慌てて屋敷中を駆け回った。彼女の部屋を探して。
でも、結局見つけることはできなかった。
僕は二度と、彼女に会えなくなってしまった。
僕は、高校生になっていた。
加奈子とは別の高校になってしまったが、家が近いこともあり疎遠にはなっていない。もっとも恋人同士であるという関係を考えれば疎遠なんて言葉を使うのもおこがましいが。
犬見屋敷は、その後完全に解体されてしまった。現在は更地になっている。
僕はその更地のところに、あのグラスに薬を入れて置いておいた。
彼女がいつでも飲めるように。
こんにちは 羽栗明日です。
「不老不死」投稿させていただきました。
死ねない、老いない。そんな彼女は今までどんな人生を過ごしてきたのでしょうか。
そして彼女はどこに行ってしまったのでしょうか。死ぬことはできたのでしょうか。
なぜ彼は彼女に会うことができたのでしょうか。
感じ取るものがあれば幸いです。
次話は幕間を挟んだ後になります。
お読みいただき、気になることがあればコメントなど頂ければ幸いです。
何卒宜しくお願いします。
羽栗明日