ピンチピンチ
家に帰る前に、私はネットを検索した。
本当なら持って帰った肉を鑑定キットで調べるつもりだったが必要なくなった。刑事のせいだ。
人通りの少ない場所で開く。誰にも見られたくない。
マンションに帰る道の途中路地裏に小さなベンチが一つ。粗大ごみの不法投棄か、それともシニアの休憩場所かわからないが、ずっと置いてある。
路地の奥には古い工場がある。
取り壊さない理由は借地法とかいう昔の法律のせいらしい。何度か改定されたそうだが、なんだかんだでまだ続いているらしい。下手に取り壊すと土地の所有者が使う権利が無くなるそうで、土地が勿体ないとさえ思う。
固定資産税を考えると得か損かわからないけど、他人がやることなので私には関係ない。
噂では『出る』という場所なので、あえて残している可能性もある。
時刻は夕方。十一月ともなればもう空が赤く色づいている。
開いたのはおか子のSNS。とはいえ、簡単な一言日記みたいなものだ。
私は久しぶりにログインするので額をおさえる。IDはともかくパスワードを忘れかけていた。
まずこれを調べるべきだったと今更後悔する。
「ええっと、確か」
三回目にしてようやくつながる。
デフォルメされたアニマルが映し出され、てくてくとおか子のホームに遊びに行く。
おか子のホームでは、彼女愛用の馬のアバターがるんるんと踊っていた。
吹き出しが飛び出してここ最近のコメントを話し出す。
『からあげさん、うめえ』
『しんはつばいのうめオリーブあじうめえ』
きっと最後のつぶやきだろう。余程美味しかったのだな、IQ下がりまくっている。
彼女はコンビニの監視カメラにしっかりチキンを買う姿が映し出されていた。チキンではなくからあげだったのかと、どうでもいいことを考える。
鍵がかかっているホームでよかった。もし、オープンにしていたら彼女のコメントは何十、何百、何千回と再生されていたのだろうから。
彼女はこのSNSで絵を発表していた。私がコメントをし、その後意気投合して肉を一緒に食べる肉友になった。
『いつか天然の馬刺しが食べたいなあ』
過去のコメントをたどると危ない発言をしていた。これも鍵がかかっていなかったら晒されて炎上していただろう。街中で見なくて良かった。
培養肉がすべての肉に置き換わった時代、本物の肉は野蛮の象徴でしかない。
大体食べ物の話題が八割を占める中、ふと私の手が止まる。
『あーさいあく。なんでこんな目にあうの?』
二か月ほど前の話だ。
『空き巣とかありえない』
どうやら被害にあったらしい。
私はここ数か月ログインしてなくて全く気が付いていなかった。
『刑事さん、ちょっと勝手に荷物漁らないで』
散らかった写真があげられている。
『カードは無事。今月の食費と、肉貯金取られた』
割られた豚の貯金箱を映し出している。現金で貯金をする人種はまだいるんだなとふとくだらないことを思った。
「ん?」
私は写真を拡大する。封筒が見えた。『支払い通知』と書いてある。
「ペーパーレスにしてないなんて」
キャッシュレス時代に小銭を貯金箱で貯めるような性格だ。想定外とは言わない。
おか子はどこか抜けていた。たとえ封筒には堂々とどこから出したのか書かれていないにしても不用心だ。
なにより封筒の封が切られて中身が出ている。
「見られている……」
可能性が高い。
誰に?
空き巣に?
いや……。
空き巣がもし確認していたら、食費と貯金箱の中身だけなんて取り方はしないだろう。
あとさすがに支払いは口座振り込みのはずだ。現金手渡しなんてありえない。
空き巣がおか子の家に盗みに入ったのは数少ない現金を使う人間だったからかもしれない。口座からおろそうとしても、生体認証が必要になる。
それに、もっと重大なことをおか子は呟いていた。
『刑事さん、ちょっと勝手に荷物漁らないで』
散らかった部屋の隅っこに誰かの足が映りこんでいる。
ちょっとくたびれた、何日か続けて着ているようなスーツ。
先ほどの刑事はおか子の事件を扱っていた。つまり管轄内だ。
そして、窃盗もまた同じ管轄で起きて同じ部署で取り扱っていたら。
「ははは。なーに見ているんですか?」
ぞくりとする声。ぬるい息が私の耳にかかる。コーヒーの匂いがした。
「こんにちは、また会いましたね」
先ほどの刑事。食後のデザートにはコーヒーを頼んだらしい。
「おやあ? もしかして、それって被害者のSNSですか?」
画面を消すがしっかり見られていた。
逆光のため、刑事の顔の表情はよく読み取れない。
「それって、もしかして私のことも書いてますか? ちょうど彼女の家には以前伺ったことがあったんですよ」
「そうですか」
刑事の口元だけは歪んでいるように見える。
「いやあ、空き巣に入られるなんて災難でした。あまりいい物件ではなかったですから。確かに部屋の間取りは広く綺麗ですけど、セキュリティが甘い。生体認証もなくアナログな鍵一つ。周辺には監視カメラがほとんどない。入ってくれと言っているようなものだった」
おか子はアナログな人間だった。それは物件の趣味でもうかがえた。
「一つお聞きしていいですか?」
「……なんでしょう?」
「私の手帳、どこまで見ました?」
どこまでと言われても、実際は見ていない。単にカマをかけただけなのだが。
「これ、見ました?」
『JP H 1897776』
おか子の登録番号だ。
それに続いて。
『味9 香り7 食感8』
肉の美味さの三つの要素が書き込まれていた。
やっぱり。
私はベンチからずるずると後ろに下がる。
路地裏を出て通りへと飛び出したいが、刑事に捕まってしまう。
後ろに下がるしかない。
ベンチにバッグの紐が引っかかった。はずみで中身が零れ落ちる。
「これは」
ラップに包まれた肉が二塊。
刑事はそれを拾うと、口に入れた。
「レモンをかけていただきたかったな。ああ、美味しい。培養肉は味が均一だな。ウエイターも気を遣わずに前と同じメニューを出してくれれば良かったのに」
レストランで気になったこと。
なぜ同じコースを頼んだ刑事が私と同じ物を出されなかったのか。
高級料理店では、同じ客に同じメニューを避けることがある。有能なウエイターなら、一度来た顧客はしっかり覚えている。
また飲み物も何も言わずにウーロン茶が出されていた。
つまり、この刑事は前菜とスープを食べたことがある。
前菜は、おか子のサンプルを使った培養肉だった。
じゃりっ。
もう一歩後退る。
時系列を考える。
最初におか子の家が空き巣にあって家宅捜索をしたのが最初。偶然、支払通知を見る。
このとき、おか子の登録番号を知った。また額を見たらかなり上質のサンプル提供者だとわかっただろう。
興味本位だったのかもしれない。肉の登録番号さえわかればどこのレストランで使われているのかわかる。
そこで培養肉の刺身を食べた。
評価は手帳に書かれた通り。
彼女の家に入るのは簡単だっただろう。監視カメラもなく、部屋を訪問するにも刑事という肩書さえあればすぐに扉を開けてくれる。
なにより事情聴取で一人暮らし、近所に知り合いがほとんどいないことはわかっていた。
くちゃっくちゃっと咀嚼音。
私はどんどん後ろに下がる。
「天然ものって処理が大変ですね。殺人現場で見ていてわかっていたつもりでしたけど、やってみるのはかなり違いますね」
そう言う刑事の手には皮手袋がはめられていた。
「おかげで使えるスーツが一枚しかなくて、このとおりヨレヨレです」
アイロンがかかっていないスーツを摘まむ。
「あっ、スーツはネットで頼んだものが来たので、明日はそれを着て行くんですけどね」
汚れても大丈夫と言わんばかりだ。
私は声を上げようとした。
しかし、皮手袋が喉を押しつぶす。
「……っ」
「本当にいい場所がある」
刑事は私の喉をおさえたままズルズルと廃工場へと引き摺って行った。